東洋医学 伝統鍼灸 清明院

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Search Results for: 易経

「易」を勉強する意味

2015.03.28

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東洋医学をやるものは、「易」をやるべきだ、と、多くの名医が言っております。

 

 

 

有名なのは中国唐代の名医、孫思邈(581?-682)による

 

「易を知らなければ医を知るとは言えない」(『備急千金要方』巻1序例、太医習業)

 

という発言です。

 

 

比較的近代でも、中国清代、1825年の『医門棒喝』章楠(章虚谷)撰に、

 

「易の言葉は全て医学の指針である。」

 

と述べられています。

かつてこのブログでも紹介した中国明代、張介賓(張景岳 1563-1640)も、『類経附翼』という本の中の第一巻を「医易」と名付けて、医学と易学の関係を論じています。

 

「張景岳(ちょうけいがく)」という人物 参照

 

 

・・・とまあこんな具合に、東洋医学の医者を志すならば、「易」をよく勉強しなさいよ、と、色々な有名人が述べております。

蓮風先生もその色々な著書の中で、度々「医易学」の重要性を説いておられますし、北辰会の大先輩である神野英明先生も、

『鍼灸・漢方の名医になる秘訣』

という、医易学に特化した著書を書いておられます。

はるばる・・・(その12) 参照

・・・前置きが長くなったけど、今日は、何でこんなに、色んな先生に「易」が重要視されるのか、というお話です。

易と言えば、街なかにいる占い師の”易者”を思い浮かべる人がほとんどでしょう。

そう考えると、東洋医学をやるには、占いの知識を入れる必要があるのか、と考えがちですが、医者が易を学ぶときというのはその意味よりも、

 

自然(つまり人間、つまり患者さん)を認識する哲学としての「易」の重要性を言っているのだと思います。

我々が毎日使う「陰陽」という考え方のもとになった哲学書こそが『易経』なんです。

これはどういう哲学かといえば、『易経』の中の「繋辞上伝」というところの第4章に、

「易は天地と準(なぞら)う。故に能く天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す。

この故に幽明の故(こと)を知る。始めを原(たず)ね終りに反る。故に死生の説を知る。精気は物を為し、游魂は変を為す。

この故に鬼神の情状を知る。」

と、書いてあります

これは要するに、易は素朴な自然観察(農耕を中心とした天体観察と大地の観察)から出来たものであるから、

この世の全て(形あるものとないもの、目に見えないものも含めたすべて)がよく分かるのです、と、宣言されています。

まずこれが重要でしょう。

 

続く

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東洋医学と「唯物論」「非唯物論」

2015.03.27

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今日は哲学的なお話。

 

 

まあ哲学なんて、とんでもない膨大、莫大な学問分野であり、僕なんてズブの素人なんですが、東洋医学を実践する上では、避けて通れない問題なので、

 

たまには自分なりに考えてみました。

 

 

西洋医学では、

「人体は、60兆個の細胞の集まり」

と、説きます。

(因みに近年では37兆個説が定説となっているようです。まあ、個人的にはどうでもいいが。。。)

 

 

この立場から、さらに細かく考えれば、人体も、人間を取り巻く大自然もみんな、原子、電子、分子、つまり物質と、その物質間に働く電磁力の集合体、と考えられます。

この立場からすれば、我々の精神、意識の活動(喜怒哀楽などなど)なんてのは、単に脳の特定部位の神経細胞の興奮(活動電位)の結果、ということになりますし、

 

あらゆる自然現象は全て物質の移動、変動、電位変化の観察により解析可能なのではないか、ということになります。

 

 

また、この立場からすれば、「生命」というのは遺伝子を自己複製する精巧なシステムであり、「死」はそのシステムの活動停止である、となり、

 

神仏?霊魂??気や経絡???・・・んなもんないっしょ、って話になります。

 

・・・とまあこのように、この世の森羅万象の根本は「物質(素材的なもの)」である、とする考え方を、「唯物論(ゆいぶつろん、Materialism)」と言うそうです。

 

 

