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はるばる・・・(その13)伊藤裕司先生

2010.11.15

昨日、11月14日の日曜日は、僕の柔整学校時代の同級生である、ゆーじ君が清明院を訪ねてきました!!


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↑学生時代に比べ、若干太った感のあるゆーじ君です。

・・・彼は今、故郷である山梨県、石和温泉にて、スポーツジム内にある治療室で働いているとのことです。

昨日は勉強会で新宿に出て来たついでに、清明院に寄ってみた、とのことでした。

(たまたま僕が清明院にいる時に電話してきました。必然ですな。(笑))

彼が学生時代からやっている、とある手技療法の流派には、不思議な縁があるのか、何故か僕は知り合いが多く、

たまにそこの先生方とも飲みに行ったりするんですが、いつもガッチリ噛みあうというか、非常に楽しい飲みになることが多いです。

なぜならその考え方が、非常に今僕がやっている東洋医学の考え方と近くて、今回も2時間弱の短い時間でしたが、

非常に有意義な情報交換が出来ました。

・・・やっぱり、鍼を使うやり方でも、手を使うやり方でも、突き詰めていくと、究極的には、考え方やとらえ方がよく似てくるもんです。

まあ、両者とも結局、診ている対象は「人間」な訳で、どのようにアプローチすれば最大限の効果を出し得るか、

と考えて考えて、考え尽くしていくと、最後は非常にシンプルになるようです。

「最小は最大」

コレも陰陽な訳です。

まあ彼のように、同級生が全国で頑張っている話を聞くと、僕も大変励みになります。

明日もガンバろ。

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東洋医学と「痛み」(その2)

2010.11.11

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これまでのお話・・・

スピリチュアルペイン(その4)
東洋医学と「痛み」(その1)

前回は、”魂(たましい)”というもののお話を少ししました。

 


コレについては、僕も以前から大変重要視(というか意識)しています。

・・・まあさておき、今日はいよいよ、東洋医学では「痛み」というものをどのように考えるのか、というお話です。

 


東洋医学では、人間の体には「気」というものがくまなく、絶えず巡っている、と考えています。

「気」ってなんですか? 参照

 

そしてその「気」というものが、体の中で、過不足による滞りなく、スムーズにバランスよく巡っていれば、「痛み」は出ない、というより”無病”である、と考えます。

 


つまり、「痛み」がある、ということは、東洋医学ではそこに「気」の過不足による、「気の流れの滞り(循環障害)」がある、ということを示している、と考えます。

 


そして、その「原因」を究明するために、問診から始まる各種の診察法(脈診や舌診や腹診などなど)が考えだされている訳です。

 


東洋医学では「痛み」を大きく分けて、2種類の分類をして、解説します。

1.痛みのある部分に「気」が通じていないパターン

2.痛みのある部分に「気」が不足しているパターン

この2つです。

 


1.のパターンなら、「気」を通じさせればよく、2.のパターンなら、そこに「気」が充実するように治療すればよい訳です。

「なんだ、エライ簡単じゃん。」

と思う方も多いかと思いますが、東洋医学が注目するのは、この2つを起こさしめている「原因」です。

 


この「原因」によって、痛みの程度も、出方の特徴も決まってきます。

 


そして「原因」にアプローチ出来ないと、なかなかよくなってくれません。

 


たとえ治療直後に効果があったとしても一時的ですぐ戻ってしまったりします。

 


我々はその痛みの東洋医学的な「原因」「問診」によって調べ、実際に体表観察をしてみることで、明らかにしていく訳です。

 


ここで、

「じゃあ、仮に肩こりの”原因”が長時間のPC作業だったとしたら、鍼ではどうしようもないですよね?」

という意地悪な質問があったとします。

 

(実際に言われたことあります。それも同業者に。)

 

 

僕はこれに対しては、

「長時間のPC作業をしても、肩が凝らない人もいます。そりゃあPC作業なんて不自然なこと、やめてくれるに越したことはないけど、生活の為にはそれがどうしても出来ない、

