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鄧鉄涛(とうてっとう)先生が御逝去されました。

2019.01.11

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昨日、FB上で訃報を目にしました。

 

 

このブログでも以前紹介した老中医、鄧鉄涛(とうてっとう)先生が10日の朝、104歳でお亡くなりになりました。

 

東西医学によるSARSバトル  

一貫堂医学について 8(感染症と東洋医学)

文化大革命と中医学 4            参照

 

 

鄧鉄涛先生は、2009年頃から、(一社)北辰会会長、藤本蓮風先生とも交流があり、蓮風先生の御著書である『体表観察学』には推薦の書を書いていただいております。

 

 

偉大な鄧鉄涛先生のご略歴について、非常に分かりやすくまとめて下さったので、東洋学術出版社さんのFB記事を許可を得て引用させていただきます。

 

(以下引用)

 

鄧鉄涛先生は,1916年,広東省の開平でお生まれになりました。

 

広州中医薬大学終身教授で,第1回目の国医大師(日本で言えば医師で人間国宝のようなもの)です。

 

鄧先生は,優れた臨床家・教育家であっただけでなく,中国において中医学全体の発展に多大な貢献を果たしてこられた方で,中医薬事業の発展の節目で何度も重大な献策を行ってこられました。

 

中国中医界の “魂”であり,精神的支柱でありました。

 

たとえば,1990年,中国政府が制度改革を実施したとき,中医薬管理局が廃止されると聞いた鄧先生は,ただちに全国各地の老中医の先頭に立って政府に上書を提出しました。

 

これは,中医界ではよく知られている「八老上書」と呼ばれる上書で,八老とは,鄧鉄涛・方薬中・何任・路志正・焦樹徳・張琪・歩玉如・任継学の8人の老中医のことです。

彼らは,国家中医薬管理局を廃止することはできず,その権限と経費を削減することはできないと述べ,さらに各省に中医薬管理局を設立することを建議しました。

 

そしてその1カ月後,上書は認められ,国家中医薬管理局は維持されることになりました。

 

中医学を世界医学として普及させ,さらに中国文化を代表する一つと位置づけ発信している現在の中国の動向を見ていると,この上書の先見性がより際立ちます。

 

また2003年にSARSが流行した際にも,鄧先生は上書しています。

 

その上書を受けた当時の呉儀首相は,中医座談会を開きます。

 

SARSに対し中医が予防治療できる方法であることが強調され,座談会の後,ただちにSARS制圧のために中医が投入されました。

(SARS制圧後に行った鄧鉄涛先生へのインタビューは『中医臨床』98号に掲載されています http://www.chuui.co.jp/chuui/000188.php

 

現在,中国では優秀な若い中医師を,経験豊かな老中医に就かせて学ばせる,大学教育と伝統的徒弟教育を融合した教育システムを採っていますが,

 

それは,広東省中医院で鄧先生が提唱して実施されたやり方がモデルになっているといわれます。

 

中医学の魂を体現した老中医がまたお一人,鬼籍に入られました。

 

しかしその精神と経験は,伝統的徒弟教育を通じてきっと若い中医師らに継承されていると思います。

 

心よりご冥福をお祈り致します。

 

(引用終わり)

 

 

第一回国医大師・・・。

 

 

中国政府に上申書・・・。

 

 

しかもあの中国政府の方針を変えさせるとは。。。

 

 

まさに中医学の巨星ですね。

 

 

日中韓に、東洋医学の名医はたくさんおりましょうが、鄧鉄涛先生ほどの先生はいないでしょう。

 

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

合掌。

 

 

鄧鉄涛先生の詳しい経歴と学術については 国医大師鄧鉄濤  参照

 

 

 

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泣く患者さんたち

2018.11.19

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最近、治療中や治療後に泣く患者さんが多い。

 

 

開業してすぐの頃、これにずいぶん困惑した。

 

 

泣いている患者さんに、

 

「どうしたの!?」

 

とか、

 

