お電話
03-6300-0763
10:00~21:00(完全予約制)
2014.08.19
**********************************************************************************************
↑↑↑ ↑↑↑
この2つのバナーを、1日1回クリックに是非ご協力下さい!<m(__)m>
クリックしていただくと、ランキングポイントが上がります!!
**********************************************************************************************
こないだ、東京での用事のついでに、清明院に現れた、初代副院長。
診療終了後、彼と飲んだときに話題に出た論文やら資料やら、本の一部やらを、後日メールで送ってきた。
読んでみると、どれもなかなか面白い。
その中に、印象的な一節が。
「・・・澤田健が「病は肝に生じて肝に収まる」と言っておられるが、肝すなわち肝経、厥陰は十二支で言うと”亥”であって、
いよいよ種子の甲割れが始まる時である。
これは受精する一時前にあたる。
病気にしても、種子が受精されるから発する訳で、それが発展して、結果的に色々の症状を呈する。
そこで結局、肝経を調整すると病は収まってしまう訳である。
根本的にみれば、誰もが「肝」を弱らせることが発病のもととなっていると言える。・・・」
二代目目黒玄龍子 著『二十一世紀の医学・蒙色望診(全)』巻末附録「易経と内経」より一部改編して抜粋
だそうです。
なるほど、こういう考え方もアリね。
澤田先生も目黒先生も、深い深い意味を込めて仰っているんだと思います。。。
・・・まあでも、これ(字面)だけだと極論し過ぎだけどね。
でも、個人的には澤田健先生の極論的物言いが、前から好きだったりする。(笑)
本人はホントにそう思ってる感じがするからね。
もし、この時代にいたら面白かったのに。
読者の皆様、1日1回、こちらのバナーをそれぞれ1クリックお願いします!!
2019.11.04
**********************************************************************************************
↑↑↑ ↑↑↑
こちらを、1日1回クリックに是非ご協力下さい!<m(__)m>
クリックしていただくと、ランキングポイントが上がります!!
**********************************************************************************************
前回のお話し
前回述べたように、東洋医学の言う五臓六腑の一つである、小腸の腑、大腸の腑には、「左旋」「十六曲」という形態的特徴が付されている。
(『霊枢』腸胃(31)です。)
カテゴリ 五臓六腑
もちろん、実際に人体を解剖してみれば、小腸は左旋も16曲もしていない訳ですが、現代西洋医学的な現実的、写実的解剖学ではなく、
気一元論、太極陰陽五行論を前提とした、観念論的、機能的解剖学の”より完璧な”構築に腐心した古代中国、あるいは東アジアの医者たちとしては、
ここにどんな意味を込めたのか。
・・・昔から感じるけど、こういう問題に興味を抱き、気にするかどうかっちゅーのも、感性、センスという意味で、この医学を実践、ないし研究していく者にとっては重要かもしれない。
まず「左旋」からだけど、左旋ときたらまず思い浮かぶのが河図洛書の洛書だ。
河図洛書に関して、詳しい説明はここではしない(てか素人なんで出来ない(-_-;))けど、洛書では陰の動きは四隅における左回旋(2→4→8→6)であらわされる。
(アルテミシア『臓腑経絡学』p13)
つまり小腸の腑、大腸の腑における廻腸の「左回り=左旋」という形態的特徴の意味は、「陰の動き(収斂、収蔵、ある意味で成熟)」を表現しているのではないか、と、個人的には愚考している。
つまり形態的に「左旋」であらわされる「陰の場」である小腸大腸において、飲食物(水穀)は収斂、収蔵されていき、ある意味で「人体にとっては使い物にならない」二便が成熟していくわけだ。
(しかも左旋しながら上から下に動くわけだしね。(^^♪)
因みに、五藏六府の中で、奇恒之腑も含めて、回旋、螺旋のイメージであらわされるのは小腸の腑、大腸の腑のみだ。
(そのうち語りたいけど、この東洋医学的人体の”回旋・螺旋”の問題がまた、色々あって楽しい。(*‘∀‘))
カテゴリ 奇恒之腑 参照
・・・ではもう一つの特徴、「十六曲」はどうか。
五臓六腑では他にも、肝の七葉、肺の八葉、心系の四、三焦の三、脾・胃や心・心包や肝・胆や腎のニコイチなど、数字に拘って特徴づけられたような表現が散見される。
因みに、Wikipediaによると16の正の約数は1、2、4、8、16の5つだそうだ。
そして約数を「5つ」持つ数の中では「最小が16」であり、16の次は81だそうだ。
(もうこの、”最小”とか、”次が81”とか出てきただけで、ヨダレが。。。(笑))
また、約数の和と元の数との積が完全数になる3番目の超完全数であるそうで、1つ前は4、次は64だとか。
(これも、4とか64とか出てくるともう。。(゚∀゚))
数字、数術に詳しい読者の方、16そのものの数学的、数術的意味に関しては、まだまだ色々あると思うんで、ぜひ教えてください。<m(__)m>
・・・ともかく、「16」みたいに、易(河図)の言う生数(せいすう:1~5まで)と成数(じょうすう:6~10まで)を超えた二桁の数字が出てきたときは、
『黄帝内経素問 三部九候論(20)』に「天地之至數.始於一.終於九焉.」とあるように、そこに含まれる生数や成数の組み合わせで意味を考えて妄想したりしますが、
今のところ、小腸大腸の場合の「16」に内包されている意味は4✕4じゃないかな、と思っています。(私見)
「4(四)」は古代中国においては、代表的には地(陰)における東西南北の空間や、四時陰陽(四季)を示し、空間的広がりや、時間の循環を意味します。
(青土社『中国神秘数字』参照)
また、易(河図)の生数では「4」は「金」を意味します。
