東洋医学 伝統鍼灸 清明院

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物流博物館③

2022.09.04

 

 

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こんばんは、土元です。
 
 
日中は日差しもあってお出かけ日和となりましたね。
 
 
 
朝晩の冷え込みが目立ちますので、就寝時の服装には気をつけていただきたい気候です。
 
 
 
台風の動向からも目が離せませんね。
 
 
 
皆様いかがお過ごしでしょうか。
 
 
 
本日も物流博物館で学んだ江戸時代の配送のお話。
 
 
 
前回までは飛脚便のお話をしました。
 
 
 
前回の記事はコチラ
 
 
 
飛脚便が運んでいたのは主に手紙や書類です。
 
 
 
しかし、流通するものは何も紙類ばかりではありませんよね。
 
 
 
現代でいうトラック運送に相当するものが江戸時代にもあって、重量物を運んでいたはずです。
 
 
 
そのひとつは、牛馬背による輸送です。
 
 
 
馬子や牛方と呼ばれる世話役の人がついて、馬や牛の行列を連ねて荷物を運びました。
 
 
 
当時の馬や牛は現代でいう重機に相当する重要な動力だったのです。
 
 
 
日本の各地に馬や牛の経絡図が残っているのは、人以上に大切にされた証ですね。
 
 
 
もうひとつは、領域が限られていたのですが、牛車です。
 
 
 
これを「うしぐるま」と読みます。
 
 
 
平安時代に貴族の間で流行した「ぎっしゃ」とは別物です。
 
 
 
「ぎっしゃ」は人を運ぶもの。
 
 
 
中世の日本で輸送に活躍したのは「うしぐるま」です。
 
 
 
江戸幕府の制定したルールによって車輪を用いた通行は制限されていたのですが、可能なところでは牛に曳かせた貨物車が活躍していたのです。
 
 
 
江戸時代の日本では米が基軸通貨のような役割を果たしていました。
 
 
 
毎年大量に流通する年貢米の輸送を全て人力で賄うことはできなかったということです。
 
 
 
 
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