期癌による痛み、両足のむくみ、ふらつき感
80代 女性
昨年(平成21年)の秋頃、祖母の細い足が急にゾウの足のように浮腫み、それをきっかけに病院の検査で調べた結果、癌の末期と宣告されました。
足の浮腫み以外は特に身体に大きな不調がなかったので、家族にとっては大きな衝撃でした。
専門医の先生は祖母の年齢、体力を考えて、手術や抗癌剤治療は勧めませんでした。
家族で慎重に話し合った結果、祖母には病気の事は伝えず、これまで通り、普通の生活をしながら祖母を看病し自宅で看取ることを決めました。
祖母は以前から足腰の不調等で竹下先生にお世話になっていたので、祖母の身体に関しては、引き続き竹下先生に全面的にお任せすることにしました。
これは私達家族からの願いでもありましたが、竹下先生の目指すところは、なるべく苦しませずに逝かせてあげること、でした。
昨年の10月頃から竹下先生と松木先生が交代で週に3~4日、往診にきてくださり、特に大きな変化は無く新年を迎えられました。
癌患者とは思えないほど食欲はあり、癌の末期だなんて誤診ではないか、と疑ったくらいでした。
若干のふらつきがありましたが、鍼のあとはふらつきがなくなり、元気と自信を取り戻している様子でした。
その後徐々にふらつきが強くなり、家の中を動く事もままならなくなった頃、さすがの祖母も不安を覚え、落ち込んでいる事が多かったのですが、やはり竹下先生と松木先生に優しく励まされ、支えて頂いていたように思えます。
鍼が終るとニコニコしていて「心配しなくていいよ。」って言われた、とうれしそうに話していました。
2月に入った頃からたまに腹部に痛みを訴えたり、ちょっと動くと息切れがひどかったり、食欲が減ってきたり、と色々出てきましたが、ほぼ全て鍼で対処して頂き、穏やかに過ごさせていただきました。
年明けくらいからは近所の内科医院の先生も往診にきて下さっていて、介護保険を使って介護ベッドや酸素の機械や浮腫みをとるマッサージ機などをレンタルして下さり、病状に合わせて薬を出して下さっていました。
なんとなく外枠のケアを西洋医学で、内側を東洋医学で、といった感じの西洋医学と東洋医学のコラボレーションだったように思えます。
2月の中旬に体調が急に悪化し、2月末に亡くなるまで、竹下先生がお忙しい合間を縫って毎日来てくださいました。
先生が毎日来て下さる事は祖母にとっての安心でもありましたが、私達家族の安心でもあり心の支えでもありました。
先生の月に唯一のお休みの日まで「いつでも携帯に電話してください。」おっしゃってくださった先生に本当に感謝の気持でいっぱいでした。
昨年の10月の時点で全身に癌が転移していて、手のほどこしようがない、という状態だった祖母が、亡くなる数日前まで食べたい物を美味しい、と言って食べていられた事、
癌の末期患者として苦しんだのは最後のほんのちょっとだけで、しかもその頃はほとんど意識が無かったと思うので、祖母はおそらく自分が重い病気であることに気付かないまま亡くなっていけた事は、祖母自身にとっても私達家族にとっても、幸せな事だったと思います。
鍼治療の不思議を見せて頂きました。
そして何より竹下先生と松木先生が一生懸命やってくださったおかげだと思っています。
心から感謝しています。
約半年間、祖母の事でお世話になり、先生方はすっかりうちの親戚一同のヒーローとなり、死ぬときは清明院にお世話になる、と決めている人たちもいるので、私を含め家族、親戚ぐるみで今後ともよろしくお願いいたします。
※上記の文章は、患者様のお孫さん(現在清明院通院中)が書いて下さったものです。
清明院からのコメント
この症例は、末期癌と判明してから、亡くなられるまでの約4カ月間を、ご家族の要望により、ほとんど鍼のみで対応した、貴重な症例であります。
上の文章にもある通り、本症例の目的は、なるべく患者さん御本人を楽に逝かせてあげることでした。
「腎虚水泛(じんきょすいはん)、血熱(けつねつ)」と証を立てて最後まで治療し、それはなんとか達成してあげられたと思いますが、最後は亡くなってしまった訳ですから、僕にとっては、もっとこうしてあげられたんじゃないか、ああしてあげられたんじゃないかと、色々と考えさせられる症例でもあります。
人間は早かれ遅かれ、誰でもいつか必ず亡くなります。
悲しいけどそれは皆が分かっていることです。
ただ、最後亡くなる時ぐらいはなるべく苦しみたくない、周りに迷惑をかけたくない、というのが、多くの患者さんの考え方です。
この患者さん自身もそういう方でした。
この症例のように、現代西洋医学的には手の施しようがない状態の患者さんにも、鍼は強い味方になります。
鍼をして、安心し、痛みが楽になる、よく眠れる、結果、そんなに苦しまずに、比較的安らかに最期を迎えられる。そういう症例を、僕の短い臨床経験の中でも、何例も経験しています。
反対に、病院から手の施しようがない、と言われているにも関わらず、開腹手術、抗癌剤治療を選択し、酷い副作用に苦しみながら、本人もご家族も泣きながら亡くなっていった患者さんも、これまでに何人か診ています。
この方が亡くなられる前日の、意識があった最後の往診の時、帰り際に、
「明日も来るからね。」と声をかけると、それまで苦しそうにしていたのに、ニコッと笑って頭を下げた、この患者さんの笑顔を、今でも昨日のことのように思い出します。
「東洋医学」とは何なのか、"人の生き死に"に対して何が出来るのか、限界は果てしない、と僕は思っています。