因みに、その物質の集合体である生命も、そこに働いている物理的法則が分かればすべて理解可能、というスタンスを「生命機械論」と呼んだりします。

 

北辰会が治療方式の用語と理論のベースに置いている、中華人民共和国が1950年代にまとめあげた「中医学」というのも、この「唯物論」の考え方でもって、

 

それまでの中国伝統医学をまとめた医学であります。

 


さてここで、数千年の歴史を持つ、「東洋医学(中国伝統医学)」の深遠な世界が、この「唯物論」でもってすべて把握できうるか、説明できるか、

 

本当の意味で「東洋医学的に」人間を診る医学として、その理解は正当か、という問題になると、かなり疑問が残る、という話を、随分前にしました。


東洋医学と中医学 参照


(もう、あの記事から5年も経つのか・・・。( ゚Д゚))

 


じゃあもし、「唯物論」では東洋医学が表現、理解しきれないとすれば、どういう考え方ならば出来るのでしょうか。

 


唯物論の対義語として、

「観念論(かんねんろん、Idealism)」

とか

「唯心論(ゆいしんろん、Spiritualism)」

という言葉があるそうです。

 


「観念論」は、事物の存在と存り方は、事物よりも認識主体側の、当の事物についてのidea(イデア、観念)によって規定される、という考え方であり、

 

物質よりも精神、理性、言葉に優位性を置く理論のことだそうです。

 

「唯心論」は人間・社会において、心、もしくはその働きこそは至上の要因であるとする立場の一つで、心やその働きは、あくまでも物質に還元されない独特な性質を持っているとして、

 

物質的存在がその存在を容認されるのは、「意識」によるものである、したがって、意識こそが存在を決定づける、という論だそうです。

 

観念論も唯心論も、唯物論に対する言葉だそうで、要は「非」唯物論なのでありますが、観念論と唯心論は同義ではなく、

観念論は認識論(哲学の分野で、人が理解できる限界について考察する学問)における考え方

 

であり、


唯心論は存在論(哲学の分野で、存在するものの意味や根本規定を考察する学問)における考え方

 

なんだそうです。

 


東洋医学の背景にある古代中国の自然哲学では、大宇宙も、小宇宙である人間も、すべて「気」から出来ている、と考えます。


(これを”気一元論”と言います。)

 

そして、宇宙の開闢については、無(太極)から陰陽(両儀)が生まれ、それがさらに陰陽に分かれ(四象)、さらに分かれ(八卦)、という風に分化して万物が成った、と考えます。

(by『易経』繋辞上伝

 


また、

「道は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生ず」

という考え方もあります。

(by『老子』42章

 

因みにこの『易経』『老子』と同じような考え方は、『淮南子』天文訓にも出てきます。

 

 


まずこのような、大枠としての自然観、宇宙観、宇宙生成論が前提としてあり、その中にある、小宇宙たる人間、という風に説きます。

 

 

ここに出てくる「気」や「太極」や「道」といった考え方を、「物質が根本」という考え方で説明しきれるでしょうか。

 

 

中国伝統医学は、人間を、大宇宙と相似性、同一性を持ち、なおかつ大宇宙と常に連関する存在、という風に考えますが(天人合一思想)、それについても、

 

いわゆるニュートン物理学の言うような、質量を持った物質」における物理法則の範疇で理解可能でしょうか。

 

 

中国伝統医学は、もともと、そういう独特な考えでもってとらえた「人間」「患者」に対する、最良の医学医療はどうあるべきか、という風に考えを進めて、

 

悠久の歴史の流れの中で、絶え間ない臨床実践(ある意味人体実験)を繰り返す中で、永久不変の真理としての実効性、普遍性、再現性を備える形で、

 

少しずつ、でも堅実に、堅牢に構築され続けてきたものであるとすると、現代的な唯物論で説明するよりも、本来は”非”唯物論で解釈した方が、

 

より正確に理解が出来そうな気がしてきます。

 

現状において「現代中医学」が世界中の東洋医学教育のグローバルスタンダードになっているからと言って、こういう根本哲学に関わる部分まで、

 

