1年間続く耳鳴り、耳の閉塞感
50代 女性
患者にとって辛い、病。
でも、もっと辛いのは「希望」が見い出せない時ではないでしょうか。
平成23年の2月、私は福井県の寺で出家しました。
出家前日まで仕事(カウンセラー、大学の非常勤講師、ヨガインストラクター等々)に追われ、疲労困憊で、雪の降る寺に着くやいなや剃髪しました。
出家当日の式典の早朝には、膀胱炎の痛みと血尿があり、寒さと緊張で体の震えが止まりません。
数日後に帰宅し、ホッとしたのもつかの間、左耳に耳鳴りが現れました。
発症当初はすぐに治ると思っていましたが、一向にその気配がありません。そこで、耳鳴りで有名な耳鼻咽喉科病院を受診しました。
決定的な原因が分からないまま、脳の血流を改善する薬が処方されたのですが、服用から5日目に激しい嘔吐と、脳の血管が破裂しそうな頭痛に襲われました。
何度も薬を変えてもらいましたが、嘔吐と頭痛は同じで、耳鳴りはひどくなる一方です。
家族が心配し、病院を変えてMRIも撮りましたが、異常はありません。
その後、生薬で有名な漢方外来のある病院に6カ月通い、漢方薬を飲みましたが改善は見られず、月日ばかりが過ぎていく中で、気持ちは暗くなる一方でした。
そんな状態の続く今年(平成24年)1月半ばに、私は大学の授業がない二月から一か月間、寺修行の予定を立てました。
このまま寺修行しないと、せっかく出家したのに、僧籍がなくなるからです。
でも体のことが不安でたまらず、藁をもつかむ気持ちで旧友に相談すると、友人は一言、「修行より治療が大事だ!」と言いました。
私は寺修行を一か月伸ばし、治療を受けることにしました。
その友人に紹介された鍼灸院が、清明院でした。
竹下先生の鍼を初めて受けた時の衝撃は、今でも忘れられません。
刺す瞬間も気が付かないほどのたった一本の鍼が、体中を駆け巡り、体のエネルギーが生き物のように動くのです。
一か月間、ほぼ週に二回の治療で耳鳴りは徐々に小さくなり、久しぶりに気持ちも前向き、笑顔も戻りました。
ところが、寺修行から戻ると、耳鳴りが再発してしまいました。
今度は、耳の閉塞感も現れました。
寺修行による、極度の緊張と疲労がたたったのだと思います。
またすぐに清明院に伺い、治療を受け、改善しました。
その後も竹下先生の適切な治療で切り抜けていますが、近頃は天候の変化や疲労の蓄積、睡眠時間の減少で症状が変化することに気づき、休養を取るようになりました。
「体の声を聞いて立ち止まる」という智慧を、鍼治療から学んだように思います。
患者にとって先の見えない不安は、真っ暗闇の無明(むみょう)です。
一方、治ることは何ものにも替え難い喜びです。
東洋医学の叡智である一本の鍼が、忘れかけていた私の「希望」を呼び戻してくれたと思っています。
今現在、耳鳴りは最初よりは改善したものの、もう一息のところで一進一退の感がありますが、耳鳴りという縁に導かれ、 今後も竹下先生の注意(特に睡眠を取ること)を守りながら、治療を続けていきたいと願っています。
鍼治療は、自然治癒力という本来すべての人が持っている力を呼び戻す、素晴らしい医療です。
自分に無理のない治療法を求め、焦らず希望を失わないことが大切だと思います。
私の経験が、少しでも辛い病に苦しむ方の助けになれば嬉しいです。
清明院からのコメント
この方は、尼僧です。
去年(平成23年)出家される以前から、現在に至るまで、ヨガのインストラクターや大学の講師等、激務をこなしておられます。
出家された方にとって、僧籍(僧でいるための免許のようなもの)は必要なものですから、それを持ち続けるために、定期的に寺修行に行かなくてはならないんだそうです。
この寺修行というのが、釈迦の教え通り「寒暑に向かう」ということで、メチャクチャ暑い時期と、メチャクチャ寒い時期に、冷暖房などまったく無いお寺で行うのです。(苦笑)
普段からそういう生活をしている方や、健康な若者ならいざ知らず、普通の現代人、特に中高年の方にとっては、ちょっと無理があるように思います…。
なので、我々医療者側の立場としては、非常にやめて欲しいのですが、こればっかりは、思想、信条の問題なので、いたし方ないです。
という訳で、せっかく治りかけたものがぶり返したりしてしまうのですが、何とか、いい状態で安定させられるよう、奮闘しております。
東洋医学では「七竅(しちきょう)の病」といって、顔面の目、耳、鼻、口の7つの竅(あな)の病は、なかなか難しいものが多いです。
この方が患った「耳鳴り」という病も、もちろんモノによりますが、難しいものが多くあります。
発症してから治療に入るのが早ければ、まだ見込みはありますが、この方の場合、発症してから1年も経ってしまっていましたし、 その間、様々な治療法で、効果が得られないままに、いじくりまわしてしまっていたので、正直どこまでいけるか、不安な症例ではありました。
しかし「肝欝気滞(かんうつきたい)>腎虚(じんきょ)」と証を立て、治療を開始してから1カ月で、 見事に症状激減し、喜んでいた矢先に、激しい寺修行によって、再発してしまった、という訳です。
それでも、僕も患者さんも、あきらめずに治療をすることで、現在は初診時よりは全然いい状態で、激務により一進一退はしますが、まずまず安定しております。
ご本人が書かれているように、無理をすると症状が悪化することに気付き、以前ほど無理をしなくなったことも大きいと思います。
こうやって、自身の体の声を聞くようになる、というのは、その患者さんの心に余裕が生まれた証拠であり、まさに心身一如、体の治療を通じて心まで癒された、ということなんだと思います。
こういった慢性の病は、このように非常に根気のいるものですが、今後も、さらなる改善と、色々な症状の予防を目的に、治療を継続していこうと思っております。