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2016.12.21
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これまでのお話
総合と総体 11 参照
本番の講義は終わったけど、大事なテーマなんで、最後まで書きましょう。
時間がなくて、講義で語れなかったことも、ここに書いておきましょう。(笑)
◆「三焦」の大事
前回までで、東洋医学の分析論は「常に総体における気の傾斜」を意識している、というお話をしました。
そして、「漠たる全、カオス」である総体を認識、検討するために、やや機械論的に、総体を寸断するために設定された概念が「五臓六腑」「十二経絡」「経穴」なのです。
でも、そうやって分けて分析しながらも、最終的には「一つ」に戻って考えなくてはならないので、「部分らしきもの(五臓六腑)」に分けながらも、
その中に「三焦の腑」という、「全体」をも示す存在を、五臓六腑という分類の中に入れ込んでいるのです。
一般化、普遍化を図るために、そういう設定(セッティング)にしている、ということです。
「三焦の腑」については、以前基本的なことは書きました。
この「三焦の腑」が何であるのか、というテーマ(三焦論)というのは、東洋医学を語る上で永遠のテーマのようなもの、とよく言われますが、
蓮風先生は三焦論の核心は「一つにまとめる」ということだ!と喝破しています。
この三焦論に関して、江戸後期に蘭学(西洋医学)が日本国内に流入してきてから、西洋医学者にもわかるように大真面目に論じた日本人の医者は、
意外と少ないようなんですが、その中に三谷公器(1775~1823)という人物がいます。
三谷公器という人物は著書である『解体発蒙』という本の中で、「三焦の腑」について、古典を引きながら細かく解説しております。
そしてその内容を、昭和初期の鍼灸の名人である澤田健先生が絶賛しており、澤田健先生が1930年(昭和5年)に復刻出版しております。
(因みに澤田健先生が絶賛している本は非常に少ないのですが、『解体発蒙』の他に広岡蘇仙(1696~?)が書いた『難経鉄鑑』があります。)
墓マイラー11 参照
澤田先生は復刻出版した『解体発蒙』に付けた『三焦概論』の中で、三焦のことを
「宇宙生霊の妙気の宿るところ」
と書いています。
・・・まあ、この言い方を現代の我々が聞くと、何やら怪しい表現の仕方だと思ってしまいますが、これは要は、
「東洋医学の宇宙観、身体観で、人体を表現する時に必要不可欠な臓腑なんだよ。」
という意味であると、私は理解しています。
本来、直観的にしか捕まえることの出来ない「総体における気の傾斜」を、一般的、大衆的、学問のレベルまでいったん理論的に落とし、
でもそうやって分割した世界を、直観的把握の世界に今一度立ち戻らせることの出来る存在(設定)が「三焦の腑」なのです。
続く
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2016.12.19
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これまでのお話
総合と総体 7 参照
◆「部分らしきもの」に分けた意味
ここまで語ってきたように、東洋医学は、なんだかんだと分析しながら、常に
「全体」「総体」「一」「一元的身体観」
に立ち戻って考えることが、その特長です。
でも、本当の意味で対象を「全体無媒介的に」まるっと真相を理解し、捕まえるためには、「直観的認識」しか方法は無いのですが、それでは一般化、大衆化は不可能です。
そこで、古代中国の医師達の解決策としては、一応「部分らしきもの」に分けて、その上で、全体を再構成する、という認識手段をとります。
その考えに基づいて人体に設定されたのが、「五臓六腑」です。
「五臓六腑」については、以前さんざん書きました。(笑)
カテゴリ「心包・三焦」 参照
まあ今読むと、わずか5年位前の文章なんだけど、幼稚過ぎて笑えます。
でもまあ、この時から私の主張のキモは変わっておらず、当時の私も、当時なりに東洋医学の内臓観と、西洋医学の内臓観を混同するなよ!!ということを、文章の中で、口を酸っぱくして訴えております。
「全体に立ち戻って考える」「総体における気の傾斜を知る」のが目的な訳ですから、各内臓の写実的な形体であったり、各内臓それぞれの、細部における形体的特徴や、
それら細部の発現する詳細な作用などよりも、各内臓同士がどのように関わっていることで、人体の恒常性が保たれているのか、その状態がどうなっているのかは体表面に現れるため、