まったく無批判に、悪く言えば盲信的に受け入れていては、問題が生じるのではないか、というのが、北辰会の立場です。

 

 

中国伝統医学を理解するにあたって、「唯物論」に対して「観念論」的、「唯心論」的で、さらには、それらをもすっぽりと包むように「気一元論」的に解釈し、

 

「生命機械論」に対して「生気論」的に解釈しようとする姿勢を重視しています。

 

(だから臨床実践において”直観”とか”魂”というものを、論理と同じかそれ以上に重視している訳ですね。)

 

日本という国は、いつの時代も、大陸から流入した新しいものを、自国の風土や価値観と見事に習合させ、ピューリファイ(精錬、純化)してきた歴史があります。

 

 

中医学に対しても、日本人としてはそうあるべきではないでしょうか。

 

 

この問題については、私もまだまだ理解が浅いですが、一生かけて、もっともっと深く考えていかないと、と思っています。

 

 

 

【参考文献】

 

『哲学事典』平凡社

『哲学・思想事典』岩波書店

『詳解 中医基礎理論』東洋学術出版社

『気の思想』東京大学出版会

『鍼灸医学と古典の研究 丸山昌朗東洋医学論集』創元社

『医学の哲学』誠信書房

 

 

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印象的な一節(澤田健先生と肝)

2014.08.19

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こないだ、東京での用事のついでに、清明院に現れた、初代副院長。


診療終了後、彼と飲んだときに話題に出た論文やら資料やら、本の一部やらを、後日メールで送ってきた。

読んでみると、どれもなかなか面白い。

その中に、印象的な一節が。

「・・・澤田健が「病は肝に生じて肝に収まる」と言っておられるが、肝すなわち肝経、厥陰は十二支で言うと”亥”であって、

いよいよ種子の甲割れが始まる時である。

これは受精する一時前にあたる。

病気にしても、種子が受精されるから発する訳で、それが発展して、結果的に色々の症状を呈する。

そこで結局、肝経を調整すると病は収まってしまう訳である。

根本的にみれば、誰もが「肝」を弱らせることが発病のもととなっていると言える。・・・」

二代目目黒玄龍子 著『二十一世紀の医学・蒙色望診(全)』巻末附録「易経と内経」より一部改編して抜粋


だそうです。


なるほど、こういう考え方もアリね。


澤田先生も目黒先生も、深い深い意味を込めて仰っているんだと思います。。。


・・・まあでも、これ(字面)だけだと極論し過ぎだけどね。


でも、個人的には澤田健先生の極論的物言いが、前から好きだったりする。(笑)


本人はホントにそう思ってる感じがするからね。

 


もし、この時代にいたら面白かったのに。

 

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同気相求める

2012.05.10

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東洋医学(というか東洋哲学)に、

”同気相求める(どうきあいもとめる)”

という言葉があります。

これは、もともと『易経(えききょう)』という、東洋哲学の大古典にある言葉なんですが、まあ要は、

「自然界って、似たもん同士が集まるよね。」

って話です。

 

(『易経』乾卦「・・同氣相求・・」)


・・・ま、これ、感覚的に分かりやすいですわな。

自然界を見渡せば、犬は犬どうし、ネコはネコどうし、昆虫は昆虫どうし、人間は人間どうし、バンドマンはバンドマンどうし、ヤンキーはヤンキーどうし、

モデルはモデルどうし、政治家は政治家どうし、みんな時に仲良く、時に反目しながら、結局は似たもん同士が集まっておりますね。(笑)

