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これまでのお話し
さて、続きいきましょう!!
◆「無極」の意味
(一社)北辰会の会員諸氏にとって、この「太極」「無極」というパワーワードは、非常に気になるワードでしょう。
また北辰会の会員以外の先生方も、東洋医学の勉強がある程度進んだら、気になる人は多い筈。
僕がちょうど北辰会にチョロチョロと出入りするようになった2000年代の初頭の頃、蓮風先生はよく「初学者のための太極陰陽論」というテーマで講義なさっていました。
(当時は難解で、聴いていてもよく分かりませんでしたが。。。(∩´∀`)∩)
その講義内容を分かり易くまとめた本が『東洋医学の宇宙―太極陰陽論で知る人体と世界―』です。
因みにこの本は、堀内齊毉龍先生の『弁証論治のための論理学入門』と姉妹編になっていることも見逃せません。
しかも、蓮風先生の御尊父である藤本和風先生は「無極会」という勉強会を主催されていたことでも知られています。
(残念なことに、無極会は現在はありませんし、無極会としての著作も残っていません。。。)
・・・まあそんな訳で、このワードは藤本家、北辰会が非常に大事にしていることが分かります。
東洋医学の考え方を理解していくうえで、また、北辰会方式を習得していくうえで、妙に気になる、この「太極」「無極」に対する理解というのは、
根本哲学に関わるという意味で、重要ではないでしょうか。
前回、北宋代の周敦頤(1017-1073)の「無極而太極」という、これまたパワーワードを紹介しました。
ここで、まずは「無極」について調べてみましょう。
平河出版社『道教事典』によれば、
◆無極
元来は”極まりない”という意味。
『老子』『荘子』『列子』に、無名、無物、無形などとともに、”無”の様態を形容する語の一つとして、哲学的意味を付与されている。
「列子」を含む記事 参照
(列子に関しては紹介してなかったですね、良い機会なんで、これも書きましょう!!)
その後、『易経』の「太極」とともに、”太極=有の原理”、”無極=無の原理”として、より重い意味を持つようになる。
『易経』を含む記事 参照
つまり、有の本源に無を置くという思想から、儒教を超える道家思想、という図式を表現した。
道教文献の中にはもちろん”極まりない”という意味での「無極」という使われ方もあるが、主に、”太極の本源としての無極”という用例が目立つ。
また、「無極」を、経典そのものや、神仙の名称としても用いている。
南宋代の朱子(朱熹 1130-1200)は、無極と太極を同一次元のものとし、ともに「理」の基本的性格を表す語とし、有の次元に無の原理性を取り込んだ。
(んー、ここはムツカシー(゜o゜))
(以上引用。土田健次郎氏の文章を竹下が抜粋要約補足改変。)
〇
・・・まあなるほど、「無極」はもともとは諸家の本に出てくる、極まりない、というほどの意味の言葉だったのが、『易経』の太極(生成論の最初を意味するアレね)と比較検討されていくことで、
理解が深まっていき、これも認識論哲学的な、重い意味を持つようになった、と。
このように、儒家の考え方と道家の考え方というのは、時代時代で接触したり離れたりしつつ、言葉の意味の検討を通じて、切磋琢磨してきた歴史があるようですね。
(また、古代中国で、インドから来た仏教を理解するのに、道家や儒家の考え方がその解釈に入っていったことも興味深いですね。)
まあ、「太極」「無極」という熟語の理解においては、宋代の周敦頤から朱子の流れがやはり決定的であるようで、ここをもう少し理解するためには、
朱子学における「理」の意味を少し掘り下げて理解した方がいいように感じます。
続く
【参考文献】
『道教事典』平河出版社
2019.09.16
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前回のお話し
参照
さて、続きいきます。
まずは辞書引きからいきましょうか。
平河出版社『道教事典』によれば、
〇
◆太極
天地万物の根源。
『易経』の生成論(太極→両儀→四象→八卦)の最初。
『周易正義(※)』においては”一元の気”と説明。
(※)唐代に国家事業として編纂された儒教経典の注釈本『五経正義(653年)』の一つ。
北宋の周敦頤(1017-1073)は、太極の無形であることを強調するために「無極にして太極」の語を用いた。
さらに周敦頤は、『周易』の生成論を補足拡大して「無極而太極→陰陽→五行→八卦→万物」と述べた。
その後、南宋の朱子(朱熹 1130-1200)は『太極図説解』の中で周敦頤の「太極而無極」を重んじ、「無極を太極の本体」「太極を無極の作用」としつつ、太極無極の不即不離化をはかった。
朱子はさらに「体用論」「理気説」の立場で宇宙を認識せんとした。
このように、「太極」という熟語は生成論から始まり、朱子に至って認識論という意味を付与される、という変遷をした。