それを如何に評価するか、というところに、興味は注がれます。
そして、全身を周流する「十二経絡」が設定(ある意味発見)され、その状態をうかがうことの出来る「経穴」というものが設定(これもある意味発見)されたと。
だから、各蔵府を切り分ける境界などはあえて不明瞭で、曖昧である方が、全体を再構築する時に、より完璧に近くなる、と考えていたのだろうと思います。
だから五臓六腑の中に、ある意味では「全身」を示し、臓腑間の「間隙」を示す「三焦の腑」なんていうものの設定も、必要だったんだろうと思います。
このように、「総合と総体」という観点から、東西両医学の本質的な特長と良さを把握していれば、江戸末期から明治時代に、両医学が対立し、闘争し、
結果的に一方がパージされる形での不幸な結末は迎えなかっただろうに、と思うと、惜しくてなりません。
続く
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2016.12.17
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これまでのお話
総合と総体 8 参照
◆「直感」と「直観」
東洋医学は西洋医学のように、やれレントゲンだ、MRIだ、CTだ、注射器だ、聴診器だと、検査にも治療にも、道具をほとんど使いません。
使うとすれば鍼灸と、湯液の方では動植物くらいなもんです。(笑)
当然ながら、単純に当時の科学技術の水準では、そういうもの(医療機器、検査機器)を作ることは出来なかったから、な訳ですが、ある意味、このセッティングがあったおかげで、
より高度で、確度の高い治療を行おうとする臨床現場において、医者側に、五感を中心とした「感覚」を研ぎ澄ますことを強要してきた面があります。
東洋医学の、直観的な全体像(総体)への把握というのは、「全体無媒介的な」把握の仕方であり、数値を診て分析したり、細部や内部の形体を可視化して分析したりするのに比べ、
ある意味では著しく高度であり、日本的な分かりやすい言い方で言えば、「職人芸」的だと思います。
そういう意味では、東洋医学、鍼灸治療は、職人の世界的な側面が大いにあります。
〇
ところで、「直観」という字を使った時と、「直感」という字を使った時と、意味は違うのでしょうか。
「直観」という言葉は、平凡社の『哲学事典』にも、岩波の『哲学・思想事典』にも、哲学用語として解説されています。
(因みにこの二冊は、本格的に医学をやるなら必須です!)
それに対して、「直感」の方は、一般の国語辞典や日本語大辞典にも出ています。
まあ色々な説明があるようですが、「直観」の方は
推理を用いず、直接に対象を捉えることであり、瞬時にその全体や本質をとらえる哲学用語として用いる
んだそうで、
直接的に全体および本質をつかむ認識能力として、プラトンの「イデアの直観」以来、哲学上さまざまな形で高い位置が与えられてきた。(スピノザ、シェリング、ベルクソンなど)
んだそうです。
「プラトン」を含む記事 参照
それに対して「直感」の方は
感覚的に物事の真相を瞬時に感じとること。
だそうで、まあ意味は似ているんだけど、「直観」の方がより高次元の認識の仕方であり、「直感」の方は素人的なというか、より感覚的なもの、って感じで使われることが多いようですね。
確かに、論理的思考や推論という過程を経ずに、一瞬にして全体や本質を認識する力というのは、人間の能力の、非常に高度な部分だと思います。
(同時に動物的でもありますね。)
ですがそれを、ある程度一般化、大衆化、学問化して、皆で共有できる「理論」や「体系」に落とし込まないと、みんな分からないんですね。
そうやって「医学」を作んないと、「医者」を量産することは出来ない訳です。
そうしないと、多くの病人を救えない訳です。
続く
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2016.10.14
清明院では現在、院内診療、訪問診療ともに多忙のため、求人募集しております。
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いやー、夏が終わると、あっという間に年末の雰囲気になりつつありますナー。
さて、今年の年末は、再び暴れます。(゚∀゚)
第一弾は11.27(日)、東京の台東区民会館で行われる、(一社)北辰会スタンダードコース東京会場にて、午後1時から4時半まで、
休憩入れながら約3時間、喋り倒します!!
内容は
「病因病理・弁証・治則治法・選穴」
であります!