「五行」のはたらき 4 参照
脾の臓と胃の腑の協調共同作業(胃の受納腐熟、脾の運化昇清のコンビネーション)での結果としての未消化物を、正常な脾胃の働きを土台にしながら、
心腎の陽気の扶助、肝肺の疏泄昇発宣発粛降の扶助によって、滞りなく、完璧に近い形で精濁泌別、糟粕の伝導が行われるためには、空間的に十分な広がり(四方)と、
十分な時間的な有余(四時)を必要とし、最終的には魄門(肛門)からの排泄(死と再生)が待っていますので、この流れは陰の場(左旋)において行われないと。
小腸の腑、大腸の腑における「左旋」「16曲」は、あんな、ある意味で稚拙な蔵象図の中に、上記のような深い意味をサラッと込めているモノなのではないかと、今のところ愚考しています。
(読者の方で、これに関して他の御見解がある方、ぜひご教示ください。)
鍼灸臨床で、便秘や下痢を治療するときに、合谷や後渓や上廉や下廉を当たり前に使うことがありますが、上記のようなことを考えながらやると、
診どころや意識に変化が出てくる筈です。
澤田健による
「リウマチは小腸の熱だ。」
という発言の意味や、北辰会が後渓を使ってあらゆる病を治している現実なんかもね。
・・・ま、どうであれ、結果的に、腸の健常な左旋力、消化吸収に必要不可欠な空間と時間を調整するのではないかと思っています。
今のところ、そう考えています。(゚∀゚)
(因みに今回と前回の話はまったくの私見ですので、悪しからず☆)
2019.10.05
清明院では現在、院内診療、訪問診療ともに多忙のため、求人募集しております!
募集内容の詳細はこちら!!
**********************************************************************************************
↑↑↑ ↑↑↑
こちらを、1日1回クリックに是非ご協力下さい!<m(__)m>
クリックしていただくと、ランキングポイントが上がります!!
**********************************************************************************************
これまでのお話し
『列子』という人物 参照
さて、続きいきましょう!!
◆「太極療法」なるもの。
鍼灸治療において「太極」という言葉を盛んに用いた近代の鍼灸家では、なんといっても澤田健先生がおります。
澤田健という人物 参照
澤田先生は、自身の治療を「太極療法」と称しました。
この先生自身の著作はほぼないのですが、高弟である代田文誌先生が治療院見学研修中に聞いた、澤田先生の発言をまとめて書いた「聞き書き書」である『鍼灸真髄』は、
鍼灸界のベストセラー、かつロングセラーと言っていいでしょう。
↑↑真面目そうな代田先生。
この本の中に、澤田健先生がなぜ自分の治療のことを「太極療法」と呼んでいるかが、代田文誌先生の言葉で書いてあります。
「要するに先生の治療は、五臓六腑の中枢を治すことにより末梢をも治す、局所治療ではなく、根本治療である。末梢的、小局的な治療に対して、自身の治療を太極療法という。」
「末梢の治療にばかり気を取られて中枢の根源を忘れた西洋医学は小乗の法であり、根本治療は大乗の法。大乗法華経の一年三千十二因縁の理による太極療法だと言われる。」
(以上『鍼灸真髄』P19)
澤田先生は若い時分から日蓮宗に傾倒し、晩年は時代背景もあったのか、神道、国粋主義に傾倒したことが知られていますが、その発言には仏教の知識が豊富にあることをうかがわせるものが多いです。
また、
「複雑多岐多端になって帰一するところを失った観のある現代西洋医学に対して、それを簡約し、万古不易の治療原則を教えるものである。」
とも説明し、また、澤田先生自身の発言として、
「昔から治療には小局治療と太極治療とがあって、太極治療は一流でないと出来なかったものだ。」
「東洋には名の付く病気などというものはないのだ。病気というのは血の循環が不平均になったということなのであって、それに名を付けるだけでいい気になっているなんて、実にばかげた次第です。」
という発言を紹介しています。
(同書P30より)
このように、過激な発言が多いのも、澤田先生の魅力の一つだと思います。
(それが原因で叩かれたりもしていますが。(苦笑))
しかし、臨床の場での実際の澤田先生は、こういう辛辣な物言いもするけど、時には冗談も飛ばし、豪快に爆笑しながら診療を行うような、
明るい先生であったようです。
(なんか、誰かと似ているような。。。)
また、澤田健先生のもう一人の高弟である山田国弼(くにすけ)先生の『鍼灸沢田流―原理から実際―』では、「太極」の語源である『易経』をはじめとする中国の古典の内容にも触れつつ、
また、西洋医学の考え方にも十分に触れつつ、「太極療法」の意義の説明と理論化を試みています。
↑↑あまり知られていませんが、この人の著作は非常に精緻で、大変な勉強家であったことが分かります。
この本は入手困難本なんですが、是非入手して読んでもらいたい本ですね。
・・・とにかく、澤田先生が意識した「太極療法」というのは、どこそこの経穴に鍼灸するとか、どこそこの部位に着眼するとか、そういう意味ではなく、
古典の教える鍼灸治療法を通じて、結果的に
「血液循環の不平均を正す、それによって自然の良能(治る力)を引き出す」
ことが、より人体にとって根源的な「太極」治療なのである(西洋医学へのアンチテーゼとしての意味も込めて)、という立場なんですね。
澤田先生がこれを述べ、実践しておられたのが、今から約100年前の昭和初期ですが、基本的には今でも通用する考え方であり、現在、世界が中国伝統医学に注目しているのも、
中国伝統医学が、近代西洋医学にはない、こういった考え方でもって治療を実践し、結果を出すことが出来ているからでしょう。
続く
2017.11.22
**********************************************************************************************
↑↑↑ ↑↑↑
こちらを、1日1回クリックに是非ご協力下さい!<m(__)m>
クリックしていただくと、ランキングポイントが上がります!!
