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これまでのお話し
中国の宇宙論 ① イントロ
中国の宇宙論 ② 蓋天説
中国の宇宙論 ④ 宣夜説 参照
◆その他の諸説
古代中国の宇宙論というと、これまで紹介してきた「蓋天説」「渾天説」「宣夜説」が”三大宇宙論”なんて言われて有名なようです。
(とりわけ蓋天説と渾天説ね)
でも、マイナーながら他にも諸説あったようです。
(まあ、そこまで評価に値するものではないようですが)
一応軽く触れておきます。
上記の三大宇宙論の後に出てきたのが「安天説(あんてんせつ)」「昕天説(けんてんせつ)」「穹天説(きゅうてんせつ)」の3つです。
まず、安天説は、東晋時代に虞喜(ぐき:281-356)が書いた『安天論』に、
「天も地も有形であるが無限の大きさを持ち、天体はそれぞれに固有の運動法則を持っている」
と説かれています。
虞喜という人物は、中国において「歳差」を発見した人物として有名です。
安天論の中には卓見もあったようですが、東洋医学者の間でも有名な、あの葛洪(261?-341?)に反駁され、多くの支持者を得られないまま廃れていったようです。
昕天説は三国時代、呉の姚信(ようしん)の説で、太陽の高さと気温の問題、夜の長さの問題を論じているが、これは完全に誤っているそうです。
(苦笑・・・ちなみに昕という見慣れない字ですが、これは朝、あるいは明らか、という意味を持っているそうです。)
穹天説も、虞喜の一派から派生したものであるが、これもさして評価に値するような論はないとのことです。。。
(苦笑・・・これも穹という見慣れない字ですが、これは大空、というほどの意味だそうです。)
ということで、やはり古代の宇宙論では現実の天体の位置を予測するのに役立った「渾天説」がチャンピオンになったということです。
古代中国人も日本人と同じように農耕民族。
天体の動きから暦や季節を予測するのは大変重要なことであったはずです。
やはり実際の現象を説明、理解するのに最も長けた説をとるのが普通であった訳ですね。
続く
【参考文献】
『中国古代天文学簡史 日訳版』浅見遼訳 近代出版
『中国天文学研究』小沢賢二著 汲古書院
『東洋天文学史論叢』能田忠亮著 恒星社
『中国天文学・数学集』薮内清 編 朝日出版社
『古代中国の宇宙論』浅野裕一 岩波出版
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2019.05.26
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これまでのお話し
中国の宇宙論 ① イントロ
中国の宇宙論 ② 蓋天説 参照
◆「宣夜説」って何すか??(゚∀゚)
古代中国の宇宙論、最後は三大宇宙論の中では比較的マイナーな「宣夜説」であります!!
これはどういう論かというと、実はかなり今風です。
「天には形体が無く虚空である」
「天体は虚空の中に浮かんでおり、どこにも繋がれていないため、それぞれが固有の動きをする」
「天には果てがない」
「そこにある運動法則は”気”の動きで決まる」
などなど、これがもし発展深化していったら、現代の宇宙物理学と同じような結論に達していったんじゃないかと思われるような表現が出てきます。
後漢末期の蔡邕(さいよう 133-192)は、
「宣夜の説は、絶えて師法なし」
と述べ、この説の孤立的状況を伝えています。
しかしこの説は後漢よりも前、戦国時代にあの『荘子』の「逍遥游萹」や、東晋時代に『列子』の「湯門篇」にもみられます。
晋代(265-420)に著された『晋書』の「天文志」や、三国時代の人物で宣夜論者だったとされる楊泉の『物理論』における
「宇宙には気が満ちており、天地も星も気であり、その運動法則も気の動きによって決まる。」
という、僕らからすれば聞きなれた感のある「気一元論」が、やっぱり好きなんですがね。
しかし、この宣夜説は惜しくも発展せずに、歴史の陰に埋もれてしまいました。
漢代以降、中国の宇宙論は渾天説を中心に推移していったようです。
続く
【参考文献】
『中国古代天文学簡史 日訳版』浅見遼訳 近代出版
『中国天文学研究』小沢賢二著 汲古書院
『東洋天文学史論叢』能田忠亮著 恒星社
『中国天文学・数学集』薮内清 編 朝日出版社
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2019.03.25
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これまでのお話し
