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さて、続きいきましょう!!
◆「陰陽論」ではなく「”太極”陰陽論」。 その②
さて前回は、蓮風先生の著書における「太極」のとらえ方を紹介し、北辰会が鍼灸臨床で「太極」をどう考えているのか、というお話を紹介しました。
僕らは、あくまでも現代日本の鍼灸臨床家なので、古代中国哲学や、哲学用語の歴史的変遷や、東洋医学のバイブルとされるような各種古典の内容を、
あくまでも現代日本人への鍼灸臨床に役立つような、理解運用の仕方をするように心がけています。
これが北辰会の提唱する「臨床古典学」という立場ですね。
因みに、(一社)北辰会では「無極」という言葉についてはあまり言及されないのですが、奥村裕一学術部長がかつて1997年に『全日本鍼灸学会誌』上に発表された、
という論説の中に、日本の江戸期の医家による、腹部における「太極」「無極」という表現が出てきます。
ここについても今回、ついでなんで、あとで触れておきましょう。(∩´∀`)∩
・・・ところで、前回言うように、北辰会では「陰陽論」を単に「陰陽論」と言わずに、あえて「”太極”陰陽論」と呼んでいるのには、陰陽は偉大な哲学、分析学だけれども、
あくまでも常に「太極を踏まえた上で」分析することが重要だ、というメッセージが含まれています。
陰陽という「二」で考えつつも、常に太極と言う「一」の視点を外さないこと。
ですので「陰陽論」は単純な二元論ではなく、「二元的一元論」なのである、という重要な主張です。
陰陽論が、森羅万象に対する単なる分析学なのであれば、その境界線やものさしは精密で精緻であればあるほど良いわけですが、西洋医学のように、
電子顕微鏡レベルにまで精密精緻になってくると、出来ることや分かったことが増える一方で、分からないことも増えていき、時に「木を見て森を見ず」となって、
結果的にかえって「自然(人体)のトータルな全体としてのバランスの調和」を見逃す、見誤る、ということが起こりうる訳ですね。
手術はうまくいったけど亡くなってしまった、とか、血液検査の数値上は薬は効いているけど、全体的な体調としては悪化した、などですね。
ここに、よく言われるように、西洋医学で治らないものが、東洋医学では治ることがある、という事実の謎の一つが隠されているのではないか、と考えています。
上記の考えは北辰会方式のすべてを貫いており、以前紹介した「総合と総体」の話や、「直観と論理」の話にも通じてきます。
「直観」を含む記事 参照
あくまでも「気一元」の世界観。
色々分けるけど、そもそも分けれないもの「太極=太一」なのだ、ということが大前提なんです。
続く。
2019.09.20
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さて、続きいきましょう!!
◆「陰陽論」ではなく「”太極”陰陽論」。 その①
ここまでで、「太極」の意味、「無極」の意味、さらには「太極と無極の関係」について、僕なりに考えてみました。
まあ簡単にまとめると、「太極」はもともとは中国哲学の古典中の古典である『易経』の宇宙生成論から始まって、歴史的変遷を経て、道教や仏教との接触、
「無極」という言葉との比較検討を経て、より理解が深まり、高度な哲学用語となって、今に至っている、という感じでしょうか。
・・・で、この「太極」なるものを、我々東洋医学をやるものがどう考えるか、という話なんですが、何年か前に私も北辰会でこの辺の話を講義させていただいたことがあるんですが、
その内容は蓮風先生の御著書、『東洋医学の宇宙―太極陰陽論で知る人体と世界―』に書いてあります。
この本の中で、「太極」の意味に関して、蓮風先生はシンプルに、3つの意味で纏めて下さっています。
つまり、
1.天地創造分化の大本
2.陰陽する場
3.認識以前の状態
この3つです。
1.はこれまでにも出てきている、生成論の話です。
まずは混沌とした状態があって、それが陰陽に分かれて、さらに細かく分かれて、万物となった、という話です。
この話は有名な『淮南子』にも出てきます。
『淮南子』を含む記事 参照
2.は、「陰陽」というのは要は森羅万象(気)の「動き」のことで、相対的に動的な面を陽、相対的に静的な面を陰、と分ける訳なんですが、
この、「陰と陽が交わり、関わり、相互に動く場」そのものを「太極」と言う、という理解です。
よく我々は、もう間もなく亡くなる患者さんの脈や腹を診察した時、所見が1日の中でもコロコロ変わる、という状況に接することがあります。