 

という条件であれば、東洋医学の立場から、PC作業が最も負担をかけた臓腑、経絡を明らかにして、そこの不具合を是正することで、

 

”PC作業をしても肩の凝らない人”に限りなく近づけていくしかない訳です。」

となります。


(真面目に答えるとネ(笑))

 


いずれにせよ、東洋医学の疾病観というのはどこまでいっても「陰陽の不調和」の一語であり、言いかえれば「気の過不足」な訳ですから、

どのような病態、状況においても、まったくのお手上げ、という状況はない訳です。

 


ただ、誤解を招きそうなので付け加えておくと、場合によっては、西洋医学的な手法(外科手術など)を用いた方が早いケースももちろんある、ということです。

 


次回に続く

 

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小手先の医療

2010.11.02

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ふと思う。

・・・そもそもなんで、「分ける」のか。

東洋医学では、この全宇宙、当然人間も、「気」で出来ている、という自然哲学を肯定しながら、それを「陰陽」→「五行」と分け、

「五臓六腑」というものを想定し、「十二経絡」というものを想定する。

その12の経絡のそれぞれをさらに4つに分類して考える。

つまり48パターンの経絡の分類をした上、さらに細かい分類をも示唆している。

そして、それだけにとどまらず、8つの「奇経八脈(きけいはちみゃく)」というものをも想定し、

さらにそのそれぞれに、総数においては360以上もの「経穴(けいけつ)」というものの所属と性質を想定する。

西洋医学でも、現代自然科学に「一応」基づき、人体を60兆の細胞からなる、人類の進化の結晶と考え、内臓、筋肉、骨、神経などの、

 

形態や機能の似通った「組織」「系」に分割して理解する。

そして、それらの”形体的異常らしきもの”「病気」とし、その”異常らしきもの””正常らしきもの”に変化させることを以て「治療」と呼ぶ。

両者とも、その認識の上で、実際に病める人間に立ち向かい、それなりの成果をおさめている。

まあともかく、根本哲学は違えども「分ける」ということに関しては共通している訳だ。

・・・ところで何故分けるのか。

 

分けないと分からないからだ。(笑)

 

じゃあなんで分かりたいのか。

 

単なる知的好奇心??

それもあるだろうが、やはり一つには、病める人を治したいんだ、という、医療を志す者の「希求」に応えるためではないか、と思う。

医療を志す者が「患者を治したい」と思う、ということは、とても自然なことだと思う。

(考え方によっては、これが過ぎると傲慢な勘違いを生むのかもしれないが。)

その願いに応えるものが「医学」なのだとすれば、必然的に「医学」においては、人体を「分ける」ことによって病を説明しなくてはならない、となる。

そしてそれを学び、実践するものは、それに対して深い理解をしていなくてはならない。

一面、医学において人体を「分ける」ということの意味は、人体という自然現象を「理解する」ことへの医療者側の欲求の充足ではないだろうか。

そして、何の分野でも、そういうことをやってるのは人間だけだ。

それは、老子の言う「無為自然」には反しないのか。

反しない。(と思う。)

じゃあ何で反しないのか。

こうやってこの問題を考えていくと、なかなか、難しい・・・。(苦笑)


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斬るか斬られるか

2010.10.24

本日は、(社)北辰会関東支部定例会でした。

僕は残念ながら都合により参加できませんでしたが、終了後の飲み会にのみ参加させていただきました。

(笑・・・やっぱり酒かい!)

