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これまでのお話・・・
前回、三大体質の最後である「解毒証体質」について簡単に説明しました。
前回書き忘れましたが、一貫堂では、この解毒証体質というのは、遺伝的要素も多分にあると考えているようです。
(だから幼児期に治療に着手することを重視してる訳ね)
まあよく言われる、「胎毒※」ってやつですね。
※胎児の間に母体から受けるあらゆる毒(病理)の総称
・・・で、実際に解毒証体質であることの診断は、基本としては望診において
浅黒い(くすんだ)皮膚の色
であり、
体格はやせ型か筋肉質、
腹診において
腹筋の緊張強く、過敏であり、特に肝経上の緊張と、肝臓部(右季肋部)の腫大があること
が重要だそうです。
さらに、小児期の「柴胡清肝散」がフィットするパターンであれば、脈診では緊脈が中心で、頚が細く、胸が狭い、腹診ではくすぐったがる、などの所見が顕著であり、
青年期の「荊芥連翹湯」がフィットするパターンであれば、望診での皮膚の色はよりどす黒く、腹診では肝経上に加えて陽明経上~心窩部にも緊張がきつく、
「竜胆瀉肝湯」のパターンでは脈診上、緊脈の他に”中湿の脈”と言われる、”ボカリボカリ”とした脈を打つ、と言われており(まあこれは難しく考えず、普通に「滑脈」のことじゃないかな、という気がしますが)、
腹証では肝経上の緊張以外に臍周~下腹部の緊張を認めるそうです。
・・・で、これを鍼灸で考えるとどうか、という話ですが、そもそも「解毒証体質」では大枠として「肝の臓の解毒の力」に着眼し、これを高める訳ですから、
治療方針は「肝の臓を上手に調整すること」に他なりません。
ただ、東洋医学のいう「肝の臓」に、生理作用としての「解毒」は特に謳われていません。
しかも東洋医学の概念には「結核毒」なんていう考え方もありません。
(そもそも”細菌”という考え方がない訳ですからね。)
東洋医学では、感染性の強い病原菌に関しては「疫癘(えきれい)の邪気※」という考え方をします。
※感染力や毒性が極端に強い病邪のこと
このように、このブログ上で、かつて再三再四に渡って述べまくったように、東洋医学の言う「肝の臓」と、西洋医学の言う「肝臓(liver)」はまったく違うもの、
と考えた方がいいので、ここを混同しないように、厳に注意したいですが、東洋医学的な「肝の臓」には「疏泄、蔵血」という重要な生理作用があり、
これが失調すれば、要するに西洋医学の言う「免疫力が低下した」状態になりますので、結核その他の感染症には罹患しやすくなるでしょうし、
逆に「肝の臓」の機能を上手に賦活化することが出来れば、結果的に体内の毒素(病理産物)を排出しやすくなりますので、まあ、東洋医学のいう肝の臓には、
「疫癘の邪気」を無害化、無毒化するような、一定の「解毒能」があると言っても、過言ではないと思います。
ただ、何度も言うけどこの辺の、概念の混同には、ホント注意した方がいいです。
(双方の意味をキチンと分かった上で、方便として運用するならいいけども)
かつて『あはきワールド』にも書きましたが、「肝の臓の機能調整」は臨床上、北辰会が最も重要視するところです。
北辰会方式では、肝の臓を調整するには数多くのパターンを持っていますが、まあそれについては、
等の書籍を精読してください。<m(__)m>
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一貫堂の言う「解毒証体質」へのアプローチでは、北辰会が持つ肝病治療の多くのパターンのうちから、温清飲的なアプローチ、つまり、肝血の不足に配慮しながら、
肝気実、肝の実熱を捌くように配穴処置をする、ということですね。
(まあ北辰会の先生でなくても、プロの鍼灸師であれば色々な配穴が思いつくでしょう)
・・・ところで、現代では結核の患者を東洋医学で診る機会はほとんどなく、温清飲にしても、そのもとになっている黄連解毒湯にしても、現代では
慢性で難治性の「アトピー性皮膚炎」の患者さんで使用している患者さんが少なくありません。
これが上手くフィットせずに、あるいは、最初は良かったけど、ある段階から全然効かない、または悪化する、という患者さんが清明院にチラホラ見えますので、
これに関しても、重要なことなので少し解説しておこうと思います。
続く
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2018.09.12
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これまでのお話・・・
一貫堂医学について 3 参照
さて、今日は三大体質の3つ目、解毒証(げどくしょう)体質について掘り下げます。
(矢数先生・・・、このネーミング、”臓毒証”と紛らわしいんすけど。。。(苦笑))