そんな時、
「いよいよ太極が小さくなってきた」
という表現で、その現象を評価することがあります。
まさに、生命が現象する場(太極)である脈や腹部が、非常に小さく、狭く、弱々しくなってくると、脈で言えば、早くなったかと思ったら急に遅くなったり、
強くなったかと思ったら急に弱くなったりしますし、腹で言えば、臍の位置がコロコロ変わったり、また、腹の状態と脈の状態がチグハグになったりします。
3.は、認識する主体が、対象物を認識する”以前の”状態を「太極」と呼ぶ、ということであり、五感なり何なりで、対象を認識した時点で、
すでにそれは太極から陰陽の範疇に入っている、という意味ですね。
(ただし、次回書きますが、陰陽であっても、必ず”太極を踏まえて”陰陽に分ける、分析する、という意識が大事です。)
つまり、我々が日々患者さんを診るということは、
1(生成論).太極から生じた万物の一部である患者さんを、同じく太極から生じた万物の一部である我々が、
2(場の論).患者さんそのものを太極と考え、それを踏まえた上で、陰陽という物差しでもって、
3(認識論).四診という手法で陰陽の不調和を認識し、それを調える
という行いである、ということです。
次回もう少し補足します。
続く。
2019.09.19
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さて、続きいきましょう!!
◆朱子の言う「理気二元論」とは。
前回、
南宋代の朱子(朱熹 1130-1200)は、無極と太極を同一次元のものとし、ともに「理」の基本的性格を表す語とし、有の次元に無の原理性を取り込んだ。
という文章を紹介しました。
・・・これ、どういう意味でしょ??
朱子さんが言うには、太極の本源が無極なのではなく、太極も無極も「理」の性質の一部、と同一地平で理解するわけですね。
ほんじゃ、朱子さんの言う「理」って何なんすかね??
まあ、生理学、病理学、物理学、心理学、理科学、義理、道理などなど・・・、現代日本語にもよく出てくる「理」という漢字。
これは、日本にこの「理」という考え方が深く浸透していることを示します。
「理」については、簡単な字義解釈については、以前纏めました。
「理」の意味 5 参照
朱子さんはそれまでの説をまとめ、再構成して、壮大な学問(朱子学)を構築した訳ですが、彼の言う「理」の持つ意味は、文脈によってなかなか多義性があるようですが、
要するに中心的な意味を一語で言えば
「ものごとの法則」
ということだろうと思います。
(ホントはこれを言うために性即理や理一分殊について書かないとなんだけど、煩雑になるので、ここでは割愛します)
(なお、これらの解釈は山田慶児『朱子の自然学』P444、大濱晧『朱子の哲学』P33、島田虔次『朱子学と陽明学』P60などを参考にしています。)
・・・なんかこれ、道教の言う「道(タオ)」と似てますね。
道教・道家思想 参照
(文脈によっては”同義”と書いている本もあります。)
・・・で、この形而上の概念である「理」と、形而下の概念である「気」は別のものだけど、両者は離れて存在することは出来ないよ、という風に説明して、
この世界(宇宙)の存在を説いたのが、朱子さんの有名な「理気二元論」てやつなんだそうです。
・・・で、この朱子学、「理気二元論」においては、有の原理である「太極」も、無の原理である「無極」も、形而上の法則である「理」の基本的な性質であるとして、
優位性や先後論なしに、同一次元でマルッと纏めた訳ですな。
これを、あえてもう少し詳しく言うと、『朱子語類 巻九十四』にあるように、
「無極は有理にして無形。・・・太極はこれ五行陰陽の理。」
とあるように、要は
「”理”の無形の面を無極、”理”の陰陽五行(つまり物質も含む”気”のこと)の根源である面を太極」
と言ったわけです。
さらにこれを、僕なりにかみ砕いていえば、
「”理”が物質を超越した面を無極、”理”が物質と連関する面を太極」
と言ったわけですね。
(・・・と、今のところ僕は解釈しています。)
朱子さんは、それが周敦頤の『太極図説』にいう「無極而太極」の意味である、と説くわけです。
太極と無極に違いはあるけど、「理(ものごとの法則)」という意味では同じであると。
・・・さて次に、なぜ蓮風先生がこの医学における陰陽論をわざわざ「太極陰陽論」と言っているかについて、考えてみましょう。
続く
2019.09.18
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これまでのお話し
さて、続きいきましょう!!