この内容はですねー、北辰会方式の理論面における、「超」中核部分です。
蓮風先生をはじめとした、北辰会の先生方の超スピードの臨床の際に、頭の中をサラサラと流れているのは、実はこの講義の内容なんです。
(もちろん理論を超えた”直観力”も最大限活用しますが。)
ですのでまあ、北辰会方式を理解したいと思っている人にとっては、絶対に外せない講義になるでしょうな。(゚∀゚)
・・・実は、4年ほど前にも、本部の堀内先生とともに、この内容を講義させていただいたことがあります。
今回も、約4年ぶりに、本部では堀内齊毉龍先生が、支部では私が、講義致します。
この4年の間に、『北辰会方式 理論編』という教科書が出来たりと、色々な変化がありました。
そういう、新しい情報も盛り込んだ内容にします。
恐らく、堀内先生の講義とはまた違った味わいになるだろうと思いますので、東京と大阪で、両方聴きましょう☆
ガルルー(=゚ω゚)ノ
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2016.09.05
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これまでのお話
東洋医学は宗教か。 13 参照
さて、どんどんいきましょう。
◆「宗教」と「哲学」ってどう違う??
ここまで、少し話が逸れながらも、「宗教」について、「哲学」について、東西両医学の認識論、根本哲学の違いについてと、
カタイ話をしてきました。(笑)
・・・で、今日もカタイ話をします。(*‘∀‘)
(出来るだけ、カタイ話を柔らかく、難しい話を簡単に、いきます☆)
「宗教」と「哲学」の違いは何か。
これについても、様々なご意見があります。
「そもそも比較するべきものじゃない!」
とぶった切る人が居たり、
「哲学は考えるモノ、宗教は信じるモノ。」
と分ける人が居たり、
「両方とも最終的には同じものである。」
と、くくってしまう人が居たり、
「宗教の目的は救済、哲学の目的は真理の探究」
と、それぞれの目的によって分けてみたり、
「宗教は金儲けの道具、哲学はヒマ人の暇つぶし。」
と、シニカルに捉えたりと(笑)、実に捉え方が様々で、キリがありません。
(苦笑・・・まあそもそも、宗教は教えで、哲学は学問ですしね。比較しようがないかもしれません。)
僕としては、宗教も哲学も、自然や人間について考えるモノ、という意味では同じだと思うけど、宗教の方は信じる要素が強く、哲学の方は考える要素が強い、
と思って、色分けして認識しています。
(考え方によっては、グレーゾーン的部分が存在することを認めています。)
で、最終的には、自分から見て、直観的、理論的に、よりエレガントだと思う宗教を信仰してみたりだとか、自分がよりエレガントだと思う哲学を選択して、
それを基準に、色々と思索しながら生きれば、生きやすいのでは?というワケです。
自分の価値観に沿い、納得度を満たすものを、その時その時で臨機応変に選択すれば、苦しくない。
宗教も哲学も、要は人間を生きやすくするための知恵だと思うワケですよ。
医学医療だってそうだよね。
かなり結論めいてきました。
ただ、こういうのを勉強すること自体が苦痛な人にとっては、本末転倒になりうるわけです。(笑)
だから勉強なんかせずに、日々何もせずにダラダラと飯食って寝て、一生を終わる。
でもそれも、その人の哲学っちゃ哲学。
・・・昔、私が小学生くらいの頃、ホームレスを見たら笑うな!見下すな!!あれがあの人たちの哲学なんだ!と言った人がいて、妙に印象に残っています。
(なんか、書いてたら思い出した)
ともかく、ここで注意すべきは、学んでいく過程で、ある宗教を絶対化、絶対視して排他的になってみたり、同じようにある哲学を絶対化、絶対視して排他的になってみたり、
ある宗教家や哲学者の言を自分なりに検証せずに盲信して、思考停止になってしまったりすることだろうと思います。
ここいらへんが、戦争や差別、争いや不幸の原因の一つじゃないかな、と思いますね。
(もともと、人を幸せに、生きやすくするはずが、本末転倒だわね。)
ま、要は人様に迷惑をかけるワケです。
なので、あくまでも、どんな宗教をとるのか、どんな哲学をとるのか、それは自分自身が求めて、それに基づいて色々な情報と経験を得て、
それを自分なりに忖度して、「相対的に他よりも」いいと思って、それを自分が選んでいるに過ぎない、というのを忘れないことでしょうね。
言えば、人間智は限界を有する、ということをあらかじめ認めること。
まあ、戦争や差別は極端なケースであっても、あらゆる秩序、社会制度や法律も、根底はこういうもの(ある思想哲学、宗教的価値観)のパワーバランスで成り立っています。
だからある意味、争いも絶えない訳ですね。
為政者側や、統治する側から見て、何がよりエレガントか、っていう、比較優位の話で、色々決まっていくわけです。
医療制度しかり。
続く
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2016.07.31