似たり寄ったりの個性を主張し合いながら。

この考え方が、自然の一つの法則として、東洋医学でも採用され、組み込まれております。

どういう風に採用しているかというと、例えば、もともと飲食の不摂生なんかがあり、体の中に余分な水分の多い人は、

自然界の余分な水分の多い時期、つまり雨季にはカラダに「湿邪(しつじゃ)」という余分な水分がより多く生じやすく、

この「湿邪」による体の不調を起こしやすい、またはもともと症状のあった人は悪化しやすい、という風にです。

これを、内の邪気と外の邪気が合わさる、ということで、「内外合邪(ないがいごうじゃ)」な~んて、カッコよく呼んでおります。

要は、体内と体外の”似たもん同士”が集まる、っちゅうワケですな。

まあそういうのは細かい話だけども、自分がパワーダウンしていると、そこにおかしなモノが集まってきます。

そして、結果的にもっとパワーダウンしてしまうことがあります。

自分がパワーアップすれば、どんどんパワーが集まってきます。

「いい気」が集まってきます。

そしてさらにパワーアップしていきます。

コレはどうやら、自然の法則のようです。

パワーダウンのスパイラルに入ってる感じがしたら、まずは体を整えることです。


そういう時、精神的に色々あがいて思索してもがいても、余計ドツボな気がします。

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今このブログに思うこと

2011.05.11

もう、このブログを書き始めてかなりの時間が経過してきました。

いつの間にか500記事超えていました。

500記事突破!! 参照

色々書いてきました。

日々の臨床の話、東洋医学の基本的な話、ココロの話、どーでもいい話・・・。

読者の皆様も、面白い記事、つまらん記事、腹が立った記事(苦笑)などなど、それぞれ、色々なご感想をお持ちのことと思います。

総じて、見てくれた全員に感謝しております。

いつでも気軽にのぞきに来て下さい。

そしてぜひコメントを下さい。

・・・ついでに、ランキングボタンもクリックして下さい。(笑)

かれこれ、200記事書いたあたりで、蓮風先生の行動にも勇気づけられ、「ランキングサイト」なるものに登録しまして、おかげさまで現在も徐々にアクセス数が増えております。

(まだまだ全然ですけどネ・・・。)

ブログランキングについて
ブログランキングその後
「鍼狂人の独り言」      参照

まあ、毎日記事を書いていく中で、人にものを伝えるということは、いかに難しいか、ということを、日々勉強させていただいております。

東洋の大古典『易経(えききょう)』の中に、同じく大古典である『論語(ろんご)』で有名な孔子の言葉として、

「子(し)曰く、書(しょ)は言(げん)を尽(つく)さず、言は意を尽さず。」

という言葉があります。

この言葉はよく手紙の末尾などに添えられることが多いようです。

・・・まあさておき、コレの意味なんですが、

孔子が自問自答していう、文字に書かれたものは言いたいことを述べ尽くし得ない。ことばは心に思うことを言い尽くし得ないものである。


ということです。

これは、講義でも本でもブログでもエッセイでも、何かを喋るなり書くなりして、世に問うたことのある人ならもちろん、そういう経験がない人でも大なり小なり、みんなが感じていることだと思います。

毎日ブログの記事を書いていると、これを感じて、歯がゆく思うことは確かにあります。

普段特になにも書いてない人に比べれば、そう感じる機会は多いのかもしれません。

・・・でもだからと言って、なにも主張しない、発信しない、という消極的な考え方は「僕は」個人的にキライです。

間違ってたってしょうがないじゃん、気付いたら直せばいいだけじゃん、恥かいたらその分伸びるじゃん、・・・て思うからです。

・・・てなワケで、自分が正しいと思ったことを世に問う、超お手軽ツールである「ブログ」というものを使って、今後もガンガン、情報発信していこうと思います。

もちろん、無理はしません。

ちゃんと疲れたら休みます。

ご心配なく。(笑)

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「五行」って何ですか?(その3)

2010.11.18

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これまでのお話・・・


「五行(ごぎょう)」って何ですか?(その1)

「五行」って何ですか?(その2)

 

・・・まあこのテーマは、これまでに中国はもちろん、日本でも、世界中でも、ありとあらゆる人によって語り尽くされ、調べ尽くされているテーマであり、

 

最初に言ったように、詳しく調べようと思ったら専門書がいくらでもあります。

 

 


でもそれを、自分の言葉で、「分かりやすさ」を意識しながら、簡単に説明しなおす、文章にしてみる、ということがとても大事じゃないかな、と、

 

”僕は”

 

”今のところは”

 

思っていますので、もうちょっと続けようかな。(笑)

 

 

◆「陰陽」と「五行」の歴史

 