ここまで、『黄帝内経霊枢』九鍼十二原(1)に出てくる補瀉法のうち、補法に関して、先日のセミナーで藤本新風先生が強調しておられたやり方に関して書いてきました。
しかし、補法だけへの理解ではアンバランスです。
今日はこの部分に書かれている瀉法についても書いておきます。
しかもしかも、誤解を恐れず言うと、現代日本の鍼灸院での外来臨床では、運動不足で飽食の時代、デスクワーク中心の頭脳労働、ストレス社会、
結果的に癌、脳卒中、心臓病、糖尿病など、あらゆる邪気(病理産物)をため込んだ、実証(邪気のカタマリ)の患者さんが、基本的には多いように思います。
(苦笑・・・もちろん決めつけはダメですが)
ですので、瀉法に対する理解、適切な運用は非常に重要です。
瀉法の場合は素早く刺入してゆっくりと抜く、「速刺徐抜」です。
(因みに補法はその逆ね。「徐刺速抜」です。)
しかも鍼孔は閉じず、邪気を漏らせと書いてあります。
ここに、抜鍼の時に「排陽得鍼(陽を排して鍼を得べし)」という表現が出てきます。
これには色んな解釈があるようなのですが、要するにきれいに邪気を散らすためには、皮膚表面の気を停滞させないことです。
瀉法の場合、グッと一気に刺鍼して、ジワーッと抜く、しかも皮膚表面に気を停滞させずに、きれいに邪気が散るように持っていく、これが大事です。
ただ、邪気であれ正気であれ、どちらも所詮は「気」です。
補瀉の対象は「気」。
ここには「言実与虚.若有若無.(虚と実を言わば、有るが如く無きが如し)」と書いてあります。
補瀉とは、相対的なものであるということです。
新風先生も、先日の講義の中で石坂宗哲(1770-1841)の補瀉観である「虚法、実法」を紹介していましたが、ここらへんが補瀉の妙だと思います。
まずは型を覚え、しかる後に、それを臨機応変、変幻自在に運用できる世界を志向する。
型が大事、基礎が大事、でもそれにとらわれないことが大事。
それまた陰陽論。
おもしれ-話になってきたけど、おわり。(゚∀゚)
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2019.01.10
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新年早々、1.4にNHKで放送された、あさイチ「東洋医学で1年を元気に!」を観ました!!
去年も、NHKでは、盛んに東洋医学の特集が組まれた。
それに関しては、このブログ上でも煽ったし、感想も述べた。
NHK「東洋医学 ホントのチカラ~科学で迫る 鍼灸・漢方薬・ヨガ~」
NHKの見た! 参照
ちょうど1年前に、産経新聞で大々的に記事が出て以降、国内の東洋医学熱が、にわかに活気づいているように見えなくもない。
産経新聞にこんな記事が。 参照
しかし放送後、清明院はいたっていつも通りであり、こういう番組をNHKでやったからと言って、一気にバブル的な好景気、みたいな現象は起こらない。(苦笑)
それが起こっているのは、これに出演した大学病院の先生のところらしい、ということも述べた。
NHKの番組の影響 参照
やはり国民の多くは、我々在野の臨床家よりも、大学病院という権威を、相対的に信用するのであろうか。(苦笑)
今回の番組であるが、「東洋医学」という括りで、「鍼灸」「漢方」「食養生」という3つのジャンルに分けて、専門家として鍼灸師と医師の先生が出演し、
それぞれに意見を述べたことは良かったと思う。
「東洋医学」といった場合、この3者はセットであり、相互に協調し合って、患者の健康を守ってきたわけである。
(ホントはさらに「導引」「気功」「運動法」なんかも入れてもいいと思うけど)
また漢方でも鍼灸でも、「即効性」と、中長期的な「体質改善」を説いていたことも良かったと思う。
それぞれの内容については、細かい部分で気になるところもなかったではないが、NHKのことだから、そこは周到に、全てわかった上で、あの内容なのかな、という気もした。
清明院に治療に見えている、何人かのテレビ関係者に聞いたが、NHKは、どこからも突っ込まれないように、番組づくりにかなり繊細に気を使っているのだそうだ。
(民放よりもマンパワーもあるでしょうしね)
まあただ、鍼灸に関してはいつも思うが、
「お手軽におうちで出来る、簡単ツボ療法☆」
みたいなノリをあまり強調するのはやめて欲しい。。。
この医学固有の人体観、疾病観をもっと説いてほしい。。。
大学病院だけでなく、在野の臨床家にも光を当ててほしい。。。
・・・まいーや、清明院はいつも通り、今日も明日も、ガンガンやります!!!