一貫堂の言う解毒証体質とは、四物黄連解毒剤がフィットする体質のことを言うそうです。
(黄連解毒湯の”解毒”という言葉をとって”解毒証体質”と呼ぶことにしたんだそうです。)
「四物黄連解毒剤」とは、「四物湯」と「黄連解毒湯」を合わせた薬のことで、現代日本の薬局等でも簡単に手に入る「温清飲」というお薬のことです。
簡単に言えば、黄連解毒湯は火熱を取る清熱材、四物湯は血を補う補血剤、この二つを組み合わせた薬が「温清飲」です。
・・・で、一貫堂医学の言う「解毒証体質」の”毒”とは、第一に「結核性毒」のことを言うんだそうです。
ここで、普通の中医学を学んできた者にとっては
「へ?黄連解毒湯の毒が結核毒??なんのこっちゃ??」
となるのが普通だと思いますが、この時代の結核は、予防も治療も、非常に重要な病でした。
国民皆保険もなかった時代、歴代の有名な鍼灸家、漢方家の先生の中には、当時西洋医学が治せなかった結核を、鍼灸漢方で治してもらったのをきっかけに、
鍼灸医、漢方医になったという先生がたくさんおられるようです。
大正、昭和初期の時代の医師にとって、結核を如何に予防するか、なってしまったら如何に治すか、これが非常に大事なポイントだったんでしょうね。
そしてこの「解毒証体質」は、年齢によって3つの方剤を使い分けるようです。
すなわち、小児期は柴胡清肝散、青年期は荊芥連翹湯か竜胆瀉肝湯を使い分ける、といった感じです。
まず柴胡清肝散ですが、これは各時代の書物によって微妙に生薬の配合が違うようですが、一貫堂では上記の温清飲に桔梗、薄荷葉、牛蒡子、天花粉を加えたものだそうで、
要するに「肝経、胆経、三焦経の3つの経絡の風熱邪を叩く薬」なんだそうです。
これらの経絡が喉頭、頚部、耳周辺を流注することから、ここに熱を籠らせないようにし、扁桃炎、中耳炎を起こさせないようにすることが、
幼児期の結核を予防、治療する上で非常に重要と考えたのでしょう。
次に荊芥連翹湯ですが、これも柴胡清肝散の変法であります。
(構成生薬の詳細は、ちょっと複雑なのでここでは省略します。)
これは何を狙っているというと、解毒証体質の場合、小児期は扁桃炎や中耳炎を起こしやすいが、青年期になると蓄膿症を起こすようになると考え、
柴胡清肝散が肝経、胆経、三焦経を狙っているのに対して、より「陽明経(顔面部)の風熱邪にターゲットを寄せている」のだそうです。
(要は上の横か、上の前か、です。)
最後に竜胆瀉肝湯ですが、これも歴代の医家によってそれぞれ生薬の配合が異なるようですが、一貫堂処方では、
「肝を瀉して水邪を捌き、肝を瀉す力を四物湯で少し緩めている方剤」
と、言うことが出来るようです。
解毒証体質者の場合、淋病や睾丸炎、外陰部の炎症など、下焦を病むことも多く、一貫堂処方の竜胆瀉肝湯は、その治療、予防のために長期服用も可能な体質改善薬であるそうです。
まあここまでを簡単にまとめれば、柴胡清肝散であれ、荊芥連翹湯であれ、竜胆瀉肝湯であれ、一貫堂が解毒証体質に用いる薬の大本は「温清飲」なわけです。
・・・で、「温清飲」は清熱解毒の「黄連解毒湯」+補血の「四物湯」です。
「黄連解毒湯」の初出は752年、王燾(おうとう 670?-755)が著した『外台秘要』、「四物湯」の初出は1110年頃、北宋の国定処方集である『和剤局方』だそうです。
で、「温清飲」の初出は一貫堂医学について 2で紹介した『万病回春』(1587)です。
ということは、瘀血証体質の通導散も、解毒証体質の諸薬の大本である温清飲も、出典は『万病回春』ということになります。
また、臓毒証体質の防風通聖散も、『万病回春』の中には何カ所も出てきます。
森道伯先生も、江戸期の和田東郭や原南陽と同じように、中国明代、龔廷賢の書物である『万病回春』をかなり読みこんでいたことが分かりますね。
多くの名医が読んだ『万病回春』、現代で東洋医学を行う者として、避けて通れないでしょう。
長くなったんで続く
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2018.09.09
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前回、一貫堂医学の基本中の基本である、「三体質・五処方」を紹介しました。
今日はこのうちの「瘀血体質」なるものについて少し掘り下げましょう。
「瘀血」という病理産物については、東洋医学では誰でも知っているような重要な概念で、このブログでもチョイチョイ登場しています。
まあ要するに、「使いもんにならん、停滞した血(けつ)」のことです。
あらゆる病気、症状に関わり、あらゆる病気、症状を治りにくくする、病理産物であります。
一貫堂医学では、これを叩くことを治療、予防の3本柱の一つとして、非常に重視してるわけです。
一貫堂のいう瘀血体質というのをもう少し詳しく述べると、要は「体内に停滞した血液を持っている者」のことであり、血液の多くは腹部にあることから、