前回、「陰陽論」「五行説」よりも前から存在する、というお話をしました。

 


「陰陽論」の起源は約2800年前、周の時代の『易経(えききょう)』にあるとも、そのもっともっと前からあるとも、言われています。

 


「五行」の起源も、『書経(しょきょう)』であるとも、そのもっともっと前からあるとも言われています。

 

(根本光人監修『陰陽五行説 その発生と展開』 参照)

 

 

・・・まあ、これに関して、詳しく調べた話を書いてもいいけど、そこは誰も読みゃあしない、あるいは読む人が限定され過ぎる気がするので(笑)、ここは要するに、いわゆる「陰陽五行説」のうち、

 

最初に生まれた考え方は「五行」じゃなくて「陰陽」であり、どちらもとっても古い、古代中国の考え方で、のちに結合した、とそのまま理解していただければよいのではないかと思います。

 

 


まあ、こう考えた方が納得がいくのも、そもそもものごとを理解する時に、まずおおざっぱに分けてアウトラインを理解し、次により細かく分けて理解しようとするだろうな、

 

と考えた方が自然ですし、専門書を見ても、そのように解釈されているものがほとんどだと思います。


(いやいや竹下、五行の方が先だぜ、っていう文献がもしあったら教えて下さい。・・・ま、個人的にはどっちが先かなんて、ホントはどうでもいいんだが。(笑))

 

 


自然における様々な現象(人間の生老病死も含む)を観察し、体系的に説明づけていく時、「陰陽」だけでは不十分であり、そこで「五行」が生まれ、

 

さらにその2つが合体し、「陰陽五行説」となっていったのだろうと、今のところは思っています。

 

 


「陰陽」は昼と夜、太陽と月、男と女、火と水、というものなどからの発想と言われ、「五行」つまり木火土金水は、当時の生活に必要不可欠な5つの材質(五材)からの発想であろう、ということが言われています。

 

 


また、当時の人々は天体観察を非常に細かく行っていますが、空にみえる非常に明るく目立つ星が木星、火星、土星、金星、水星の5つだったことや、

手足の指の本数である5、両手両足と頭で、人体の出っ張りが5、また、空間を認識する時、東西南北と中央で5、という、「五」という数字が持つ神秘性との関係もある、

 

なんていう解釈もあります。

 

 


いずれにしても重要なのは、これらを考えていく場合の手段は人間の「五感」であった、ということと、「陰陽」にしろ「五行」にしろ、ただ分けたのではなしに、

 

それらの「循環」「変化」「相互関係」に重きを置いた、ということに注目すべきでしょう。

 

 

・・・ではそこで、この2つは、どのタイミングで、どんな考え方で合体したんでしょうか。

 

 


長くなっちゃったんで、それは次回。(笑)

 

 


 
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「アキレスと亀」

2010.10.20

 

 

 

 

清明院では現在、求人募集しております。

 

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募集内容の詳細はこちら

 

 

 

 

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今日は、気分を変えて、いつもとはちょっと違うお話をしましょう。

 

・・・皆さんは、「アキレスと亀」というお話、ご存知でしょうか?

(最近、北野武さんの映画のタイトルにもなりましたね。)

 

 


僕は以前から、「時間」「空間」というものに興味があって、色々と本を読んだりするんですが、そういう本を読んでいるとたいてい出てくるのがこの「アキレスと亀」のお話です。

 


これは、「ゼノンのパラドックス」の中で最も有名なものの一つです。

 


「ゼノンのパラドックス」とは、古代ギリシャの哲学者ゼノンが提示したパラドックス(矛盾のようなもの)です。

 


ゼノンは、アリストテレスから、「弁証法(べんしょうほう)の創始者」とまで言われた人物ですので、「弁証論治」を実践しているつもりの僕としては、避けて通る訳にはまいりません。

(苦笑・・・こういうのがなかなか大変なんだけどネ。)

 


まあとにかく、この「アキレスと亀」のお話の内容はというと、足の速いアキレスさんと、のろまな亀さんが「ハンデ付きで」競争した場合、

アキレスは亀に絶対に追い付けない、なぜならば・・・というお話です。

 


