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森道伯という人物

2018.08.31

20180830_205920.JPG

 

 

↑↑圧倒的貫禄。これは墓マイラー 森道伯先生で紹介したお写真をもとにした肖像画らしいんですが、素晴らしい出来栄えですね。

 

 

 

 

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昨日、墓マイラー 森道伯先生という記事を書きました。

 

 

・・・まあ、東洋医学をやっている者にとっては言わずと知れた、「一貫堂医学」の創始者であります。

 

 

このブログにも、これまでチョイチョイ、名前だけは登場していました。

 

「森道伯」を含む記事 参照

 

 

・・・さて、どんな人物か。

 

 

 

 

1867年大政奉還の年に、水戸藩(現茨城県中・北部)の、代々武家の家系に生まれる。

 

父は白石又兵衛という。

 

遠い祖先に清和源氏・源頼義がいる。

 

 (清和源氏とは、清和天皇の血を引く源氏姓の一族。後述しますが、皇室とご縁がありそうです。)

 

2歳の時、水戸藩の内乱を逃れて、今の茨城県、笠間城下の陶器商である森喜兵衛の養子となる。

 

 (だから森姓なわけね。)

 

12歳で養父が死去。

 

この時、養母を連れて東京に出て、すでに東京にいた長兄・又二郎とともに、鱉甲彫刻をして生活する。

 

 (なんて立派な12歳なんだ!( ゚Д゚) 現代にはこんなんいないでしょうな。。。)

 

この時の荷物の中に、実父の白石家に伝わる家伝の医書があったそうです。

 

 (この一冊が原点か。因みに詳細不明。)

 

 

1887年(明治15年)、15歳の時、実父の勧めにより、東京(浅草蔵前)で開業していた、実父の知己であり、仙台出身の産科の名医である、

 

遊佐大蓁(ゆさたいしん:正しくは快慎かいしんというらしい)について、3年間医学を学ぶ。

 

因みにこの遊佐先生の先祖は大庄屋で、医家としての初代の人物は、婦人科で有名なあの賀川玄悦(1700-1777)の学統であり、

 

道伯が師事したのは医家としての遊佐家の2代目で、4代目の遊佐寿助は宮城県薬剤師会の初代会長であったらしい。

 

賀川玄悦という人物

墓マイラー 14      参照

 

(繋がるね~~(゜o゜))

 

 

・・・ともかく、その後も鱉甲職人を続けながら、清水良斉という漢方医について漢方を学ぶ。

 

この清水先生がまた謎の人物で、名医だったそうだが大酒呑みで、ある時、旅に出ると家を出たまま、忽然と姿を消したそうで、その後を継ぐ形で「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。

 

 (まあ、神が道伯先生に診療所を与えたんでしょうかね。。。)

 

因みに道伯は鱉甲彫刻職人としても「西町の豊光(彫刻師としての道伯の号)」と呼ばれ、名が売れていたらしい。

 

 (サスガです。<m(__)m> きっかけは生活の為でも、やるからにはマジ、って感じだったんでしょうな。)

 

明治24年、24歳で最初の結婚。

 

26歳で長男義之介、30歳で次男光隆が生まれる。

 

(結婚してすぐに長女が生まれたそうですが、出生後すぐに亡くなってしまったそうです。)

 

明治32年、32歳の時に妻が妊娠中に腸チフスに罹り、流産し、亡くなる。

 

この時、道伯自身も、水戸に旅した際に風湿に中たり、強烈な黄疸を発し、清水良斉の治療を受けるも、生死を彷徨う。

 

(この時のエピソードについては後述します。)

 

 

1902年(明治35年)、35歳「日本仏教同志会」創立、社会教化運動を行う。

 

 (これは明治39年には解散したらしいですが。。)

 

↑↑こういうところも、道伯先生の面白いところです。

 

医家であると同時に、彫刻家であり、宗教家、社会活動家でもあったんですね。(゜o゜)

 

道伯先生は大変博学で、禅宗、真言密教にも精通しており、熱心に観音信仰をしていたそうです。

 

また政治や経済にも明るく、観劇に行く趣味もあったとか。

 

30代の頃、清水良斉先生の失踪後、「一貫堂」の看板を掲げて「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。

 