腹部、それも下腹部、骨盤内(それも左側)に瘀血が停滞しやすい、特に閉経後や月経不順のある婦人に多いと考え、皮膚の色、脈診、腹診などで判断するようです。
(皮膚は赤ら顔、爪は暗赤色、あるいは貧血して黄白色、脈は細実、腹は臍周に緊張、腹直筋が緊張など)
瘀血体質の患者がかかり易いのは脳溢血、片麻痺、喘息、胃腸病、肝臓病、肺結核、痔疾、淋疾、精神疾患、婦人病などなど、とのことです。
(幅ひろー(゜o゜))
・・・で、これらを通導散加減で治療します、と。
通導散というのは、中国明代、16~17世紀を生きたと言われる龔廷賢(きょうていけん 生没年不詳)の著作である『万病回春』に所収されている処方で、
現代でも超有名な駆瘀血剤(瘀血を取り去る薬)です。
この『万病回春』は、江戸時代の日本人の医師に広く読まれた古典であり、極めて実践的な内容で、あの和田東郭や、原南陽も高く評価しているそうです。
つい最近、1989年になって、大塚敬節先生の指示を受けた松田邦夫先生が全訳解説本を出版されたことでも知られています。
この通導散は、『傷寒論』の陽明病の薬として有名な大承気湯に当帰、紅花、甘草を加えた加味承気湯に、さらに蘇木、枳殻、陳皮、木通を加えたもので、
気の停滞、瘀血を取り去る力の強い薬です。
(『万病回春』の原文には”童便、黄酒各一鍾で温服すべし”とありますが、”童便”ってまさか。。。( ;∀;))
・・・で、私は鍼師ですので、さてこれを、鍼でやるならどうするか、という問題にぶち当たる訳ですが、北辰会では瘀血証には三陰交、膈兪、血海、臨泣などを瀉法で使いますが、
通導散のイメージに一番近いものとなると、この中では臨泣でしょうかね。。。
ただし「上手にやれば」ですね。(ΦωΦ)
続く
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2018.09.08
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先日、森道伯先生を紹介しました。
森道伯という人物 参照
森道伯先生が晩年唱えたと言われる、「一貫堂医学」。
現代にまで、影響を与えております。
これは簡単に言うと、
「体質を3つに分類し、5つの処方を上手に使い分ける」
という医学なんだそうです。
3つの体質というのは、
① 瘀血証体質(瘀血をため込んでいるタイプ)
② 臓毒証体質(風毒、食毒、梅毒、水毒の四毒をため込んでいるタイプ)
③ 解毒証体質(肝臓の解毒能が低下しているタイプ)
の3つであり、この「体質」そのものを改善することが、病の根本的な治療に重要なのだ、という考えであり、5処方というのは
①には通導散、
②には防風通聖散、
③には、幼少期には柴胡清肝散、青年期には荊芥連翹湯、青年期以降には竜胆瀉肝湯、
を、それぞれ加減して用いる、というやり方が根幹だそうです。
(上記はどれも現代も用いられる、有名な処方です。)
・・・まあ、こう簡単に言ってしまうと、いかにもマニュアル漢方みたいですが、森先生はおそらくこの簡単な理論ベースを、加減方で縦横無尽に使い分けていたんでしょうね。
以前も紹介しましたが、江戸期、和田東郭(1742-1803)が『蕉窓雑話』の中で弟子たちに
「方を用ゆること簡なる者は、其の術日に精し。方を用ゆること繁なる者は、其の術日に粗し。世医ややもすれば、 すなわち簡を以て粗と為し、繁を以て精と為す、 哀しいかな。」
これを簡単に意訳すると、
「薬をシンプルに使う先生はうまい!薬を煩雑に使う先生はヘタ!世の医者は、煩雑な処方を有難がる向きがあるけど、哀しいことだ。」
というほどの意味でしょう。
「四逆散」というお薬 6 参照
まあ、あれやこれやと、治療を煩雑にやる先生や、それを尊敬するような風潮をクサしている訳です。
和田東郭も森道伯も、著述を好まなかったという点は似ていますし、少数の処置(処方)でバチッと効かせるという考え方は、北辰会の一本鍼にも通じますね。
なんだかシンパシーを感じる先生達です。
(蓮風先生はメチャメチャ本書いてるけど。笑)
せっかくなんで、一貫堂に関して、もう少し掘り下げましょう。
続く
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2018.08.31
↑↑圧倒的貫禄。これは墓マイラー 森道伯先生で紹介したお写真をもとにした肖像画らしいんですが、素晴らしい出来栄えですね。
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昨日、墓マイラー 森道伯先生という記事を書きました。
・・・まあ、東洋医学をやっている者にとっては言わずと知れた、「一貫堂医学」の創始者であります。
このブログにも、これまでチョイチョイ、名前だけは登場していました。
・・・さて、どんな人物か。
〇