「なぜ泣いているんですか??」

 

とか、聞いてみたりね。(笑)

 

 

これに関して、蓮風先生に質問したこともある。

 

「それはいい鍼やで。」

 

と言われて、

 

「意味分かんねー(゚∀゚)」

 

とか思ったこともある。(笑)

 

 

・・・今では、別に気にも留めない。

 

 

泣いていようがいまいが、いつも通り所見を確認し、平然と治療を進めている。

 

 

「最近多い」理由を考えながら。

 

 

「泣く」を含む記事    参照

 

 

 

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大伯父の人生 1

2018.10.11

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墓参になんて、まったく興味のなかった私だが、数年前から、すっかり墓マイラーである。(苦笑)

 

墓マイラー 目次          参照

 

 

今回、鍼灸の学術や臨床とは一見関係ないようだけど、私の大伯父の人生について分かる範囲でここに書いておく。

 

 

今年のお盆に群馬に帰省した時、いつも母や叔母とともに、祖父方、祖母方の先祖の墓参に行くのだが、今年は何気に、戦争で亡くなった大伯父の話題になった。

 

 

大伯父とは、私の母方の祖母の兄にあたる人である。

 

 

私の親類の中で唯一の、大東亜戦争での「戦死者」だ。

 

 

恥ずかしながら、今までは

 

「戦時中に、南方のどこかで死んだ」

 

くらいしか知らなかった。

 

 

当事者が、戦争の記憶をどう伝えるかについては、各家庭によって全然違うようで、うちの場合は、まったくと言っていいほど戦争の話題は出なかった。

 

 

まあ、戦争はどう見ても大人同士のアホクサイ殺し合いなわけですから、説明しにくい、というのがあったのかもしれない。

 

 

今回、色々調べて分かったのだが、大伯父は終戦の年、1945年の3月5日に、フィリピンのルソン島にて、22歳で戦死しているという。

 

(亡くなった日は、なんと僕の誕生日と1日違い。。。知った時はじゃっかん鳥肌立ちました。)

 

 

今年、祖母の方の実家の墓を参った時、墓誌にその大伯父の名前が刻まれていないことが話題になった。

 

 

大伯父は次男であり、少し年上の長男がいるのだが、長男の名前と、曾祖父、曾祖母の名前は刻んである。

 

 

しかし、大伯父の名前だけがない、これはどうしたことかと、母や叔母と色々話をした。

 

 

一つには、戦後だいぶ経ってから建てられたお墓なので、戦中に亡くなった大伯父の名前は、あえて刻まなかったのでは?という意見。

 

 

もう一つには、戦争で亡くなったから、靖国神社に軍神として祀られているので、墓には魂が入っていないのでは?とか、

 

あるいは、どこかにもう一つお墓があるのでは?とかいう意見が出たが、それは誰も知らず、どうもはっきりしない。

 

 

そこで、いい機会だったので、大伯父の人生に関して、分かる範囲で調べてみることにした。

 

 

22歳の若さで戦死した大伯父。

 

 

優秀な人だったという。

 

 

 

続く

 

 

 

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プリキュアのパワー (゜o゜)

2018.10.07

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清明院、相変わらず清明保育園になることがあります。

 

清明保育園1

 

清明保育園2

 

清明保育園3

 

 

最初は一つしかなかったぬいぐるみも、気付いたらどんどん増え、さいきんではついにプリキュアが加わりました。

 

 

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プリキュアは5~10歳くらいの女の子には圧倒的破壊力です。

 

 

3歳児くらいまでのアンパンマンに匹敵します。(笑)

 

 

いやー、すげえな、バンダイ。

 

 

アニメーターの職人魂はもちろん、バンダイタカラトミーの圧倒的企業努力を感じます。

 

 

僕も精進します。

 

 

清明保育園のラインナップ、まだまだ増えそうな勢いです。

 

 

 

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一貫堂医学について 10(患者の死と道伯先生の臨床)

