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これまでのお話し
さて、続きいきましょう!!
◆戴震の気一元論。
「太極」「無極」の意味 2に、『道教事典』に書かれてある「太極」の意味の変遷を書いたが、ここに、
18世紀に清代考証学の大成者と言われる戴震(1723-1778)が出て、「存在の根源を気に求める思想」を決定的にした。
とある。
まあ、歴史的には王夫之さんから戴震さんの流れで、朱子さんの「理気二元論」の考えにさらに批判が加わって、
「理よりも気!」
「気こそは動き(自然界の運動)であり、存在の根源!!」
という理解が決定的になっていったようです。
さてこの、戴震さんの「気一元論」というのはどんなもんなんでしょ??
気のことを考える時の決定版的書籍である東京大学出版会『気の思想』には、戴震さんが
「気化流行、生々して息(や)まざる」
という表現を好んで用いたことを挙げ、戴震さんが「理」によって規定を受けない気の自己運動を認め、たえず運動することこそ気の本質的な性格とし、
静止することよりも運動することの方に大きな価値を認め、かつ生命(自然)を大いに尊重する、という思想を表明した、としています。(P475)
つまり、有形(形而下)も無形(形而上)も、一切は気の動きであって、気のその場その時でのありように名前を付けたのが「理」であるとし、
このように定義すると「気」を離れて「理」は存在しえない、ということになり、「理」よりも「気」を優先する立場をとりました。
・・・とあります。
ホントは戴震の論と王夫之の論をもっと精査しなきゃならんけど、この戴震さんの考え方に、北辰会の「気」解釈はかなり近いと言えるんじゃないでしょうか。
因みに、江戸期、京都の儒学者である伊藤仁斎(1627-1705)は戴震よりも約70年も早く、朱子の理気二元論を批判し、この「気一元論」を唱え、
後世に大きな影響を与えています。
後世に大きな影響を与えたということと、先見性という意味でも、伊藤仁斎の功績は非常に大きいと評価すべきでしょう。
伊藤仁斎の後、このブログでも何度も出てきている香川修庵、後藤艮山、並河天民、吉益東洞といった著名な医家が出てきて、いわゆる古方派医学が台頭し、
「一気留滞説」「万病一毒説」などの、日本的といわれる「万病一元論」とでも言うべきもの提唱し、医療界にある種の革命を起こしていきました。
約300年前の日本、江戸期のこの動きの延長線上に、現代でもよく言われるような
「中医学の弁証論治か、日本漢方の方証相対か。」
みたいな問題があることを考えると、ここらあたりの理解は非常に重要なことだと思いますね。
「方証相対」を含む記事 参照
次回、「太極」を図示した「太極図」に注目してみましょう。
続く。
2019.09.22
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これまでのお話し
さて、続きいきましょう!!
◆「気」の哲学の変遷
さてここまで、「太極」「無極」「その両者の関係」「鍼灸臨床家としてはどうか」あたりを題材として話を進めてきました。
「臨床家としてはどうか」というところで、北辰会ではこの医学の言う「陰陽論」を、単に「陰陽論」と呼ぶのではなく「”太極”陰陽論」として、
理解、運用するべきだ、というお話(臨床古典学)もしました。
蓮風先生の御著書では、中国、成都中医薬大学の教授で、易学の大家である鄒学熹先生の『易学十講』の論を参考に、陰陽論というのは「陰」と「陽」と「その境界線」の3つ、
「三を含みて一となす」という考えがあり、全て一つであるという太極と、陰陽と境界の太極があるからだ、と説きます。
(因みにこの辺の詳細(『易学十講』の部分的翻訳)は、北辰会機関誌『ほくと』17号に掲載されています。)
まあこれは、簡単に言えば何かを陰陽に分ける時に、その基準(境界)を明確に!というお話です。
そしてこれには、背景として「気一元論」という考え方があります。
「気一元論」を含む記事 参照
「気一元論」は、簡単に言えば「この世界は全て気で出来ているのさ」という考え方です。
東京大学出版会『気の思想』によれば、「気一元論」という言い方は、特に誰それさんが言い出した言葉、というワケではないようで、古くは『老子』『荘子』『淮南子』の中にもあるっちゃある考え方であり、
この考え方を強調したのは、中国では北宋の張横渠(ちょうおうきょ 張載(ちょうさい)ともいう 1020-1077)、日本では伊藤仁斎(1627-1705)が有名だそうです。
伊藤仁斎という人物 参照