その後、17世紀に明末清初の儒学者、王夫之(1619-1692)が朱子の理気説に反論して「気が理に優先する説」を徹底させた。
因みに王夫之の思想は後の毛沢東にも影響を与えたと言われる。
さらにその後、18世紀に清代考証学の大成者と言われる戴震(1723-1778)が出て、「存在の根源を気に求める思想」を決定的にした。
(以上引用、花崎隆一郎氏の文章を竹下により抜粋補足意訳、箇条書きに変更。)
〇
もともとは万物が陰陽に分かれる前の混沌とした状態のことを「太極」と呼んでいたようですね。
それが、宋代になって、ものごとを認識する際の認識論哲学の用語としても用いられるようになった、という感じでしょうかね。
「体用論」については以前少し書きました。
「体用理論」に関して 5 参照
話しが難しくなってきましたが、東洋医学をきちんとやるなら避けて通れないこの難題、徐々にまとめていきましょう。
続く
2019.08.06
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これまでのお話し
「体用理論」に関して 4 参照
◆滑伯仁の「体用」観。
尊敬する大先輩である神野英明先生の『鍼灸・漢方の名医になるための秘訣』に、中国元代の名医、滑寿(かつじゅ 別名:滑伯仁かつはくじん 1304-1386)の見解が紹介してあるので、触れておきます。
滑伯仁についてはこのブログに何度も出てきていますが、そのうちきちんと紹介しましょう。
滑伯仁は、現代の鍼灸学校の経絡経穴学の教科書の元ネタと言っていい『十四経発揮』や、現代の鍼灸師の脈診と言えば一番有名な「六部定位脈診」の根拠となる『診家枢要』を著した人物であり、
『難経』の解釈本としても極めて重要な『難経本義』の著者でもあり、現代の日本伝統鍼灸の臨床家にとっては避けて通れない人物です。
「六部定位脈診」の根拠 参照
その滑伯仁の発言として、張景岳先生が紹介しているくだりです。
「最も微妙なものは理、最も顕著なものは象、体用は根源的に一つ、微妙と顕著には間が無く、その理を理解すれば現象は押し広げて分かるものです。」
と。
(滑伯仁の発言を張景岳が引くってのも、ワクワクしますね。)
元の時代に、鍼灸医学を猛プッシュして下さった名医である滑伯仁先生は、最も霊妙な原理と、最も顕著な現象は、根源的に一つ(体用一源)で、
しかもその間は無い(体用無間、顕微無間)と言います。
どういうレベルでそう言えると発言したのか、また、どういう文脈で述べたのか、非常に気になりますが、基本的には朱子学の見解の通りなんだと思います。
体用理論に関しての補足、一先ずここまでとします。
また私自身の理解が深まったら、補筆するかもしれません。
【参考文献】
『宋代易学の研究』今井宇三郎著 明治図書出版
『鍼灸漢方の名医になるための秘訣』神野英明著 たにぐち書店
『臓腑経絡学』藤本蓮風他 アルテミシア
2019.08.05
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これまでのお話し
「体用理論」に関して 3 参照
◆「体先用後」「体用一源」
ここまでの話をまとめると、東洋医学(特に肝の臓の生理機能を説明する際)でもたまに出てくる「体用論」という考え方は、もともと仏教由来の言葉であり、
東大のチャールズ教授の言説によれば、この考え方は中国独特であり、中華三大宗教と言われる「儒・道・仏」三教すべてに、強い影響を与えているようだ。
仏教については出典を簡単に述べたが、儒教ではどうか、という部分については、今井宇三郎先生(1911-2005)の『宋代易学の研究』に詳しい。
(この本、東洋医学者には必携の書だと思うんだけど、超希少本で古本市場で10万超え。。。再版されねえかなー (=゚ω゚)ノ)
ここでも、もともと「体用」の起源は仏教にあることを紹介しつつ、魏の王弼(おうひつ 226-249)の、
「無の用は有、有の体は無。」
が唐代(618-907)の孔穎達(くようだつ 574-648)『周易正義』に採り上げられていることに触れている。
(なんか深い意味がありそうなものの言い方だけど、名前が”有”の俺にとってはなんかハラ立つ。。。(苦笑))
そして、上記の考え方は宇宙生成論としての体用論であって、宋学の祖と言われる周敦頤(しゅうとんい 別名:周濂渓しゅうれんけい1017-1073)の高弟である
程頤(ていい 別名:程伊川ていいせん 1033-1107)の、「体用一源」「顕微無間(けんびむげん)」の考え方とは異なる、と述べておられます。
・・・まあ、宋代の学問(特に儒学)の流れを簡単に言うと、周敦頤さんの弟子である程頤さんが考えた「理気二元論」てのをさらに深く解釈して、
大成したのが朱熹さんで、朱熹さんは周敦頤、張黄渠、程頤、程顥の四人の凄い先生の言説をまとめて、それまでの儒学を刷新して「朱子学」をブチ上げたんですが、
この新しい流れを「宋学」なんて言います。
(この5人もそのうち紹介しましょう)
「宋学」(狭義では朱子学)では
”(この世の森羅万象の)存在って何なの??”
