東洋医学 伝統鍼灸 清明院

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東洋医学は宗教か。 8

2016.08.26

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これまでのお話

 

東洋医学は宗教か。

東洋医学は宗教か。 2 

東洋医学は宗教か。 3

東洋医学は宗教か。 4  

東洋医学は宗教か。 5

東洋医学は宗教か。 6 

東洋医学は宗教か。 7   参照

 

 

さて、どんどんいきましょう。

 

 

◆宗教と医学医療の関係性

 

 

前回書いたように、東洋医学も、『黄帝内経』以前はもともと巫祝(ふしゅく:呪い医療)が中心でした。

 

(もちろん『黄帝内経』以降も、無くはなかったようですが。)

 

 

中国は、儒教、道教、仏教という、中華三大宗教が有名で、医者ももちろん、人の生き死にを相手にする以上、各時代で、それらの影響を多分に受けているでしょう。

 

 

日本でも、江戸時代までは「僧医」あるいは「儒医」といって、禅宗のお坊さんや、儒家が医師を兼ねることが普通のことでした。

 

 

北辰会が用いる「腹部打鍼術」の創始者といわれる夢分斎先生は、臨済宗の禅僧でありますし、このブログでも紹介した江戸期の多くの名医は、

 

儒家も兼ねた儒医であります。

 

 

日本で医療の担い手は医師が、宗教の担い手は僧が、という風に明確に分かれたのは明治以降ではないでしょうか。

 

 

因みに中央アジアや、南アジア諸国などの中には、治療と呪術が混然一体となって行われている地域は、現在でも存在します。

 

(シャーマンドクターとか、ウィッチドクター、ってやつね。)

 

 

また、西洋医学も、西洋社会全体の世俗化、近代化に伴って、もともとはキリスト教、神学の一部であったのが、

 

徐々に独立し、宗教的色彩が脱色されてきた歴史があるそうです。

 

 

現在でも、遺伝子治療や生殖医療や終末期医療など、最先端の西洋医学が、新たな治療法の一般化を論議する際に、

 

倫理的に大きな問題になることの一つに「宗教的価値観、生命観」があります。

 

 

このように、もともと、医学と宗教は別れてはいなかったのですが、大まかに言えば、近代科学が発達し、それに伴って医学(西洋医学)が発達し、

 

細菌だのウイルスだの、異常細胞だのと、病気の原因が科学的、顕微鏡的に徐々に明らかになってくるにつれ、また、人体の解剖学や、外科手術の道具や技術が進歩するにつれ、

 

体と心と魂の三位一体の人間観で考えた場合、「体」の問題は医学が、「心」や「魂」の問題は宗教が、それぞれ別々に担うようにと、変化、

 

変遷していったという、歴史的背景があります。

 

(体に関する学術が急激に巨大化していったことと連動して、でしょうね。)

 

 

それが面白いことに、高度に文明が発達した現代になって、医学が担う「体」の範疇を、やっぱり宗教の倫理観が一定程度差配する、というように、

 

宗教と医学は、やはり切っても切れない関係性にある、と言っていいと思います。

 

(・・・というか、僕らから見れば、体と心と魂が、切っても切れない関係なんですよ、そもそもネ。(笑))

 

 

ここで、医学も宗教も、相手にする対象はもちろん「全人間」なんですが、医学医療が担うのは人体に起こる「病気」の解決、緩和、予防ですから、

 

その対象は病人や半病人が主になりますが、宗教が担うのは「生きる上での葛藤や悩み苦しみ」の解決、緩和、予防であり、また、信者の「行動の規範、価値基準」までも指導するものである、

 

と、分けて考えるなら、対象としている範疇と目的が、宗教の方が大きく、広いようにも見えます。

 

 

宗教が、医学医療をスッポリと包み込んでいるように思えます。

 

 

しかし、

 

「人間が悩み苦しんでいる状況、それは即”病気”である」

 

ととらえるならば、医学医療が対象とするものも、宗教が対象にするものと、限りなく近くなっていきます。

 

 

「生即死」とか、「生きることは死ぬことである」、とはよく言われますが、僕ら鍼灸師も、死の場面に深くかかわることがあります。

 

(全然関係ないけど、むかし実家に千葉敦子さんのよく死ぬことは、よく生きることだ というタイトルの本が、母親の本棚においてあり、

 

このフレーズが、小さい頃から妙に僕の脳裏に焼き付いています。)

 

 

僕の短い臨床経験の中でも、長年往診で在宅医療をやっていたこともあり、数多くあります。

 

 

また、外来、往診問わず、どう考えても間近に迫る死を回避できない、どうにもならない患者さんに接することもあります。

 

 

医学は医学、宗教は宗教、と割り切って考えている僕ですが、そういう時に、「治療」という概念の範疇を押し広げて、そういう人、

 

あるいはそのご家族からどうやって「抜苦与楽」するのか、単純に体だけ診ていていいのか、という考えが頭をもたげることも、

 

無くはないです。

 

 

 

続く

 

 

 

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東洋医学は宗教か。 7

2016.08.25

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これまでのお話

 

東洋医学は宗教か。

東洋医学は宗教か。 2 

東洋医学は宗教か。 3

東洋医学は宗教か。 4  

東洋医学は宗教か。 5

東洋医学は宗教か。 6    参照

 

 

さて、どんどんいきましょう。

 

 

◆「魂」の存在をどう考えるか。

 