◆「無極」の意味
(一社)北辰会の会員諸氏にとって、この「太極」「無極」というパワーワードは、非常に気になるワードでしょう。
また北辰会の会員以外の先生方も、東洋医学の勉強がある程度進んだら、気になる人は多い筈。
僕がちょうど北辰会にチョロチョロと出入りするようになった2000年代の初頭の頃、蓮風先生はよく「初学者のための太極陰陽論」というテーマで講義なさっていました。
(当時は難解で、聴いていてもよく分かりませんでしたが。。。(∩´∀`)∩)
その講義内容を分かり易くまとめた本が『東洋医学の宇宙―太極陰陽論で知る人体と世界―』です。
因みにこの本は、堀内齊毉龍先生の『弁証論治のための論理学入門』と姉妹編になっていることも見逃せません。
しかも、蓮風先生の御尊父である藤本和風先生は「無極会」という勉強会を主催されていたことでも知られています。
(残念なことに、無極会は現在はありませんし、無極会としての著作も残っていません。。。)
・・・まあそんな訳で、このワードは藤本家、北辰会が非常に大事にしていることが分かります。
東洋医学の考え方を理解していくうえで、また、北辰会方式を習得していくうえで、妙に気になる、この「太極」「無極」に対する理解というのは、
根本哲学に関わるという意味で、重要ではないでしょうか。
前回、北宋代の周敦頤(1017-1073)の「無極而太極」という、これまたパワーワードを紹介しました。
ここで、まずは「無極」について調べてみましょう。
平河出版社『道教事典』によれば、
◆無極
元来は”極まりない”という意味。
『老子』『荘子』『列子』に、無名、無物、無形などとともに、”無”の様態を形容する語の一つとして、哲学的意味を付与されている。
「列子」を含む記事 参照
(列子に関しては紹介してなかったですね、良い機会なんで、これも書きましょう!!)
その後、『易経』の「太極」とともに、”太極=有の原理”、”無極=無の原理”として、より重い意味を持つようになる。
『易経』を含む記事 参照
つまり、有の本源に無を置くという思想から、儒教を超える道家思想、という図式を表現した。
道教文献の中にはもちろん”極まりない”という意味での「無極」という使われ方もあるが、主に、”太極の本源としての無極”という用例が目立つ。
また、「無極」を、経典そのものや、神仙の名称としても用いている。
南宋代の朱子(朱熹 1130-1200)は、無極と太極を同一次元のものとし、ともに「理」の基本的性格を表す語とし、有の次元に無の原理性を取り込んだ。
(んー、ここはムツカシー(゜o゜))
(以上引用。土田健次郎氏の文章を竹下が抜粋要約補足改変。)
〇
・・・まあなるほど、「無極」はもともとは諸家の本に出てくる、極まりない、というほどの意味の言葉だったのが、『易経』の太極(生成論の最初を意味するアレね)と比較検討されていくことで、
理解が深まっていき、これも認識論哲学的な、重い意味を持つようになった、と。
このように、儒家の考え方と道家の考え方というのは、時代時代で接触したり離れたりしつつ、言葉の意味の検討を通じて、切磋琢磨してきた歴史があるようですね。
(また、古代中国で、インドから来た仏教を理解するのに、道家や儒家の考え方がその解釈に入っていったことも興味深いですね。)
まあ、「太極」「無極」という熟語の理解においては、宋代の周敦頤から朱子の流れがやはり決定的であるようで、ここをもう少し理解するためには、
朱子学における「理」の意味を少し掘り下げて理解した方がいいように感じます。
続く
【参考文献】
『道教事典』平河出版社
2019.09.16
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前回のお話し
参照
さて、続きいきます。
まずは辞書引きからいきましょうか。
平河出版社『道教事典』によれば、
〇
◆太極
天地万物の根源。
『易経』の生成論(太極→両儀→四象→八卦)の最初。
『周易正義(※)』においては”一元の気”と説明。
(※)唐代に国家事業として編纂された儒教経典の注釈本『五経正義(653年)』の一つ。
北宋の周敦頤(1017-1073)は、太極の無形であることを強調するために「無極にして太極」の語を用いた。