ということを考えたりするんですが、存在は「理と気」からなっている、と考えます。
まあ、理は法則、原理であり形而上のもの、気は物質的であり形而下のもの、なんて言われます。
(これについてはまたゆっくりと語りましょう)
理気と体用、なんか似ていますね。
この理と気には、「先に理があって後に気がある」という先後論があります。
そこから、朱子学では「体先用後」という考え方があります。
『宋代易学の研究』には、この先後論は、時間的観念によって説くものではなく、認識論的観念によって説くものである、と、何やら難しい解説がしてあります。(苦笑)
要するに、先に理があって後に気があるというのは、時間的な前後のことを言っているのではなくて、存在を認識する時にそのように理解した方が妥当だ、
ということでしょうかね。
この先後論に関しては諸説あるようで、この論文が参考になりました。
(三浦梅園先生が出てきている!!)
個人的には、こういう先後論についての回答は、仏教の言う
「常に時間は循環しているものであるので、最初は存在しない。」
という回答が、個人的には潔くて好きだったりします。(゚∀゚)
続く
2019.08.01
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ずいぶん前に、有料メルマガ『あはきワールド』に、「肝病はこう治す!」というテーマで前後編に渡って執筆した。
(もう二年も経っていることに、驚きを禁じえません。。。(゜レ゜))
因みに、『あはきワールド』は必読ですよ、業界関係者。
(安いのに、情報は濃いです。)
ここで、肝の臓の「体陰用陽論」、「体用論」というものを紹介した。
(肝の臓のキホンについては 「肝」って何ですか?(その13) 参照)
引用すると、
「体用論」というのは中国哲学上の概念であり、“本体と作用”の略称であり、本質とその現象の意である。
冒頭に肝の臓の主な機能を述べたように、肝の臓は蔵血の臓であり、血は陰であるから、肝の実質(肝体)は陰である。
また肝は疏泄・昇発・筋の活動などを主り、相火の働きを持ち、剛猛な性向があって容易に化火動風するので、肝の機能(肝用)は陽に属し、肝体と肝用は相互に依存する。
これは明代、葉天士の門人である華岫雲が、『臨床指南医案・肝風』において
「肝為風木之臓、因有相火内寄、体陰用陽、其性剛、主動主昇」
と述べたことに由来し、それ以降、五臓の中でも肝に関しては、特に体用論が強調されるようになった。
このことは、肝の疏泄作用は、蔵血機能が十分な条件下にて、初めて十分に発揮されることを意味し、同時に、疏泄が十分であって、初めて蔵血作用が十分に達成されることを示している。
(引用終わり)
我ながらカタい文章ですが、今日から少し、これに補筆しておきます。
続く
2019.07.13
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こないだ調べ物をしていたら、一冊の本に出会った。
1929年(昭和4年)、五來欣造『儒教の独逸政治思想に及ぼせる影響』なる本。
著者の五來欣造(1875-1944)という人物は、茨城出身、かつての読売新聞の主筆であり、明治大学、早稲田大学教授で、早稲田大学の創設者、大隈重信の秘書であった人物だ。
この本は、彼の政治学博士の学位論文でもあるそうだ。
ここに、かつて少し紹介した、ドイツの哲学者、ライプニッツ(1646-1716)と『易経』の事蹟(ライプニッツとブーヴェ(1656-1730)の手紙のやり取り)が詳しく紹介されている。
まあ、ライプニッツがブーヴェとのやり取りの中で、中国の古典『易経』の64卦のことを知って興味を持った話は有名なんですが、このエピソードを紹介する中で、五來先生が、
「二進法には実用性はない」
と書いていることに、昭和4年という時代と、今日のPCの発展など、当然見ることの出来ない17世紀の時点で、二進法の凄さを自慢するライプニッツの、天才的直感の鋭さを感じます。
まあただ、この手紙のやり取りを読むと、古代中国の思想を褒めちぎっているようで、実は自分の二進法発見の凄さをアピールし、しかも中国でのキリスト教の布教に繋げようという考え方がなかなか丸出しです。(苦笑)
ここも、時代を感じますね。
・・・でまあ、いつもの結論ですが、ライプニッツの二進法はやはりコテコテの二元論で、『易経』の陰陽論は太極を踏まえた二元的一元論(北辰会の言う太極陰陽論)であることを忘れてはならず、