2018.09.19

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これまでのお話・・・

 

 

墓マイラー 52 森道伯先生

森道伯という人物

一貫堂医学について 1(三大体質五大処方)

一貫堂医学について 2(瘀血証体質について)

一貫堂医学について 3(臓毒証体質について)     

一貫堂医学について 4(解毒証体質について)

一貫堂医学について 5(解毒証体質の続き) 

一貫堂医学について 6(温清飲について) 

一貫堂医学について 7(スペインかぜの治療)

一貫堂医学について 8(感染症と東洋医学)

一貫堂医学について 9(矢数格(道斎)先生の治療)      参照

 

 

 

ここまで、たまたま森道伯先生の墓参に行ったことをきっかけに、甚だ簡単ではありますが、日本の漢方の一流派である一貫堂医学について紹介してきました。

 

 

墓参に行くと、その名医が実践した医学、その名医の思想、行動、人生に興味が湧き、色々調べていくと、非常に感動することがあります。

 

 墓マイラー 目次          参照

 

 

今日、東洋医学が現代日本で行われているのは、先人たちの絶え間ないご努力の上にあるのだということを再認識しますね。

 

 

あらためて、

 

「ナメた鍼は打てねえなー。。。」

 

という気持ちになります。

 

 

 

 

最後に、いくつか森先生の臨床でのエピソードを紹介しましょう。

 

 

前述したように、森先生は医者であると同時に仏教の僧籍を持つ宗教家です。

 

 

もう亡くなることが分かっている患者さんの前では「生死一如」の理を優しく説き、悠々と死を迎えられるように導いたそうです。

 

 

浄土宗では”南無阿弥陀仏”ととなえるが、阿弥陀には

 

阿→生

弥→現在

陀→死

 

という意味があり、生から死、死から生へと、大自然の生々化育、霊魂不滅、生死流転の理を示すのだということを、患者さんに分かるように、

 

平易な言い方で説いて聞かせたと言います。

 

(・・・そういえば、藤本鉄風先生の墓石にも”南無阿弥陀仏”と刻んでありましたね。)

 

 

また、とある肺病の青年がもう助からない状況であり、本人が、どうしても肺病で死にたくない、と日々苦悩、懊悩していた時、森先生は

 

「これは絶対に肺病ではない、必ず治してあげるから。」

 

と伝えて、毎日のように往診に行ったそうですが、暫くして、その青年はついに亡くなってしまったそうです。

 

 

亡くなった日、森先生はいつもと変わらない様子で泰然と往診に来て、つかつかと青年の亡骸に近づき、いつも通り脈を診て、腹を診て、

 

「病はすっかり治ったよ、もうすっかり治った。」

 

と、何度も何度も、その青年の亡骸に、繰り返し語りかけていたそうです。

 

 

患者さんの家族や、ちょうどその場に来ていた西洋医は苦笑していたようですが、僕的にはこのエピソードにはシビレましたね。( ゚Д゚)

 

 

これは僕からは浄化に思えます。

 

 

魂に語り掛けてたんでしょう。

 

 

森先生は、この青年の霊魂をも、診ていたんだと思います。

 

 

西洋医に「肺病」と言われ、「もう助からない」と言われたこの青年の苦しみ、無念を浄化していたんじゃないでしょうか。

 

 

すぐ横にご家族がいて、西洋医がいる状況下でこれをやるとは・・・、森先生の魂自体が、永遠に不滅だね。

 

 

僕も在宅医療を始めて15年以上、これまで多くの患者さんを見送ってきましたが、このエピソードはなかなか、考えさせられるものがあります。

 

 

東洋医学の名医はホントに凄い。

 

 

 

・・・このシリーズ、これにておわり。

 

 

◆参考文献

 

『漢方一貫堂医学』矢数格

『漢方一貫堂の世界』松本克彦

『森道伯先生 生誕百年祭 記念文集』仁性会

『漢方医術復興の理論 改稿版』竹山晋一郎     他多数

 