(張横渠もせっかくなんでそのうち紹介しましょう。この人は何とあの程顥と程頤(二程子)の叔父さんです。優秀な一族だねえ~~ (゜レ゜))
荘子の
・・・因みに、現代中国では大きく気の哲学について3つの流れがあると考えているそうで、
1.程伊川と朱子の「性即理」の考え方(客観唯心論、客観的観念論)
2.陸象山と王陽明の「心即理」の考え方(主観唯心論、主観的観念論)
3.張横渠と王夫之の「気」の哲学(唯物論)
とし、3.の唯物論哲学こそ最高のものである、としているそうです。
(by 『朱子学と陽明学』島田虔次)
(因みに、王夫之の気一元論に関してはこの論文が参考になりました。)
しかしこの、3.の、気一元論を、全くの唯物論と解し、それを最高のものとする考え方と、北辰会の考え方は違います。
中国哲学、中国伝統医学に通底する「気」という概念は、唯物論でとらえきれるものではない、と考えています。
北辰会では「気」を唯物論でとらえ、最小精微な物質である、とするのではなく、むしろ生命原理、生命原体ともいうべきものとして、生気論的に理解しています。
つまり「気」を、物理学(ニュートン力学)の言うような質量を持った存在、と考えるのであれば、それとは認識を異にする、ということです。
(といって、量子力学の言うような素粒子とも同じでないと思いますが。)
・・・ま、「気ってなに??」という問いに対しては、トートロジー的になるけど、10年前に書いたように、「気は気です。」という答えがやっぱベストかな、と。
ここまでの話で言えば、生成論の太極も、場の論の太極も、認識論、存在論における主観と客観も、ぜーんぶただ一つの気の動きの一様態ですよ、ってことですね。
次回、清代に「気は動きである」この理論を完成させたと言われる戴震(1723-1778)さんを紹介します。
続く。
2019.09.21
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さて、続きいきましょう!!
◆「陰陽論」ではなく「”太極”陰陽論」。 その②
さて前回は、蓮風先生の著書における「太極」のとらえ方を紹介し、北辰会が鍼灸臨床で「太極」をどう考えているのか、というお話を紹介しました。
僕らは、あくまでも現代日本の鍼灸臨床家なので、古代中国哲学や、哲学用語の歴史的変遷や、東洋医学のバイブルとされるような各種古典の内容を、
あくまでも現代日本人への鍼灸臨床に役立つような、理解運用の仕方をするように心がけています。
これが北辰会の提唱する「臨床古典学」という立場ですね。
因みに、(一社)北辰会では「無極」という言葉についてはあまり言及されないのですが、奥村裕一学術部長がかつて1997年に『全日本鍼灸学会誌』上に発表された、
という論説の中に、日本の江戸期の医家による、腹部における「太極」「無極」という表現が出てきます。
ここについても今回、ついでなんで、あとで触れておきましょう。(∩´∀`)∩
・・・ところで、前回言うように、北辰会では「陰陽論」を単に「陰陽論」と言わずに、あえて「”太極”陰陽論」と呼んでいるのには、陰陽は偉大な哲学、分析学だけれども、
あくまでも常に「太極を踏まえた上で」分析することが重要だ、というメッセージが含まれています。
陰陽という「二」で考えつつも、常に太極と言う「一」の視点を外さないこと。
ですので「陰陽論」は単純な二元論ではなく、「二元的一元論」なのである、という重要な主張です。
陰陽論が、森羅万象に対する単なる分析学なのであれば、その境界線やものさしは精密で精緻であればあるほど良いわけですが、西洋医学のように、
電子顕微鏡レベルにまで精密精緻になってくると、出来ることや分かったことが増える一方で、分からないことも増えていき、時に「木を見て森を見ず」となって、
結果的にかえって「自然(人体)のトータルな全体としてのバランスの調和」を見逃す、見誤る、ということが起こりうる訳ですね。
手術はうまくいったけど亡くなってしまった、とか、血液検査の数値上は薬は効いているけど、全体的な体調としては悪化した、などですね。
ここに、よく言われるように、西洋医学で治らないものが、東洋医学では治ることがある、という事実の謎の一つが隠されているのではないか、と考えています。
上記の考えは北辰会方式のすべてを貫いており、以前紹介した「総合と総体」の話や、「直観と論理」の話にも通じてきます。
「直観」を含む記事 参照
あくまでも「気一元」の世界観。
色々分けるけど、そもそも分けれないもの「太極=太一」なのだ、ということが大前提なんです。
続く。
2019.09.20
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さて、続きいきましょう!!