1867年、大政奉還の年に、水戸藩(現茨城県中・北部)の、代々武家の家系に生まれる。
父は白石又兵衛という。
遠い祖先に清和源氏・源頼義がいる。
(清和源氏とは、清和天皇の血を引く源氏姓の一族。後述しますが、皇室とご縁がありそうです。)
2歳の時、水戸藩の内乱を逃れて、今の茨城県、笠間城下の陶器商である森喜兵衛の養子となる。
(だから森姓なわけね。)
12歳で養父が死去。
この時、養母を連れて東京に出て、すでに東京にいた長兄・又二郎とともに、鱉甲彫刻をして生活する。
(なんて立派な12歳なんだ!( ゚Д゚) 現代にはこんなんいないでしょうな。。。)
この時の荷物の中に、実父の白石家に伝わる家伝の医書があったそうです。
(この一冊が原点か。因みに詳細不明。)
1887年(明治15年)、15歳の時、実父の勧めにより、東京(浅草蔵前)で開業していた、実父の知己であり、仙台出身の産科の名医である、
遊佐大蓁(ゆさたいしん:正しくは快慎かいしんというらしい)について、3年間医学を学ぶ。
因みにこの遊佐先生の先祖は大庄屋で、医家としての初代の人物は、婦人科で有名なあの賀川玄悦(1700-1777)の学統であり、
道伯が師事したのは医家としての遊佐家の2代目で、4代目の遊佐寿助は宮城県薬剤師会の初代会長であったらしい。
墓マイラー 14 参照
(繋がるね~~(゜o゜))
・・・ともかく、その後も鱉甲職人を続けながら、清水良斉という漢方医について漢方を学ぶ。
この清水先生がまた謎の人物で、名医だったそうだが大酒呑みで、ある時、旅に出ると家を出たまま、忽然と姿を消したそうで、その後を継ぐ形で「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。
(まあ、神が道伯先生に診療所を与えたんでしょうかね。。。)
因みに道伯は鱉甲彫刻職人としても「西町の豊光(彫刻師としての道伯の号)」と呼ばれ、名が売れていたらしい。
(サスガです。<m(__)m> きっかけは生活の為でも、やるからにはマジ、って感じだったんでしょうな。)
明治24年、24歳で最初の結婚。
26歳で長男義之介、30歳で次男光隆が生まれる。
(結婚してすぐに長女が生まれたそうですが、出生後すぐに亡くなってしまったそうです。)
明治32年、32歳の時に妻が妊娠中に腸チフスに罹り、流産し、亡くなる。
この時、道伯自身も、水戸に旅した際に風湿に中たり、強烈な黄疸を発し、清水良斉の治療を受けるも、生死を彷徨う。
(この時のエピソードについては後述します。)
1902年(明治35年)、35歳で「日本仏教同志会」創立、社会教化運動を行う。
(これは明治39年には解散したらしいですが。。)
↑↑こういうところも、道伯先生の面白いところです。
医家であると同時に、彫刻家であり、宗教家、社会活動家でもあったんですね。(゜o゜)
道伯先生は大変博学で、禅宗、真言密教にも精通しており、熱心に観音信仰をしていたそうです。
また政治や経済にも明るく、観劇に行く趣味もあったとか。
30代の頃、清水良斉先生の失踪後、「一貫堂」の看板を掲げて「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。
「一貫堂」はかつて師事した遊佐先生の診療所からとったもので、論語の里仁第四にある「吾道一以貫之」に基づいているそうです。
明治41年、41歳で再婚し、42年、道伯先生にとっては第4子である敬三郎が出生。
1918年(大正7年)、51歳の時、スペインかぜが大流行した際、病のパターンを胃腸型、肺炎型、脳症の3つに分け、それぞれ漢方で治療し、
大いに効果を挙げたという逸話はあまりにも有名です。
1923年(大正12年)、56歳で関東大震災に遭遇、居所保護法の建議案を訴えて、上野公園で演説を行う。
(こういう、政治活動家的な側面もあったようですね。)
1926年(大正15年)、59歳の時、門人・西原学氏が「漢方専門」と標榜したところ、医師会から圧迫を受けたことをきっかけに、森先生は憤慨し、
長野市善光寺にて「漢方医道復興大講演会」を開催し、
「漢方を滅さんと欲せば、まず森道伯の首を刎ねよ!!」
との有名な文句を叫び、専門科名認可の訴訟を起こし、ついにこれを獲得しました。
(スゲエ!(゜o゜) でも森先生は無資格!!みたいなね。。(笑))
・・・この、魂の籠った一言が、昭和の「漢方復興運動」の第一声と言ってもいいでしょう。
今日、街中に当たり前に「〇〇漢方クリニック」とか、総合病院内の中に「漢方外来」なんてのがあるのは、古くは森先生のこの行動のお陰と言ってもいいでしょう。
1930年(昭和5年)、63歳の時、森道伯の名声を伝え聞いた竹田宮、北白川宮から治療の依頼あり。
(ここで皇室と繋がるわけです。何かの縁なんでしょうね。)
同年8月、歩行困難を訴え、9月には病床に伏せ、脊髄炎、尿毒症を起こす。
1931年(昭和6年)、64歳で逝去。