 

私が2008年頃から講師を務めさせていただいている、鍼灸学術研究団体である北辰会は、その理念の中に、

 

「東洋医学で、患者さんの心と体と魂を救う」

 

と掲げております。

 

北辰会の理念は こちら

 

 

ここだけを読んだら、多くの人は

 

「いやこれ、宗教じゃん」

 

という感想を持つかもしれません。

 

(苦笑・・・私の身内(理系)なんかはそうでした。)

 

 

よく、一般人や、無知な鍼灸学生などから侮蔑、嘲笑気味に”宗教臭い”とか言われがちな東洋医学、鍼灸医学の中でも、

 

北辰会は正直”特に”だと思います。(苦笑)

 

 

まあ近年になって、そのイメージもだいぶ払拭されてきたようにも思いますが。

 

 

この理念に関して、僕が分かる範囲で、簡単に説明致してみます。

 

 

北辰会では「心・体・魂」という三位一体の生命観を持っていますが、この「魂」というものの存在に、蓮風先生は若い時分から非常に興味を持っていたようです。

 

 

これは非常に多義的な言葉だと思いますが、北辰会の理解を平たく言えば、人間の持つ、心(精神)の内面の、もっともっと深い部分(在意識的、本能的なもの)

 

を包含し、意識や時間や空間すらも超越した、霊的で、スピリチュアルな部分、というか観念(想念というべきか。)のことです。

 

 

北辰会方式の鍼灸治療では、患者さんをやる時に、そこまで射程に入れなければいけない、実際に入れられる、と、理念に掲げた訳です。

 

 

北辰会、蓮風先生の言う「魂」を、もっと細かく、もっと分かりやすい言語でもって説明した場合、どういうものであるかについては、

 

蓮風先生のブログや、北辰会機関誌の『ほくと』の中に、講義録として、ある程度掲載されています。

 

(興味のある人は、まずそれを一通り読んでもらったら宜しい。)

 

ブログについてはこちら(『鍼狂人の独り言』の”魂”を含む記事)

 

 

北辰会が、その前身である大阪経絡学説研究会から始まって、昭和54年(1979年)に正式に北辰会として設立、発足し、その後、

 

徐々に数百人規模の大きな団体となっていった、昭和40年代~60年代というのは、戦後の復興~高度経済成長の極みから、

 

急転直下のバブル崩壊、そしてそれ以降の就職氷河期、という極端な時代背景があり、日本人が経済的、物質的に非常に豊かになっても、

 

心の内面は本当は満たされない、ということを思い知り、物質的に豊かな時代も、厳しい時代も、結局は精神面の不満足、不安、

 

不満などのストレスから、あらゆる病になる人も多く、それを解決するために、そういう患者を診療する側の医療従事者はもちろん、

 

一般人も含めて、当時は社会全体にそのような

 

「目に見えない、人間の内面のディープで不可思議な世界への探求」

 

を志向する空気が、ある意味で非常に盛んだったのではないでしょうか。

 

(この時代のこういったムーブメントを指して、新宗教ブーム、オカルトブーム、なんていう言葉もあります。)

 

 

そうした時代背景もあり、蓮風先生をはじめ、北辰会の諸先輩も、患者さんを治療する日々の中で「魂」というものの存在を強く意識するようになっていったのでしょう。

 

 

ただ、北辰会が宗教団体と違うのは、魂を救うのに、宗教的な呪い的な儀式などではなく、あくまでも『黄帝内経』に基づく

 

「東洋医学(中国伝統医学)の論理でもって」

 

しかも

 

「鍼灸治療でもって」

 

それをやる、むしろそれをするのは鍼灸じゃないとダメなんだ、というスタンスを堅持しているというところが重要だと思います。

 

 

だから、北辰会はどこまでいっても宗教団体ではなく、東洋医学の学理を学び、鍼灸治療の技術を磨く、「鍼灸学術団体」なのです。

 

 

もう一つ大事なのは、一般的な東洋医学、つまり『黄帝内経』に端を発し、立脚する中国伝統医学の世界には、ほとんど「魂」であったり、

 

「霊的なもの」の存在というのは説かれていません。

 

 

 

約2500年くらい前に成立したと言われる東洋医学のバイブルである『黄帝内経』よりもさらに以前は、巫術(まじない)が医療の中心であったようで、

 

そこから『黄帝内経』に至って、「気」「陰陽」という自然哲学に立脚した、「臓腑経絡学説」に基づく、科学的な医学医療が確立され、

 

展開されていった、という流れがあります。

 

 

『黄帝内経』は、「呪い医療」の詳細な説明や実践方法の紹介は、意図的に排除し、避けた訳です。

 

(ところどころ、仄めかしてはいますが。)

 

 

ですので、人間存在を考える時に「魂」というものの存在を「あるもの」として意識し、それをどうこうしようとするならば、その人間観自体は、

 

東洋医学的というよりも宗教的、呪い医療的にはなります。

 

 

なりますが、それをどうこうする際の「論理と手法」が徹底して東洋医学的、中国伝統医学的であるならば、むしろそれこそが真の東洋医学なんではないでしょうか。

 

『黄帝内経』以前の歴史をも踏まえている、という意味で。)

 

 

東洋医学の世界観というのは「気一元」です。

 

 

この世界、万物、森羅万象は「気」から出来ている、と説きます。

 

 

であれば、上に述べた「魂」「気」で出来ている、となります。

 