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これまでのお話・・・
「理」の意味 2 参照
◆諸子百家の「理」
ここで、「理」という言葉の、諸子百家それぞれによる用いられ方に触れておきたいと思います。
小学館の『日本大百科全書』によれば、「理」は
『墨子』では、”道徳的規範”という意味で用いられ、
『荘子』では”自然の理法”、つまり「道」と並ぶ、重要な意味で用いられ、
『韓非子』では”法”として
用いられるそうです。
また、
『淮南子』においては”自然の法則性”、”道理”という意味で用いられ、
儒家では宋の時代に至って、朱熹の朱子学では「気」の裏で働く法則性を「理」とし、
有名な「理気二元論」といって、「理」と「気」を分けることで、自然を理解しようとしました。
その後、明の時代、
王陽明の陽明学では、『伝習録』中巻の中で、「理」と「気」を分けつつも、「理は気の条理、気は理の運用」と述べ、
「理」と「気」を一体のものとして「理気一体観」を提示し、朱子学の「性即理」に対して「心即理」と唱えています。
また、仏教の方では、個別具体的な事象、現象を「事」と言い、それを理論づけたり言葉に乗せること(「事」の背後にある普遍的理法)を「理」と言うそうです。
(岩波『仏教辞典』第二版)
・・・とまあ、ゴチャゴチャと難しいようですが、要は、諸子百家において大体共通しているのは、モノの法則、自然界における理論のことを「理」といっているワケです。
そして一方では、『荘子』における”道”とか、仏教における”事”など、直観的把握に頼らざるを得なかったり、個別具体的な現象であったりして、
なかなか理論化できない、説明不能なものも、中国哲学では重視している、ということも言えるでしょう。
続く
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2015.05.16
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この業界に、治療に関して、
「私は感覚で分かるからそれでいい」
ということを仰る人がたまにいる。
2015.03.27
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今日は哲学的なお話。
まあ哲学なんて、とんでもない膨大、莫大な学問分野であり、僕なんてズブの素人なんですが、東洋医学を実践する上では、避けて通れない問題なので、
たまには自分なりに考えてみました。
西洋医学では、
「人体は、60兆個の細胞の集まり」
と、説きます。
(因みに近年では37兆個説が定説となっているようです。まあ、個人的にはどうでもいいが。。。)
この立場から、さらに細かく考えれば、人体も、人間を取り巻く大自然もみんな、原子、電子、分子、つまり物質と、その物質間に働く電磁力の集合体、と考えられます。
この立場からすれば、我々の精神、意識の活動(喜怒哀楽などなど)なんてのは、単に脳の特定部位の神経細胞の興奮(活動電位)の結果、ということになりますし、
あらゆる自然現象は全て物質の移動、変動、電位変化の観察により解析可能なのではないか、ということになります。
また、この立場からすれば、「生命」というのは遺伝子を自己複製する精巧なシステムであり、「死」はそのシステムの活動停止である、となり、
神仏?霊魂??気や経絡???・・・んなもんないっしょ、って話になります。
・・・とまあこのように、この世の森羅万象の根本は「物質(素材的なもの)」である、とする考え方を、「唯物論(ゆいぶつろん、Materialism)」と言うそうです。
因みに、その物質の集合体である生命も、そこに働いている物理的法則が分かればすべて理解可能、というスタンスを「生命機械論」と呼んだりします。
北辰会が治療方式の用語と理論のベースに置いている、中華人民共和国が1950年代にまとめあげた「中医学」というのも、この「唯物論」の考え方でもって、
それまでの中国伝統医学をまとめた医学であります。
さてここで、数千年の歴史を持つ、「東洋医学(中国伝統医学)」の深遠な世界が、この「唯物論」でもってすべて把握できうるか、説明できるか、
本当の意味で「東洋医学的に」人間を診る医学として、その理解は正当か、という問題になると、かなり疑問が残る、という話を、随分前にしました。
東洋医学と中医学 参照
(もう、あの記事から5年も経つのか・・・。( ゚Д゚))
じゃあもし、「唯物論」では東洋医学が表現、理解しきれないとすれば、どういう考え方ならば出来るのでしょうか。
唯物論の対義語として、
「観念論(かんねんろん、Idealism)」
とか、
「唯心論(ゆいしんろん、Spiritualism)」
という言葉があるそうです。
「観念論」は、事物の存在と存り方は、事物よりも認識主体側の、当の事物についてのidea(イデア、観念)によって規定される、という考え方であり、
物質よりも精神、理性、言葉に優位性を置く理論のことだそうです。