亡くなる3年前には、自分の死期を家人に告げていた。
(ということはやはりあの墓石は自分で建てたっぽいですね。。。)
道伯先生は32歳の時に大病をした時に、観音菩薩に、
「寿命をもう32年延ばしてくれ、そしたら残りの人生は東洋医学の復興のために生きる」
と日夜お願いし、鍼灸と漢方薬で全治した経験があるらしく、その予言の通り、64歳でこの世を去った。
臨床でも、非常に直観が冴えており、不問診で患者の状態をピタッと言い当てたり、患者がこれからかかる病を予言し、その通りになったりと、
霊能力者っぽい逸話も多い先生であります。
〇
以前書いた丸山昌朗先生といい、自分の死期を正確に悟っていたエピソードは、他の先生でもけっこうありますね。
名医らしいエピソードだと思います。
また道伯先生は
「術は以心伝心で初めて伝わるもの」
とし、著述を好まず、書籍は残っていないそうです。
もっとも有名な弟子である矢数格(道斎)先生の『漢方一貫堂医学』が、森先生を知る重要な手がかりだと思います。
また、この先生は臨床において漢方だけでなく鍼灸も非常に重用したようであり、弟子には「人迎脈口診」の研究で有名な小椋道益先生や、
『漢方医術復興の理論』の著者で、昭和の時代に経絡治療を唱道したことで知られる竹山晋一郎先生、また婦人科医で、現在私が講師としてお世話になっている
東洋鍼灸専門学校の校長でもあった石野信安先生、他にも刺絡で有名な工藤訓正先生や、道伯先生と直接は会っていないようですが柳谷素霊先生門下の西沢道允先生など、
鍼灸師に与えた影響や、鍼灸そのものとの縁も深いです。
お弟子さんの諸先生方の後日談によって、この先生の臨床でのエピソードはたくさんあるのですが、特に印象に残ったものを二つ紹介します。
矢数格(道斎)先生の弟君である矢数道明先生が、漢方を学びながらも西洋医学にも興味を持ち、こっそりと患者の尿検査をしていたところ、それが道伯先生の耳に入り、
「試験管で小便の検査をしなければ治療が出来ないような漢方家になるならやめてしまえ!破門だ!!」
と怒鳴られたとか、あるお金持ちの患者さんが、処方を渡されて、帰るときに受付で
「これで本当に治るんでしょうか?」
と尋ねると、
「疑うような薬なんか飲むな!」
と一喝し、一旦渡した薬を引き取った事があるそうです。
(後日この患者さんは自分の態度振る舞いを反省し、無事治ったそうです。)
・・・とまあ、アツい臨床家、という感じの森先生。
この情熱が、多くの患者さんを救い、多くの優秀な後輩の心に火をつけ、現代まで脈々と続いているのでしょう。
「漢方医学復興」といえば、森道伯と同じ時代を生き、似た主張をした大人物である和田啓十郎先生とは、親交や面識があったかどうかは分かりませんが、
和田先生の場合は先に西洋医学を学び、その後に東洋医学に傾倒した人物で、業界に対して、ある種のイデオローグ的な言行を取ったのと違い、
森先生は最初からまさに「一貫して」漢方医学であり、生涯一臨床家であったと、後の竹山晋一郎先生は両者をともに”天才”と評価しつつ、
対比、比較しています。
また、和田啓十郎先生の息子さんである和田正系先生と、森道伯先生の高弟である矢数格(道斎)先生が、千葉医専(現千葉大学医学部)の同級生であったことは、
単なる偶然でない気がしてなりません。
・・・以上、どんなにコンパクトにまとめても僕の頭と文章力ではこれぐらいになってしまうので、肝心の「一貫堂医学」がどういうもので、
鍼灸ではどういう風に応用が利くか、みたいな話は、また違うところで書きましょう。(笑)
イヤーなんか、森家と和田家と矢数家、そして大塚家、柳谷素霊先生、千葉大学、北里大学、東洋鍼灸専門学校と、一連の近代日本東洋医学の歴史の流れ、重みを感じます。
また、僕としては、一貫堂も、森道伯先生の弟子には鍼灸師もいるのに、どこからか、鍼灸師と漢方医が一枚岩でなくなってしまったような感じがして、それが悔やまれますね。。。
◆参考引用文献
『漢方一貫堂医学』矢数格
『漢方一貫堂の世界』松本克彦
『漢方医術復興の理論』竹山晋一朗
『森道伯先生生誕百年祭記念文集』仁性会
『森道伯先生伝並一貫堂医学大綱』道齋矢数格編
『漢方治療百話 第八集』矢数道明
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2018.08.27
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これまでのお話
「肺胃不和」という証 4 参照
◆「不和」には五種類ある。
ここまで、僕が臨床上けっこう目にする「肺胃不和」について語ってきました。
ま、「肺胃不和」という熟語は、『中医弁証学』という本なんかでは「病証」としては紹介されていないのですが、清明院の臨床では「肺胃不和」と証を立てて治療し、
うまくいくことは全然普通にあります。
(以前チョロッと紹介したね。)