 

その「気」に、直接働きかけ、操作するべく考え出されたシンプルな道具が、鍼灸なのです。

 

 

だから当然、気の流れを調えることで、結果的に「魂を救う」ことも、鍼灸治療の射程圏内に入ります。

 

 

ある意味単純明快であり、悪く言えばルーチンワーク的な「How to 治療」みたいなものがいつまでたっても跳梁跋扈する鍼灸業界において、

 

北辰会、蓮風先生が、この難しい問題を中途半端に扱わず、変にごまかさず、真正面から理念として述べている姿勢を、

 

「僕なんかは」リスペクトしている訳です。

 

 

要は日々の鍼灸治療の実践を通じて、真剣に人間学をなさっているわけで、その一つのあり方の主張な訳です。

 

 

ただし、あまり変にこういうところを強調したり、初学者や素人に対して、伝え方を過てば、妙な誤解のもとになり、話が前に進みにくくなる面もあります。

 

 

この辺のバランスは、教わる側のリテラシー、理解力、スタンスの問題も絡んでくるので、現代日本社会の中で、東洋医学教育に携わるものとして、

 

大変難しいところだとは常々思っています。

 

 

 

続く

 

 

 

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東洋医学は宗教か。 6

2016.08.24

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これまでのお話

 

東洋医学は宗教か。

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東洋医学は宗教か。 3

東洋医学は宗教か。 4

東洋医学は宗教か。 5      参照

 

 

さて、どんどんいきましょう。

 

 

◆やれ宗教だの非科学だのと言うが・・・。

 

 

まあ、鍼灸や東洋医学に対して批判的な人というのは、大概僕らのことを

 

「あんなもん宗教だー 非科学だー オカルトだー」

 

と、侮蔑気味にのたまいます。

 

(悲しいことですが、実はかつては僕自身がそうでした。)

 

 

しかし、そういう人に対して、

 

「ではあなたの宗教観、科学観に関する基本的な認識を述べて下さい。」

 

と問うと、ロクな答えが返って来ないことがほとんどでしょう。

 

(これも、僕自身がそうでした。(笑))

 

 

要は、何か怪しい、何となく信じたくない、という”何となし”の感情を、それらしい言葉で表現しているに過ぎない場合がほとんどなんだと思います。

 

 

単に人様のことを上から論評したい、よく分からないものをくさしたい、という心理なのか。

 

 

だから、本来はとるに足らないのだけれども、意外と多く、しかも鍼灸師の中にも、そういうこと言う人が居たりするので、

 

「それは良くないよね」と思うところもあり、今回、こんなんを書いてます。(苦笑)

 

 

自分だけの価値観でもって、違う価値観の人様をなじるなんてのは、一生懸命、真面目に仕事をしている人に対して、失礼ではないでしょうか。

 

 

 

 

僕個人は、多くの現代日本人と同様に、何か特定の宗教を信仰しているということはないので、特定の宗教を信仰しておられる方からみたら、

 

宗教の問題に関しては正直「門外漢」ですので、あまり詳しく、実体験を踏まえて語ることは出来ませんが、最初に書いたように、

 

僕は本来の宗教というものについては、

 

「人間を幸せに向かってあまねく教え導くもの、思想、信条。」

 

であると、ごくごく一般的な理解で認識していますので、それがいかなるものであっても、別に他人に迷惑さえかけなければ、

 

その人が何を信仰していようとも全然OK、と思っています。

 

 

むしろ、信仰によってその人の心が安定するんなら、しといた方がいいんじゃないの?と思っています。

 

 

僕の友人、先輩、後輩には、色々な宗教を信仰している人が実際にいますし、宗派や教義が違っても、別にみんな仲良しです。(笑)

 

 

普通に平和に一生懸命、仕事して、みんな生きています。

 

 

僕も無宗教でありながら、たまにその人の信仰している宗教の考え方を教わったりして、健全に議論したりしています。

 

 

まあこういう感じで、東洋医学と西洋医学も、それ以外の考え方も、いい感じで仲良くやれていて、患者さん自身が自由に平等な制度の中で、

 

治療の方法を選択できるような社会システムになっていれば、別に問題は起こらないのだろうと思いますが、同じ医学医療でありながら、

 

国民皆保険制度の中で、かなり制度的に不公平になっているのも、一つにはよくないと思いますね。

 

(東洋医学が受けたくても、普通に保険が使えない、という時点で、国民からしたら相当ハードルが上がりますからね。)

 

 

 

 

宗教の中には、たまに「邪教」あるいは「悪い信者」とでもいおうか、人様に迷惑をかけるものが時折現れます。

 

(強引で威圧的、高圧的な勧誘で怖がらせる、信者から不条理なお金を巻き上げる、断定的な負の物言いで、人の心を傷つける、いたずらに不安がらせる、などなど。。)

 

 

また、国家レベルでみたら、宗教的な思想信条の対立から、戦争が起こったりします。

 

 

歴史的にみれば、戦争の原因はほとんど宗教的対立です。

 

(・・・まあ、名目上は、かもしれませんが。)

 

 

また、近年でも日本国内で、彼らなりの”世直し”を目的として、大規模なテロ事件を起こした新興宗教がありましたね。

 

(因みにそこの教祖は、熊本の盲学校で免許を取った鍼灸師だったという。。。(苦笑))

 

 

思想信条というのも、あまりラディカルになっていくと、善悪が反転することがありますね。

 