◆「陰陽論」ではなく「”太極”陰陽論」。 その①
ここまでで、「太極」の意味、「無極」の意味、さらには「太極と無極の関係」について、僕なりに考えてみました。
まあ簡単にまとめると、「太極」はもともとは中国哲学の古典中の古典である『易経』の宇宙生成論から始まって、歴史的変遷を経て、道教や仏教との接触、
「無極」という言葉との比較検討を経て、より理解が深まり、高度な哲学用語となって、今に至っている、という感じでしょうか。
・・・で、この「太極」なるものを、我々東洋医学をやるものがどう考えるか、という話なんですが、何年か前に私も北辰会でこの辺の話を講義させていただいたことがあるんですが、
その内容は蓮風先生の御著書、『東洋医学の宇宙―太極陰陽論で知る人体と世界―』に書いてあります。
この本の中で、「太極」の意味に関して、蓮風先生はシンプルに、3つの意味で纏めて下さっています。
つまり、
1.天地創造分化の大本
2.陰陽する場
3.認識以前の状態
この3つです。
1.はこれまでにも出てきている、生成論の話です。
まずは混沌とした状態があって、それが陰陽に分かれて、さらに細かく分かれて、万物となった、という話です。
この話は有名な『淮南子』にも出てきます。
『淮南子』を含む記事 参照
2.は、「陰陽」というのは要は森羅万象(気)の「動き」のことで、相対的に動的な面を陽、相対的に静的な面を陰、と分ける訳なんですが、
この、「陰と陽が交わり、関わり、相互に動く場」そのものを「太極」と言う、という理解です。
よく我々は、もう間もなく亡くなる患者さんの脈や腹を診察した時、所見が1日の中でもコロコロ変わる、という状況に接することがあります。
そんな時、
「いよいよ太極が小さくなってきた」
という表現で、その現象を評価することがあります。
まさに、生命が現象する場(太極)である脈や腹部が、非常に小さく、狭く、弱々しくなってくると、脈で言えば、早くなったかと思ったら急に遅くなったり、
強くなったかと思ったら急に弱くなったりしますし、腹で言えば、臍の位置がコロコロ変わったり、また、腹の状態と脈の状態がチグハグになったりします。
3.は、認識する主体が、対象物を認識する”以前の”状態を「太極」と呼ぶ、ということであり、五感なり何なりで、対象を認識した時点で、
すでにそれは太極から陰陽の範疇に入っている、という意味ですね。
(ただし、次回書きますが、陰陽であっても、必ず”太極を踏まえて”陰陽に分ける、分析する、という意識が大事です。)
つまり、我々が日々患者さんを診るということは、
1(生成論).太極から生じた万物の一部である患者さんを、同じく太極から生じた万物の一部である我々が、
2(場の論).患者さんそのものを太極と考え、それを踏まえた上で、陰陽という物差しでもって、
3(認識論).四診という手法で陰陽の不調和を認識し、それを調える
という行いである、ということです。
次回もう少し補足します。
続く。
2019.09.19
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さて、続きいきましょう!!
◆朱子の言う「理気二元論」とは。
前回、
南宋代の朱子(朱熹 1130-1200)は、無極と太極を同一次元のものとし、ともに「理」の基本的性格を表す語とし、有の次元に無の原理性を取り込んだ。
という文章を紹介しました。
・・・これ、どういう意味でしょ??