まあー、北辰会の先輩方と飲み会に行くと、毎回鍼の話で盛り上がる訳ですが、お互いが真剣にこの仕事をやっている、

ということを認めているだけに、たまに

「斬るか斬られるか」

という雰囲気に満ちた、ある種の”論争”のようなものになることがあります。

今日もその”論争”を楽しんでまいりました。

まあー、いつかこのブログに書いたように、世の中色んな学問があると思うけど、突き詰めていくと、

ほぼ全て「仮説」の集合体

である訳です。

(誤解を恐れず言えばね。)

となると、東洋医学も、西洋医学も、結局のところは100%の、まったけき正解とは言えない訳で、

「陰陽」というように、自分が”ある論”を張ったら、その反対側に”その、ある論の逆”というアンチテーゼが存在するんですね。

そういう話を延々と詰めていく、という議論が、何か新しいものの発見に対する飢餓感を埋めるには、一番いいんですね。

まさに、ヘーゲルの言う「正反合」ですな。

まあ、楽しかったです。

(今日のブログ、意味分からん人、ごめんなさい・・・。(笑))

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鍼で人は悪化するのか

2010.10.15

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このテーマを題名にすること自体、実は勇気がいることです。

 


なぜならばコレは実際に、厳然と「ある」からです。

 


僕はこれまで、自分自身の臨床経験を通じて、まざまざとこのことを思い知ってきました。

 


薬は毒にもなりますよね。

 


同様に鍼灸も、扱い方を間違えればとんでもないことが起こります。

 


だから「正しい鍼灸」を勉強する必要があるんです。

 


・・・コレは、考えてみれば当然の話で、その患者さんがなぜこのような症状を持つにいたったか、ということを、我々はいつも「東洋医学的に」理解し、

 

治療している訳ですから、当然、治す方向性と反対のことをやれば、「悪化」することもある訳です。

 


しかし、人間は基本的には常に”陰陽バランス”を取ろう取ろうとしていますから、それを強引に崩す、ということは並大抵の力では無理です。

 


きちんと病的反応の出ているツボに、「きちんと」治療とは逆のことをしなければ、そうそう悪化するものではありません。

 


つまり、治療するにしても、悪化させるにしても、「気」を動かす、相当な「ウデ」が必要だ、ということです。

 


巷には、

「鍼やお灸をして、〇〇病がよくなった!」

という話はよくありますが、悪くなったという話はあまり表には出てきません。

 


まあこれは当然と言えば当然ですが、そういうことは実際に起こり得るんです。

 


今日の蓮風先生のブログに、先日行われた
「(一社)北辰会夏季研修会」での1コマが動画でアップされています。

(夏季研修会については、以前このブログでも報告しました。)

 


患者さん達は、普段我々の行っている勉強会の様子を知ることは少ないでしょうから、これは大変興味深い映像だと思います。

「鍼狂人の独り言」10月15日公開映像

 

この映像には映ってないけど、このベッドの真横に僕は居ました。

 


一部始終を見ておりました。

 


相当な技術と自信と信念がなければ、これを実演してみせることは出来ません。

 


まーなかなか、素人の方がこの映像を見ても、何をしたかはよく分からないとは思いますが、これはサスガの超絶テクニックです。

 


武術に「活殺一体(かっさついったい)」という言葉がありますが、鍼もまさにそういうことなんですね。

 


活かすことと殺すことは表裏一体だと。

 


鍼を持つ者の一人として、身が引き締まる映像です。

 

 

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はるばる・・・(その12)神野英明先生

2010.09.26

昨日、9月25日の土曜日は、いつものように、診療終了後は(社)北辰会関東支部定例会前日勉強会がありました!

今回の特別ゲストは、北辰会の「医易学(いえきがく)」の研究の第一人者であり、つい先日、

国内では大変希少な「医易学」の本を出版された、神野英明(じんのひであき)先生です!


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(・・・やたらいい笑顔しております。これも医易学のお蔭なんでしょう。(笑))

神野先生は土曜日の夜に清明院にみえて前日勉強会に参加し、その後の飲み会にも行き、

翌日(日曜日の定例会)は午前中に浅草で雷門とスカイツリーを観光し、

さらに午後の実技指導と「医易学」講義をこなし、その後の飲み会にも参加し、新幹線で大阪まで帰り、

明日はまた普通に診療をこなす、という、無尽蔵の体力を持っております。

(笑・・・北辰会はそういう先生ばかりなんです。なんでだろね?)