「病気」も含めた、大自然の森羅万象を表現理解するのに、どの場面ではどっちがより適当か、って話ですね。
今度は、大隈重信の『東西文明之調和』でも読んでみます。
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2019.07.07
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これまでのお話し
「芎帰調血飲」というお薬 参照
◆では鍼灸ではどうか。
さて、芎帰調血飲的に、肝気を動かして、結果的に血を動かす、みたいなやり方は、北辰会では非常に得意です。
なんといっても、『黄帝内経霊枢』九鍼十二原(1)の冒頭部分、
「・・・余欲勿使被毒藥.無用砭石.欲以微鍼.通其經脉.調其血氣.營其逆順出入之會.令可傳於後世.必明爲之法.令終而不滅.久而不絶.易用難忘.・・・」
と、江戸期の医家、後藤艮山(1659-1733)の「一気留滞説」を大いに参考にしながら、あらゆる病における「気滞病理学説」を唱え、
”鍼でいかに気の停滞をとるか”
に腐心してきた北辰会。
肝の臓を調整する鍼灸の配穴や手法のバリエーションやその詳細については、日本(世界でも、かな?)で一番提示している流派、と言ってもいいんじゃないでしょうか。
しかし、温経湯に入っている「呉茱萸」という生薬の「暖肝」という方法は、あまりやりません。
(・・・というか、それを意識して治療し、よく効いたという症例の話を寡聞にして聴いたことがありません。。)
「寒滞肝脈」という、寒邪が足厥陰肝経の経脈を阻滞、凝滞させている時に使うわけなので、処方としては大衝や中封にお灸でもするんでしょうか。
(選択肢として、ないなあー)
ですので、実際にやっている、やったことがある、温経湯に一番近い鍼、となれば、打鍼による火曳きの鍼+上腹部への散ずる鍼なんかが相当するかね。
あるいは、ちょっと変則的だけど、照海にお灸をしてから百会を瀉すとかも、これに相当するものかもしれない。
北辰会の場合、四診の結果、虚実錯雑、寒熱錯雑でも、そこから標本主従をさらに細かく分析して、どっちに偏ってるかまで考えて詰めて、
よりウエイトの大きい方を攻めるのが定石なので、温経湯とビッタンコ、て感じの鍼灸治療はあまりやらないのかもしれませんね。
「暖肝」、「温肝」、ここはもう少し、実践を通じて研究した方がいいかもしれません。
漢方の方では、補肝に黄耆、温肝に鹿茸などを使うという考え方もあるようですね。
生理痛で、鎮痛薬が手放せない人で、疏肝理気する治療でなかなかうまくいかない場合に、温経湯的な考え方が突破口になるかもしれません。
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2019.05.06
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これまでのお話し
◆順天堂の歴史を踏まえる。
かくして、12月に第一回目の講義に伺ってから、1月、2月、3月と、月に一回の講義に伺う中で、徐々に方向性やメンバーが定まってきて、4.25の大安吉日(たまたま)に、
順天堂大学医学部内に、小さいながらも大きな一歩、と期待できるような動きである「東洋医学研究会」が同好会として発足した訳ですが、2018年の秋頃に、
友岡先生から、この話が実現しそうだという電話が来た時、何となく御縁というか、妙な力を感じたんですね。
実は、私が開業してすぐの頃、大変お世話になった漢方家の先生(故人)の薬局名は「順天堂薬局」でした。
また、今から20年くらい前に、叔父が脳腫瘍で癲癇発作を起こし、倒れたことがあったのですが、その時入院、手術したのも、順天堂の静岡病院でした。
そのせいもあってか、何となく意味があるような気がして、順天堂の歴史に関して、今回色々調べました。
順天堂の歴史に関しては、公式HPに、非常に美しくまとめてくれてあります。
(メッチャカッコいいHPですよね。。。)
創立は1838年、長崎の出島にあった、あのドイツ人医師、シーボルトの「鳴滝塾」で三年間学んだ、佐藤泰然先生が、34歳の時に東京の薬研堀で、
母の姓である”和田”を冠して「和田塾」を開塾したのが始まりです。
その後、1843年に千葉の佐倉に移り、ここで初めて「順天堂」と名乗ります。
(因みに”順天”というのは”天の道理に順(したが)う”という意味であり、出典はなんとあの陰陽論の原典、『易経』だそうです。。。)
佐藤泰然の息子である松本良順は、あの緒方洪庵(1810-1863)が務めていた幕府の西洋医学所の頭取を務めた、かの新選組の主治医として知られる人物であり、