朱子さんが言うには、太極の本源が無極なのではなく、太極も無極も「理」の性質の一部、と同一地平で理解するわけですね。
ほんじゃ、朱子さんの言う「理」って何なんすかね??
まあ、生理学、病理学、物理学、心理学、理科学、義理、道理などなど・・・、現代日本語にもよく出てくる「理」という漢字。
これは、日本にこの「理」という考え方が深く浸透していることを示します。
「理」については、簡単な字義解釈については、以前纏めました。
「理」の意味 5 参照
朱子さんはそれまでの説をまとめ、再構成して、壮大な学問(朱子学)を構築した訳ですが、彼の言う「理」の持つ意味は、文脈によってなかなか多義性があるようですが、
要するに中心的な意味を一語で言えば
「ものごとの法則」
ということだろうと思います。
(ホントはこれを言うために性即理や理一分殊について書かないとなんだけど、煩雑になるので、ここでは割愛します)
(なお、これらの解釈は山田慶児『朱子の自然学』P444、大濱晧『朱子の哲学』P33、島田虔次『朱子学と陽明学』P60などを参考にしています。)
・・・なんかこれ、道教の言う「道(タオ)」と似てますね。
道教・道家思想 参照
(文脈によっては”同義”と書いている本もあります。)
・・・で、この形而上の概念である「理」と、形而下の概念である「気」は別のものだけど、両者は離れて存在することは出来ないよ、という風に説明して、
この世界(宇宙)の存在を説いたのが、朱子さんの有名な「理気二元論」てやつなんだそうです。
・・・で、この朱子学、「理気二元論」においては、有の原理である「太極」も、無の原理である「無極」も、形而上の法則である「理」の基本的な性質であるとして、
優位性や先後論なしに、同一次元でマルッと纏めた訳ですな。
これを、あえてもう少し詳しく言うと、『朱子語類 巻九十四』にあるように、
「無極は有理にして無形。・・・太極はこれ五行陰陽の理。」
とあるように、要は
「”理”の無形の面を無極、”理”の陰陽五行(つまり物質も含む”気”のこと)の根源である面を太極」
と言ったわけです。
さらにこれを、僕なりにかみ砕いていえば、
「”理”が物質を超越した面を無極、”理”が物質と連関する面を太極」
と言ったわけですね。
(・・・と、今のところ僕は解釈しています。)
朱子さんは、それが周敦頤の『太極図説』にいう「無極而太極」の意味である、と説くわけです。
太極と無極に違いはあるけど、「理(ものごとの法則)」という意味では同じであると。
・・・さて次に、なぜ蓮風先生がこの医学における陰陽論をわざわざ「太極陰陽論」と言っているかについて、考えてみましょう。
続く
2019.09.18
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これまでのお話し
さて、続きいきましょう!!
◆「無極」の意味
(一社)北辰会の会員諸氏にとって、この「太極」「無極」というパワーワードは、非常に気になるワードでしょう。
また北辰会の会員以外の先生方も、東洋医学の勉強がある程度進んだら、気になる人は多い筈。
僕がちょうど北辰会にチョロチョロと出入りするようになった2000年代の初頭の頃、蓮風先生はよく「初学者のための太極陰陽論」というテーマで講義なさっていました。
(当時は難解で、聴いていてもよく分かりませんでしたが。。。(∩´∀`)∩)
その講義内容を分かり易くまとめた本が『東洋医学の宇宙―太極陰陽論で知る人体と世界―』です。
因みにこの本は、堀内齊毉龍先生の『弁証論治のための論理学入門』と姉妹編になっていることも見逃せません。
しかも、蓮風先生の御尊父である藤本和風先生は「無極会」という勉強会を主催されていたことでも知られています。
(残念なことに、無極会は現在はありませんし、無極会としての著作も残っていません。。。)
・・・まあそんな訳で、このワードは藤本家、北辰会が非常に大事にしていることが分かります。
東洋医学の考え方を理解していくうえで、また、北辰会方式を習得していくうえで、妙に気になる、この「太極」「無極」に対する理解というのは、
根本哲学に関わるという意味で、重要ではないでしょうか。
前回、北宋代の周敦頤(1017-1073)の「無極而太極」という、これまたパワーワードを紹介しました。
ここで、まずは「無極」について調べてみましょう。
平河出版社『道教事典』によれば、
◆無極
元来は”極まりない”という意味。
『老子』『荘子』『列子』に、無名、無物、無形などとともに、”無”の様態を形容する語の一つとして、哲学的意味を付与されている。
「列子」を含む記事 参照
(列子に関しては紹介してなかったですね、良い機会なんで、これも書きましょう!!)