これは、亀さんのスタート地点をAとして、アキレスさんのスタート地点をBとした場合、アキレスさんがB地点からA地点に到達した時、亀さんはのろまですが少し進んでいます。

 


この時点の、亀さんが少し進んだ位置をC地点とします。

 


すると、アキレスさんがB地点からC地点に進む間にも、亀さんは進み、アキレスさんがC地点に到達した時、亀さんはすでにC地点にはいない、

ということは、コレの繰り返しだから、いつまでたっても、アキレスさんは亀さんに追い付けない、ということになります。

 


しかし現実には、おそらくあっという間に亀さんは抜き去られますよね?

 


・・・これ、なんででしょ?証明できますか?という問題です。

 


実はこれを数学的、哲学的にしっかりと解釈しようとすると、とっても難しい問題になります。

好きな人のためにこちら(wiki)

 

で、要はコレと東洋医学、鍼灸治療と、なんか関係あんの?って話なんですが、関係は「ないこたぁない」と思います。

(笑・・・考え方の参考になる、という意味で、です。)

 


古代の中国人たちも、自然に対して、非常に数学的、哲学的なとらえ方をしています。

 


また、「陰陽」という考え方の根本になった『易経(えききょう)』という本は、西洋のライプニッツやユングといった有名な学者にも影響を与えていると言われます。

 

たまには視点を変えて、西洋哲学に目を向けてみるのも、面白いもんです。

(別に僕はマニアでも専門家でもありませんし、そうなるつもりもありませんがネ。)

 

 

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「肝」って何ですか?(その8)

2010.05.15

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これまでのお話・・・

 


「肝(かん)」って何ですか?(その1)

「肝」って何ですか?(その2)
「肝」って何ですか?(その3)
「肝」って何ですか?(その4)
「肝」って何ですか?(その5)
「肝」って何ですか?(その6)
「肝」って何ですか?(その7)

 


引き続き、「肝」を構成する”7枚の葉っぱ”の意味について考えてみましょう。

 

前回述べたように、他の奇数に比較すると、影が薄いとはいえ、古代の中国では、様々な古典の中に”7”が出てきます。

 


『論語』『孟子』『荘子』などなど・・・。

 

僕ら東洋医学を学ぶものにとってなじみが深いモノの中では

『黄帝内経(こうていだいけい)』

という、東洋医学のバイブルと言ってもいい、大古典の中に、女性は7の倍数に応じて成長する、という記載が出てきます。

(つまり、7歳、14歳、21歳、28歳・・・と、女性の生涯の中で、身体的に大きな節目が訪れるよ、という記載です。)

 


また、東洋医学の根本思想である「陰陽論」の来源
ともいわれる、『易経(えききょう)』の中にも、”7”という数字が「繰り返し、つまり循環」を示す数字として登場します。

本田濟『易』P224~参照)

 

 

また、ここで詳しくは述べないが、今井宇三郎先生『宋代易学の研究』の第二章(P146~)に、『易』において有名な「河図洛書」「河図」には、

 

後漢の『漢書』五行志や、後漢の儒学者、鄭玄(じょうげん)『周易鄭玄注』によって、1~5までの数字を「生数(せいすう)」、6~10までを「成数(じょうすう)」と呼んでおり、

 

7は生数5+2と考えられ、五行では火の成数ということになるが、龍雷相火といわれる肝の臓に、五行において火の意味を持つ成数7が乗せられていることは興味深いが、

 

この意味で肺の八葉を解釈しようとすると、こちらは「木」の成数ということになるので、肝の七葉、肺の八葉の意味に一貫性が見出しにくい。

 

 

ここは、詳しい読者諸賢の方は是非ご教示下さい。

 

 

個人的には、蕭吉(しょうきつ)撰『五行大義』の生成数解釈でここに関しては強引に理解しています。

 

中村璋八ほか注『五行大義 上下巻』神野英明『鍼灸漢方の名医になるための秘訣』P106~参照)

 

 