まあしかし、仮に「肺胃不和」という証が立ったとしても、それで安心はできません。
今日は最後にまとめとして、それを喋って終わります。
「〇〇不和」という証は、他にも有名な「肝脾不和」「肝肺不和」「脾胃不和」「肝胃不和」なんかがありますし、似た言い方では「心腎不交」「脾虚胃実」「肝火犯肺」などなど、
二つの臓腑にまたがる病(臓腑兼証)、というのはよくあります。
それどころか、3臓腑、4臓腑にまたがった病というのもあります。
この時に考えなくてはならないのは、どっちの臓腑がどれくらい悪いか、先に処置するべきはどっちか、という「ウエイト」「優先順位」の問題です。
肺の臓と胃の腑が同時に病んでいて、「肺胃不和」という状況であれば、当然ながら、肺と胃、どっちがどの程度病んでいるか、という考え方は必須です。
で、これ、大きく分けると5パターンあります。
つまり不等号を入れて比較すれば「肺>胃」「肺≧胃」「肺≒胃」「肺≦胃」「肺<胃」の5つです。
この考え方を頭の中で行うことにより、「主従」が明確になり、これにさらに「標本」を考えてタクティカルに治療を進めていくことが出来ます。
「主従」を含む記事 参照
しかもこのウエイトは固定的でなく、治療効果や患者の養生の状況によって、経過の中で変動してきます。
それに上手に合わせることが出来ると、治療がスッスッスッといきます。(^^)
・・・でもこれ、まさに「家庭内不和」と同じで、理論的には簡単でも、実際はなかなか難しかったりします。(笑)
それを冷静に冷静に、根気よく根気よく、調整するのが我々の仕事だと思います。
言わば別れそうになっているカップル、夫婦の「仲直らせ屋」みたいなもんですな。(゚∀゚)
おわり
◆参考文献
『中医弁証学』東洋学術出版社
『中医病因病機学』同上
『基礎中医学』燎原
『全訳中医基礎理論』たにぐち書店
『基礎中医学』谷口書店
『蔵象学説の理論と運用』創医会
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2018.08.23
清明院では現在、院内診療、訪問診療ともに多忙のため、
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言うまでもないけど、多いですね、不妊症の患者さん。
東洋医学では「不孕(ふよう)」と言います。
清明院は開業当初から
「東洋医学、伝統鍼灸で老若男女、全科疾患対応」
ですから、ことさら不妊治療を強調したことは、これまでもこれからもないだろうと思いますが、それでも増えています。(苦笑)
(ホント多いんで、そろそろ不妊カウンセラーの資格でも取ろうかしら)
30歳を過ぎて、色々悩んだ末、ようやく結婚に踏み切ったものの、今度は子供が出来ない。
簡単に出来るかと思っていたのに。
友達はみんなすぐに出来たのに、何で私は・・・、と焦る。
・・・で、色々調べて、不妊治療をやっている婦人科に行く。
まずは基礎体温つけて、生活見直して、タイミングをとってみる。
しかし、旦那さんがいまいち乗り気でなく、気持ちにギャップが生じ、今度は夫婦関係がうまくいかない。
シビレを切らせて、半ば強引に人工授精、体外受精に進む。
それでも出来ない。
時間は過ぎる、お金はかかる。。。
数値上、画像上は可能性はあるのに、それでもなかなかうまくいかない。
実家の家族からは、色々な言い方でプレッシャーかけられる。。。
どんどん焦る。
どんどん精神的にキツくなってくる。
気の毒にも、こういう状況に悩んでおられる患者さんの、なんと多いことか。
僕らの業界にも、この20年で、「不妊専門鍼灸院」と謳っているところも、爆発的に増えたと思います。
(20年前は、ほぼなかったんじゃないでしょうか)
こうした女性が多い、という世相をよく反映していると思います。
(あと、鍼灸師が普通に鍼灸でメシ食えない、という世相を。)
鍼灸師が、不妊に関する知識を婦人科の専門医並みに勉強し、困っている患者さんをサポートする、お力添えする、これ、いいことだと思います。
患者さんが、婦人科医の説明で、よく理解できていないところを、さらに分かりやすく、専門的に説明する、あるいは各クリニックの特徴を鍼灸師が理解し、
患者さんのニーズに合わせてクリニック選びをサポートする、こういう役目があってもいいと、僕は思っています。
でも、肝心の治療においては、不妊症にはこのツボが100%効く、とか、不妊症にはこの漢方が100%効く、というのはないんですよね。。。
鍼灸漢方の効果を最大化するのは、やはりその先生の東洋医学的な学術力じゃないかと思いますね。
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2018.08.22
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前回のお話
「肺胃不和」という証 2 参照
◆「肺胃不和」は証ではなく病理?