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2018.11.02
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この時期になると、必ず多くの患者さんから
「インフルエンザの予防注射、やった方がいいですか?」
と聞かれます。
・・・まあこれ、
「やった方がいいですよ。俺はやってないけどネ。(゚∀゚)」
と答えることが多いかな。(笑)
・・・てか今やここで、やるななんて言ったら、非国民扱いじゃないすかね?(苦笑)
いつまでたっても、この日本社会の同調圧力ってのはハンパない。
(個人的にはあまり好きではない)
世間の大きな同調圧力はいやだっていう人が、同調圧力に屈しない、という同調圧力を、小さなコミュニティーの中でかけてくる。。。(^^;)
今や職場でも学校でも、もし
「私はやらない。」
とかいう主張をもしすれば
「うわー、なんか宗教でもやってるんですか・・・??」
という目で見られたり、
「それにどんなエビデンスがあるんですか??」
とか、
「やらないでもいいという科学的根拠は? 統計学的データは??」
と、批判の的になったりすることがあるんじゃないすかね。
いーじゃない、普段から楽しく生きて、食事に気を付けて運動して、鍼して健康調えて、それなんで私は受けないで見送ります、って選択肢があっても・・・、
と思いますが、なかなかそうはいかないのが今のご時世。
「そんなこと言ってて、もしインフルエンザにかかって、周りにうつりでもしたらどうするんですか!?( ゚Д゚)」
てな話、雰囲気になる。
・・・いやー、なーんか、生きにくいねえ~~
俺はインフルエンザウイルスよりも、そういう空気感の方がこええわ。(;’∀’)
因みにインフルエンザワクチンの説明に関しては、以下のサイトが分かりやすかったかな。
・・・ま、皆さん、冷静によく考えて。(ΦωΦ)
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2018.09.17
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これまでのお話・・・
一貫堂医学が今日まで大きな影響力を持っている原因の一つとして、昭和漢方界の中心人物であった矢数道明先生と、その兄君である矢数道斎(格)先生が、
創始者・森道伯先生の弟子であったことが挙げられます。
因みにこちらが矢数道斎(格)先生。
↑↑ インパクト満点、一度見たら忘れないお姿ですね。
(矢数芳英先生(道斎先生の弟君である矢数道明先生の御令孫)よりご提供いただきました。)
矢数格先生は明治26年(1893年)茨城県生まれ、はじめ海軍の軍人を志し、中学に入るも、スパルタ式の無茶苦茶な運動をやり過ぎて、3年の時に体を壊し、
マラリアに罹り、生死を彷徨う。
この時、有名病院から専門病院から、どの医者に行っても一向に良くならず、何を食べても、何を飲んでも吐いてしまい、全く飲まず食わずの状態が続いており、
終いには吐血して、余命宣告までされる始末だったようです。
そこで森道伯先生の噂を聴き、藁をもすがる思いで、骸骨のようにやせ衰えた体で上京し、診察を受けると、僅か2週間で、天丼が食えるほどに回復したそうです。
因みにこの時に、
「この薬が胃に入るようであれば治してやる。」
と仰って、森先生が使った方剤は五積散だったそうです。
(そして五積散の出典は『和剤局方』です。)
マラリアというのは東洋医学では「瘧(ぎゃく)」とか「瘧病」とよんで、古くは『黄帝内経素問』の「瘧論(35)」「刺瘧(36)」の中で詳細に認識されていますし、