「一貫堂」はかつて師事した遊佐先生の診療所からとったもので、論語の里仁第四にある吾道一以貫之に基づいているそうです。

 

 

明治41年、41歳で再婚し、42年、道伯先生にとっては第4子である敬三郎が出生。

 

 

1918年(大正7年)、51歳の時、スペインかぜが大流行した際、病のパターンを胃腸型、肺炎型、脳症の3つに分け、それぞれ漢方で治療し、

 

大いに効果を挙げたという逸話はあまりにも有名です。

 

 

1923年(大正12年)、56歳で関東大震災に遭遇、居所保護法の建議案を訴えて、上野公園で演説を行う。

 

 (こういう、政治活動家的な側面もあったようですね。)

 

 

1926年(大正15年)、59歳の時、門人・西原学氏が「漢方専門」と標榜したところ、医師会から圧迫を受けたことをきっかけに、森先生は憤慨し、

 

長野市善光寺にて「漢方医道復興大講演会」を開催し、

 

「漢方を滅さんと欲せば、まず森道伯の首を刎ねよ!!」

 

との有名な文句を叫び、専門科名認可の訴訟を起こし、ついにこれを獲得しました。

 

 (スゲエ!(゜o゜) でも森先生は無資格!!みたいなね。。(笑))

 

 

・・・この、魂の籠った一言が、昭和の「漢方復興運動」の第一声と言ってもいいでしょう。

 

 

今日、街中に当たり前に「〇〇漢方クリニック」とか、総合病院内の中に「漢方外来」なんてのがあるのは、古くは森先生のこの行動のお陰と言ってもいいでしょう。

 

 

1930年(昭和5年)、63歳の時、森道伯の名声を伝え聞いた竹田宮、北白川宮から治療の依頼あり。

 

 (ここで皇室と繋がるわけです。何かの縁なんでしょうね。)

 

同年8月、歩行困難を訴え、9月には病床に伏せ、脊髄炎、尿毒症を起こす。

 

 

1931年(昭和6年)、64歳で逝去。

 

亡くなる3年前には、自分の死期を家人に告げていた。

 

 (ということはやはりあの墓石は自分で建てたっぽいですね。。。)

 

道伯先生は32歳の時に大病をした時に、観音菩薩に、

 

「寿命をもう32年延ばしてくれ、そしたら残りの人生は東洋医学の復興のために生きる」

 

と日夜お願いし、鍼灸と漢方薬で全治した経験があるらしく、その予言の通り、64歳でこの世を去った。

 

臨床でも、非常に直観が冴えており、不問診で患者の状態をピタッと言い当てたり、患者がこれからかかる病を予言し、その通りになったりと、

 

霊能力者っぽい逸話も多い先生であります。

 

 

 

 

以前書いた丸山昌朗先生といい、自分の死期を正確に悟っていたエピソードは、他の先生でもけっこうありますね。

 

丸山昌朗という人物 

墓マイラー 36 丸山昌朗先生  参照

 

 

名医らしいエピソードだと思います。

 

 

また道伯先生は

 

「術は以心伝心で初めて伝わるもの」

 

とし、著述を好まず、書籍は残っていないそうです。

 

 

もっとも有名な弟子である矢数格(道斎)先生『漢方一貫堂医学』が、森先生を知る重要な手がかりだと思います。

 

 

また、この先生は臨床において漢方だけでなく鍼灸も非常に重用したようであり、弟子には「人迎脈口診」の研究で有名な小椋道益先生や、

 

『漢方医術復興の理論』の著者で、昭和の時代に経絡治療を唱道したことで知られる竹山晋一郎先生、また婦人科医で、現在私が講師としてお世話になっている

 

東洋鍼灸専門学校の校長でもあった石野信安先生、他にも刺絡で有名な工藤訓正先生や、道伯先生と直接は会っていないようですが柳谷素霊先生門下の西沢道允先生など、

 

鍼灸師に与えた影響や、鍼灸そのものとの縁も深いです。

 

 

お弟子さんの諸先生方の後日談によって、この先生の臨床でのエピソードはたくさんあるのですが、特に印象に残ったものを二つ紹介します。

 

 

矢数格(道斎)先生の弟君である矢数道明先生が、漢方を学びながらも西洋医学にも興味を持ち、こっそりと患者の尿検査をしていたところ、それが道伯先生の耳に入り、

 