FBの方で、専門家の先生方から質問がチラホラ出ているこのシリーズ。。。(笑)
おもしろいから、もうチョイ引っ張りましょう。(゚∀゚)
ただ、ちょっと今日の話は専門的になっちゃうので、患者さんや一般の方はつまんないかもしれません。。。
そもそも、「肺胃不和」という熟語は、『中医病因病機学』という本の中に、「肺胃の”病理”を示す言葉」として出てきます。
そこだけ見ると、「肺胃不和」という言葉は、「証」ではなくって「病理」じゃないか!と思う人もいるかもしれません。
・・・そこで、『中医弁証学』という本に目をやると、肺と胃が同時に病む病証としては「肺胃陰虚」という証のみが紹介されています。
つまり、『中医病因病理学』と『中医弁証学』では、細かく言うと「肺胃陰虚」という病証が形成される病理過程のことを「肺胃不和」と呼んでいる、
という理解になるのでしょうが、僕は個人的に、治療時点では必ずしも陰虚だけではない気がしています。
どういうことかと言うと、治療時点では「肺胃気滞」「肺胃気逆」あるいは「肺胃熱結」「肺胃気分熱盛」とでも呼びたくなるような病証が、
臨床的にはあるんじゃないか、と思っています。
このように、TCMの成書については、もちろん参考にはするけれども、「TCMの成書が100ゼロで正しい」とするような、教条主義的な取り扱い方はしない、
というのが北辰会のスタンスです。
「実践から理論へ」ですね。
(ただもちろん、今回の話は私の私見であり、北辰会の公式見解とかではないと断っておきます。)
前回書いたように、肺の臓と胃の腑の力の源の中心は「陰液(津液)」です。
十二臓腑というのはこのように、それぞれの特徴に従って、活動の源泉とする精微物質に若干の違いがあります。
例えば肝の臓や心の臓であれば、その活力の源は「津液」よりもどっちかと言うと「血」、腎の臓であれば「精」、ということになるわけです。
このように、TCMの言う、人体を構成する「気・血・津・液・精」それぞれの精微物質が、もちろん全体としては混然一体となりつつも、
各臓腑に適度にバランスよく割り振られて、十二臓腑の生理活性や動的平衡が保たれているのです。
その中で、何らかの原因で「陰液が不足する」という病証があるならば、ある時点では気の停滞や邪熱がメインになる病証だってある筈でしょう。
個人的には、TCMの考え方は、現場ではそうやって融通無碍、臨機応変に運用しないと、単なる言葉遊びや暗記大会や牽強付会になってしまって、
結果的に成果があがらず、行き詰まってしまうように思っています。
続く
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2018.08.18
清明院では現在、院内診療、訪問診療ともに多忙のため、
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こないだ、更年期障害様ののぼせとめまいで、数年前から定期的に通院されている患者さんが仰った。
この2,3年は、長いこと安定していたが、今年の夏前くらいから、軽いものの、少しメマイが出ているのが気になっていた。
やや怪訝に感じながら治療をしていたんですが、ある日、
「ヨモギ茶をやめて、麦茶に変えたら、ずいぶん調子いいみたい。」
と仰った。
この瞬間、
「あーなるほど!!チェックしとけば良かったーー!!!」
と、僕は思ったんですが、さあこれ、鍼灸師の皆さん、意味、分かりますか?
この患者さんに何が起こったか、即座に予測できますか??
ヨモギの生薬名は「艾葉(がいよう)」です。
性味は「苦・辛・温」、帰経は「肝・脾・腎」、効能は「散寒除湿・止痛・温経止血・袪湿止痒」、禁忌は「陰虚血熱」です。
まあ要するに、深い部分を温め、冷えによる痛みを止める効果がある訳です。
ポイントは「陰虚血熱」のものには禁忌で、冷茶として飲んだとしても、性質的には温める作用が強いことを意味しています。
「ヨモギ茶」というのは、ヨモギの煎じ液のようなものですね。
ヨモギの葉っぱを完全に乾燥させたものを、香りがたつまで炒ってから煎じるようです。
そして「艾葉」は何といっても我々にとって重要な、「お灸」の原料であります。
お灸は、ヨモギの葉の裏にある線維から製造します。
我らが東洋医学が、陰の治療が鍼(金属)だとすれば、陽の治療には灸を、そしてその素材として、数ある植物の中から、ヨモギを選んだんですから、
温める作用は相当強く、確かである、と考えていいでしょう。
それに対して、麦茶はどうかと言うと、「大麦」の種子を煎じたものであります。
大麦については以前書きましたが、生薬名としては「麦芽(ばくが)」と言われ、種子を発芽させた状態で使うようです。
これは性味は「甘・平」、帰経は「脾・胃」、効能は「健脾開胃・行気消食・舒肝・回乳(母乳の出をよくする)」、注意点は「回乳に働くので、授乳期」とあります。
(母乳が出過ぎちゃう可能性がある、ってことかな。)
・・・まあ要は、脾胃を調え、気の巡りをよくするものと思っていいと思います。
麦茶が冷やすのか、温めるのかについては、色々な考えがあるようですが、麦茶の製法については発芽した種子ではなく、種子そのものを水洗いして、
乾燥させたものを軽く焦げ目がつくまで炒って、それを煮出すようです。
ですので、寒熱についてはなかなか複雑です。
以前書いたように、「種子」を食べる、と考えれば陰分が強いかな、と思うが、それを乾燥させてしかも炒ってある、しかもそれを煎じた液体を飲む、
という話なので、陽に思いっきり傾けた種子を煎じた液体、と、思えます。
そいでまた、それをキンキンに冷やして飲むと美味いという。。。
(苦笑・・・まあ、”陰的な作用(気味)”のみを抽出した液体、と考えてもいいのかもしれませんね。)
寒熱に関してはそのように、微妙に調整してあるので、温めるとか冷やすという効能よりも、脾胃を調整する、気の巡りをよくする、ここが麦茶のいいとこでしょう。
・・・と、このように考えていくと、熱証の人が夏場にヨモギ茶を飲むよりは、麦茶の方がはるかに良さそうだ、となるわけです。
冒頭の患者さんは、私の診立てでは思いっきり陰虚で熱証(+大いに湿痰)です。
こういうことがあるので、患者さんが日々良かれと思って飲んだり食べたりしているモノには、注意を払わなくてはなりませんし、こちらから先手先手を打って誘導しないといけません。
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2018.08.16
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さて連休明け、さっそくガンガンやっております!!