神野先生が先日出版された本は『鍼灸・漢方の名医になるための秘訣』という本です。

この本はスゴイ本です。

(・・・しかしすごいタイトルね。ちなみに専門書ですので、患者さんには難しいと思いますが、興味のある方はぜひ読んでみて下さい。)

(画像をクリックで購入ページにいけます。)

・・・「易」というと、細木和子さんとか、占い??という考えが浮かぶ方も多いかと思いますが、

それはあくまでも「易」の一面に過ぎず、本来の「易」というのは、古代中国の思想、哲学に基づいた、

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「自然の法則」

を説いたもの(というかそのもの)なんです。

つまり我々東洋医学の臨床家が、普段当たり前に用いる、「陰陽」とか「虚実」とかっていう考え方の根本が、「易」の中に説かれている、ということです。

今日の講義で神野先生が強調していたように、

「根本原理を理解して治療している医者と、根本原理が分からずに治療している医者、あなたならどちらにかかりたいですか?」

といった場合に、患者さんから見たら、当然、明らかに前者であるはずです。

・・・まあ、何をやるんでも、

「根本を理解する、おさえる。」

これは極めて大事なことです。

・・・大変厳しい表現ですが、枝葉が貧弱なのは、根本がしっかりしてないからだ、ということなんですね。

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「治未病」という考え方を疑う

2010.09.24

東洋医学には、

「未病(みびょう)を治(ち)す」

という言葉(考え方)があります。


・・・この意味は、

「実際に病気として症状が出る前に治してしまう。」

という意味です。

 


個人的にはこれは、まさに”東洋医学の真骨頂”とでも言うべき部分じゃないかな、と思っています。

(今では、です。)

 


東洋医学では、自然界はすべて「気」というもので出来ている、と考えます。

「気」ってなんですか? 参照

 


・・・ということは当然、人間の体も「気」から出来ていて、なおかつ体を「経絡の気(脈気、経気)」が正常によどみなく循環することによって、健康が保たれる、と考えています。

「経絡(けいらく)」って何ですか? 参照

 


そしてそのためには、ココロの問題も含めた”陰陽バランスの調和”が極めて重要だ、という考え方を持っています。

「陰陽(いんよう)」って何ですか? 参照

 


この考え方からすれば、例え患者さんに自覚症状がなくても、あらかじめ巧みにバランスをとっておけば、今後起こりうる、あらゆる病を未然に防げる、予防できる、という考え方が成り立ちます。

 


・・・しかし実は、僕は昔、東洋医学のこの考え方(未病を治す)が非常に気に食わなかったんです。

 


なぜなら、ある一人の患者さんについて、その人がどんな乱れた生活してようが、鍼さえやってりゃ100%何の病気にもならない、なんてことはありえない訳で、


たとえば5年なら5年、10年なら10年鍼治療を続けて、非常に健やかな毎日を送っている患者さんがいたとして、ではその患者さんがもし鍼を「やってなかったら」どうなってたか、

 

を検証することが不可能である以上、本当に未病が治せてるかどうかなんて、分からんじゃないか!希望的観測でもって、いい加減なこと言うな!!

 


・・・と思って、批判していたんです。

 


しかし、これは浅はかでした。

 


いかにも自分が言ってることは論理的で正しい、と偏狭な”自分ビュー”だけから見た、狭い狭い世界の中で、アホな勘違いをしていたと、今では反省しています。

 


なぜならば、今となっては、毎日現実に患者さんをやっていて、ホントにその通りだなあ、と”実感”しているからです。

 


つまり、この考え方を疑ってかかっていた頃の僕は、未病を治したことがなかったんですね。

 


実際の東洋医学の臨床を本気でやったことある人間なら、

 