**********************************************************************************************
先日、「交信」という経穴について書きました。
「交信」という経穴 参照
今日は「築賓」について書きましょう。
築賓は、奇経八脉の中の陰維脉の郄穴として有名です。
これも『甲乙経』が初出、ということになっています。
「奇経八脈」という名前が歴史上に初めて登場し、定義づけられるのは前漢の『難経』からなんですが、この『難経』の28難に、
「陰維脉は諸陰の交に起こり、陽維脉は諸陽の会に起こる。」
という有名な言葉があります。
東洋学術出版の『難経解説』によればこの、「諸陰の交」というのは、築賓穴を指している、と書かれてます。
(これについては個人的には、三陰交の方が相応しくないか?と思っていたりしますが。。。)
築賓の「築」は建築の築、堅実なことや、杵(きね)を意味します。
「賓」には住むところ、という意味があるようです。
堅実、住むところ、建築、といったイメージからは、陰気の留まる経穴、と連想できます。
補法をすれば滋陰に作用し、瀉法をすれば陰邪を散らすか。
この経穴は経穴書を見ると主に狂症等の精神病を主治する経穴なんですが、『高等鍼灸学講義』に、鉛毒、胎毒と出てきます。
これはなかなか興味深い穴性です。
澤田流の澤田健先生は、築賓を
「腺病毒、梅毒には必ず使う」
と言っております。
解毒力の発現機序と、陰維脈の性質から、これの理由を考えてみると面白いでしょう。
読者の皆様、1日1回、こちらをそれぞれ1クリックお願いします!!
2016.11.11
**********************************************************************************************
↑↑↑ ↑↑↑
この2つのバナーを、1日1回クリックに是非ご協力下さい!<m(__)m>
クリックしていただくと、ランキングポイントが上がります!!
**********************************************************************************************
昨日は、東京衛生学園で行われた「モクサアフリカ」の講演会に行ってきました!!
モクサアフリカ HPはこちら
モクサアフリカというのは、イギリス人鍼灸師のマーリン・ヤングさんを代表に、主にアフリカに対して、お灸を使って医療支援をしている団体です。
アフリカ以外にも北朝鮮にも行っているようです。
アフリカを筆頭に、北朝鮮、モンゴル、インドなどでは、結核での死亡率が非常に高く、HIVとの複合感染も多く、
満足な医療が受けられないまま死んでいく人が多いそうです。
マーリンさんは最初、中国式の鍼灸を学んだんだそうですが、中国式の鍼灸治療は刺激が強く、なかなかそのやり方で生計を立てるのが難しかったようで、
日本の繊細な鍼灸を学びに来たんだそうです。
そこで、昭和のお灸の名人と言われた澤田健先生や、深谷伊三郎先生のことを知り、お灸について調べているうちに、
北米東洋医学誌の編集長である水谷潤治先生のアドバイスから、福岡の医師で、当時日本最高齢まで生きた原志免太郎(はら しめたろう)先生のお灸の研究を知り、
お灸で結核の治療や予防が出来ないかと考えるようになり、今に至っているようです。
アフリカに赴き、現地の看護師さんや、患者さん自身にお灸の据え方を教え、実践する(させる)と、高確率で有効なようで、
たくさんの人々に喜ばれているようです。
こういう取り組みも、大事ですね。
ただまあ、僕ら現場の鍼灸臨床家の立場からすれば、感染症でも、モノによっては鍼灸が有効なのは、感覚的には当たり前の話しであり、
それよりも、なぜあのような「医療後進国」と言われる国や、この現代に至っても、貧困や不衛生にあえぐ国が存在しているのか、
そこについても理解しないといけないと思います。
何故鍼でなくて灸なのか、という質問に対し、マーリンさんが、
「鍼での先行研究がなかったからだ。」
と答えていたのが印象的でした。
そういうことを考える、いい機会になりました。
今後、静岡、名古屋、大阪、京都と回って、再び東京でも講演なさるそうなので、興味がある方は聴きに行ってみてはいかがでしょうか?
読者の皆様、1日1回、こちらのバナーをそれぞれ1クリックお願いします!!
2016.05.13
**********************************************************************************************
↑↑↑ ↑↑↑
この2つのバナーを、1日1回クリックに是非ご協力下さい!<m(__)m>
クリックしていただくと、ランキングポイントが上がります!!
**********************************************************************************************
今日、舛添さんの謝罪会見をチラッと見ました。
まあ、都民に限らず、多くの皆さんが僕と同じ感想だろうと思いますが、あれ、どう見ても反省してないでしょ!?(苦笑)
ちなみにスパ龍宮城は、俺も行ったことあるけど、超いいところです。
人間誰しも間違いはあるけど、ああいう態度で会見やっちゃうと、元嫁の片山さつきさんが言うように、今後、火ダルマになる可能性大だと思います。
あの人、SARSの時とか、厚生大臣で、対応が早くて優秀な大臣でしたよね。
残念ですな。
ビートたけしさんが斬ったように、政治家の権力が欲しくて政治学者になって、これまで生きてきた人なんでしょうかねえ。。。
よく分かりませんが。
本性はどんなんなんでしょう。(゜レ゜)
あの会見から、推して知るべしか??