(これは上記の新興宗教の元幹部が、自身の教団を旧日本軍に例えて述懐しています。)

 

 

・・・ともかく、どちらかというと、「神仏習合」なんて言って、有史以来、あらゆる宗教に寛容で鷹揚な日本ですが、明治維新(神仏分離)と敗戦(神道指令など)を経て、

 

現代ではどちらかというと、バブル期以降の新宗教ブームの顛末(といっても収束不全だと思うけど)から、世間一般ではマイナスイメージの方が強いのかもしれません。

 

(日本の思想的鷹揚性については過去記事 根本思想と鷹揚(おうよう)性 参照)

 

 

だから宗教に関しては、義務教育の中で教わることもほとんどないので、自分自身で冷静に正しく勉強して、歴史的変遷を踏まえて正確に認識した上で、

 

これから東洋医学を勉強しようと思っている人には、宗教とはまずは切り分けて、安心して勉強を始めてほしいし、これから東洋医学にかかろうと思っている人にも、

 

要らぬ心配をせずに、変な疑念を持たずに、安心してかかってほしい。

 

 

市井の一鍼灸臨床家として、そのように思っています。

 

 

次回、私が講師を務めさせていただいている(一社)北辰会が理念に掲げる「患者さんの心と体と魂を救う」ということの、

 

特に”魂”の意味に少し触れておきましょう。

 

 

 

続く

 

 

 

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東洋医学は宗教か。 4

2016.08.22

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これまでのお話

 

東洋医学は宗教か。

東洋医学は宗教か。 2 

東洋医学は宗教か。 3      参照

 

 

さて、続きいきましょう。

 

 

◆僕が個人的に必要と感じたから選択し、学び、実践しているだけ。

 

 

前回、僕自身の経験談として、10代の頃から、僕なりに本気で鍼灸の臨床に取り組んでみた結果として、当初は批判的であった、

 

東洋医学の論理を、消去法的に選択するしかなかった、というお話をしました。

 

 

またその一方で、東洋医学の論理を採用する場合、術者が「気」「経絡」という現代物理化学の範疇を超えた存在を「信じて」運用するしかなく、

 

また、患者さんから見ても、治療効果、治療をしての変化そのものが、しばしば実に不思議な感覚で、いわば「神秘体験的」でもあり、

 

そう言う意味で、何となく「宗教フレイバー」が出やすい側面もあるのかな、というお話もしました。(笑)

 

 

気や経絡の存在を肯定、信頼するということは、神仏や霊魂のような、摩訶不思議で超越的な存在を肯定、信頼することと”さも似たり”、というワケです。

 

 

また、現代の最高の医療機関と言われる(?)大学病院だの、専門医の権威の先生だののところに数年足繁く通って治らないようなものが、

 

数回の東洋医学的な鍼治療で、あっけなく治ってしまえば、患者さんからしたら「神秘体験」に他なりません。(笑)

 

 

そして、それを自在に操ることが出来る、東洋医学の医者は、患者さんから見ても、同業他者から見ても”教祖化”、”カリスマ化”しやすい側面がある、と。。。

 

 

・・・しかし、僕はこれはちょっと違う、と思っています。

 

 

そのように、東洋医学の医者を、教祖だのカリスマだのと祭り上げる側の人間による、ただのミスリードだと思っています。

 

(患者さん自身が、そう思うことで実際に救われて歓喜するのは、別にいいことですけどね。)

 

(変に祭り上げる、外野のことを言っています。)

 

 

また、もしそうやって祭り上げられた術者自身が、本気でそう思ってしまえば、それこそ徐々に”医者”ではなくなっていくのではないでしょうか。

 

(実は冷静にすべて分かっていて、治療効果を最大化するために、あえてそう振る舞っている場合は別ですけど。)

 

 

その先はホンモノの宗教家か、単なる天狗か、お山の大将か、裸の王様か。

 

(圧倒的大多数は後者なワケで。)

 

 

 

 

僕の場合は、患者さんに対する鍼灸の効果を最大化し、またそのために、自分自身が安定的で盤石に、鍼灸臨床家の道を一生かけて力強く歩むことを第一に考えて、

 

東洋医学の論理を冷静に客観的に選択しているだけであって、別にそれを他者に強制しようとか、強要しようとかは、1ミクロンも思っていません。

 

 

それは患者さんに対しても、清明院のスタッフに対しても、誰に対してもそうです。

 

(もちろん、出来たら東洋医学が今よりも広まってくれたらいいなー、とは思っていますが。)

 

 

僕に僕の道があるように、人には人の道がある。

 

 

各々が好きなペースで、好きな道を歩いて行きゃあいい。

 

 

ただ、人様に迷惑はかけるなよ、不快にさせるなよ、もし喧嘩打ってきた日にゃあ、100倍返しするぜ、と思ってるぐらいのもんです。(笑)

 

 

次回、では何で、そこまで東洋医学の論理を信じれるのか、気や経絡というのは、どうやって信頼するに足りるものになっていったのか、

 

これについてもう少し詳細に触れておきましょう。

 

 

 

続く

 

 

 

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北里大学教員勉強会感想 まとめ

2016.08.11

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これまでのお話・・・

 

北里大学に行ってきます☆

北里大学の教員勉強会に行ってきました!!