「気」や「陰陽」や「経絡」の存在や「未病を治す」という考え方の真実性

 

というのは、当たり前に”実感”出来ると思います。

 


また、日々、患者さんの発言を聞いていても、

「鍼をするようになってから、毎年冬になるとカゼをひいてたのがひかなくなった!」

とか、

「お酒を飲んでも以前みたいに二日酔いしなくなった!」

とか、明らかに体質そのものが変化していることがうかがい知れる発言を聞くことなんかは、日常茶飯事です。

 


このようにして我々は、その「実践」の中から、「理論」の真偽を確認することが出来るんです。

 

 

というよりも、そもそも東洋医学、中国伝統医学というのは、研究室での実験ではなく、そういった絶え間ない”臨床実践”、”臨床事実”の中からのみ、生まれたものなんです。

 

 

だから信頼するに値するし、しかもそれが数千年も続いているから、なおさら信憑性が高い、と考えられるわけです。

 

そしてまた、そういう絶え間ない臨床実践の日々の中から生まれた新たな「理論(仮説)」が、より高度な「実践」を指導するんです。

 


だからどんどん上達するんです。

 


真剣にやればやるほど。

 

 

・・・少し話がそれたけど、要するに、患者さんに対して言いたいのは、「早め早めの治療」が大事だよ、ということです。(笑)

 


来るのが遅くなればなっただけ、治しにくくなります!

 

 


何か症状を抱えているなら、来院はお早めに!

 

 


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「肺」って何ですか?(その11)

2010.09.19

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これまでのお話・・・


「肺」って何ですか?(その1)

「肺」って何ですか?(その2)
「肺」って何ですか?(その3)
「肺」って何ですか?(その4)
「肺」って何ですか?(その5)
「肺」って何ですか?(その6)
「肺」って何ですか?(その7)
「肺」って何ですか?(その8)
「肺」って何ですか?(その9)
「肺」って何ですか?(その10)

 

☆「肺の臓」と「排便」


皆さんは毎日、あるいはきちんと定期的に排便してますでしょうか?

人間の体内には、必要なモノと不要なモノがいつも混在しておりますが、不要なモノが停滞してはいけません。

不要なモノが停滞すれば、当然病気になります。

だからどんどん捨ててかないと!

余分なモノも、気持ちも考え方も。


辛い過去でさえも。(笑)

 


・・・前回、”肺とお水”というテーマで、人間の「余分な水分排出機構」のお話をしました。


つまり、主たるものは「発汗」、「排尿」、「排便」の3つですね。


そしてその3つともに、「肺の臓」が深く関わるよ、というお話をしました。


ここで、余分なものを「水分」という風に限定すれば、この3つの中では「排便」は相対的に脇役になります。


しかしこの「排便」というものにも、「肺の臓」は大きく関与します。

東洋医学的に、「排便」が直接行われるところと言えば「大腸の腑」です。


「大腸の腑」については、後ほどまた簡単に解説しようと思っていますが、基本的には上から送られてきた”飲食物のカス”の中から、

まだ”使いシロのある”お水や栄養分を取り出し、カラダに取り込み、最終的な”カス中のカス”を、体外に”大便”として排出する、

という働きを持っています。


実は「肺の臓」は、この「大腸の腑」の働きを、体の上部から大いに助けています。

では、どう助けているかと言うと、「肺」って何ですか?(その6)で述べたように、「肺」は「胃」と協調して、

”気を下に下に降ろす”

という大事な仕事を担っています。

 

ですので、大腸が便を排出するのも最終的には「下に」ですから、この「肺」と「胃」の助けがないと難しい、ということになります。

 

このようにして五臓六腑は、それぞれが極めて有機的に、密接に絡み合って、外界との

”動態的な陰陽バランス”

を非常に絶妙にとってくれているのです。

 

 