〇
まあ僕自身も昔はよく、色々な大人にしょっちゅう怒られました。
(つい最近だって怒られています。(笑))
その時に、内心は
「ちっ、うっせーなー、なんで俺だけ・・・。<(`^´)>」
と思っていても、今まさに怒られているその場については、早くその時間が終わってほしいし、自分が悪いこと、間違ったことをしたという事実については認めているため、
たとえポーズであっても、反省している 態度を見せたものです。
ヘラヘラしないとか、言い訳しないとかね。
あのように、ポーズすらとれないなら、もう開き直りゃいいのに。
・・・まあー、これでまた、職業政治家、家業政治家以外の、外部の優秀な人材が、政治家になりたがらなくなるでしょうねえ。
そうすると日本の行政がどんどん。。。
ひいては日本そのものがどんどん。。。
清明院のすぐ近所で開催される東京オリンピックも、また変な問題出てきてるみたいだし、大丈夫なんかなー。。。
「医道乱るれば国乱る、国を正すには、医道を正すに如くはなし!!」
by澤田健
読者の皆様、1日1回、こちらのバナーをそれぞれ1クリックお願いします!!
2016.04.16
**********************************************************************************************
↑↑↑ ↑↑↑
この2つのバナーを、1日1回クリックに是非ご協力下さい!<m(__)m>
クリックしていただくと、ランキングポイントが上がります!!
**********************************************************************************************
これまでのお話・・・
補瀉 1 補瀉の定義と『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の補法
補瀉 2 『黄帝内経素問』調経論(62)の補法
補瀉 3 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の補法
補瀉 4 『黄帝内経霊枢』官能萹(7)の補法
補瀉 5 『黄帝内経霊枢』邪客萹(71)の補法
補瀉 6 『黄帝内経霊枢』小鍼解篇(3)の補法
補瀉 7 『黄帝内経霊枢』邪気蔵府病形篇(4)の補法
補瀉 8 『黄帝内経素問』刺志論(53)の補法
補瀉 9 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の瀉法
補瀉 10 『黄帝内経霊枢』小鍼解萹(3)の瀉法
補瀉 11 『黄帝内経素問』八正神明論(26)の瀉法
補瀉 12 『黄帝内経素問』調経論(62)の瀉法
補瀉 13 『黄帝内経素問』刺志論(53)の瀉法
補瀉 14 『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の瀉法
補瀉 15 『黄帝内経』の補法まとめ
補瀉 16 『黄帝内経』の瀉法まとめ
補瀉 17 『難経』71難における補瀉
補瀉 18 『難経』76難における補瀉
補瀉 19 『難経』76難における補瀉の続き
補瀉 20 『難経』78難における補瀉
補瀉 21 『難経』79難における補瀉
補瀉 22 『難経』における補瀉まとめ
補瀉 23 孫思邈(そんしばく 541~682)の『備急千金要方』『千金翼方』の補瀉
補瀉 24 金代、何若愚 撰『子午流注鍼経』における補瀉
補瀉 25 金代、竇漢卿『針経指南』における補瀉
補瀉 26 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉
補瀉 27 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その2
補瀉 28 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その3
補瀉 29 明代、李梃『医学入門(1575)』における補瀉
補瀉 30 明代、高武『鍼灸聚英(1529)』における補瀉
補瀉 31 現代中医学における補瀉
補瀉 32 日本における補瀉の受容
補瀉 33 『針道秘訣集』における補瀉
補瀉 34 『杉山真伝流』における補瀉 1
補瀉 35 『杉山真伝流』における補瀉 2
補瀉 36 永田徳本(1513?-1630?)『鍼灸極秘伝』『徳本多賀流針穴秘伝』の補瀉
補瀉 37 『杉山流三部書』における補瀉
補瀉 38 岩田利斉『鍼灸要法』における補瀉
補瀉 39 岡本一抱『鍼灸抜萃大成』における補瀉
補瀉 40 本郷正豊『鍼灸重宝記』における補瀉
補瀉 41 菅沼周桂(1706-1764)『鍼灸則』における補瀉
補瀉 42 石坂宗哲(1770-1841)『鍼灸茗話』における補瀉
補瀉 43 坂井豊作(1815-1878)『鍼術秘要』における補瀉
補瀉 44 澤田流における補瀉
補瀉 45 柳谷素霊先生、経絡治療学会における補瀉 参照
では続きいきます!!