「試験管で小便の検査をしなければ治療が出来ないような漢方家になるならやめてしまえ!破門だ!!」

 

と怒鳴られたとか、あるお金持ちの患者さんが、処方を渡されて、帰るときに受付で

 

「これで本当に治るんでしょうか?」

 

と尋ねると、

 

「疑うような薬なんか飲むな!」

 

と一喝し、一旦渡した薬を引き取った事があるそうです。

 

(後日この患者さんは自分の態度振る舞いを反省し、無事治ったそうです。)

 

 

・・・とまあ、アツい臨床家、という感じの森先生。

 

 

この情熱が、多くの患者さんを救い、多くの優秀な後輩の心に火をつけ、現代まで脈々と続いているのでしょう。

 

 

「漢方医学復興」といえば、森道伯と同じ時代を生き、似た主張をした大人物である和田啓十郎先生とは、親交や面識があったかどうかは分かりませんが、

 

和田先生の場合は先に西洋医学を学び、その後に東洋医学に傾倒した人物で、業界に対して、ある種のイデオローグ的な言行を取ったのと違い、

 

森先生は最初からまさに「一貫して」漢方医学であり、生涯一臨床家であったと、後の竹山晋一郎先生は両者をともに”天才”と評価しつつ、

 

対比、比較しています。

 

 

また、和田啓十郎先生の息子さんである和田正系先生と、森道伯先生の高弟である矢数格(道斎)先生が、千葉医専(現千葉大学医学部)の同級生であったことは、

 

単なる偶然でない気がしてなりません。

 

和田啓十郎という人物

墓マイラー 39  和田啓十郎先生    参照

 

 

・・・以上、どんなにコンパクトにまとめても僕の頭と文章力ではこれぐらいになってしまうので、肝心の「一貫堂医学」がどういうもので、

 

鍼灸ではどういう風に応用が利くか、みたいな話は、また違うところで書きましょう。(笑)

 

 

イヤーなんか、森家と和田家と矢数家、そして大塚家、柳谷素霊先生、千葉大学、北里大学、東洋鍼灸専門学校と、一連の近代日本東洋医学の歴史の流れ、重みを感じます。

 

 

また、僕としては、一貫堂も、森道伯先生の弟子には鍼灸師もいるのに、どこからか、鍼灸師と漢方医が一枚岩でなくなってしまったような感じがして、それが悔やまれますね。。。

 

 

 

 

◆参考引用文献

 

『漢方一貫堂医学』矢数格

『漢方一貫堂の世界』松本克彦

『漢方医術復興の理論』竹山晋一朗

『森道伯先生生誕百年祭記念文集』仁性会

『森道伯先生伝並一貫堂医学大綱』道齋矢数格編

『漢方治療百話 第八集』矢数道明

 

 

 

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「ヨガ教室行ってもいいですか?」 2

2017.04.20

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前回のお話

 

「ヨガ教室行ってもいいですか?」 参照

 

 

では続きいきます。

 

 

◆本来のヨガは宗教的修行法

 

 

前回、本来のヨガというのは修行法であり、現在、フィットネスや体操法のようにして強調されているのは

 

「ハタ・ヨーガ」

 

という身体技法の一つであり、本来のヨガとはかけ離れている、というお話をしました。

 

 

では本来のヨガとはどんなもんなのか??というお話を、自分なりに調べてみましたので少しさせて頂きます。

 

 

実はヨガは、日本にもある「禅」の淵源の一つのようです。

 

 

山下博司先生の『ヨーガの思想』によれば、「禅」という言葉の語源は「静慮(じょうりょ):ディヤーナ」だそうです。

 

 

「禅」は、日本の伝統医学とも関連が深いですし、このブログでも何度も紹介しています。

 

「達磨(だるま)」という人物

「白隠禅師(はくいんぜんじ)」という人物

「一休さん」という人物

「沢庵和尚(たくあんおしょう)」という人物

「禅宗」って何ですか?(その2)        参照

 

 

そもそも達磨大師に手足がないのは、瞑想し過ぎて手足が腐ってしまったからだ、なんていうウワサがあるくらい、そもそもはこれは「瞑想」が基本なんです。

 