 

 

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森道伯という人物

2018.08.31

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↑↑圧倒的貫禄。これは墓マイラー 森道伯先生で紹介したお写真をもとにした肖像画らしいんですが、素晴らしい出来栄えですね。

 

 

 

 

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昨日、墓マイラー 森道伯先生という記事を書きました。

 

 

・・・まあ、東洋医学をやっている者にとっては言わずと知れた、「一貫堂医学」の創始者であります。

 

 

このブログにも、これまでチョイチョイ、名前だけは登場していました。

 

「森道伯」を含む記事 参照

 

 

・・・さて、どんな人物か。

 

 

 

 

1867年大政奉還の年に、水戸藩(現茨城県中・北部)の、代々武家の家系に生まれる。

 

父は白石又兵衛という。

 

遠い祖先に清和源氏・源頼義がいる。

 

 (清和源氏とは、清和天皇の血を引く源氏姓の一族。後述しますが、皇室とご縁がありそうです。)

 

2歳の時、水戸藩の内乱を逃れて、今の茨城県、笠間城下の陶器商である森喜兵衛の養子となる。

 

 (だから森姓なわけね。)

 

12歳で養父が死去。

 

この時、養母を連れて東京に出て、すでに東京にいた長兄・又二郎とともに、鱉甲彫刻をして生活する。

 

 (なんて立派な12歳なんだ!( ゚Д゚) 現代にはこんなんいないでしょうな。。。)

 

この時の荷物の中に、実父の白石家に伝わる家伝の医書があったそうです。

 

 (この一冊が原点か。因みに詳細不明。)

 

 

1887年(明治15年)、15歳の時、実父の勧めにより、東京(浅草蔵前)で開業していた、実父の知己であり、仙台出身の産科の名医である、

 

遊佐大蓁(ゆさたいしん:正しくは快慎かいしんというらしい)について、3年間医学を学ぶ。

 

因みにこの遊佐先生の先祖は大庄屋で、医家としての初代の人物は、婦人科で有名なあの賀川玄悦(1700-1777)の学統であり、

 

道伯が師事したのは医家としての遊佐家の2代目で、4代目の遊佐寿助は宮城県薬剤師会の初代会長であったらしい。

 

賀川玄悦という人物

墓マイラー 14      参照

 

(繋がるね~~(゜o゜))

 

 

・・・ともかく、その後も鱉甲職人を続けながら、清水良斉という漢方医について漢方を学ぶ。

 

この清水先生がまた謎の人物で、名医だったそうだが大酒呑みで、ある時、旅に出ると家を出たまま、忽然と姿を消したそうで、その後を継ぐ形で「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。

 

 (まあ、神が道伯先生に診療所を与えたんでしょうかね。。。)

 

因みに道伯は鱉甲彫刻職人としても「西町の豊光(彫刻師としての道伯の号)」と呼ばれ、名が売れていたらしい。

 

 (サスガです。<m(__)m> きっかけは生活の為でも、やるからにはマジ、って感じだったんでしょうな。)

 

明治24年、24歳で最初の結婚。

 

26歳で長男義之介、30歳で次男光隆が生まれる。

 

(結婚してすぐに長女が生まれたそうですが、出生後すぐに亡くなってしまったそうです。)

 

明治32年、32歳の時に妻が妊娠中に腸チフスに罹り、流産し、亡くなる。

 

この時、道伯自身も、水戸に旅した際に風湿に中たり、強烈な黄疸を発し、清水良斉の治療を受けるも、生死を彷徨う。

 

(この時のエピソードについては後述します。)

 

 

1902年(明治35年)、35歳「日本仏教同志会」創立、社会教化運動を行う。

 

 (これは明治39年には解散したらしいですが。。)

 

↑↑こういうところも、道伯先生の面白いところです。

 

医家であると同時に、彫刻家であり、宗教家、社会活動家でもあったんですね。(゜o゜)

 