昭和に入り、澤田健先生によって起こった澤田流、柳谷素霊先生によって起こった経絡治療学会、そして、幕末、明治から続く、
鍼灸医学を現代の西洋医学の論理で説明しようとする学派(いわゆる現代医学派)、これらの大きな流れは、その後の鍼灸界に大きな影響を与えていきます。
しかしそんな中、大東亜戦争、そして敗戦によって、日本の鍼灸界は再び受難します。
敗戦後、GHQによって、再び鍼灸を廃止する動きが起こりました。
理由は以下の4つです。
1.視覚障がい者による治療が行われている。
2.消毒の観念が定着していない。
3.医療としての教育制度が整備されていない。
4.治療効果の科学的根拠が証明されていない。
その時も、当時の全国の先生方が一丸となって東奔西走して、1947年(昭和22年)、どうにか制度的廃止を食い止めた歴史があります。
GHQが鍼灸を廃止しようとした理由の一つに、
「医療としての教育制度が整備されていない」
というものがあり、鍼灸の教育制度を整えることは急務であり、昭和30年代以降、徐々に徐々に、全国に鍼灸学校が増え続けました。
私が現在講義させていただいている東洋鍼灸専門学校も、柳谷素霊先生が創立した学校であり、私が卒業した、渋谷にある花田学園の創立者である花田傳先生も、
もともとは柳谷先生のお弟子さん(というか仲間)でした。
(年齢は花田先生の方が10歳くらい上のようです)
そう考えると、何やら縁のようなものを感じますね。
因みに、柳谷先生は、藤本蓮風先生のお父様である藤本和風先生にも、一度会っているそうです。
(出雲の鍼灸師会の勉強会に柳谷先生が見えて、モデル患者を治療したそうです。その主催者サイドだったのが和風先生。実にワクワクする顔合わせですね。)
まあともかく、そういった流れの中で、戦後、様々な鍼灸学校の設立とともに、様々な流派、学派、研究会が全国に誕生していきます。
大きく見れば、その中の一つが、現在私がお世話になっている、北辰会であるわけです。
◆北辰会における「補瀉」
北辰会では、このブログで長々と語ってきたこの「補瀉」という問題について、 その教科書である『北辰会方式 理論編』の中で、
”補瀉と刺鍼”という章を設けて、約30ページに渡って解説しています。
その中で、補法と瀉法を
「補法は気血が虚ろになっている部分に気血を充実させる方法。瀉法は気血や邪気が欝滞しているところを散らし巡らせ、
場合によっては気化させる方法。」
と定義し、さらに”医易学的な補瀉の解釈”を紹介したうえで、補瀉が単純なプラスマイナスではないことを説明し、
実際の臨床事実から、補法よりも瀉法の重要性、また、補法をした結果、瀉法的に働くことや、その逆の例もあることから、
補瀉に関して、単純な二者択一的な判定が出来ないケースもある、ということを述べています。
(医易学については、壮大なテーマですが、いつか語りましょう。)
そして、いくら瀉法が重要であると言っても、瀉法の目的は、邪気を散らすことによって正気を守ることなのである、
という部分をポイントとして強調しています。
つまり補瀉の目的は、正気(治る力)を高めることにあるのです。
また北辰会では、中医学や、他の流派が述べているような複雑な補瀉手技については、もちろん過去に理解、追試した歴史的経緯はあるにせよ、
現在では補瀉するにあたって、ほとんどと言っていいほど手技を使わない、という結論に至っています。
この辺の話をして、いよいよまとめましょう。
続く
読者の皆様、1日1回、こちらのバナーをそれぞれ1クリックお願いします!!
2016.04.14
**********************************************************************************************
↑↑↑ ↑↑↑
この2つのバナーを、1日1回クリックに是非ご協力下さい!<m(__)m>
クリックしていただくと、ランキングポイントが上がります!!
**********************************************************************************************
これまでのお話・・・
補瀉 1 補瀉の定義と『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の補法
補瀉 2 『黄帝内経素問』調経論(62)の補法
補瀉 3 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の補法
補瀉 4 『黄帝内経霊枢』官能萹(7)の補法
補瀉 5 『黄帝内経霊枢』邪客萹(71)の補法
補瀉 6 『黄帝内経霊枢』小鍼解篇(3)の補法
補瀉 7 『黄帝内経霊枢』邪気蔵府病形篇(4)の補法
補瀉 8 『黄帝内経素問』刺志論(53)の補法
補瀉 9 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の瀉法
補瀉 10 『黄帝内経霊枢』小鍼解萹(3)の瀉法
補瀉 11 『黄帝内経素問』八正神明論(26)の瀉法
補瀉 12 『黄帝内経素問』調経論(62)の瀉法
補瀉 13 『黄帝内経素問』刺志論(53)の瀉法
補瀉 14 『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の瀉法
補瀉 15 『黄帝内経』の補法まとめ
補瀉 16 『黄帝内経』の瀉法まとめ
補瀉 17 『難経』71難における補瀉
補瀉 18 『難経』76難における補瀉
補瀉 19 『難経』76難における補瀉の続き
補瀉 20 『難経』78難における補瀉
補瀉 21 『難経』79難における補瀉
補瀉 22 『難経』における補瀉まとめ
補瀉 23 孫思邈(そんしばく 541~682)の『備急千金要方』『千金翼方』の補瀉
補瀉 24 金代、何若愚 撰『子午流注鍼経』における補瀉
補瀉 25 金代、竇漢卿『針経指南』における補瀉
補瀉 26 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉
補瀉 27 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その2
補瀉 28 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その3
補瀉 29 明代、李梃『医学入門(1575)』における補瀉
補瀉 30 明代、高武『鍼灸聚英(1529)』における補瀉
補瀉 31 現代中医学における補瀉
補瀉 32 日本における補瀉の受容
補瀉 33 『針道秘訣集』における補瀉
補瀉 34 『杉山真伝流』における補瀉 1
補瀉 35 『杉山真伝流』における補瀉 2
補瀉 36 永田徳本(1513?-1630?)『鍼灸極秘伝』『徳本多賀流針穴秘伝』の補瀉
補瀉 37 『杉山流三部書』における補瀉
補瀉 38 岩田利斉『鍼灸要法』における補瀉
補瀉 39 岡本一抱『鍼灸抜萃大成』における補瀉
補瀉 40 本郷正豊『鍼灸重宝記』における補瀉
補瀉 41 菅沼周桂(1706-1764)『鍼灸則』における補瀉
補瀉 42 石坂宗哲(1770-1841)『鍼灸茗話』における補瀉
補瀉 43 坂井豊作(1815-1878)『鍼術秘要』における補瀉
補瀉 44 澤田流における補瀉 参照
では続きいきます!!