(因みに手足が腐ったというのは俗説で、実際は描かれる法衣の下に隠れた手足が省略された姿なんだそうです。)

 

 

近代、90年代になってから、フィットネスとしてのヨガは世界的に流行したそうです。

 

 

でも、たまにスポーツジムで気晴らし程度にやるくらいならいざ知らず、もともとは宗教的な修行法ですので、きちんとした指導者についてやらないと、

 

場合によっては非常に危ないケースもありえると思いますが、近年ではオウム真理教の麻原彰晃が、もともとは独学で学んだヨガ教室の指導者であったこともあり、

 

その指導者が信頼できる人物なのかどうかを見極めるというのは、実際は難しいようです。

 

(また、麻原さん自身があのような間違った方向に信者を導いたことからも、独学での修行が危ないとも考えられます。)

 

 

因みに、清明院の患者さんには、戦後すぐの頃からずーっと指導者についてヨガを学んでこられた、ご高齢の患者さんがおられますが、

 

その患者さんに言わせると、現代のヨガブームは非常に危ないと仰っておりました。

 

 

続く

 

 

 

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「禅展」行ってきました!!

2016.11.22

20161115_011348.jpg

 

 

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先日は、東京国立博物館で開催中の、患者さんおススメの「禅展」に行ってきました!!

 

 

「禅」や禅僧については、このブログでも何度も書いています。

 

「達磨(だるま)」という人物

「白隠禅師(はくいんぜんじ)」という人物

「一休さん」という人物

「沢庵和尚(たくあんおしょう)」という人物

「禅宗」って何ですか?(その2)        参照

 

 

清明院の患者さんは、なぜか「禅展」に行っている人が多い。。。(苦笑)

 

 

この禅展は、前半と後半に分かれており、前半は予定が合わず、行けずじまいでしたので、後半こそはと、強引に時間を作って行ってきました!!

 

「禅展」 公式サイト

 

 

11.27までやっているらしいです。

 

 

残りわずかなのでお早めに!!

 

 

ところで、この展覧会は非常に見やすかったですね。(*‘∀‘)

 

 

そして、今回も国立東京博物館の圧倒的な規模にやられました。

 

(国家権力、スゴ過ぎる。。。)

 

 

まずは禅の発祥の地である中国での歴史から展示物が始まって、日本での受容~鎌倉時代に禅宗が盛んになるまでの歴史から、

 

それ以降の歴史上のトピックスを順に並べてくれていて、非常に閲覧しやすかったですね。

 

 

著名な僧の木像とか、画像でしか見たことないような有名な絵も数多く展示してあり、素晴らしかったです。

 

 

僕はこういう展覧会の時、じっくり見るのが好きな人からすると、信じられないほどのスピードで、駆け抜けるように見ていくのですが(笑)、

 

今回ばかりはけっこうじっくりと見入ってしまいました。

 

 

そして、珍しく3000円の図録まで買ってしまいました。(笑)

 

 

禅については、約1500年前に大陸から伝わった東洋医学が、日本独自の展開をしていく際に、密教とともに、大きく影響を与えた考え方ですので、

 

日本で東洋医学をやる者にとって、避けて通れないテーマだと思います。

 

 

 

おススメです☆

 

 

 

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東洋医学は宗教か。 8

2016.08.26

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これまでのお話

 

東洋医学は宗教か。

東洋医学は宗教か。 2 

東洋医学は宗教か。 3

東洋医学は宗教か。 4  

東洋医学は宗教か。 5

東洋医学は宗教か。 6 

東洋医学は宗教か。 7   参照

 

 

さて、どんどんいきましょう。

 

 

◆宗教と医学医療の関係性

 

 

前回書いたように、東洋医学も、『黄帝内経』以前はもともと巫祝(ふしゅく:呪い医療)が中心でした。

 

(もちろん『黄帝内経』以降も、無くはなかったようですが。)

 

 

中国は、儒教、道教、仏教という、中華三大宗教が有名で、医者ももちろん、人の生き死にを相手にする以上、各時代で、それらの影響を多分に受けているでしょう。

 

 

日本でも、江戸時代までは「僧医」あるいは「儒医」といって、禅宗のお坊さんや、儒家が医師を兼ねることが普通のことでした。

 

 