さらに周敦頤は、『周易』の生成論を補足拡大して「無極而太極→陰陽→五行→八卦→万物」と述べた。
その後、南宋の朱子(朱熹 1130-1200)は『太極図説解』の中で周敦頤の「太極而無極」を重んじ、「無極を太極の本体」「太極を無極の作用」としつつ、太極無極の不即不離化をはかった。
朱子はさらに「体用論」「理気説」の立場で宇宙を認識せんとした。
このように、「太極」という熟語は生成論から始まり、朱子に至って認識論という意味を付与される、という変遷をした。
その後、17世紀に明末清初の儒学者、王夫之(1619-1692)が朱子の理気説に反論して「気が理に優先する説」を徹底させた。
因みに王夫之の思想は後の毛沢東にも影響を与えたと言われる。
さらにその後、18世紀に清代考証学の大成者と言われる戴震(1723-1778)が出て、「存在の根源を気に求める思想」を決定的にした。
(以上引用、花崎隆一郎氏の文章を竹下により抜粋補足意訳、箇条書きに変更。)
〇
もともとは万物が陰陽に分かれる前の混沌とした状態のことを「太極」と呼んでいたようですね。
それが、宋代になって、ものごとを認識する際の認識論哲学の用語としても用いられるようになった、という感じでしょうかね。
「体用論」については以前少し書きました。
「体用理論」に関して 5 参照
話しが難しくなってきましたが、東洋医学をきちんとやるなら避けて通れないこの難題、徐々にまとめていきましょう。
続く
2019.09.02
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なんか最近、前にも増して、そこら中がガヤついてきた。
・・・まあ、良いことだね。
一人一人が、思い思いの主張を、あの手この手で叫ぶ。
それぞれに、フォロアーがつく。
結果的に、望む望まぬに限らず、カリスマが生まれる。
で、カリスマ同士は仲悪かったり、陰口言い合ったり、相変わらずやってる。
また、もともとカリスマ批判してたやつが、結局カリスマ化してたり。
(笑・・・小規模なね。)
こうなると、もう何が何だか、という感じもあるね。
で、最終的には強権とかナタなんだろうね。
そうなるとつまんねーけど、そうなるまで、極まるまではおもしれーかな。(*‘∀‘)
なんだ繰り返しじゃん。
陰陽じゃん。
かっかっか。
2019.08.02
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前回のお話し
「体用理論」に関して 1 参照
そもそもこの「体用論」というものの淵源は何なんでしょうか。
これは、中国哲学の中でも、仏教に由来する言葉のようです。
岩波の『仏教辞典 第二版』によれば・・・
◆「体用(たいゆう)」
「体」は実体であり本体、「用」は作用あるいは現象、という意味に解されるが、より一般的に言えば「体」は根本的なもの、「用」は派生的、従属的なものを、
相関的に意味すべく用いられている概念である。
「体用」の概念が仏教に由来するかどうかの議論はすでに南宋の王応麟『困学紀聞』巻一に見える。
「体用」を「本・用」とか「本・末」とか「質・用」とかの類似の概念まで広げず、「体用」という語のみの論法、表現のみを問題にすれば、
5世紀後半から6世紀に、仏教関係の著作において明白な使用例がみられる。
論法としては僧肇(そうじょう 374-414)『肇論(じょうろん)』般若無知論などに見え、表現としては梁代(502-557)の武帝(蕭衍しょうえん)の『立神明成仏義』の沈績の注などにみえる。
【用例】「能に体用の事を知るべし。体は花、用は匂いの如し、または月と影の如し。」(世阿弥『至花道』1420年)
(引用終わり(抜粋要約 by 竹下))
なるほど、もともとは仏教の用語な訳か。。。
花と匂い、月と影とは、世阿弥の表現、サスガ、いいですね。(^^)
些末な問題ですが、仏教用語として使う場合は「たいゆう」と発音し、それ以外の場面では「たいよう」でいいようです。
この用語の歴史と理解に関して、東大のチャールズ・ミュラー教授の論文に多岐に渡って詳しくまとめてありました。
(いやー、学者さんてのはスゴイね~ そして、これがパッと出てくるネット、素晴らしい。。。)
ここに、
・・・歴史的に見れば、体用は中国に特有かつ典型的な概念で、東アジアに受け継がれてきた三つの宗教「儒教、道教、仏教」のすべてにおいて、