「唯心論」は人間・社会において、心、もしくはその働きこそは至上の要因であるとする立場の一つで、心やその働きは、あくまでも物質に還元されない独特な性質を持っているとして、
物質的存在がその存在を容認されるのは、「意識」によるものである、したがって、意識こそが存在を決定づける、という論だそうです。
観念論も唯心論も、唯物論に対する言葉だそうで、要は「非」唯物論なのでありますが、観念論と唯心論は同義ではなく、
観念論は認識論(哲学の分野で、人が理解できる限界について考察する学問)における考え方
であり、
唯心論は存在論(哲学の分野で、存在するものの意味や根本規定を考察する学問)における考え方
なんだそうです。
東洋医学の背景にある古代中国の自然哲学では、大宇宙も、小宇宙である人間も、すべて「気」から出来ている、と考えます。
(これを”気一元論”と言います。)
そして、宇宙の開闢については、無(太極)から陰陽(両儀)が生まれ、それがさらに陰陽に分かれ(四象)、さらに分かれ(八卦)、という風に分化して万物が成った、と考えます。
(by『易経』繋辞上伝)
また、
「道は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生ず」
という考え方もあります。
(by『老子』42章)
因みにこの『易経』『老子』と同じような考え方は、『淮南子』天文訓にも出てきます。
まずこのような、大枠としての自然観、宇宙観、宇宙生成論が前提としてあり、その中にある、小宇宙たる人間、という風に説きます。
ここに出てくる「気」や「太極」や「道」といった考え方を、「物質が根本」という考え方で説明しきれるでしょうか。
中国伝統医学は、人間を、大宇宙と相似性、同一性を持ち、なおかつ大宇宙と常に連関する存在、という風に考えますが(天人合一思想)、それについても、
いわゆるニュートン物理学の言うような、「質量を持った物質」における物理法則の範疇で理解可能でしょうか。
中国伝統医学は、もともと、そういう独特な考えでもってとらえた「人間」「患者」に対する、最良の医学医療はどうあるべきか、という風に考えを進めて、
悠久の歴史の流れの中で、絶え間ない臨床実践(ある意味人体実験)を繰り返す中で、永久不変の真理としての実効性、普遍性、再現性を備える形で、
少しずつ、でも堅実に、堅牢に構築され続けてきたものであるとすると、現代的な唯物論で説明するよりも、本来は”非”唯物論で解釈した方が、
より正確に理解が出来そうな気がしてきます。
現状において「現代中医学」が世界中の東洋医学教育のグローバルスタンダードになっているからと言って、こういう根本哲学に関わる部分まで、
まったく無批判に、悪く言えば盲信的に受け入れていては、問題が生じるのではないか、というのが、北辰会の立場です。
中国伝統医学を理解するにあたって、「唯物論」に対して「観念論」的、「唯心論」的で、さらには、それらをもすっぽりと包むように「気一元論」的に解釈し、
「生命機械論」に対して「生気論」的に解釈しようとする姿勢を重視しています。
(だから臨床実践において”直観”とか”魂”というものを、論理と同じかそれ以上に重視している訳ですね。)
日本という国は、いつの時代も、大陸から流入した新しいものを、自国の風土や価値観と見事に習合させ、ピューリファイ(精錬、純化)してきた歴史があります。
中医学に対しても、日本人としてはそうあるべきではないでしょうか。
この問題については、私もまだまだ理解が浅いですが、一生かけて、もっともっと深く考えていかないと、と思っています。
【参考文献】
『哲学事典』平凡社
『哲学・思想事典』岩波書店
『詳解 中医基礎理論』東洋学術出版社
『気の思想』東京大学出版会
『鍼灸医学と古典の研究 丸山昌朗東洋医学論集』創元社
『医学の哲学』誠信書房
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2012.11.23
2012.10.28
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(一社)北辰会、組織再編。2024.04.02
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2.17(土)ドクターズプライムアカデミアで喋ります!2024.02.04
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2023年、鍼療納め!!2023.12.21
(一社)北辰会、冬季研修会のお知らせ2023.12.01
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患者さんの声(60代女性 背部、頚部の痒み、首肩凝り、高血圧、夜間尿)2023.11.25
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12.3(日)市民公開講座、申し込み締め切り迫る!!2023.11.21
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