『金匱要略』の中にも出てきますし、その後の歴代医家も多くの研究を残しています。
現代中医学でもマラリアを様々に分類し、治療法を提示していますが、「五積散」という選択肢は僕が探した限りでは提示がありませんでしたので、
森先生のオリジナル運用法だろうと思います。
よく名医はこうやって、西洋医学的な病名だの、経過だの、症状の軽重だのに振り回されることなく、自分がよく理解している方剤をシンプルに使って、
きれいに治しますね。
五積散は、風寒外感+内傷寒湿の薬で、解表温裏剤と呼ばれるグループです。
因みに、2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞した中国人の屠呦呦(ト・ユウユウ)先生の研究は、中国伝統医学で使われている生薬にヒントを得た、マラリアの治療薬「アルテミシニン」の研究でした。
(因みにこの時一緒に受賞したのは寄生虫薬イベルメクチンで有名な日本人の大野智先生です。)
その後、元気になった矢数格先生は田舎に帰り、学を諦めて自然の中で農作業をする暮らしを4年ほどしていましたが、森先生のような漢方医を志そうと一念発起し、
22歳で千葉医専(現千葉大医学部)に入学しました。
当時は、漢方医の道を志すと言うと、学友から
「お前、頭がおかしいんじゃないか?」
と言われたそうです。
(苦笑・・・この時、矢数君を助けようと、署名が集まった、なんていうエピソードもあるそうです。)
まあ今で言えば、突然変な宗教に洗脳されたとか、精神に異常をきたしたとか思われるくらい、東洋医学の評判は地に落ちていたのでしょう。
医学生3年の時、再び無理をして体を壊し、肺炎まで起こし、入院する羽目になってしまいました。
その時に友人が森先生に電報を打ってくれて、知らせを受けた森先生は、夜中に東京から千葉の病院まで薬を持って往診に来てくれたそうです。
そして、病院のストーブで漢方を煎じて、飲ませると、
「こんなところにいたら殺される。わしが家に連れて行って看病する。」
と言って強引に矢数先生を東京の家に連れて帰ってしまい、本当に治してしまいました。
(このエピソードで思うのは、森先生は、矢数先生の才能に気付いていたんだと思います。)
この時、森先生が使った処方は升麻葛根湯に長ネギを加えて煎じたものだったそうです。
升麻葛根湯は、後にスペインかぜにも使った処方でしたね。
(しかしこの場合は長ネギ(葱白)を入れているところもポイントかもしれませんね。)
升麻葛根湯の出典は宋代の『小児薬証直訣』(1119)の付録である『閻氏小児方論』であり、効能は辛涼解肌、透疹解毒であり、葱白は長ネギの白い茎の部分のことで、
散寒解表、通陽の効能がありますので、肺炎の熱をとり、表は温め、内外に陽気を通じさせる、というイメージでしょう。
この信念、ハンパないですね。。。(゜o゜)
僕も現在、北辰会や東鍼校など、東洋医学教育に”端くれ”として携わっていますが、何といっても、この医学に本気になれるのは、こういうリアルな経験、感動が一番いいですね。
森先生の中では「治るか治らないか」に関する明確な物差しがあり、それを運用しただけのことでしょうが、これをしっかり持っているかどうかが非常に重要だと思います。
森先生は平生、
「わしに西洋薬を使わせたら上手に使ってみせる。」
と言っていたそうで、自分なりの評価の物差しがハッキリしていてブレなければ、どんな薬、どんな処置でも的確に分析できる、という意味からの言葉だと思います。
次回、森先生の臨床エピソードで「僕的に」印象的だった話を紹介して終わりましょう。
続く
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2018.09.03