道伯先生は大変博学で、禅宗、真言密教にも精通しており、熱心に観音信仰をしていたそうです。

 

また政治や経済にも明るく、観劇に行く趣味もあったとか。

 

30代の頃、清水良斉先生の失踪後、「一貫堂」の看板を掲げて「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。

 

「一貫堂」はかつて師事した遊佐先生の診療所からとったもので、論語の里仁第四にある吾道一以貫之に基づいているそうです。

 

 

明治41年、41歳で再婚し、42年、道伯先生にとっては第4子である敬三郎が出生。

 

 

1918年(大正7年)、51歳の時、スペインかぜが大流行した際、病のパターンを胃腸型、肺炎型、脳症の3つに分け、それぞれ漢方で治療し、

 

大いに効果を挙げたという逸話はあまりにも有名です。

 

 

1923年(大正12年)、56歳で関東大震災に遭遇、居所保護法の建議案を訴えて、上野公園で演説を行う。

 

 (こういう、政治活動家的な側面もあったようですね。)

 

 

1926年(大正15年)、59歳の時、門人・西原学氏が「漢方専門」と標榜したところ、医師会から圧迫を受けたことをきっかけに、森先生は憤慨し、

 

長野市善光寺にて「漢方医道復興大講演会」を開催し、

 

「漢方を滅さんと欲せば、まず森道伯の首を刎ねよ!!」

 

との有名な文句を叫び、専門科名認可の訴訟を起こし、ついにこれを獲得しました。

 

 (スゲエ!(゜o゜) でも森先生は無資格!!みたいなね。。(笑))

 

 

・・・この、魂の籠った一言が、昭和の「漢方復興運動」の第一声と言ってもいいでしょう。

 

 

今日、街中に当たり前に「〇〇漢方クリニック」とか、総合病院内の中に「漢方外来」なんてのがあるのは、古くは森先生のこの行動のお陰と言ってもいいでしょう。

 

 

1930年(昭和5年)、63歳の時、森道伯の名声を伝え聞いた竹田宮、北白川宮から治療の依頼あり。

 

 (ここで皇室と繋がるわけです。何かの縁なんでしょうね。)

 

同年8月、歩行困難を訴え、9月には病床に伏せ、脊髄炎、尿毒症を起こす。

 

 

1931年(昭和6年)、64歳で逝去。

 

亡くなる3年前には、自分の死期を家人に告げていた。

 

 (ということはやはりあの墓石は自分で建てたっぽいですね。。。)

 

道伯先生は32歳の時に大病をした時に、観音菩薩に、

 

「寿命をもう32年延ばしてくれ、そしたら残りの人生は東洋医学の復興のために生きる」

 

と日夜お願いし、鍼灸と漢方薬で全治した経験があるらしく、その予言の通り、64歳でこの世を去った。

 

臨床でも、非常に直観が冴えており、不問診で患者の状態をピタッと言い当てたり、患者がこれからかかる病を予言し、その通りになったりと、

 

霊能力者っぽい逸話も多い先生であります。

 

 

 

 

以前書いた丸山昌朗先生といい、自分の死期を正確に悟っていたエピソードは、他の先生でもけっこうありますね。

 

丸山昌朗という人物 

墓マイラー 36 丸山昌朗先生  参照

 

 

名医らしいエピソードだと思います。

 

 

また道伯先生は

 

「術は以心伝心で初めて伝わるもの」

 

とし、著述を好まず、書籍は残っていないそうです。

 

 

もっとも有名な弟子である矢数格(道斎)先生『漢方一貫堂医学』が、森先生を知る重要な手がかりだと思います。

 

 

また、この先生は臨床において漢方だけでなく鍼灸も非常に重用したようであり、弟子には「人迎脈口診」の研究で有名な小椋道益先生や、

 

『漢方医術復興の理論』の著者で、昭和の時代に経絡治療を唱道したことで知られる竹山晋一郎先生、また婦人科医で、現在私が講師としてお世話になっている

 