泰然の養子である佐藤尚中は大学東校(現東大医学部)の初代校長となり、その佐藤尚中の養子である佐藤進は、日本発のドイツへの医学留学生です。
緒方洪庵という人物 参照
・・・まあ、あまり細かいことを書いても仕方ないですが、要は、幕末から明治の、東洋医学が事実上の廃止政策の憂き目に遭った時代の、日本の西洋医学化の旗振り役、
中枢中の中枢こそが、この順天堂大学医学部なのです。。。
開学以来180年、順天堂が日本の医療に与えた影響ははかり知れません。
因みに風水の考え方に「三元九運論」というのがあり、180年を1周期とし、60年ごとに
「上元・中元・下元」
と呼んで、それをさらに20年ごとに
「上元一運、上元二運・・・、」
と、9つ(九運)に分けて、地運(大地のエネルギー、平たく言えばそこで起こることの運勢)を予測するというものがあるんだそうです。
最初の60年(上元)でものごとが発生、発展し、次の60年(中元)でものごとが繁栄し、次の60年(下元)でものごとが衰退し、次の時代に入る、
という診方をするんだそうです。
日本の西洋医学を牽引してきた順天堂大学に、180年経って、(恐らく)初めて、東洋医学研究会が出来たことは、何か意味があるような気がしますね。
またこれ以外にも、個人的に鳥肌が立つようなことがありました。
続く
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2019.04.16
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脈と舌が食い違う。
脈と腹が食い違う。
問診情報と体表観察情報が食い違う。。。
こんなこと、臨床では日常茶飯事です。
学校で公開臨床や実技デモをやる時なんかは、極力食い違いが少ない方が、見ている学生も分かりやすいし、治療するこちらとしても理解し易い。
成功する可能性は非常に高くなる。
・・・でも、そんな症例ばっかりだったら、楽チン過ぎてしょうがない。(笑)
実際は色々と、食い違いや分からない状況、というのが起こってくる。
全然ありますよ、そんなん。
さあそれをどう考え、乗り越えるか。
その食い違いは、こちらの診察能力不足か??
あるいは??
毎日ホント、勉強になります。<m(__)m>
一例として、同じ症例はない。
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2019.04.10
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最近のお話し
参照
ここまで述べてきた、「桂枝湯」「麻黄湯」、”桂麻の剤”から派生する方剤は非常に多い。
また、『傷寒論』以降に著された様々な方剤の書も、結局は『傷寒論』の処方を基本として、いわば「後出しじゃんけん」的に色々なことを言っているものは多い。
(・・・言い方が悪いか。(苦笑) ”伝統医学の継承と発展”だね。)
なので、『傷寒論』は数千年先まで影響を与える、怪物のような本なのだ。
かつて、とある先生から紹介されて、知る人ぞ知る漢方の大家(故人)の先生にお会いした時、その先生は
「もう60年も毎日『傷寒論』を読み続けているが、それでも分からないところがある。。。」
と仰っていた。(苦笑)
そのぐらい、深遠な世界を表現した本なのだ。
まあ大体、『易経』にせよ『内経』にせよ『論語』にせよ、古代中国の古典というのは、それだからこそ魅力があるんだろう。
・・・話が逸れたが、麻黄湯の加減方として、東洋学術出版社『中国傷寒論解説 続篇』には、「小青龍湯」「大青竜湯」「葛根湯」の3方剤が紹介されている。
このうち、「小青龍湯」と「葛根湯」についてはすでに語ったので、「大青竜湯」だけ語らないのも、なんか気持ち悪い。。。(^^;)
・・ということで、今日は「大青竜湯」のお話。
よく、柴胡剤でも「小柴胡湯」「大柴胡湯」、承気湯類でも「小承気湯」「大承気湯」とあるように、方剤名の前に「大」「小」とついている場合がありますが、
当たり前ながら、これは効果の強弱を示すものではありません。(苦笑)
似ているところがあり、兄弟のようでありながらも、似て非なる方剤を、このように呼び分けています。
大青竜湯も、出典はもちろん『傷寒論』であり、
太陽中風.脉浮緊.發熱惡寒.身疼痛.不汗出而煩躁者.大青龍湯主之.若脉微弱.汗出惡風者.不可服之.服之則厥逆.筋惕肉瞤.此爲逆也.