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我々の業界では知らない人はいない、『医道の日本』という業界誌。
戦前、約80年前からあります。
漢方医学復興運動が盛り上がり始めていた、昭和初期です。
創刊には、私が現在、非常勤講師としてお世話になっている東洋鍼灸専門学校の初代校長である柳谷素霊先生も関わっています。
柳谷素霊という人物 参照
この雑誌の通巻900号(9月号)に、清明院元副院長の松木宣嘉先生が「私の学び方 伝え方」というテーマで寄稿します。
この号には、北辰会の橋本実千代先生も同じテーマで寄稿します。
そして、次に出る80周年記念号(10月号)に、私も「技の原点 学びの原点」というテーマで寄稿します。
何気に今回、『医道の日本』に寄稿するのは初めてでした。
デビュー作であります。(笑)
この号には、藤本蓮風先生も同じテーマで寄稿します。
いずれも、見逃せない内容になっています。
ぜひ買いましょう☆
9月号のご予約はこちら!!
10月号のご予約はこちら!!
永久保存版的内容です!!!(*‘∀‘)
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2018.08.31
↑↑圧倒的貫禄。これは墓マイラー 森道伯先生で紹介したお写真をもとにした肖像画らしいんですが、素晴らしい出来栄えですね。
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昨日、墓マイラー 森道伯先生という記事を書きました。
・・・まあ、東洋医学をやっている者にとっては言わずと知れた、「一貫堂医学」の創始者であります。
このブログにも、これまでチョイチョイ、名前だけは登場していました。
・・・さて、どんな人物か。
〇
1867年、大政奉還の年に、水戸藩(現茨城県中・北部)の、代々武家の家系に生まれる。
父は白石又兵衛という。
遠い祖先に清和源氏・源頼義がいる。
(清和源氏とは、清和天皇の血を引く源氏姓の一族。後述しますが、皇室とご縁がありそうです。)
2歳の時、水戸藩の内乱を逃れて、今の茨城県、笠間城下の陶器商である森喜兵衛の養子となる。
(だから森姓なわけね。)
12歳で養父が死去。
この時、養母を連れて東京に出て、すでに東京にいた長兄・又二郎とともに、鱉甲彫刻をして生活する。
(なんて立派な12歳なんだ!( ゚Д゚) 現代にはこんなんいないでしょうな。。。)
この時の荷物の中に、実父の白石家に伝わる家伝の医書があったそうです。
(この一冊が原点か。因みに詳細不明。)
1887年(明治15年)、15歳の時、実父の勧めにより、東京(浅草蔵前)で開業していた、実父の知己であり、仙台出身の産科の名医である、
遊佐大蓁(ゆさたいしん:正しくは快慎かいしんというらしい)について、3年間医学を学ぶ。
因みにこの遊佐先生の先祖は大庄屋で、医家としての初代の人物は、婦人科で有名なあの賀川玄悦(1700-1777)の学統であり、
道伯が師事したのは医家としての遊佐家の2代目で、4代目の遊佐寿助は宮城県薬剤師会の初代会長であったらしい。
墓マイラー 14 参照
(繋がるね~~(゜o゜))
・・・ともかく、その後も鱉甲職人を続けながら、清水良斉という漢方医について漢方を学ぶ。
この清水先生がまた謎の人物で、名医だったそうだが大酒呑みで、ある時、旅に出ると家を出たまま、忽然と姿を消したそうで、その後を継ぐ形で「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。
(まあ、神が道伯先生に診療所を与えたんでしょうかね。。。)
因みに道伯は鱉甲彫刻職人としても「西町の豊光(彫刻師としての道伯の号)」と呼ばれ、名が売れていたらしい。