北里大学教員勉強会感想 1    

北里大学教員勉強会感想 2      参照

 

 

では、まとめ行きましょう。

 

 

今回、御縁があって、北里大学で行われている、鍼灸学校教員を対象とした勉強会に参加してきました。

 

 

この勉強会は年に一回の開催で、今年で11回目なんだそうです。

 

(10回目で終わる案も出たそうですが、続けてほしいという声に応えて11回目の開催となったそうです。)

 

 

これまでにも、声をかけて頂いてはいたんですが、たまたま忙しくて日程調整がつかなかったこともあり、また、この勉強会で主に行われているような、

 

文献研究や医史学の細かい内容に、そこまで興味が湧かなかったこともあり、何となく参加してきませんでしたが、墓マイラーシリーズにも書いているように、

 

なぜか去年あたりから、無性に歴代名医の墓参りに行きたくなり、今年は大塚敬節先生、矢数道明先生たちの墓参りにも行き、

 

明治以降の鍼灸漢方の近代史に以前よりも興味を持つと、北里大学東洋医学総合研究所という存在が、妙に気になりだしました。

 

墓マイラー 目次 参照

 

 

・・・で、これは何かのタイミングだろうと思って、今年こそ行ってみようと思ったわけです。

 

 

北里大学の東洋医学総合研究所は、1972年の6月、田中角栄の日中国交正常化の3か月前に、大塚敬節先生を所長として開設されました。

 

 

それから44年経った現在、2016年になって、日中関係や、日本国内における鍼灸漢方を取り巻く状況も様々に変遷する中、

 

初代所長の大塚敬節先生、2代目所長の矢数道明先生の、東洋医学にかけるアツいアツい魂は、いかほど伝わっているのか、

 

それをどの程度、肌で感じることが出来るかと思って、行ってみることにしました。

 

 

1日目の懇親会の後は、ほとんど知り合いのいない、内輪呑みの感じの二次会にも、あえて参加してみました。

 

(苦笑・・・北里の研究員の先生方が、どんな会話をしているのかと思ってね。)

 

 

まあ2日間通じて、大塚先生の偉大さ、パワーのようなものは、ビシビシ感じました。

 

 

東鍼校もそうだし、花田学園もそう、衛生学園もそうだけど、もともとは一人の人間が旗を振って、あれだけのものを構築できる能力ってのは、

 

単純にスゴイですよ本当に。

 

 

 

 

・・・で、2日間参加しての結論としては、やっぱり東洋医学、鍼灸医学を、もっともっと国内外に向かって、効果的にアピールするべきだと思いました。

 

 

たとえ良い研究、良い臨床、良い内容の勉強会をしていても、そのことを、現代社会で使いうる、色々な拡声器を使って、

 

もっともっと大きく叫ばないと、もったいないなー、と思いましたね。

 

 

そりゃあ、自分の言ってることをよく分かってくれる理解者に囲まれて、そこである種の「共同体」を構築し、その中で楽しくやってりゃあ、

 

一定の幸福感、満足感は得られるかもしれないが、それだけでいいのか、という思いを、何回も感じました。

 

 

もちろん自戒の気持ちも込めて、です。

 

 

ただ、北里に関しては、今回が初であり、まだ分かっていない部分も多々あると思うので、今後もうちょっと、理解を深めたいと思っています。

 

 

いやー、いい刺激になったわ。

 

 

 

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北里大学教員勉強会感想 1

2016.08.08

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いやー、先週末は激動の二日間でした。。。

 

 

土曜日の朝から満タンの予約表をせっせとこなし、二人の新患さんもせっせとこなし、終わるやいなや、ダッシュで北里大学に直行し、

 

勉強会の後、懇親会、二次会と参加し、遅くに帰宅し、翌朝、日曜日も朝一から勉強会、そのあと、勉強会で偶然久しぶりにお会いした先生と呑みに行き、

 

再び遅くに帰宅。。。

 

 

そしてあっという間に今日、月曜日になってしまいました。

 

 

関西に勉強会に行くときは、新幹線による移動時間があるので、その間寝れたりとか、インターバルがある感じなんですが、

 

今回の様に東京だと、ずーっと休みなく動いて、頭も気も使っている感じで目まぐるしく、なかなか草臥れました。(笑)

 

 

でもまあ、教員の先生方のための勉強会なんて、週に一回、2コマだけチョイチョイ講義しているだけのエセ教員である私が参加するのは、

 

場の雰囲気や講義の話題も含めて、実に場違いな感じがしましたが(苦笑)、今回、たまたま御縁があって参加したからには、

 

全力で参加するのが私の流儀、礼儀です。

 

 

しかも今回の場所は北里大学

 

 

日本の東洋医学の近代史を語る上で外せない場所です。

 

 

先日墓参した大塚敬節先生、矢数道明先生の魂に失礼の無いよう、気合いを入れて参加し、質問が許された、ほぼすべての講義に質問させていただきました。(笑)

 

墓マイラー 29 大塚敬節先生

墓マイラー 28 矢数道明先生

大塚敬節という人物

矢数道明という人物

 

 

土曜日の1コマ目は京都の猪飼祥夫先生

 

 

古典(千金方)におけるお灸の記載を実際にやってみた、そしたら大やけどして現実的ではなかった、というお話。

 

 

こういうことは、色々な古典において、けっこうあるんじゃないかと思います。

 

 

現代日本人と古代中国人では衛生観念も身体感覚も、鍼灸に対する認識もすべて違います。

 

 