北辰会が用いる「腹部打鍼術」の創始者といわれる夢分斎先生は、臨済宗の禅僧でありますし、このブログでも紹介した江戸期の多くの名医は、

 

儒家も兼ねた儒医であります。

 

 

日本で医療の担い手は医師が、宗教の担い手は僧が、という風に明確に分かれたのは明治以降ではないでしょうか。

 

 

因みに中央アジアや、南アジア諸国などの中には、治療と呪術が混然一体となって行われている地域は、現在でも存在します。

 

(シャーマンドクターとか、ウィッチドクター、ってやつね。)

 

 

また、西洋医学も、西洋社会全体の世俗化、近代化に伴って、もともとはキリスト教、神学の一部であったのが、

 

徐々に独立し、宗教的色彩が脱色されてきた歴史があるそうです。

 

 

現在でも、遺伝子治療や生殖医療や終末期医療など、最先端の西洋医学が、新たな治療法の一般化を論議する際に、

 

倫理的に大きな問題になることの一つに「宗教的価値観、生命観」があります。

 

 

このように、もともと、医学と宗教は別れてはいなかったのですが、大まかに言えば、近代科学が発達し、それに伴って医学(西洋医学)が発達し、

 

細菌だのウイルスだの、異常細胞だのと、病気の原因が科学的、顕微鏡的に徐々に明らかになってくるにつれ、また、人体の解剖学や、外科手術の道具や技術が進歩するにつれ、

 

体と心と魂の三位一体の人間観で考えた場合、「体」の問題は医学が、「心」や「魂」の問題は宗教が、それぞれ別々に担うようにと、変化、

 

変遷していったという、歴史的背景があります。

 

(体に関する学術が急激に巨大化していったことと連動して、でしょうね。)

 

 

それが面白いことに、高度に文明が発達した現代になって、医学が担う「体」の範疇を、やっぱり宗教の倫理観が一定程度差配する、というように、

 

宗教と医学は、やはり切っても切れない関係性にある、と言っていいと思います。

 

(・・・というか、僕らから見れば、体と心と魂が、切っても切れない関係なんですよ、そもそもネ。(笑))

 

 

ここで、医学も宗教も、相手にする対象はもちろん「全人間」なんですが、医学医療が担うのは人体に起こる「病気」の解決、緩和、予防ですから、

 

その対象は病人や半病人が主になりますが、宗教が担うのは「生きる上での葛藤や悩み苦しみ」の解決、緩和、予防であり、また、信者の「行動の規範、価値基準」までも指導するものである、

 

と、分けて考えるなら、対象としている範疇と目的が、宗教の方が大きく、広いようにも見えます。

 

 

宗教が、医学医療をスッポリと包み込んでいるように思えます。

 

 

しかし、

 

「人間が悩み苦しんでいる状況、それは即”病気”である」

 

ととらえるならば、医学医療が対象とするものも、宗教が対象にするものと、限りなく近くなっていきます。

 

 

「生即死」とか、「生きることは死ぬことである」、とはよく言われますが、僕ら鍼灸師も、死の場面に深くかかわることがあります。

 

(全然関係ないけど、むかし実家に千葉敦子さんのよく死ぬことは、よく生きることだ というタイトルの本が、母親の本棚においてあり、

 

このフレーズが、小さい頃から妙に僕の脳裏に焼き付いています。)

 

 

僕の短い臨床経験の中でも、長年往診で在宅医療をやっていたこともあり、数多くあります。

 

 

また、外来、往診問わず、どう考えても間近に迫る死を回避できない、どうにもならない患者さんに接することもあります。

 

 

医学は医学、宗教は宗教、と割り切って考えている僕ですが、そういう時に、「治療」という概念の範疇を押し広げて、そういう人、

 

あるいはそのご家族からどうやって「抜苦与楽」するのか、単純に体だけ診ていていいのか、という考えが頭をもたげることも、

 

無くはないです。

 

 

 

続く

 

 

 

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補瀉 40

2016.04.07

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これまでのお話・・・

 

 