東洋鍼灸専門学校の校長でもあった石野信安先生、他にも刺絡で有名な工藤訓正先生や、道伯先生と直接は会っていないようですが柳谷素霊先生門下の西沢道允先生など、

 

鍼灸師に与えた影響や、鍼灸そのものとの縁も深いです。

 

 

お弟子さんの諸先生方の後日談によって、この先生の臨床でのエピソードはたくさんあるのですが、特に印象に残ったものを二つ紹介します。

 

 

矢数格(道斎)先生の弟君である矢数道明先生が、漢方を学びながらも西洋医学にも興味を持ち、こっそりと患者の尿検査をしていたところ、それが道伯先生の耳に入り、

 

「試験管で小便の検査をしなければ治療が出来ないような漢方家になるならやめてしまえ!破門だ!!」

 

と怒鳴られたとか、あるお金持ちの患者さんが、処方を渡されて、帰るときに受付で

 

「これで本当に治るんでしょうか?」

 

と尋ねると、

 

「疑うような薬なんか飲むな!」

 

と一喝し、一旦渡した薬を引き取った事があるそうです。

 

(後日この患者さんは自分の態度振る舞いを反省し、無事治ったそうです。)

 

 

・・・とまあ、アツい臨床家、という感じの森先生。

 

 

この情熱が、多くの患者さんを救い、多くの優秀な後輩の心に火をつけ、現代まで脈々と続いているのでしょう。

 

 

「漢方医学復興」といえば、森道伯と同じ時代を生き、似た主張をした大人物である和田啓十郎先生とは、親交や面識があったかどうかは分かりませんが、

 

和田先生の場合は先に西洋医学を学び、その後に東洋医学に傾倒した人物で、業界に対して、ある種のイデオローグ的な言行を取ったのと違い、

 

森先生は最初からまさに「一貫して」漢方医学であり、生涯一臨床家であったと、後の竹山晋一郎先生は両者をともに”天才”と評価しつつ、

 

対比、比較しています。

 

 

また、和田啓十郎先生の息子さんである和田正系先生と、森道伯先生の高弟である矢数格(道斎)先生が、千葉医専(現千葉大学医学部)の同級生であったことは、

 

単なる偶然でない気がしてなりません。

 

和田啓十郎という人物

墓マイラー 39  和田啓十郎先生    参照

 

 

・・・以上、どんなにコンパクトにまとめても僕の頭と文章力ではこれぐらいになってしまうので、肝心の「一貫堂医学」がどういうもので、

 

鍼灸ではどういう風に応用が利くか、みたいな話は、また違うところで書きましょう。(笑)

 

 

イヤーなんか、森家と和田家と矢数家、そして大塚家、柳谷素霊先生、千葉大学、北里大学、東洋鍼灸専門学校と、一連の近代日本東洋医学の歴史の流れ、重みを感じます。

 

 

また、僕としては、一貫堂も、森道伯先生の弟子には鍼灸師もいるのに、どこからか、鍼灸師と漢方医が一枚岩でなくなってしまったような感じがして、それが悔やまれますね。。。

 

 

 

 

◆参考引用文献

 

『漢方一貫堂医学』矢数格

『漢方一貫堂の世界』松本克彦

『漢方医術復興の理論』竹山晋一朗

『森道伯先生生誕百年祭記念文集』仁性会

『森道伯先生伝並一貫堂医学大綱』道齋矢数格編

『漢方治療百話 第八集』矢数道明

 

 

 

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「門」の付く経穴

2018.06.13

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こないだ、

 

「風門」という経穴

 

という記事を書いた。

 

 

「門」には当然「門扉」という意味があり、気が入るところでもあり、出るところでもある。

 

 

平生は閉まっているものであり、気の往来がある時には開く、という意味か。

 

 

また、「門」には地霊を祀る要所、という意味もある。

 

(白川静『字訓』より)

 

 

ところで、「門」という字の付く経穴にはどういうものがあるか。

 

 