哲学的基礎づけを与える構造的枠組みであり、インドやチベットの仏教に対して東アジア仏教を特徴づける第一のパラダイムである。・・・
とある。
・・・うーむ、なるほど。
この「体用」という熟語そのもののの意味ではなく、「体用」に象徴される考え方(チャールズ先生は”体用パラダイム”と呼んでいる)が、
チベットやインドと違う、東アジア独特のものであり、儒、道、仏全てに影響を与えていると。
とりわけ、これが朱子学の理気二元論にも影響を与え、後の朝鮮半島における「四七論争」に連なり、より理解が深まった、というワケですかね。
16世紀の朝鮮半島における「四七論争」がいかなるものかについてはこちらが参考になったが、うーん・・・まあ、僕がこれをキチッと読めているかどうかは、
識者に教わりたいけど、これって要は「理気二元論」「体用」が一元論で語れるか、それとも絶対的な主従や先後などのある二元論か、って話だと思うんですよね。
僕らからすれば当然、陰陽論と同じ解釈で、
「そんなん、二元的一元論でいんじゃね? 場面場面における標本主従じゃね??」
の一言に尽きますけどね。。。
(因みに『理気二元論』に関するこの辺の話は 大濱晧『朱子の哲学』東京大学出版会 に詳しい。)
ちょっと難しいけど、この辺の話、もうチョイ掘り下げときましょ。
(もはや誰もついてこなそうだが。。。(;’∀’))
続く
2019.07.28
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毎日毎日、テレビは吉本問題。
岡本社長が真面目な顔して会見してても、昔ガキの使いでパン一で猫を抱いて山崎方正さんと乱闘してた姿が頭に浮かんでしまい、
ついクスッとなってしまいます。。(笑)
まあ、多くの国民は吉本のお笑いが好きですから、騒動をきっかけに、いい方向に進んでほしいというのは国民みんなの気持ちだと思います。
ワイドナショーで松本さんが言っていましたが、この数十年で急激に大きくなった会社ですし、色々なところで不調和が起こるのは必然でしょう。
蝶野さんが「なんとかなる」とコメントしていましたが、プロレス団体でも政党でも、雨降って地固まるのはいいことです。
芸人とマネージメント側の関係、陰陽ですね。
宮迫さんは最初の判断を誤った。
こないだの北辰会の定例会の講義でも触れましたが、病治しにおいても、最初の段階の判断というのは大事です。
ここを過てば、大変なことになります。
これも陰陽です。
ところで、あの騒動のさなか、参院選でした。
戦後最悪とも言われる、日韓関係の問題もある。
僕も今回も当然、期日前投票に行きましたが、結果としてはまあ予想通り、という感じでしたが、問題は投票率の低さですよね。
十代の投票率は3割程度らしいです。
もし吉本問題がなくて、マスコミが今回の選挙に関して若者でも分かるように上手に煽っていたら、結果は変わっていたかもしれませんね。
これまた陰陽。
ものごとを考える偉大な智慧ですね。
2019.07.27
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こないだ、『易経の謎』という本を読んだ。
(タイトルクリックで購入ページへ)
『易経』と言えば、我々東洋医学の基本理論である「陰陽論」の原典と言ってもいい本です。
このブログにも何度も出てきています。
『易経』は、伝説(神話)に出てくる今から約5000年前の三皇五帝の一人である伏羲が創案したとされ、そこに今から約3000年前の周の時代の文王の手が入り、
さらにその後、今から約2500年前に、あの孔子の手が入って、現在まで儒教の経典(四書五経)の一つとして世界中に伝わっております。
「孔子」を含む記事 参照
まあ、『易経』に説かれている内容と、DNAなど、当時の最新科学の奇妙な符合に注目、瞠目しながら、「かなり興奮気味に」書かれている雰囲気が伝わって、
なんだか微笑ましい本です。
(好き嫌い分かれるでしょうけど、僕は割と好き。こういう人。(笑))
1988年初版の本ですが、著者である今泉久雄氏は1985年に亡くなっていますので、まさに氏の遺言とも言えるような本ですが、『易経』を学び、占術を実践しつつも、
