東洋医学 伝統鍼灸 清明院

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「境界線」の大事

2011.11.27

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以前から分かっていたつもりだったが、最近、これをよく感じる。

経穴(けいけつ)というものは、教科書のような、丸いポチッとした形をして存在してることはほとんどなく、大概はあやふやな、いびつな形をして存在していることが多い。

それが硬かったり、軟弱だったりする訳だ。

しかも皮膚表面に浮いてたり、深部に沈んでたり。

・・・で、それにピタッと合わせた鍼をしなければならない。

そこで大事なのが、「境界線」に対する意識。

虚実の境界線。

寒熱の境界線。

表裏(深浅)の境界線。

隣り合った経穴との境界線。

全体の中で、それが持つ意味。

フェザータッチと論理性、どちらも大事。

・・・で、そこを意識して上手に動かすと、非常に高い効果。

だが反面、危険もある。

意図したベクトルと逆方向に気が動けば、「悪化」だ。

境界線は曖昧だけど大事。

ひかない訳にはいかない。

そして、その両岸には「主従」があり、「法則性」がある。

最近も、夢分流から教わった。

うれしい再発見。

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再分析(標本について その2)

2010.07.25

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これまでのお話・・・


再分析(病因病理について)

再分析(標本について)

 

 

・・・東洋医学的な鍼灸治療において、初診の時にその患者さんが、

・なにで困っているのか

・どうしてそうなったのか

・そうなってから他に変化したことはないか

・普段の生活状況(仕事、家庭環境)はどうか

・それは今後どう変化していくのか

・もともとの体質的な特徴はなにか

・実際に観察してみてどうなっているか

・・・などなどを、つぶさに、丁寧に診察し、それを「東洋医学の考え方に則って」分析し、治療する訳です。

 


そしてその患者さんが今後どうなっていくのかを、これまた、

「東洋医学の考え方に則って」

予測し、それを説明させていただいた上で、養生法や治療頻度などについても、ご提案させていただく、という訳です。

 


当然、「病気」というのは、難しいものになればなるほど、1,2回の治療で効果が期待できるようなものは少ないです。

 


これはどんな名人だろうが仙人だろうが、そうなんです。

 


病治しの世界は甘くはないんです。

 


・・・残念ながら。苦笑

 


しかも、治療していく日々の中で、その患者さん自身が、こちらが期待している通りの生活をしてくれるとは限りません。

 


患者さんの体の状態や、置かれている状況というのは常に変化、流転する訳です。

 

 

悪い方向にも、です。

 


つまり、たとえ初診の段階で、

「これで完璧だ!」

と思えるような東洋医学的な診断、治療を施したとしても、そこから一直線に何もかもが治癒、快方に一直線に進む、などということはなかなかない、

 

というのが厳しい現実なんです。

 


ただしかし、そうであっても、患者さんの変化に迅速についていき、時には先回りして、いち早く、治癒に導いてあげたい、笑顔が見たい、というのが、治療者側の普通の考え方です。

 


ここで大いにモノを言うのが「再分析力」です。

 

 

それも瞬時の。

 

 

 


「標」と「本」という言葉の意味については前回お話しした通りです。

 

 

ここで、

「病を治そうと思ったら、根本を治す”本治”だけやり続けるのが一番いいんじゃないの?」

と思う方もいらっしゃるかも知れません。

 

 

これは中医学の成書では「治病求本」と言われ、非常に重要な考え方なんですが、いつも必ずそうとは限りません。

 


しかし、時には”病の枝葉”ともいえる「標」を先にやっつけた方がいい場合もあるのです。

 

 

どんな時かというと、急性症状や激しい症状で、まずは症状を治めてしまわないといけないような場合です。

 

 

これも「急則治標」という、重要な考え方です。

 

 

反対に、症状があるけれども、ある程度安定している状況の時は「緩則治本」といって、本質的な病理を治療するのです。

 


また、時々刻々と流転する日々の中で、患者さんの病の「標」と「本」の主従が逆転することもあるんです。

 


その、

 

「今この瞬間は、標を相手にするか、本を相手にするか、あるいはその両方を相手にするか(標本主従の明確化)」

 

という判断の正確さ、的確さの下支えになるのが、


「病因病理把握力」+「体表観察力」


なのであります。

 


前者は基礎理論~応用理論の把握がしっかりしてないと正確性を失うし、後者は感覚の鋭さ、的確さがないとこれまた正確性を失います。

 


「理論」と「感覚」・・・これ両輪の輪です。

 


この両者を「バランスよく」鍛え、臨床の精度をより高めようと思ったら、結局は一生懸命勉強して、毎日患者さんに「本気で」向き合い続けるしかないんです。

 


漫然とやってたら、十年やってもダメです。

 


常に「本気」でやることです。

 


ただ、引かれない程度にね。(笑)

 

 

とどのつまり・・・、患者さんこそが我々の「先生」なのだ、ということです。

 

 

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