任脈:石門

 

督脈:命門、瘂門

 

手太陰肺経:雲門

 

手陽明大腸経:なし

 

足陽明胃経:梁門、関門、滑肉門

 

足太陰脾経:箕門、衝門

 

手少陰心経:神門

 

手太陽小腸経:なし

 

足太陽膀胱経:風門、殷門、魂門、肓門、金門

 

足少陰腎経:幽門

 

手厥陰心包経:郄門

 

手少陽三焦経:液門、耳門

 

足少陽胆経:京門

 

足厥陰肝経:章門、期門

 

経外奇穴:気門(関元の横3寸)、患門(心兪穴の少し外側、灸で使う)

 

正穴の別名:督脈の顖会穴の別名として鬼門

 

(臨床上重要な経穴を赤字にしました。)

 

 

赤字以外の経穴にも、思わぬ使い道があることでしょう。

 

 

大腸経、小腸経にないというのも興味深い。

 

 

大腸、小腸はそれ自体が門みたいなもんだからでしょうかね。

 

「大腸」って何ですか?(その6)

「小腸」って何ですか?(その5)   参照

 

 

個人的には、顖会穴の別名である「鬼門」は意味が深いように思います。

 

 

「顖会穴」については、明代、張景岳が『黄帝内経霊枢』海論(33)における脳髄海の治療穴にある「蓋(がい)」のことを百会ではなく顖会であると言っています。

 

「百会(ひゃくえ)」という経穴 5

「気」と「鬼」               参照

 

 

ここは僕もよく注目し、場合によっては刺絡したりします。

 

 

ある種の精神病の患者さんなんかでは、百会よりも反応の出ている経穴ではないかと思います。

 

 

 

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故人の本

2018.02.12

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僕もこの業界に入って、早20年近くが経ちます。

 

 

この業界には、本も出していない、学会発表もしていない、勉強会の講師もやっていない、ネットにも何も書いていない、そうやって表に出ていなくても、

 

メチャメチャ勉強している先生とか、メチャメチャ腕のいい先生というのがおります。

 

 

大体、そういう先生というのは大変な蔵書家です。

 

 

膨大な量の本を持っていたりします。

 

 

そういう先生が亡くなってしまうと、大量の本の扱いに、ご遺族が困ってしまうようです。

 

 

古本屋を呼んでお金に換えるのもいいけど、出来ればその道を志す、若い人に活用してほしい。

 

 

そんな流れで、亡くなった先生の本を受け継ぐことが、これまでに何度かありました。

 

 

その先生が心血を注いだ研究の証です。

 

 

そういう本は、心して読まないといけません。

 

 

 

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墓マイラー 46 番外編 沖縄慰霊編

2018.01.18

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再び、墓マイラーに行ってきました!!

 

これまでの墓マイラーは  墓マイラー 目次          参照

 

 

今回は番外編として、医家ではなく、沖縄戦没者慰霊編。

 

 

小学生の頃から、戦争の話は断片的に聞いていて、僕が子供の頃は、わずか40年くらい前の話なのに、教育から常識から、

 

現代とのあまりの違いに、何となく興味があり、この業界に入ってからは、行政上の鍼灸医学、東洋医学への不平等な扱いを現場で実感し、

 

日本の近代史、医学史にさらに興味を持つようになり、祖父が海軍であったこともあり、明治維新や大東亜戦争に関しては、

 

非常に興味を持つようになりました。

 

 

 

そして、ずーっと行ってみたかった沖縄の戦跡。

 

 

大東亜戦争時、南洋諸島や樺太、占守島、硫黄島と並んで、非常に激しい地上戦が行われた地です。

 

 

去年はハクソーリッジという映画にもなり、僕の中で興味が高まっていました。

 

最近観た映画  参照

 

 

 

そこでとうとう、行ってきました!!