明治時代に受難にあった東洋医学は、国内全体としては存続の危機を迎えつつも、力強く臨床を続けた先人たち、また何より、
それを熱心に支持した患者さん達の支持によって、命脈を保ってきました。
そして、昭和の時代に入って、
「本来の古典的な考え方に基づく、東洋医学本来の鍼灸治療を復活させよう!!」
という動きが高まり、昨日紹介した澤田健先生と、もう一人、私が現在講義させていただいている東洋鍼灸専門学校を作った、
柳谷素霊先生が登場します。
この二人の先生は、我々北辰会の代表である藤本蓮風先生にも、多大な影響を与えている二人と言っていいと思います。
◆柳谷素霊先生、そして経絡治療学会における補瀉
柳谷素霊先生(1906~1959)は、昭和2年(1927年)に、この業界では非常に有名な言葉である「古典に還れ」というメッセージを強く叫んで、
臨床、教育、研究、古典書籍の出版等々、膨大な仕事をしました。
(本人が言った言葉ではないという説あり。どーでもいいが。(笑))
柳谷先生の著書の中に『補瀉論集』という本があり、その中に、江戸期の様々な先生による「補瀉」に関する考え方が紹介してあります。
その冒頭(第一章)に、
「補は正気を補うのであり、瀉は邪気を排除するのである。」
と述べ、
「鍼灸によって与える刺激の”緩急劇易”こそ、補瀉手技を解明する手がかりであると考える。」
と述べています。
そして、当時、柳谷先生のもとに集まった有力な弟子たちがのちに組織した「経絡治療学会」という学派は、現在の日本の鍼灸界でも、
非常に大きなプレゼンスを示しています。
僕が鍼灸学校に通っていた頃も、学校の有力な先生の中には経絡治療学会の先生が何人かいらして、クラスメイトの何人かは、
学校の勉強の延長のような感じで、当たり前のように経絡治療の勉強会に参加していました。
その学派の考え方を持った学校教員が多いということは、当然そうやってフォロアーも増えますから、その分業界に与える影響も大きくなります。
(反対勢力、対抗勢力の存在も含めて。)
経絡治療学会の前身である「新人弥生会」が発足したのが昭和14年(1939年)ですから、現在、2016年までの約80年の歴史が、
この業界に与えた影響は計りしれません。
因みに、現在も使われている経絡治療学会の教科書である『日本鍼灸医学 基礎編』には、補瀉の基本として、
徐疾の補瀉、強弱の補瀉、開闔の補瀉
について述べ、実際の手法として、
鍼の材質や長さ、迎随、深浅、呼吸、徐疾、開闔、前柔、後柔、捻転、揺動など
の手技を挙げ、気が至ったら(効果が出たら)抜鍼する、と説いています。
なるほど、基本的な内容であり、これまでこのシリーズに書いてきたことを、標準的に網羅したような内容なんですが、
要はこの”気が至る(効果が出た)”、つまり、適切な補瀉がなされたかどうか、ということを、どうやって判断するか、
そして、そう判断できる根拠はなにか、というのが、最も重要なポイントじゃないかな、と思います。
続く
読者の皆様、1日1回、こちらのバナーをそれぞれ1クリックお願いします!!
2016.04.13
**********************************************************************************************
↑↑↑ ↑↑↑
この2つのバナーを、1日1回クリックに是非ご協力下さい!<m(__)m>
クリックしていただくと、ランキングポイントが上がります!!
**********************************************************************************************
これまでのお話・・・
補瀉 1 補瀉の定義と『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の補法
補瀉 2 『黄帝内経素問』調経論(62)の補法
補瀉 3 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の補法
補瀉 4 『黄帝内経霊枢』官能萹(7)の補法
補瀉 5 『黄帝内経霊枢』邪客萹(71)の補法
補瀉 6 『黄帝内経霊枢』小鍼解篇(3)の補法
補瀉 7 『黄帝内経霊枢』邪気蔵府病形篇(4)の補法
補瀉 8 『黄帝内経素問』刺志論(53)の補法
補瀉 9 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の瀉法
補瀉 10 『黄帝内経霊枢』小鍼解萹(3)の瀉法
補瀉 11 『黄帝内経素問』八正神明論(26)の瀉法
補瀉 12 『黄帝内経素問』調経論(62)の瀉法
補瀉 13 『黄帝内経素問』刺志論(53)の瀉法
補瀉 14 『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の瀉法
補瀉 15 『黄帝内経』の補法まとめ
補瀉 16 『黄帝内経』の瀉法まとめ
補瀉 17 『難経』71難における補瀉
補瀉 18 『難経』76難における補瀉
補瀉 19 『難経』76難における補瀉の続き
補瀉 20 『難経』78難における補瀉
補瀉 21 『難経』79難における補瀉
補瀉 22 『難経』における補瀉まとめ
補瀉 23 孫思邈(そんしばく 541~682)の『備急千金要方』『千金翼方』の補瀉
補瀉 24 金代、何若愚 撰『子午流注鍼経』における補瀉
補瀉 25 金代、竇漢卿『針経指南』における補瀉
補瀉 26 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉
補瀉 27 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その2
補瀉 28 明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その3
補瀉 29 明代、李梃『医学入門(1575)』における補瀉
補瀉 30 明代、高武『鍼灸聚英(1529)』における補瀉
補瀉 31 現代中医学における補瀉
補瀉 32 日本における補瀉の受容
補瀉 33 『針道秘訣集』における補瀉
補瀉 34 『杉山真伝流』における補瀉 1
補瀉 35 『杉山真伝流』における補瀉 2
補瀉 36 永田徳本(1513?-1630?)『鍼灸極秘伝』『徳本多賀流針穴秘伝』の補瀉
補瀉 37 『杉山流三部書』における補瀉
補瀉 38 岩田利斉『鍼灸要法』における補瀉
補瀉 39 岡本一抱『鍼灸抜萃大成』における補瀉
補瀉 40 本郷正豊『鍼灸重宝記』における補瀉
補瀉 41 菅沼周桂(1706-1764)『鍼灸則』における補瀉
補瀉 42 石坂宗哲(1770-1841)『鍼灸茗話』における補瀉
補瀉 43 坂井豊作(1815-1878)『鍼術秘要』における補瀉 参照
では続きいきます!!