その後、『易経』の「太極」とともに、”太極=有の原理”、”無極=無の原理”として、より重い意味を持つようになる。
『易経』を含む記事 参照
つまり、有の本源に無を置くという思想から、儒教を超える道家思想、という図式を表現した。
道教文献の中にはもちろん”極まりない”という意味での「無極」という使われ方もあるが、主に、”太極の本源としての無極”という用例が目立つ。
また、「無極」を、経典そのものや、神仙の名称としても用いている。
南宋代の朱子(朱熹 1130-1200)は、無極と太極を同一次元のものとし、ともに「理」の基本的性格を表す語とし、有の次元に無の原理性を取り込んだ。
(んー、ここはムツカシー(゜o゜))
(以上引用。土田健次郎氏の文章を竹下が抜粋要約補足改変。)
〇
・・・まあなるほど、「無極」はもともとは諸家の本に出てくる、極まりない、というほどの意味の言葉だったのが、『易経』の太極(生成論の最初を意味するアレね)と比較検討されていくことで、
理解が深まっていき、これも認識論哲学的な、重い意味を持つようになった、と。
このように、儒家の考え方と道家の考え方というのは、時代時代で接触したり離れたりしつつ、言葉の意味の検討を通じて、切磋琢磨してきた歴史があるようですね。
(また、古代中国で、インドから来た仏教を理解するのに、道家や儒家の考え方がその解釈に入っていったことも興味深いですね。)
まあ、「太極」「無極」という熟語の理解においては、宋代の周敦頤から朱子の流れがやはり決定的であるようで、ここをもう少し理解するためには、
朱子学における「理」の意味を少し掘り下げて理解した方がいいように感じます。
続く
【参考文献】
『道教事典』平河出版社
2019.09.17
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9.15の日曜日は、大阪で行われた(一社)北辰会定例会に参加してきました!!
今回は前日の土曜の夜に日本伝統鍼灸学会の学術部会議があったので、前泊ではなく、早朝に起きて大阪に向かうってやつをやってみました。
(これ、ほぼはじめてに近かったですが、キツイキツイ。。)
でも、早起きして行ったかいがありました。
午前中は実技訓練。
愛媛の水本先生の班で、久々に先生の勢いのある臨床に触れ、メチャクチャ楽しかったです☆
サクサクと、素早い体表観察に基づく直線的な論理で病因病理を組み立て、鮮やかに治療するスタイル、大好きです。(*‘∀‘)
また、僕が普段意識していないところも先生は意識しておられ、非常に参考になりました。
合穴の意味、胸部の諸穴の診察、湧泉の観察、もっと意識せねば。。。
午後は関東支部の竹山先生の症例「円形脱毛症」。
これも2017年版の皮膚科の診療ガイドラインでは
「単発型あるいは少数の脱毛斑(数個程度)の症例の場合,発症後1 年以内は経過を観察するだけでもよい.また経過の長い全頭型や汎発型の場合,
治療を断念しかつら等を使用するよう勧めるという選択も妥当な対応といえる.」
とあるように、明確な治療法が確立されていない、なかなか難しい病気であり、しかもCQ(クリニカルクエスチョン)において、鍼灸治療については
「評価:C2 行わない方がよい」
となっており、その理由として、
「鍼灸の施術方法は施術者や患者ごとに同一の方法ではなく,病状の経過の記載も不十分で,医学的な評価水準には達していない.現段階では鍼灸治療による発毛効果に関して有用性を論じる段階にはないが,
すでに広く実施され、発毛効果を示す症例報告がある点を考慮し,また無効あるいは有害であることを示す良質のエビデンスも存在しな
いことから,推奨度をC2 とした.」
とある。
このように、EBMの考え方においては、たとえ明らかに有効と思われる有効例がいくつかあったとしても、その論理と手法がバラバラで、大規模な比較優位のきちんとした手法に則った報告がなされていなければ、
良質のエビデンスが存在しない、と断じられ、「やらない方がよい」という結論になってしまうのです。