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「夢」の不思議

2010.09.17

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最近、また「夢」というものについて、考えています。

これは以前にも、ちょこっとだけ、書いたことがあります。

「夢」はなぜ見る?
「肝」って何ですか?(その4) 参照

「夢」に対する解釈で、一般にもよく知られ、有名なのは、フロイトユングですわな。

・・・まあ、フロイトさんの方は、

「夢は願望の充足である」

と強調し、一時はそのフロイトさんの弟子でもあったユングさんは、

「夢は過去の願望ばかりではなく、現在の期待の実現でもある」

と強調しました。

それ以外にも色んな学者さんが色んな立派な研究成果や見解を持っているようですが、そのように、なかなか見解の統一がうまくはかれないということは、

 

逆に言うと結局は夢というものが「不可知」なるもの、ということの証左じゃないかな、とも思います。

日本にも、「初夢」とか「正夢」なんて言葉があります。

「夢」に対しては、昔からみんな興味津々な訳です。

(そりゃあそうです。だって超身近な不思議現象だもんね。)

これは、脳波の観察とか、そういう近代的な観点から研究した人たちによると、みんなが毎晩見ている、なくてはならないもの、ということになるらしいです。

(ただ、起きると同時に忘れてしまうのが正常ね。)

危険な実験で、「断夢(だんむ)実験」なるものがあるそうです。

これは、脳波上、「夢を見ている」とされる脳波の時に、強制的に被験者を覚醒させる、という実験で、これを5~7日繰り返すと、軽度~重度の精神異常などの症状が出るそうです。

(でもコレ、倫理的にやっちゃダメな実験ですぞ。)

東洋医学ではこの辺の仕組みを

 

「肝の臓」が蔵する「魂(こん)」

「肺の臓」が蔵する「魄(はく)」

 

そして、それらを統括する、


「心の臓」が蔵する「神(しん)」

 

というものの働きで説明します。

・・・まあ、ここいらの話はムズいので、年末の講義でちょこっとしゃべることにして、要は、

「夢をいつまでも覚えている=その時点でいくらか病的」

ということが言えるようです。

でもこれぐらいでは、誰にだってたまにならあることで、即治療対象、とは考えないことが多いでしょう。

面白いのは(というかみんなが興味あるのは)見た夢の内容に対する解釈ですね。

よく、やれ吉夢だとか凶夢だとか、色々言いますが、僕から見たら、「吉凶」もまた「陰陽」ですから、すべて「吉」の方向に解釈して、

プラスに転じてしまえばよいのです。(笑)

・・・例えばこないだ、とある大先生がおっしゃっていた、

「髪が全部抜けおちる夢を見た!」

なんていうのも、

凶夢としての解釈なら、”老いへの恐れ”とか、”ある能力の低下”という解釈もありますが、吉夢としての解釈として、

”さらなる高次の学びへの欲求”

とか、

”飾り気を捨て、ありのままに精神の成長に専心する前兆”

という解釈も出来るんです。

このように、マイナスは、いつだってプラスなんです。

・・・「陰陽論」て、マジで凄いんです!!

「夢」については、まだまだありますが、ちょこっとずつちょこっとずつ、小出しにして、書いていきます。(笑)


お楽しみに♪

 


【参考引用文献】

 

王克勤『中医心理学』たにぐち書店 

 

 

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「見えない世界」の取り扱い

2010.09.13

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昨日、12日の日曜日に、とある先輩達と何人かで飲みに行きました・・・。

(昼間っからそば屋で♪・・・シブいっしょ?)

 


・・・そこで、興味深い話題になりました。

 


「いわゆる霊とかオーラとか、”普通、目に見えない世界”を竹下は信じるか?」

という話題です。

(僕はこんな話題も、意外と嫌いじゃないです。(笑)・・・といってオカルトマニアでもないけど。)

 


僕が普段当たり前のように行っているのは、「気」と「陰陽」という、中国古代からの自然哲学に立脚した、

「東洋医学に基づいた鍼灸治療」

であります。

 


中国古代の自然哲学においては、この世の万物は「気」なるもので出来ている、と考え、

①目に見え、触れることのできるもの=「気」が凝集した姿

②目に見えず、触れられないけど、感じ取れるもの=「気」が凝集してない状態

と、考えます。

(一応、ざっくり言うとネ。詳しくは 「気」ってなんですか? 参照)

 


・・・ということは、①と②を比較すると、②の方が相対的に”動的”な存在ですね?