(サスガです。<m(__)m> きっかけは生活の為でも、やるからにはマジ、って感じだったんでしょうな。)
明治24年、24歳で最初の結婚。
26歳で長男義之介、30歳で次男光隆が生まれる。
(結婚してすぐに長女が生まれたそうですが、出生後すぐに亡くなってしまったそうです。)
明治32年、32歳の時に妻が妊娠中に腸チフスに罹り、流産し、亡くなる。
この時、道伯自身も、水戸に旅した際に風湿に中たり、強烈な黄疸を発し、清水良斉の治療を受けるも、生死を彷徨う。
(この時のエピソードについては後述します。)
1902年(明治35年)、35歳で「日本仏教同志会」創立、社会教化運動を行う。
(これは明治39年には解散したらしいですが。。)
↑↑こういうところも、道伯先生の面白いところです。
医家であると同時に、彫刻家であり、宗教家、社会活動家でもあったんですね。(゜o゜)
道伯先生は大変博学で、禅宗、真言密教にも精通しており、熱心に観音信仰をしていたそうです。
また政治や経済にも明るく、観劇に行く趣味もあったとか。
30代の頃、清水良斉先生の失踪後、「一貫堂」の看板を掲げて「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。
「一貫堂」はかつて師事した遊佐先生の診療所からとったもので、論語の里仁第四にある「吾道一以貫之」に基づいているそうです。
明治41年、41歳で再婚し、42年、道伯先生にとっては第4子である敬三郎が出生。
1918年(大正7年)、51歳の時、スペインかぜが大流行した際、病のパターンを胃腸型、肺炎型、脳症の3つに分け、それぞれ漢方で治療し、
大いに効果を挙げたという逸話はあまりにも有名です。
1923年(大正12年)、56歳で関東大震災に遭遇、居所保護法の建議案を訴えて、上野公園で演説を行う。
(こういう、政治活動家的な側面もあったようですね。)
1926年(大正15年)、59歳の時、門人・西原学氏が「漢方専門」と標榜したところ、医師会から圧迫を受けたことをきっかけに、森先生は憤慨し、
長野市善光寺にて「漢方医道復興大講演会」を開催し、
「漢方を滅さんと欲せば、まず森道伯の首を刎ねよ!!」
との有名な文句を叫び、専門科名認可の訴訟を起こし、ついにこれを獲得しました。
(スゲエ!(゜o゜) でも森先生は無資格!!みたいなね。。(笑))
・・・この、魂の籠った一言が、昭和の「漢方復興運動」の第一声と言ってもいいでしょう。
今日、街中に当たり前に「〇〇漢方クリニック」とか、総合病院内の中に「漢方外来」なんてのがあるのは、古くは森先生のこの行動のお陰と言ってもいいでしょう。
1930年(昭和5年)、63歳の時、森道伯の名声を伝え聞いた竹田宮、北白川宮から治療の依頼あり。
(ここで皇室と繋がるわけです。何かの縁なんでしょうね。)
同年8月、歩行困難を訴え、9月には病床に伏せ、脊髄炎、尿毒症を起こす。
1931年(昭和6年)、64歳で逝去。
亡くなる3年前には、自分の死期を家人に告げていた。
(ということはやはりあの墓石は自分で建てたっぽいですね。。。)
道伯先生は32歳の時に大病をした時に、観音菩薩に、
「寿命をもう32年延ばしてくれ、そしたら残りの人生は東洋医学の復興のために生きる」
と日夜お願いし、鍼灸と漢方薬で全治した経験があるらしく、その予言の通り、64歳でこの世を去った。
臨床でも、非常に直観が冴えており、不問診で患者の状態をピタッと言い当てたり、患者がこれからかかる病を予言し、その通りになったりと、
霊能力者っぽい逸話も多い先生であります。
〇
以前書いた丸山昌朗先生といい、自分の死期を正確に悟っていたエピソードは、他の先生でもけっこうありますね。