現代日本の、しかも「その土地、その環境の」患者さんを治療する訳ですから、それに合わせないといけませんね。

 

 

もちろん、伝統の本質は外さないように、です。

 

 

2コマ目は、この業界では知らない人はいないであろう、大学者の真柳誠先生による講義。

 

 

僕のブログでも、真柳先生の研究室のサイトの情報をどれほど活用させてもらっているか。

 

 

スゴイ研究者です。

 

 

今回の講義は、みんなが現代でも使っている、色々な漢方薬の成り立ちの歴史の、分かりやすいお話でした。

 

 

我々がバイブルにしている『黄帝内経』『難経』『傷寒論』の医学は、宮廷医学であったに違いない!というご意見、

 

細かい時代考証、なるほどなー、と思いました。

 

 

僕としては気になる「三陰三陽」に関して質問させていただきましたが、イマイチ消化しきれていないので、後ほどまたこのブログで整理しようと思います。

 

 

3コマ目は森之宮医療大学長野仁先生の講義。

 

 

経絡がなぜああいう配列で並んでいるのか、経穴がなぜああいう配列で並んでいるのか、という素朴な疑問を、講義の中で御本人も仰っていたように、

 

「妄想」した内容の講義でした。(笑)

 

 

僕も東洋医学に関する妄想は大好きなので、参考になるところがありましたね。

 

 

まだ色々と聞いてみたいことがあるので、またどこかで会ったら聞いてみようと思います。

 

 

二日目の感想に続く。。。

 

 

 

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「易」を勉強する意味

2015.03.28

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東洋医学をやるものは、「易」をやるべきだ、と、多くの名医が言っております。

 

 

 

有名なのは中国唐代の名医、孫思邈(581?-682)による

 

「易を知らなければ医を知るとは言えない」(『備急千金要方』巻1序例、太医習業)

 

という発言です。

 

 

比較的近代でも、中国清代、1825年の『医門棒喝』章楠(章虚谷)撰に、

 

「易の言葉は全て医学の指針である。」

 

と述べられています。

かつてこのブログでも紹介した中国明代、張介賓(張景岳 1563-1640)も、『類経附翼』という本の中の第一巻を「医易」と名付けて、医学と易学の関係を論じています。

 

「張景岳(ちょうけいがく)」という人物 参照

 

 

・・・とまあこんな具合に、東洋医学の医者を志すならば、「易」をよく勉強しなさいよ、と、色々な有名人が述べております。

蓮風先生もその色々な著書の中で、度々「医易学」の重要性を説いておられますし、北辰会の大先輩である神野英明先生も、

『鍼灸・漢方の名医になる秘訣』

という、医易学に特化した著書を書いておられます。

はるばる・・・(その12) 参照

・・・前置きが長くなったけど、今日は、何でこんなに、色んな先生に「易」が重要視されるのか、というお話です。

易と言えば、街なかにいる占い師の”易者”を思い浮かべる人がほとんどでしょう。

そう考えると、東洋医学をやるには、占いの知識を入れる必要があるのか、と考えがちですが、医者が易を学ぶときというのはその意味よりも、

 

自然(つまり人間、つまり患者さん)を認識する哲学としての「易」の重要性を言っているのだと思います。

我々が毎日使う「陰陽」という考え方のもとになった哲学書こそが『易経』なんです。

これはどういう哲学かといえば、『易経』の中の「繋辞上伝」というところの第4章に、

「易は天地と準(なぞら)う。故に能く天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す。

この故に幽明の故(こと)を知る。始めを原(たず)ね終りに反る。故に死生の説を知る。精気は物を為し、游魂は変を為す。

この故に鬼神の情状を知る。」

と、書いてあります

これは要するに、易は素朴な自然観察(農耕を中心とした天体観察と大地の観察)から出来たものであるから、

この世の全て(形あるものとないもの、目に見えないものも含めたすべて)がよく分かるのです、と、宣言されています。

まずこれが重要でしょう。

 

続く

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東洋医学と「唯物論」「非唯物論」

2015.03.27

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今日は哲学的なお話。

 

 

まあ哲学なんて、とんでもない膨大、莫大な学問分野であり、僕なんてズブの素人なんですが、東洋医学を実践する上では、避けて通れない問題なので、

 

たまには自分なりに考えてみました。

 

 

西洋医学では、

「人体は、60兆個の細胞の集まり」

と、説きます。

(因みに近年では37兆個説が定説となっているようです。まあ、個人的にはどうでもいいが。。。)

 

 

この立場から、さらに細かく考えれば、人体も、人間を取り巻く大自然もみんな、原子、電子、分子、つまり物質と、その物質間に働く電磁力の集合体、と考えられます。

この立場からすれば、我々の精神、意識の活動(喜怒哀楽などなど)なんてのは、単に脳の特定部位の神経細胞の興奮(活動電位)の結果、ということになりますし、

 

あらゆる自然現象は全て物質の移動、変動、電位変化の観察により解析可能なのではないか、ということになります。

 

 

また、この立場からすれば、「生命」というのは遺伝子を自己複製する精巧なシステムであり、「死」はそのシステムの活動停止である、となり、

 

神仏?霊魂??気や経絡???・・・んなもんないっしょ、って話になります。

 

・・・とまあこのように、この世の森羅万象の根本は「物質(素材的なもの)」である、とする考え方を、「唯物論(ゆいぶつろん、Materialism)」と言うそうです。

 

 