因みに、鍼灸学校で使用されている『東洋医学臨床論 鍼灸編』では、全頭脱毛や壮年性の脱毛(禿髪症)、精神の問題で患者自身が髪を抜いてしまう抜毛狂(トリコチロマニア)などは「注意を要するもの」とし、
自律神経の失調や精神的ストレス等で増悪する円形脱毛については「適応となるもの」と位置付けて、東洋医学的な弁証分類と治療法を提示している。
このように、鍼灸師側としては、
「効果があるものもあるんだから、やったっていいじゃないか、やる価値があるじゃないか」
という立場なわけです。
今回の症例では、1年間、キチッと定期的に治療に通ってもらって、完璧ではないにせよ、脱毛以外の不定愁訴も含め、一定の結果を出しているという、
実にリアルな症例でした。
明日来るかもしれない脱毛症の患者さん、会員諸氏は学ぶところが多かったと思います。
実は今週末、関東支部でこの症例を解説します。
支部ではどうなるか、S先生が荒らしてくれるそうなので、来られる方はお楽しみに!!!(∩´∀`)∩
2019.09.16
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前回のお話し
参照
さて、続きいきます。
まずは辞書引きからいきましょうか。
平河出版社『道教事典』によれば、
〇
◆太極
天地万物の根源。
『易経』の生成論(太極→両儀→四象→八卦)の最初。
『周易正義(※)』においては”一元の気”と説明。
(※)唐代に国家事業として編纂された儒教経典の注釈本『五経正義(653年)』の一つ。
北宋の周敦頤(1017-1073)は、太極の無形であることを強調するために「無極にして太極」の語を用いた。
さらに周敦頤は、『周易』の生成論を補足拡大して「無極而太極→陰陽→五行→八卦→万物」と述べた。
その後、南宋の朱子(朱熹 1130-1200)は『太極図説解』の中で周敦頤の「太極而無極」を重んじ、「無極を太極の本体」「太極を無極の作用」としつつ、太極無極の不即不離化をはかった。
朱子はさらに「体用論」「理気説」の立場で宇宙を認識せんとした。
このように、「太極」という熟語は生成論から始まり、朱子に至って認識論という意味を付与される、という変遷をした。
その後、17世紀に明末清初の儒学者、王夫之(1619-1692)が朱子の理気説に反論して「気が理に優先する説」を徹底させた。
因みに王夫之の思想は後の毛沢東にも影響を与えたと言われる。
さらにその後、18世紀に清代考証学の大成者と言われる戴震(1723-1778)が出て、「存在の根源を気に求める思想」を決定的にした。
(以上引用、花崎隆一郎氏の文章を竹下により抜粋補足意訳、箇条書きに変更。)
〇
もともとは万物が陰陽に分かれる前の混沌とした状態のことを「太極」と呼んでいたようですね。
それが、宋代になって、ものごとを認識する際の認識論哲学の用語としても用いられるようになった、という感じでしょうかね。
「体用論」については以前少し書きました。
「体用理論」に関して 5 参照
話しが難しくなってきましたが、東洋医学をきちんとやるなら避けて通れないこの難題、徐々にまとめていきましょう。
続く
2019.09.15
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こないだ、大先輩と呑んでいて、「太極」「無極」の話になった。
清明院も10月で十周年。。。
実は清明院のロゴは、中国北宋の時代、かの周敦頤(1017-1073)の『周氏太極図』から取ったものです。
↑↑これね。(『太極図説』より)
清明院ロゴマークについて 参照
因みにこの図の来源については諸説あり、これに関しては勉誠出版の『占いの想像力』がとても参考になります。
西洋医学とは人体観を異にする、この医学の大前提となる自然観、宇宙観、宇宙開闢論。
ここらあたりを考える上で外せないのが「太極」や「無極」というものに対する理解です。
いつか書こう、そのうち書こう、なんて思っている間に、あっという間に10年が経ちました。。。
ここらで、10周年記念て感じで、難しいテーマですが、なんとか書いてみましょう!!