名医らしいエピソードだと思います。
また道伯先生は
「術は以心伝心で初めて伝わるもの」
とし、著述を好まず、書籍は残っていないそうです。
もっとも有名な弟子である矢数格(道斎)先生の『漢方一貫堂医学』が、森先生を知る重要な手がかりだと思います。
また、この先生は臨床において漢方だけでなく鍼灸も非常に重用したようであり、弟子には「人迎脈口診」の研究で有名な小椋道益先生や、
『漢方医術復興の理論』の著者で、昭和の時代に経絡治療を唱道したことで知られる竹山晋一郎先生、また婦人科医で、現在私が講師としてお世話になっている
東洋鍼灸専門学校の校長でもあった石野信安先生、他にも刺絡で有名な工藤訓正先生や、道伯先生と直接は会っていないようですが柳谷素霊先生門下の西沢道允先生など、
鍼灸師に与えた影響や、鍼灸そのものとの縁も深いです。
お弟子さんの諸先生方の後日談によって、この先生の臨床でのエピソードはたくさんあるのですが、特に印象に残ったものを二つ紹介します。
矢数格(道斎)先生の弟君である矢数道明先生が、漢方を学びながらも西洋医学にも興味を持ち、こっそりと患者の尿検査をしていたところ、それが道伯先生の耳に入り、
「試験管で小便の検査をしなければ治療が出来ないような漢方家になるならやめてしまえ!破門だ!!」
と怒鳴られたとか、あるお金持ちの患者さんが、処方を渡されて、帰るときに受付で
「これで本当に治るんでしょうか?」
と尋ねると、
「疑うような薬なんか飲むな!」
と一喝し、一旦渡した薬を引き取った事があるそうです。
(後日この患者さんは自分の態度振る舞いを反省し、無事治ったそうです。)
・・・とまあ、アツい臨床家、という感じの森先生。
この情熱が、多くの患者さんを救い、多くの優秀な後輩の心に火をつけ、現代まで脈々と続いているのでしょう。
「漢方医学復興」といえば、森道伯と同じ時代を生き、似た主張をした大人物である和田啓十郎先生とは、親交や面識があったかどうかは分かりませんが、
和田先生の場合は先に西洋医学を学び、その後に東洋医学に傾倒した人物で、業界に対して、ある種のイデオローグ的な言行を取ったのと違い、
森先生は最初からまさに「一貫して」漢方医学であり、生涯一臨床家であったと、後の竹山晋一郎先生は両者をともに”天才”と評価しつつ、
対比、比較しています。
また、和田啓十郎先生の息子さんである和田正系先生と、森道伯先生の高弟である矢数格(道斎)先生が、千葉医専(現千葉大学医学部)の同級生であったことは、
単なる偶然でない気がしてなりません。
・・・以上、どんなにコンパクトにまとめても僕の頭と文章力ではこれぐらいになってしまうので、肝心の「一貫堂医学」がどういうもので、
鍼灸ではどういう風に応用が利くか、みたいな話は、また違うところで書きましょう。(笑)
イヤーなんか、森家と和田家と矢数家、そして大塚家、柳谷素霊先生、千葉大学、北里大学、東洋鍼灸専門学校と、一連の近代日本東洋医学の歴史の流れ、重みを感じます。
また、僕としては、一貫堂も、森道伯先生の弟子には鍼灸師もいるのに、どこからか、鍼灸師と漢方医が一枚岩でなくなってしまったような感じがして、それが悔やまれますね。。。
◆参考引用文献
『漢方一貫堂医学』矢数格
『漢方一貫堂の世界』松本克彦
『漢方医術復興の理論』竹山晋一朗
『森道伯先生生誕百年祭記念文集』仁性会
『森道伯先生伝並一貫堂医学大綱』道齋矢数格編
『漢方治療百話 第八集』矢数道明
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2018.08.16
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さて連休明け、さっそくガンガンやっております!!