因みに、その物質の集合体である生命も、そこに働いている物理的法則が分かればすべて理解可能、というスタンスを「生命機械論」と呼んだりします。

 

北辰会が治療方式の用語と理論のベースに置いている、中華人民共和国が1950年代にまとめあげた「中医学」というのも、この「唯物論」の考え方でもって、

 

それまでの中国伝統医学をまとめた医学であります。

 


さてここで、数千年の歴史を持つ、「東洋医学(中国伝統医学)」の深遠な世界が、この「唯物論」でもってすべて把握できうるか、説明できるか、

 

本当の意味で「東洋医学的に」人間を診る医学として、その理解は正当か、という問題になると、かなり疑問が残る、という話を、随分前にしました。


東洋医学と中医学 参照


(もう、あの記事から5年も経つのか・・・。( ゚Д゚))

 


じゃあもし、「唯物論」では東洋医学が表現、理解しきれないとすれば、どういう考え方ならば出来るのでしょうか。

 


唯物論の対義語として、

「観念論(かんねんろん、Idealism)」

とか

「唯心論(ゆいしんろん、Spiritualism)」

という言葉があるそうです。

 


「観念論」は、事物の存在と存り方は、事物よりも認識主体側の、当の事物についてのidea(イデア、観念)によって規定される、という考え方であり、

 

物質よりも精神、理性、言葉に優位性を置く理論のことだそうです。

 

「唯心論」は人間・社会において、心、もしくはその働きこそは至上の要因であるとする立場の一つで、心やその働きは、あくまでも物質に還元されない独特な性質を持っているとして、

 

物質的存在がその存在を容認されるのは、「意識」によるものである、したがって、意識こそが存在を決定づける、という論だそうです。

 

観念論も唯心論も、唯物論に対する言葉だそうで、要は「非」唯物論なのでありますが、観念論と唯心論は同義ではなく、

観念論は認識論(哲学の分野で、人が理解できる限界について考察する学問)における考え方

 

であり、


唯心論は存在論(哲学の分野で、存在するものの意味や根本規定を考察する学問)における考え方

 

なんだそうです。

 


東洋医学の背景にある古代中国の自然哲学では、大宇宙も、小宇宙である人間も、すべて「気」から出来ている、と考えます。


(これを”気一元論”と言います。)

 

そして、宇宙の開闢については、無(太極)から陰陽(両儀)が生まれ、それがさらに陰陽に分かれ(四象)、さらに分かれ(八卦)、という風に分化して万物が成った、と考えます。

(by『易経』繋辞上伝

 


また、

「道は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生ず」

という考え方もあります。

(by『老子』42章

 

因みにこの『易経』『老子』と同じような考え方は、『淮南子』天文訓にも出てきます。

 

 


まずこのような、大枠としての自然観、宇宙観、宇宙生成論が前提としてあり、その中にある、小宇宙たる人間、という風に説きます。

 

 

ここに出てくる「気」や「太極」や「道」といった考え方を、「物質が根本」という考え方で説明しきれるでしょうか。

 

 

中国伝統医学は、人間を、大宇宙と相似性、同一性を持ち、なおかつ大宇宙と常に連関する存在、という風に考えますが(天人合一思想)、それについても、

 

いわゆるニュートン物理学の言うような、質量を持った物質」における物理法則の範疇で理解可能でしょうか。

 

 

中国伝統医学は、もともと、そういう独特な考えでもってとらえた「人間」「患者」に対する、最良の医学医療はどうあるべきか、という風に考えを進めて、

 

悠久の歴史の流れの中で、絶え間ない臨床実践(ある意味人体実験)を繰り返す中で、永久不変の真理としての実効性、普遍性、再現性を備える形で、

 

少しずつ、でも堅実に、堅牢に構築され続けてきたものであるとすると、現代的な唯物論で説明するよりも、本来は”非”唯物論で解釈した方が、

 

より正確に理解が出来そうな気がしてきます。

 

現状において「現代中医学」が世界中の東洋医学教育のグローバルスタンダードになっているからと言って、こういう根本哲学に関わる部分まで、

 

まったく無批判に、悪く言えば盲信的に受け入れていては、問題が生じるのではないか、というのが、北辰会の立場です。

 

 

中国伝統医学を理解するにあたって、「唯物論」に対して「観念論」的、「唯心論」的で、さらには、それらをもすっぽりと包むように「気一元論」的に解釈し、

 

「生命機械論」に対して「生気論」的に解釈しようとする姿勢を重視しています。

 

(だから臨床実践において”直観”とか”魂”というものを、論理と同じかそれ以上に重視している訳ですね。)

 

日本という国は、いつの時代も、大陸から流入した新しいものを、自国の風土や価値観と見事に習合させ、ピューリファイ(精錬、純化)してきた歴史があります。

 

 

中医学に対しても、日本人としてはそうあるべきではないでしょうか。

 

 

この問題については、私もまだまだ理解が浅いですが、一生かけて、もっともっと深く考えていかないと、と思っています。

 

 

 

【参考文献】

 

『哲学事典』平凡社

『哲学・思想事典』岩波書店

『詳解 中医基礎理論』東洋学術出版社

『気の思想』東京大学出版会

『鍼灸医学と古典の研究 丸山昌朗東洋医学論集』創元社

『医学の哲学』誠信書房

 

 

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3月(一社)北辰会エキスパートコース大阪会場

2015.03.03

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3.1の日曜日は、大阪で行われた(一社)北辰会エキスパートコース大阪会場に参加してきました!!