(動きに関して、物理的な制約を受けないからです。)

 


とすれば、①は相対的に”静的”な存在、と位置付けることが出来ます。

(あくまで相対的に!ですよ。静的なのであって、あくまでも”気”ですから、静止している訳ではありません。)

 


・・・ということは、①と②の関係は、「存在のありよう」というくくりで、「陰陽」に分けて考えることができます。

(これも詳しくは 「陰陽(いんよう)」って何ですか? 参照)

 


したがって、「気」と「陰陽」という哲学もし肯定するんであれば、別に、

”普通は、目に見えない、霊的な世界”

というのも、特に否定することもないよなあ、というのが、僕の考えです。

 


しかしそこで、ここが問題じゃないかなあ、と個人的に思うのは、この、

”普通は、目に見えない世界”

というものを、「異常に」強調し、狂信、盲信し、一般的な、誰でも分かる、理解出来るような3次元世界での現象まで、否定にかかる人間がいることと、逆に、

「その人的に」信じられない、納得いかないからといって、見えない世界のことを「異常に」否定したがる人間がいることではないでしょうか。

 


ここには当然、「争い」が生まれます。

 


それも、”不毛な”です。

 


なぜなら、単なる”価値観”の押し付け合いになっているからです。

 

最後は感情だけです。こんなもんは。

 

僕から見たらどっちも「異常」です。(笑)

 


・・・最近でこそあまりやらなくなったけど、一時期、上岡龍太郎さんがテレビで、インチキ霊能力者やインチキ気功師を集めて、言葉(ディベート)と、

 

実際に実験をやらせての結果から、ケチョンケチョンにやっつけている特番が、よく組まれてました。

(今でも、youtubeなんかで観れるよ。ちなみに僕はこないだ全部見た(笑))

 


あれによって、視聴者にはますます、

「見えない世界(+それを主張する人たち)=胡散臭いもの」

という印象が強く残ったと思います。

 

(年末のTVタックルの特番なんかもそうだね。)

 


あの時に面白おかしく扱われ、やり玉に挙がっていた、明らかなインチキ商法の方々に関しては論外ですが、たとえ、

”見えない世界信じてる組”

の主張に、何らかの真実性(明らかに変化が出ている等)があっても、それを現代科学の手法で説明できないならば「即」全てウソ、インチキ、

 

と決めつけてかかるのはいかがなもんかなぁ、と思います。

 


・・・ちょっとそれって傲慢なんじゃない?と思います。

 


それこそ、

「全ての事象が現代科学でなら証明できるはず!」

という、現代人の勝手な思いこみ(ある種、信仰?)からくる、

”価値観の押しつけ”

の面があり、自分が争いごとの多数派に入っていることで得られる安心感を優先し、判断に冷静さを欠いてやしないか?という気がしますが・・。(苦笑)

 


・・・まあ、僕が東洋医学を何故信じるかというと、

「自分なりに一生懸命勉強して、鍼を一生懸命やってみたら、東洋医学的に考えてやった方がよく効いた♪ 患者さんも喜んだ♪」

というリアルな体験からであります。

(笑・・・簡単、単純でしょ?)

 


眼前で起こった事実の積み重ね(経験)が、現代科学で証明されようがされまいが、事実は事実。経験は経験。

 


患者さんには、自分がいいと思っているそれを、最大限提供するのみであります。

 

決して傲慢や強要にならずに、

「冷静に」、

「ご提案も交えながら」、

・・・です!

 

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