ここまでで、ザックリと江戸期の日本鍼灸古流派の色々な先生方における、「補瀉」に対する考え方を紹介してきました。
実に百花繚乱でしたね。(笑)
まあ、江戸期にはまだまだ、紹介したい流派や考え方は山ほどあるんですが、キリがないので、ここではこのぐらいにしておいて、
また何か機会があったら、その都度紹介していきましょう。
さて今日から、明治以降、現代までの話しに入ろうと思います。
明治時代は、我々東洋医学にとっては、受難の時代でした。
明治政府はとにもかくにも近代化(という名の西洋化)を進め、そして欧米列強に対抗していくための富国強兵政策に舵を切った中で、
残念ながら医学も西洋化ということで、東洋医学は廃止路線、となりました。
西洋医学を修めた者のみが、医師として診療行為を行うことが出来る、という法制度に変わりました。
(明治7年(1874)、医制)
当然、この動きに対して、”温知社”という団体を中心とした全国的な漢方医学存続運動も展開されますが、明治28年(1895)、
漢医継続願は僅差で否決されました。
これにより、日本における東洋医学と、それを実践する医者たちは、いよいよ厳しい立場となりました。
しかし、その中にあっても、僅かでしたが、強く、漢方、鍼灸医学を続けた人物たちはおりました。
◆澤田流における補瀉
そこで今日は、以前このブログでも紹介した、澤田健(1877~1938)先生の澤田流における補瀉を見てみようと思います。
”澤田健”を含む記事 参照
この先生は、昭和に登場した鍼灸医です。
明治から大正、昭和初期の時代には、上記のような時代背景から、鍼灸治療がなぜ効くのか、という問題を、西洋医学的に説明しよう、という動きが主流でした。
ですので、あまりこの「補瀉」という、 ”気の存在”を前提とした議論は出てこなかったようです。
(詳しい人、何か面白い言説があったら教えてくださいねー☆)
その中にあって、「鍼灸の名人」として颯爽と世に登場したのが澤田健先生です。
澤田先生はもともと柔道の先生でもあり、最初、朝鮮半島で接骨院を開業しており、後に日本に帰って鍼灸の名人として成功します。
1927年(昭和2年)に出版された、中山忠直という人が書いた『漢方医学の新研究』 という本の中でも紹介されて、非常に有名になりました。
(実はこの本は、北辰会の奥村裕一学術部長にも大きな影響を与えた本だったりします。)
そして、澤田先生が診療中に言ったことを、弟子である代田文誌先生がまとめた『鍼灸真髄』という本の中に、”補瀉”について書いてあります。
そこには、
「基本的には鍼は瀉、灸は補。急性で実証には鍼で瀉法、慢性で虚証には灸で補法がよい。(P135 補瀉の説)」
と書かれており、また、
「・・・ここにあるものをあそこでとり、あそこにあるものをここでとる、それが補瀉迎隨です。・・・中略・・・、
例えば腰の病を、腰に鍼して邪気を追い出したら、今度は足に鍼して邪気を抜くということです。(P207 補瀉迎隨)」
ともあります。
(抜粋省略 by 竹下)
まあ、この記載だけではなかなか評価することは出来ませんが、要するに澤田先生は、補瀉の瀉については実邪を散らすこと、
補については正気を集めること、とオーソドックスに認識し、補瀉迎隨については、操作した正気と邪気の動きを、
よりスムーズにする方法、という風に認識していたことが分かります。
そして、そのことが分かるのにずいぶん苦心した、と書いています。
澤田先生ほどの人物がそう言うのですから、補瀉を理論的、感覚的に完璧に一致するところまで理解するのは、
相当難しい、ということが分かりますね。
続く
読者の皆様、1日1回、こちらのバナーをそれぞれ1クリックお願いします!!
2015.06.23
**********************************************************************************************
↑↑↑ ↑↑↑
この2つのバナーを、1日1回クリックに是非ご協力下さい!<m(__)m>
クリックしていただくと、ランキングポイントが上がります!!
**********************************************************************************************
6.23(日)は、大阪で行われた、(一社)北辰会エキスパートコースに参加してきました!