続く
2019.09.14
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今日の診療終了後は「お会議」へ。。。
日本伝統鍼灸学会の学術部会議です。
僕は有難いことに、幾人かの先生方から御推挽頂き、今年度からこの会議に参加させていただいているのですが、学会内部の運営等々に関してはまったくの素人であり、
ド新人ですので、今はただ、先輩方のやり取りを観察して、勉強させていただいております。
どこもそうでしょうけども、プロの臨床家や研究者の先生方の集まりである「学会」というものを運営するのは、とても大変なことです。
僅か数カ月関わっただけですが、それが徐々に分かってきました。。。(苦笑)
・・・てなわけで、今日も勉強してきます。<m(__)m>
2012.07.08
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2014.04.26
2024.11.07
2024年10月の活動記録2024.11.01
2024年 11月の診療日時2024.10.10
清明院15周年!!!2024.10.09
2024年9月の活動記録2024.10.01
2024年 10月の診療日時2024.09.19
2024年8月の活動記録2024.09.01
2024年 9月の診療日時2024.08.03
2024年7月の活動記録2024.08.01
2024年 8月の診療日時2024.07.10
患者さんの声(70代女性 目の痛み、不安感)2024.07.05
2024年6月の活動記録2024.07.01
2024年 7月の診療日時2024.06.05
2024年5月の活動記録2024.06.01
2024年 6月の診療日時2024.05.10
2024年4月の活動記録2024.05.01
2024年 5月の診療日時2024.04.13
(一社)北辰会、組織再編。2024.04.02
2024年3月の活動記録2024.04.01
2024年 4月の診療日時2024.03.14
2024年2月の活動記録2024.03.01
2024年 3月の診療日時2024.02.15
2.17(土)ドクターズプライムアカデミアで喋ります!2024.02.04
3.10(日)(公社)群馬県鍼灸師会で講演します!2024.02.03
3.3(日)「浅川ゼミ会」にて講演します!2024.02.02
2024年1月の活動記録2024.02.01
2.25(日)順天堂東医研、第5回特別公開シンポジウム「日本とインドの伝統医学」に登壇します!!2024.02.01
2024年 2月の診療日時2024.01.11
2023年、9月~年末の活動一覧2024.01.05
診療再開!!2024.01.01
2024年 1月の診療日時2023.12.30
2023年、鍼療納め!!2023.12.21
(一社)北辰会、冬季研修会のお知らせ2023.12.01
2023年 12月の診療日時2023.11.26
患者さんの声(60代女性 背部、頚部の痒み、首肩凝り、高血圧、夜間尿)2023.11.25
患者さんの声(70代女性 耳鳴、頭鳴、頭重感、腰下肢痛、倦怠感)2023.11.22
12.3(日)市民公開講座、申し込み締め切り迫る!!2023.11.21
今週からの講演スケジュール2023.11.16
日本東方医学会学術大会、申し込み締め切り迫る!!2023.11.01
2023年 11月の診療日時2023.10.10
清明院14周年!!2023.10.04
12.3(日)市民公開講座やります!!2023.10.01
2023年 10月の診療日時2023.09.23
第41回、日本東方医学会学術大会のお知らせ2023.09.22
第55回、順天堂東医研に参加してきました!2023.09.21
第27回、日本病院総合診療医学会で発表してきました!!2023.09.20
Dr’s Prime Academiaで喋ってきました!2023.09.01
2023年 9月の診療日時2023.08.18
第54回、順天堂東医研で喋ってきました!2023.08.17
順天堂東医研の学生さんと、「森のくすり塾」へ。2023.08.16
診療再開!!