午前中は、刺鍼クラス。

僕よりも全然長いこと第一線でやられている、大先輩に鍼していただきました。

診立てがどうとか、刺鍼技術がどうとか、そういう事よりも、会話のキャッチボールのスピードとして、

こちらが訴えていることへの素早い理解とアドバイス、この能力が素晴らしいと思いました。

そして、そのアドバイスの説得力と、違和感のない、声掛けの間。

これが実は、臨床では非常に重要なのです。

もちろん、こんなのはテストなどの客観的な評価法ではなかなか測りきれない能力だと思います。

非常に勉強になりました。

午後は久々の蓮風先生による代表講演「魂について」と症例発表「鬱証」でした。

これも非常に勉強になりました。

今後、自分が勉強と臨床をやっていく上での、色々な、色々なテーマをいただきましたね。

とてもここには書ききりません。

最後は実技練習。

私も講師候補班を担当させていただき、指導させていただきましたが、本部の講師候補の先生方は、非常に意識が高いです。

技術もうまいです。

知識もしっかりと入っています。

関東支部の会員の先生方も、やはり本部にどんどん行って、この”意識の高さ”に刺激をもらうべきだなあ、と再認識しましたね。。。

そして終了後はお酒。。

久々に橋本浩一先生とご一緒させていただき、先生の炸裂ぶりに感銘を受けました。(笑)

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東洋医学をやっている鍼灸院の求人がほとんどないメカニズム 3

2015.02.14

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これまでのお話

東洋医学をやっている鍼灸院の求人がほとんどないメカニズム
東洋医学をやっている鍼灸院の求人がほとんどないメカニズム 2

 

では続きいきます!!

 


前回は、この業界に非常に少ない、

「東洋医学的な鍼灸治療をしている鍼灸院の院長」

になるにはどうしたらいいか、私の経験も踏まえた、現実路線のお話をしました。

 


ただこれは、私自身の経験から言っても、相当な精神力、体力、根性、ヤル気、根本哲学、根本思想を持っていないと、どこかで心が折れる可能性は非常に高いと思います。

 

人間、甘い方、楽な方に流れるのです。

 

初めはその人なりに「志」のようなものを持って、上記のような事を始めたが、途中で頓挫、脱落する人間も、これまで何人も見てきました。

 

まあ要は、

「東洋医学的な鍼灸治療を懇切丁寧に教えてくれて、やらせてくれて、なおかつキチッとお給料もくれる職場」

からの求人が皆無に等しいのであれば、現実に許された範囲内で、最大限の努力をして、掴み取るしかないよね、というお話です。

 


そこで今回は、また別のパターンです。

◆有名な先生のところに弟子入りする

これも、あり得るパターンです。

 

(一社)北辰会では、蓮風先生の鍼灸院(藤本漢祥院)が、内弟子を受け入れています。

 

詳しくないけど、他の流派の先生でもやってるでしょうね、そういうことは。

 

これはいわゆる”徒弟制度”というやつです。

 

この徒弟制度については、蓮風先生もこれまで、対談やブログにおいて語っておられます。

 

鍼狂人の独り言 第251回 鍼が上手くなるために 参照

 

師匠の志に共感できること、また、師匠の全生活に、鍼に対する考え方が露出している、それを感じることが重要である、という指摘は重いと思います。

 

それを真に受け取った人がする、鍼一本に籠る魂には、それの無い人がするものとは、大きな違いが出てくるだろうと思います。

 

しかしながら、こないだテレビで、最近、新入社員に対するモラハラ(モラルハラスメント)やパワハラがよく問題になっていますが、それに対してビートたけしが、

「モラハラって言ったって、芸能界や古典芸能の世界では、もう酷いもんだね。師匠が弟子を怒るなんていう時は人間扱いしていないもの。」

と発言して話題になりました。

 

 


その場にいた外科医の天野篤先生もそれに同調し、

「外科医の世界もそうですけどね。」

と発言しました。

 

・・・とまあ、このように、弟子になる、それも内弟子になる、ということは、師匠はある意味絶対的な存在になるし、しかも24時間体制の閉鎖空間ですから、

 

師匠-弟子間は、場合によってはこのような、まるで使用人のような「絶対的な上下関係」になりやすい、という側面もあります。

 


それでもどうしても、この先生に近づきたい、そばに居たい、と思う人は、この道を選ぶのもいいだろう、と思います。

 

それでうまくいったケースも、うまくいかなかったケースも、何例も知っています。

 

まあ、そもそも論として、有名な先生の治療を横で数年間見ていたからって、それだけで自分が出来るようになる訳ではないので、そこさえ勘違いしなければ、というのが大前提の話ですが。

 

 

有名な先生のところで何年か修業した、と言えばそれは立派なことだけど、それで勘違いして、修行が終わった後エラソーにしてたら、ただのバカと言われますし、師匠の名を汚す結果になります。

僕的には、この世界に入って以来、臨床というものは、全て患者さんの病との、真剣なタイマン勝負の中に、諸々の重要なことが詰まっており、

 

師匠の華麗な臨床を横で見ている世界に、ヘンにどっぷりとつかってしまうと、そこが見えにくくなる場合もあるんじゃないかと、僕なんかは、

 

個人的には、若干ですが、思っていますけどね。。。

ふっ

 

続く

 

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