『易経』の持つ”宇宙の原理を解き明かす”深遠な哲学部分、特に数理哲学にこそ注目し、当時の最新科学と比較していくあたりのくだりの筆致は、
著者自身が本当に少年のようにワクワクしている様子が伝わって来て、亡くなる寸前に、ここまで夢中になれるというのは幸せなことだなあと、考えさせられる一冊。
東大法学部を出て、東京電力を退職したのち、易者(というか易の研究家)になったという、著者の経歴も面白い。
2019.07.13
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こないだ調べ物をしていたら、一冊の本に出会った。
1929年(昭和4年)、五來欣造『儒教の独逸政治思想に及ぼせる影響』なる本。
著者の五來欣造(1875-1944)という人物は、茨城出身、かつての読売新聞の主筆であり、明治大学、早稲田大学教授で、早稲田大学の創設者、大隈重信の秘書であった人物だ。
この本は、彼の政治学博士の学位論文でもあるそうだ。
ここに、かつて少し紹介した、ドイツの哲学者、ライプニッツ(1646-1716)と『易経』の事蹟(ライプニッツとブーヴェ(1656-1730)の手紙のやり取り)が詳しく紹介されている。
まあ、ライプニッツがブーヴェとのやり取りの中で、中国の古典『易経』の64卦のことを知って興味を持った話は有名なんですが、このエピソードを紹介する中で、五來先生が、
「二進法には実用性はない」
と書いていることに、昭和4年という時代と、今日のPCの発展など、当然見ることの出来ない17世紀の時点で、二進法の凄さを自慢するライプニッツの、天才的直感の鋭さを感じます。
まあただ、この手紙のやり取りを読むと、古代中国の思想を褒めちぎっているようで、実は自分の二進法発見の凄さをアピールし、しかも中国でのキリスト教の布教に繋げようという考え方がなかなか丸出しです。(苦笑)
ここも、時代を感じますね。
・・・でまあ、いつもの結論ですが、ライプニッツの二進法はやはりコテコテの二元論で、『易経』の陰陽論は太極を踏まえた二元的一元論(北辰会の言う太極陰陽論)であることを忘れてはならず、
「病気」も含めた、大自然の森羅万象を表現理解するのに、どの場面ではどっちがより適当か、って話ですね。
今度は、大隈重信の『東西文明之調和』でも読んでみます。
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2024年6月の活動記録2024.07.01
2024年 7月の診療日時2024.06.05
2024年5月の活動記録2024.06.01
2024年 6月の診療日時2024.05.10
2024年4月の活動記録2024.05.01
2024年 5月の診療日時2024.04.13
(一社)北辰会、組織再編。2024.04.02
2024年3月の活動記録2024.04.01
2024年 4月の診療日時2024.03.14
2024年2月の活動記録2024.03.01
2024年 3月の診療日時2024.02.15
2.17(土)ドクターズプライムアカデミアで喋ります!2024.02.04
3.10(日)(公社)群馬県鍼灸師会で講演します!2024.02.03
3.3(日)「浅川ゼミ会」にて講演します!2024.02.02
2024年1月の活動記録2024.02.01
2.25(日)順天堂東医研、第5回特別公開シンポジウム「日本とインドの伝統医学」に登壇します!!2024.02.01
2024年 2月の診療日時2024.01.11
2023年、9月~年末の活動一覧2024.01.05
診療再開!!2024.01.01
2024年 1月の診療日時2023.12.30
2023年、鍼療納め!!2023.12.21
(一社)北辰会、冬季研修会のお知らせ2023.12.01
2023年 12月の診療日時2023.11.26
患者さんの声(60代女性 背部、頚部の痒み、首肩凝り、高血圧、夜間尿)2023.11.25
患者さんの声(70代女性 耳鳴、頭鳴、頭重感、腰下肢痛、倦怠感)2023.11.22
12.3(日)市民公開講座、申し込み締め切り迫る!!2023.11.21
今週からの講演スケジュール2023.11.16
日本東方医学会学術大会、申し込み締め切り迫る!!