清明院には、1年中、「咳」を訴えて来院される患者さんが見えます。
春先はのぼせて咳が出る、夏はクーラーで咳が出る、秋は乾燥で咳が出る、冬は風邪ひいて咳が出る。
・・・ってな感じ。
咳と言えば当然、東洋医学的にも最終的には
の病変なのですが、
「なぜ、肺の臓の病変が起こっているのか」
という「病因」と、そのメカニズム(機序)である「病理(病機)」を明確にしないと、上手に治療できません。
「病因病理」を含む記事 参照
(まあこういうこと言うと、アタマ固い人からあいつは疾医だ!対症療法ヤローだ!!って言って突っ込まれたらヤなんですが。。。)
患者は咳を止めてくれって言ってきてんだから、普通に考えて、まずは咳を止めることを全力でやるべきでしょ。
(もちろん体質と病因病理を踏まえてね。)
でもそこで、肺の臓に関する経穴ばっかり触っててもダメ、ということです。
・・・まあともかく、肺の臓の病変と言っても、色々あります。
「肝の臓」からくるもの、「腎の臓」からくるもの、「心の臓」からくるものなどなど。。。
その中で、意外と多いのが「胃の腑」の異常と関係しているものです。
かつてこのブログで述べたように、東洋医学の言う「胃の腑」というのは、「五藏六府」の中の「六腑」の一つであり、人体の中央(中焦)のど真ん中にあり、
「脾の臓」と一体化したような形で、飲食物(水穀の精微)の消化吸収とともに、気血の上下の昇降を調節しているという重要な働きを持ちます。
久々に言うけど、「肺の臓」はLungじゃないし、「胃の腑」はStomachではないことに大大大大前提として注意を払ってもらいたいです。
肺の臓と胃の腑は、気の生成に深く関わりますが、気の昇降運動のうちの「降」に大きく関わります。
その働きのことを、肺では粛降(しゅくこう)、胃では和降(わこう)なんて言われます。
この二つの臓腑の協調性が悪くなったものを「肺胃不和」なんて言います。
(夫婦関係の不和の”不和”です。)
この、気の昇降出入のうちの「降」に異常をきたした、というのが、「咳」という病変に対する、一つの東洋医学的な考え方です。
続く。
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2012.07.08
2016.05.09
2016.04.12
2016.04.28
2015.06.04
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2024年 6月の診療日時2024.05.10
2024年4月の活動記録2024.05.01
2024年 5月の診療日時2024.04.13
(一社)北辰会、組織再編。2024.04.02
2024年3月の活動記録2024.04.01
2024年 4月の診療日時2024.03.14
2024年2月の活動記録2024.03.01
2024年 3月の診療日時2024.02.15
2.17(土)ドクターズプライムアカデミアで喋ります!2024.02.04
3.10(日)(公社)群馬県鍼灸師会で講演します!2024.02.03
3.3(日)「浅川ゼミ会」にて講演します!2024.02.02
2024年1月の活動記録2024.02.01
2.25(日)順天堂東医研、第5回特別公開シンポジウム「日本とインドの伝統医学」に登壇します!!2024.02.01
2024年 2月の診療日時2024.01.11
2023年、9月~年末の活動一覧2024.01.05
診療再開!!2024.01.01
2024年 1月の診療日時2023.12.30
2023年、鍼療納め!!2023.12.21
(一社)北辰会、冬季研修会のお知らせ2023.12.01
2023年 12月の診療日時2023.11.26
患者さんの声(60代女性 背部、頚部の痒み、首肩凝り、高血圧、夜間尿)2023.11.25
患者さんの声(70代女性 耳鳴、頭鳴、頭重感、腰下肢痛、倦怠感)2023.11.22
12.3(日)市民公開講座、申し込み締め切り迫る!!2023.11.21
今週からの講演スケジュール2023.11.16
日本東方医学会学術大会、申し込み締め切り迫る!!2023.11.01
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清明院14周年!!2023.10.04
12.3(日)市民公開講座やります!!2023.10.01
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第41回、日本東方医学会学術大会のお知らせ2023.09.22
第55回、順天堂東医研に参加してきました!2023.09.21
第27回、日本病院総合診療医学会で発表してきました!!2023.09.20
Dr’s Prime Academiaで喋ってきました!2023.09.01
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第54回、順天堂東医研で喋ってきました!2023.08.17
順天堂東医研の学生さんと、「森のくすり塾」へ。2023.08.16
診療再開!!