補瀉 1 補瀉の定義と『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の補法 

補瀉 2 『黄帝内経素問』調経論(62)の補法

補瀉 3 『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の補法

補瀉 4 『黄帝内経霊枢』官能萹(7)の補法

補瀉 5 『黄帝内経霊枢』邪客萹(71)の補法

補瀉 6 『黄帝内経霊枢』小鍼解篇(3)の補法

補瀉 7 『黄帝内経霊枢』邪気蔵府病形篇(4)の補法

補瀉 8  『黄帝内経素問』刺志論(53)の補法

補瀉 9  『黄帝内経霊枢』終始萹(9)の瀉法

補瀉 10 『黄帝内経霊枢』小鍼解萹(3)の瀉法

補瀉 11 『黄帝内経素問』八正神明論(26)の瀉法

補瀉 12 『黄帝内経素問』調経論(62)の瀉法

補瀉 13 『黄帝内経素問』刺志論(53)の瀉法

補瀉 14 『黄帝内経素問』離合真邪論(27)の瀉法

補瀉 15 『黄帝内経』の補法まとめ

補瀉 16 『黄帝内経』の瀉法まとめ

補瀉 17 『難経』71難における補瀉

補瀉 18 『難経』76難における補瀉

補瀉 19 『難経』76難における補瀉の続き

補瀉 20 『難経』78難における補瀉

補瀉 21 『難経』79難における補瀉

補瀉 22 『難経』における補瀉まとめ

補瀉 23    孫思邈(そんしばく 541~682)の『備急千金要方』『千金翼方』の補瀉

補瀉 24   金代、何若愚 撰『子午流注鍼経』における補瀉

補瀉 25     金代、竇漢卿『針経指南』における補瀉

補瀉 26     明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉

補瀉 27     明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その2

補瀉 28   明代、楊継洲(1522-1620)『鍼灸大成』における補瀉 その3

補瀉 29     明代、李梃『医学入門(1575)』における補瀉

補瀉 30   明代、高武『鍼灸聚英(1529)』における補瀉

補瀉 31   現代中医学における補瀉

補瀉 32     日本における補瀉の受容

補瀉 33    『針道秘訣集』における補瀉

補瀉 34    『杉山真伝流』における補瀉 1

補瀉 35  『杉山真伝流』における補瀉 2

補瀉 36     永田徳本(1513?-1630?)『鍼灸極秘伝』『徳本多賀流針穴秘伝』の補瀉

補瀉 37   『杉山流三部書』における補瀉 

補瀉 38     岩田利斉『鍼灸要法』における補瀉

補瀉 39    岡本一抱『鍼灸抜萃大成』における補瀉         参照

 

 

 

では続きいきます!!

 

 

 

◆本郷正豊『鍼灸重宝記』における補瀉 

 

 

さて今日は、本郷正豊先生『鍼灸重宝記』(1718)を見てみたいと思います。

 

 

この先生は、江戸中期の鍼灸医です。

 

 

実は『鍼灸重宝記』は以前、このブログにもチラッと登場したことがあります。

 

「沢庵和尚(たくあんおしょう)」という人物 参照

 

 

この本は、現代の「経絡治療」と呼ばれる流派の先生方の大元中の大元と言っていい、明治時代の鍼灸医で、脈診の大家と言われた八木下勝之助先生が、

 

他の本を一切読まずに、『鍼灸重宝記』のみを読んで、90歳を超えるまで治療されていたことで有名です。

 

 

そしてこの本は、北辰会の藤本蓮風先生とも縁のある、東方会の小野文恵先生が、大東亜戦争をまたいで現代語訳され、出版したことでも有名です。

 

 

そしてその本の推薦文は、私が今教えに行っている、東洋鍼灸専門学校柳谷素霊先生が書いています。

 

 

小野先生は、柳谷先生の有力なお弟子さんの一人だったんですね。

 

 

なので、なんかこの本を読むと、脈々と続く大きな歴史の流れを感じるんです。

 

 

ここにも、補瀉に関する記載があります。

 

 

そしてそれは何と、前回紹介した岡本一抱『鍼灸抜萃大成』の内容と全く一緒です。

 

(笑・・・例の呪文唱えるやつね。)

 

 

そして実はこの記載は、沢庵和尚『針記』の記載そのままなんだそうです。

 

(この辺は長野仁先生が非常に精緻に研究しておられますので、専門家の先生方は長野先生の論文等を参考にしてください。)

 

 