この日の午前中は実技訓練。
すでに開業している先生同士で、鍼をし合います。
東洋医学は、触り方、診立て方、説明の仕方、全てにその先生の個性が出ます。
僕はそれでいいと思っています。
ただもちろん、「基本」を徹底的に踏まえた上で、自分がやっていることを同業者や患者さんに分かりやすく説明できるなら、ですけどね。
これも出来ずに、個性云々、なんて言ったって、そんなんはダメです。
結局まあ、自分が心からそうだと思えてない、自分が見えてないようなことを、見様見真似の範疇でやった鍼では効かないからです。
それを再認識しました。
また、実際に毎日鍼をしている先生方が、私の鍼を受けた感想など、非常に参考になりましたね。
午後一は蓮風先生による実技披露
「古代鍼を中心に」
でした。
鍼の技術はもちろん、モデル患者さんにも本気で接する、非常に蓮風先生らしい実技披露だと思いました。
鍼をするのに、よそ行きとか、うちわ向けとか、そんなんないんです。
常に真剣、治す気で、鍼するんです。
治療家としてのレベルが上がってくるほど、そうあるべきだなんて思わなくても、そうなってしまう、というのがよく分かりました。
午後2コマ目は奥村裕一学術部長による講義
「江戸期鍼灸諸流派における膏の原・肓の原ー膈膜・募原・心包・三焦との関わりー」
です。
非常にいい講義だったのですが、レベルが高く、細かい部分が僕的にまだ消化しきれていませんので、後ほどまとめて書こうと思います。
奥村先生はこのテーマで、今年、東京で行われる日本伝統鍼灸学会にて口演発表なさいます。
http://jtams.com/43-tokyo/?page_id=474
実はこの学会では、私も2日に渡って、学生セミナーを担当します。
藤本蓮風先生も実技披露しに見えます。
神戸の原元氣先生も症例を発表するそうです。
清明院の初代副院長である、松木宣嘉も、研究発表をしに来るそうです。
この学会に関しては、後ほどまた1記事書こうと思っていますが、見逃せませんよー!!
そして最後は森洋平先生による講義
「近代日本鍼灸史」
です。
今回は北辰会も大きく影響を受けた、昭和初期から日本に起こった流派である
「澤田流」
という流派の考え方に関しての講義でした。
澤田流の創始者である澤田健先生は、このブログにも何度か登場しています。
まあー、非常にハイレベルであり、内容盛りだくさんな1日でしたね。
これを機に、また、勉強します。
読者の皆様、1日1回、こちらのバナーをそれぞれ1クリックお願いします!!
清明院オフィシャルホームページ(PC)
清明院スタッフブログ『清明なる日々』
2012.07.08
2016.05.09
2016.04.12
2016.04.28
2015.06.04
2012.12.23
2014.02.17
2014.04.26
2024.11.07
2024年10月の活動記録2024.11.01
2024年 11月の診療日時2024.10.10
清明院15周年!!!2024.10.09
2024年9月の活動記録2024.10.01
2024年 10月の診療日時2024.09.19
2024年8月の活動記録2024.09.01
2024年 9月の診療日時2024.08.03
2024年7月の活動記録2024.08.01
2024年 8月の診療日時2024.07.10
患者さんの声(70代女性 目の痛み、不安感)2024.07.05
2024年6月の活動記録2024.07.01
2024年 7月の診療日時2024.06.05
2024年5月の活動記録2024.06.01
2024年 6月の診療日時2024.05.10
2024年4月の活動記録2024.05.01
2024年 5月の診療日時2024.04.13
(一社)北辰会、組織再編。2024.04.02
2024年3月の活動記録2024.04.01
2024年 4月の診療日時2024.03.14
2024年2月の活動記録2024.03.01
2024年 3月の診療日時2024.02.15
2.17(土)ドクターズプライムアカデミアで喋ります!2024.02.04
3.10(日)(公社)群馬県鍼灸師会で講演します!2024.02.03
3.3(日)「浅川ゼミ会」にて講演します!2024.02.02
2024年1月の活動記録2024.02.01
2.25(日)順天堂東医研、第5回特別公開シンポジウム「日本とインドの伝統医学」に登壇します!!2024.02.01
2024年 2月の診療日時2024.01.11
2023年、9月~年末の活動一覧2024.01.05
診療再開!!2024.01.01
2024年 1月の診療日時2023.12.30
2023年、鍼療納め!!2023.12.21
(一社)北辰会、冬季研修会のお知らせ2023.12.01
2023年 12月の診療日時2023.11.26
患者さんの声(60代女性 背部、頚部の痒み、首肩凝り、高血圧、夜間尿)2023.11.25
患者さんの声(70代女性 耳鳴、頭鳴、頭重感、腰下肢痛、倦怠感)2023.11.22
12.3(日)市民公開講座、申し込み締め切り迫る!!2023.11.21
今週からの講演スケジュール2023.11.16
日本東方医学会学術大会、申し込み締め切り迫る!!2023.11.01
2023年 11月の診療日時2023.10.10
清明院14周年!!2023.10.04
12.3(日)市民公開講座やります!!2023.10.01
2023年 10月の診療日時2023.09.23
第41回、日本東方医学会学術大会のお知らせ2023.09.22
第55回、順天堂東医研に参加してきました!2023.09.21
第27回、日本病院総合診療医学会で発表してきました!!2023.09.20
Dr’s Prime Academiaで喋ってきました!2023.09.01
2023年 9月の診療日時2023.08.18
第54回、順天堂東医研で喋ってきました!2023.08.17
順天堂東医研の学生さんと、「森のくすり塾」へ。2023.08.16
診療再開!!