傷寒脉浮緩.身不疼.但重.乍有輕時.無少陰證者.大青龍湯發之.
とあり、『金匱要略』では
病溢飮者.當發其汗.大青龍湯主之.小青龍湯亦主之.
とあります。
まあ簡単に言うと、大青竜湯の場合は、
「表面が冷えて、結果的に浅いところに熱が籠ってしまったもの」
に使います。
大青竜湯の中に入っている「石膏」という生薬は、浅い部分に籠った熱を取るための非常に重要な生薬です。
ですので、麻黄湯からの加減方をまとめると、
麻黄湯の場合は表面を温めて汗をかかす、
小青竜湯の場合は表面の冷え+水邪の突き上げ、
葛根湯の場合は表面の冷え+うなじのこわばり、
大青竜湯で表面の冷え+それによって籠った浅い部分の熱、
というバリエーションがあることが分かります。
鍼の場合も、カゼひきさんを治療する場合はこのように、
「どういう体質の人に」
「どういう邪気が襲って」
「結果的に表面で何が起きていて」
「深い部分では何が起きているのか」
を考えながら治療していきます。
なので、漢方薬の考え方と、一緒であり、ある意味応用的です。
ですので、鍼灸師にとっても、『傷寒論』理解は非常に大事なのです。
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順天堂東医研、第6回公開シンポジウム「総合診療と東洋医学」2025.01.10
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2024年8月の活動記録2024.09.01
2024年 9月の診療日時2024.08.03
2024年7月の活動記録2024.08.01
2024年 8月の診療日時2024.07.10
患者さんの声(70代女性 目の痛み、不安感)2024.07.05
2024年6月の活動記録2024.07.01
2024年 7月の診療日時2024.06.05
2024年5月の活動記録2024.06.01
2024年 6月の診療日時2024.05.10
2024年4月の活動記録2024.05.01
2024年 5月の診療日時2024.04.13
(一社)北辰会、組織再編。2024.04.02
2024年3月の活動記録2024.04.01
2024年 4月の診療日時2024.03.14
2024年2月の活動記録2024.03.01
2024年 3月の診療日時2024.02.15
2.17(土)ドクターズプライムアカデミアで喋ります!2024.02.04
3.10(日)(公社)群馬県鍼灸師会で講演します!2024.02.03
3.3(日)「浅川ゼミ会」にて講演します!2024.02.02
2024年1月の活動記録2024.02.01
2.25(日)順天堂東医研、第5回特別公開シンポジウム「日本とインドの伝統医学」に登壇します!!2024.02.01
2024年 2月の診療日時2024.01.11
2023年、9月~年末の活動一覧2024.01.05
診療再開!!2024.01.01
2024年 1月の診療日時2023.12.30
2023年、鍼療納め!!2023.12.21
(一社)北辰会、冬季研修会のお知らせ2023.12.01
2023年 12月の診療日時2023.11.26
患者さんの声(60代女性 背部、頚部の痒み、首肩凝り、高血圧、夜間尿)2023.11.25
患者さんの声(70代女性 耳鳴、頭鳴、頭重感、腰下肢痛、倦怠感)2023.11.22
12.3(日)市民公開講座、申し込み締め切り迫る!!2023.11.21
今週からの講演スケジュール2023.11.16
日本東方医学会学術大会、申し込み締め切り迫る!!