因みに『鍼灸重宝記』には、お灸でやる補瀉についても記載があり、瀉法の場合は火を扇ぐか吹き消せといい、補法の場合は、自然に消えるようにしなさいと説きます。

 

 

これもなかなか面白い記載。

 

 

瀉強補弱、強弱の補瀉と言ってもいいでしょう。

 

 

また、この本には「腹部打鍼術」についても書かれており、夢分流の流れを汲んでいることが分かります。

 

 

まあともかく、江戸期の超有名医家であり、現代の鍼灸家にも強い影響を与え続ける岡本一抱、本郷正豊の両者が、

 

禅僧である沢庵和尚の影響を受けていたなんて、興味深いですね。

 

 

我々が使う打鍼術の創始者、夢分斎も禅僧であるし、「禅宗」というものを考えることは、日本独特の鍼灸を考える上で、一つのキーワードなのかもしれませんね。

 

 

禅宗の旗印と言えば、何と言ってもこれです。

 

「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」

 

 

・・うーん。。。

 

 

ただ、こう言ってしまうとねー。。。

 

 「禅宗(ぜんしゅう)」って何ですか?

「禅宗」って何ですか?(その2)

「禅宗」を含む記事 参照

 

 

 

続く

 

 

 

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「沢庵和尚(たくあんおしょう)」という人物

2011.11.21

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「たくあん漬け」漫画『バガボンド』で有名な、沢庵和尚・・・。

 

『バガボンド』とは、伝説の漫画『スラムダンク』の著者である井上雄彦さんが書いた、吉川英治の『宮本武蔵』を原作とした、大人気漫画です。

 

すでに6000万部売れているそうな・・・。(驚)

 

沢庵和尚の本名は、沢庵宗彭(たくあんそうほう)といい、1573~1646を生きた人物で、今このブログで綴っている、

 

「禅宗」の一派である「臨済宗(りんざいしゅう)」のお坊さんです。

 

こちらのサイト様にたくさんの肖像画があります。)

 


・・・まあ、『バガボンド』の中では武蔵に「道」を説き、武蔵を諭すキーパーソン的な役割で登場しますが、歴史上は、

武蔵と沢庵和尚の接触の記録はないそうです。

 


また、たくあん漬けは沢庵和尚が広めたとか、作ったいう説がありますが、コレも諸説あり、ハッキリしません。

 

まあこの人の魅力は、禅僧でありながら、幕府に反抗したり、禅で武道の極意を説いたりしたことでしょう。


(詳しく知りたい人は、
紫衣事件(しえじけん)不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)で調べてみて下さい。一応、wikiとリンク張っておきます。)

 

また、この方はそれ以外にも書画、詩文、茶道にも通じ、大変学識豊かな僧であったそうです。

 

そしてなんと、この人の著作の中に、鍼について書かれたものがあるそうです。

 


その名も『針記(はりき)』と言います。

 


実は僕は、この『針記』は読めていないんですが、実はこの全文は、本郷正豊(ほんごうまさとよ)という人の、

『鍼灸重宝記(しんきゅうちょうほうき)』の中に記載されているそうで、その部分なら読んだことがあります。

(専門家の先生方、”補瀉迎隨之事”の部分だそうです。知ってた??お恥ずかしながら、存じませんでした・・・。)

 

また、『刺針要致』という、なんと沢庵和尚”直筆”の資料には、沢庵和尚自身が重い病気にかかり、何をやっても治らなかったものが「打鍼」で治っていく様子が描かれております。

 


まあ要は、鍼に肯定的な、大変高名な禅僧であった、という訳です。

 

・・・まあ、色々書いていくとキリがないので、いつものように名言でシメましょう。

 



 

一事を成さんとしたら、本心一途にしたほうがよい。何ごとも血気に迷い、怖じればしそこなう。

怖ずるは平常のこと、試合の場で怖じ気は許されぬ。溝を飛ぶときは、ずんと飛べ。

危うしと思えば落ち込むぞ。

 



 

「一事」を成すものというのは、勇敢で強く、集中し、自分を信じている、ということですネ。

 

・・・くうー、身につまされるー!!

 

沢庵和尚と会って小一時間話しこみたい気分です。(笑)

 

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2011.10.08


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世間では亡くなられたアップル社のジョブズさんと、新しいiPHONEの話題で持ちきりですな。

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