 

 

20180114_190532.JPG

 

 

↑↑逆光で見にくいですが、戦争終結後、いち早く(と言っても約1年後)作られた沖縄県民による慰霊碑「魂魄の塔」

 

 

 

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↑↑当時は逃げ場所がなく、人口の壕以外にも、沖縄の土地独特の天然の洞窟や鍾乳洞(ガマ)の中を隠れ場所や病院として利用していました。

 

 

いくつか回りましたが、どこも非常に狭く、暗く、ジメジメ暑く、しかも当時は非常に臭く、まさに地獄絵図のような場所だったそうです。

 

 

それでも住民としては外の「鉄の暴風」の中に比べれば天国だったようです。

 

 

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↑↑有名な「ひめゆりの塔」。この隣の資料館は必ず寄るといいと思います。

 

 

塔のすぐ隣には沖縄戦の医療人への慰霊碑も。

 

 

軍医のギリギリの判断が功を奏して、多くの人が助かった例も、そうでない例もあるそうです。

 

 

 

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↑↑白梅の塔。地元のガイドさんは、ひめゆりだけが有名になって、観光地化しているけど、学徒隊はひめゆり以外にも白梅や梯梧など、たくさんあって、

 

そのどれもが、非常に悲惨な目に遭っているんだ、ということを強く強く言っておられました。

 

 

今回初めて実際に現地に行き、何人かのガイドさんから当時の話を聞くと、1945年の3月から6月末までの沖縄がどういう状況だったか、

 

その悲惨さ、過酷さ、恐ろしさ、非常に良く分かりました。

 

 

・・・やっぱ行かないとダメだね。

 

 

あれを生き抜いた人は、ホントに凄いと思います。

 

(ひめゆりの塔の資料館に行くと、生き延びた人のインタビュー映像が流れています。)

 

 

沖縄は、あれから72年経った今でも、残念ながら国際問題山積で、完全に平和とは言えない場所ですが、それでも当時は米軍の軍艦で埋め尽くされていたという海や、

 

「鉄の暴風」と言われる、1m四方に数十発の爆弾が落ちたと言われる土地と比較すれば、当時よりは格段に平和になった沖縄を見ると、亡くなった多くの人の死も、

 

決して無駄じゃなかったのかなと、まあ言葉にはなりませんが、ただただ、手を合わせたくなります。

 

 

合掌

 

 

 

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鍼をすると泣く

2017.10.08

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開業してすぐの頃、鍼するとよく患者さんが泣いた。

 

 

シクシク泣いたり、大泣きしたり。

 

 

そこで、

 

「どうして泣いているんですか?」

 

と患者さんに聞くと、

 

「悲しいわけでもない、何かがあるわけでもないんだけど、涙が出る。」

 

と仰る。

 

 

困った僕は、これを蓮風先生に聞いてみた。

 

「それは良い鍼や。魂に響いたんや。」

 

との答えだった。

 

 

そういう患者さんには、症状的にも、とんでもない劇的な変化が起こったりした。

 

 

ただ、場合によっては、「全く不可解な」変化も起こったりした。

 

 

良い変化とも、悪い変化ともつかないような・・・。

 

 

そこで僕は、

 

「これは危険だ。」

 

と感じた。

 

 

なぜならば、「狙って」それを出来ていないからだ。

 

 

それで起こった変化に対して、分析出来てないなんてのは、プロじゃない。

 

 

僕なりのエステティックに反する。

 

 

開業した頃、「体」よりも「心」よりも、もっと深い部分としての「魂」というものにずいぶん興味があり、そこを動かすような治療こそが本物だと思い込んでいた。

 

 

それはそうに違いないと、今でも思っているが、これを狙って出来ないのであれば、実に危険極まりない。

 

 

自分なりに一生懸命やった結果、そうなった、というのであればまだしも、中途半端な興味で、動かしてはいけない場合もあると思う。

 

 

最近チラホラ、「なぜか泣く」患者さんが増えてきた。

 

 

以前よりはある程度、狙って出来ている。

 

「泣く」とはどういうことか   参照

 

 

 

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