清明院には、1年中、「咳」を訴えて来院される患者さんが見えます。
春先はのぼせて咳が出る、夏はクーラーで咳が出る、秋は乾燥で咳が出る、冬は風邪ひいて咳が出る。
・・・ってな感じ。
咳と言えば当然、東洋医学的にも最終的には
の病変なのですが、
「なぜ、肺の臓の病変が起こっているのか」
という「病因」と、そのメカニズム(機序)である「病理(病機)」を明確にしないと、上手に治療できません。
「病因病理」を含む記事 参照
(まあこういうこと言うと、アタマ固い人からあいつは疾医だ!対症療法ヤローだ!!って言って突っ込まれたらヤなんですが。。。)
患者は咳を止めてくれって言ってきてんだから、普通に考えて、まずは咳を止めることを全力でやるべきでしょ。
(もちろん体質と病因病理を踏まえてね。)
でもそこで、肺の臓に関する経穴ばっかり触っててもダメ、ということです。
・・・まあともかく、肺の臓の病変と言っても、色々あります。
「肝の臓」からくるもの、「腎の臓」からくるもの、「心の臓」からくるものなどなど。。。
その中で、意外と多いのが「胃の腑」の異常と関係しているものです。
かつてこのブログで述べたように、東洋医学の言う「胃の腑」というのは、「五藏六府」の中の「六腑」の一つであり、人体の中央(中焦)のど真ん中にあり、
「脾の臓」と一体化したような形で、飲食物(水穀の精微)の消化吸収とともに、気血の上下の昇降を調節しているという重要な働きを持ちます。
久々に言うけど、「肺の臓」はLungじゃないし、「胃の腑」はStomachではないことに大大大大前提として注意を払ってもらいたいです。
肺の臓と胃の腑は、気の生成に深く関わりますが、気の昇降運動のうちの「降」に大きく関わります。
その働きのことを、肺では粛降(しゅくこう)、胃では和降(わこう)なんて言われます。
この二つの臓腑の協調性が悪くなったものを「肺胃不和」なんて言います。
(夫婦関係の不和の”不和”です。)
この、気の昇降出入のうちの「降」に異常をきたした、というのが、「咳」という病変に対する、一つの東洋医学的な考え方です。
続く。
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2018.07.12
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先日、癌が見つかった患者さん。
癌が見つかった 参照
腹腔鏡での、簡単な切除手術を終え、1週間ほどの入院から帰ってきた。
何でも、手術した日から歩くように言われて、入院中も積極的に軽い歩行運動を勧められたそうだ。
その方が傷の治りが早い、とのことで。
(最近はそういうもんなんですな。(゜レ゜)・・・まあ、モノによるだろうし、賛否分かれそうだけど。)
で、本日再度往診に伺ってきたが、慎重に診たけど、特に変わった様子はなかった。
(じゃっかん陽分に邪が浮いたかな。)
まあ、術前との違いがあるとすれば、大ケガをした人の反応と似ていたね。
(手術後の患者さんを診るといつも感じることなんだけど)
怪我をすると、出血します。
手術しても、出血します。
東洋医学の言う、血脈(血管)から出血、漏出した血のことを「離經の血」と呼んで、一種の瘀血(おけつ)と考えます。
カテーテル検査後の内出血 参照
この瘀血が、手術した部位の気血の通行を阻害します。
五臓では、血とのかかわりの深い、心の臓や肝の臓の働きを主に阻害します。
だからこの瘀血を散らすように持っていきます。
もともと、この患者さんは、癌としての症状は何もなく、健診で判明したもの。
たまたま見つけたから、拡がる前に取ろう、という考え方です。
僕はもちろん、医師と、患者さんのその判断は尊重したいと思います。
あるのが分かってて放置するのは、誰だって気持ち悪いし怖いです。
・・・で、最大限尊重しつつ、どの局面においても、冷静に東洋医学の見地から、出来ることを行います。
本当はこういうのを、西洋医学と、密に連絡、連携とりながらやりたいんだがねえ。。。orz
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