さらには仏教においても「初七日」「四十九日」と、7および7の倍数(乗数)に、極まり、そしてまた繰り返す、あるいは次なる段階へ進む、
という意味がのせられています。

 

さらにさらに、中国古代の文学作品や詩集には、タイトルに「七」のつく作品が異常に多い、という特徴があるそうです。

 

この理由については、最終的には”不明”らしいですが(苦笑)、僕個人としては、「七」という数字に込められた、

「永続性」と「形式美」

に、当時の文学者たちは何かを感じていたんじゃなかろうか、と思っています。

(終わりと始まりを、同時に、かつストーリー性を持たせて表現できる数、という意味でね。)

 


・・・また、卑近な例として、7月7日の七夕祭りがありますね。

 


これも実は、織姫と彦星が、いつも会いたいのに年に一度しか会えない、ということから、「やっと会える日」の強調というよりも、好きな人がすぐそこにいるのに会えない、

 

”無限にも感じられる辛い時間”

 

というものの永続性とその極みを”7”に込めた、という解釈もあるようです。

 

(ロマンチック!!)

 

 


・・・さらに天体モノでいくと、何と言っても「北斗七星」の7です。

 


古代の中国人は夜空を見て、北極星の周りを回る北斗七星の柄の部分がどの方角を指すかで季節を定めました。

(ちなみに北辰会の”北辰”というのは北極星という意味がありマス・・。すごいネーミングだネ・・。)

 


そして道教においては、七夕に七星を祭る、という儀礼が存在し、内丹術(・・・ここでは詳しくは述べないけど、まあ要は気功みたいなもんです。)においても、”七”を極めて重要視します。

(これには”不老長寿”という考え方と”7”の神秘性、永続性が関係しているのではないか、と思っています。)

 


・・・また、空間を認識する上でも”7”は実は重要です。

 

つまり、「東西南北」の4と、「上下」の2を足すと”6”という数字が得られ、これを「六合(りくごう・・・宇宙のこと)」と言いますが、

これに「中央」、つまり「観測者の立ち位置」を加えると”7”という数字が得られます。

 


これにより広大無辺な六合空間の中に「基準」が出来るので、基準点から見て「空間」というモノを”どこからどこまで”と規定することが出来ますし、

 

当然、その空間の中で、2点間の移動を考えることが出来ますから、その移動速度と合わせて”いつからいつまで”という「時間」も規定することが出来ます。

 

小学生の頃やった、「道のり、早さ、時間」てやつが規定できるようになるわけです。

 

こう考えると、時間と空間を「規定する」「決定づける」数字が”7”なのであります。

 

それが、狭義の「魂」(意識の支え)と「血」を蔵し、「全身」という空間区分における「気」の配分調節をつかさどるという役割を持つ「肝」「形態」に、


さりげなくのせられている、という東洋医学・・・、シャレてないすか?

 

・・・今日のブログは、細かい部分をかなりはしょりまくって書いたものなので、ちょっと意味が分かりにくかったかもしんないけど、何となく壮大で面白そう、

 

ということが伝われば、とりあえず満足です(苦笑)

 

今日はあえて書きません(てか書けません)が、ここからさらに、まだまだ2次的、3次的に生じる疑問や、それに対する考察についても、

 

これまた面白い考え方が山ほど!!

 

そのほかにもまだまだ僕の中で何年かあたためてる事案が山ほど!!

 

 

・・・ですので、東洋医学の中にさりげなく出てくる数字の意味には、深い意味が込められているとしか思えないことが多く、無視しない方が良いのですが、

 

これに最初からあまり拘ってばかりいると、基礎固めが全然進まないので(苦笑)、初学の方にはまったくおススメしません。

 

 

こういう細かい部分で、なおかつ初めに提唱した人の見解が残っていないので、原義や解が出しにくい部分に対して、色々な古典を幅広く調べて渉猟し、

 

肝の臓の七葉の意味の仮説に関して猛烈に詳しくなったとして、・・・「で?」ってなります。(笑)

 

 


しかし、そうはいっても東洋医学面白い~・・・、やめられない止まらない~・・・。

 

 

続く

 

 

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