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これまでのお話し
さて、続きいきましょう!!
◆「気」の哲学の変遷
さてここまで、「太極」「無極」「その両者の関係」「鍼灸臨床家としてはどうか」あたりを題材として話を進めてきました。
「臨床家としてはどうか」というところで、北辰会ではこの医学の言う「陰陽論」を、単に「陰陽論」と呼ぶのではなく「”太極”陰陽論」として、
理解、運用するべきだ、というお話(臨床古典学)もしました。
蓮風先生の御著書では、中国、成都中医薬大学の教授で、易学の大家である鄒学熹先生の『易学十講』の論を参考に、陰陽論というのは「陰」と「陽」と「その境界線」の3つ、
「三を含みて一となす」という考えがあり、全て一つであるという太極と、陰陽と境界の太極があるからだ、と説きます。
(因みにこの辺の詳細(『易学十講』の部分的翻訳)は、北辰会機関誌『ほくと』17号に掲載されています。)
まあこれは、簡単に言えば何かを陰陽に分ける時に、その基準(境界)を明確に!というお話です。
そしてこれには、背景として「気一元論」という考え方があります。
「気一元論」を含む記事 参照
「気一元論」は、簡単に言えば「この世界は全て気で出来ているのさ」という考え方です。
東京大学出版会『気の思想』によれば、「気一元論」という言い方は、特に誰それさんが言い出した言葉、というワケではないようで、古くは『老子』『荘子』『淮南子』の中にもあるっちゃある考え方であり、
この考え方を強調したのは、中国では北宋の張横渠(ちょうおうきょ 張載(ちょうさい)ともいう 1020-1077)、日本では伊藤仁斎(1627-1705)が有名だそうです。
伊藤仁斎という人物 参照
(張横渠もせっかくなんでそのうち紹介しましょう。この人は何とあの程顥と程頤(二程子)の叔父さんです。優秀な一族だねえ~~ (゜レ゜))
荘子の
・・・因みに、現代中国では大きく気の哲学について3つの流れがあると考えているそうで、
1.程伊川と朱子の「性即理」の考え方(客観唯心論、客観的観念論)
2.陸象山と王陽明の「心即理」の考え方(主観唯心論、主観的観念論)
3.張横渠と王夫之の「気」の哲学(唯物論)
とし、3.の唯物論哲学こそ最高のものである、としているそうです。
(by 『朱子学と陽明学』島田虔次)
(因みに、王夫之の気一元論に関してはこの論文が参考になりました。)
しかしこの、3.の、気一元論を、全くの唯物論と解し、それを最高のものとする考え方と、北辰会の考え方は違います。
中国哲学、中国伝統医学に通底する「気」という概念は、唯物論でとらえきれるものではない、と考えています。
北辰会では「気」を唯物論でとらえ、最小精微な物質である、とするのではなく、むしろ生命原理、生命原体ともいうべきものとして、生気論的に理解しています。
つまり「気」を、物理学(ニュートン力学)の言うような質量を持った存在、と考えるのであれば、それとは認識を異にする、ということです。
(といって、量子力学の言うような素粒子とも同じでないと思いますが。)
・・・ま、「気ってなに??」という問いに対しては、トートロジー的になるけど、10年前に書いたように、「気は気です。」という答えがやっぱベストかな、と。
ここまでの話で言えば、生成論の太極も、場の論の太極も、認識論、存在論における主観と客観も、ぜーんぶただ一つの気の動きの一様態ですよ、ってことですね。
次回、清代に「気は動きである」この理論を完成させたと言われる戴震(1723-1778)さんを紹介します。
続く。
2019.09.20
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これまでのお話し
さて、続きいきましょう!!
◆「陰陽論」ではなく「”太極”陰陽論」。 その①
ここまでで、「太極」の意味、「無極」の意味、さらには「太極と無極の関係」について、僕なりに考えてみました。
まあ簡単にまとめると、「太極」はもともとは中国哲学の古典中の古典である『易経』の宇宙生成論から始まって、歴史的変遷を経て、道教や仏教との接触、
「無極」という言葉との比較検討を経て、より理解が深まり、高度な哲学用語となって、今に至っている、という感じでしょうか。
・・・で、この「太極」なるものを、我々東洋医学をやるものがどう考えるか、という話なんですが、何年か前に私も北辰会でこの辺の話を講義させていただいたことがあるんですが、
その内容は蓮風先生の御著書、『東洋医学の宇宙―太極陰陽論で知る人体と世界―』に書いてあります。
この本の中で、「太極」の意味に関して、蓮風先生はシンプルに、3つの意味で纏めて下さっています。
つまり、
1.天地創造分化の大本
2.陰陽する場
3.認識以前の状態
この3つです。
1.はこれまでにも出てきている、生成論の話です。
まずは混沌とした状態があって、それが陰陽に分かれて、さらに細かく分かれて、万物となった、という話です。
この話は有名な『淮南子』にも出てきます。
『淮南子』を含む記事 参照
2.は、「陰陽」というのは要は森羅万象(気)の「動き」のことで、相対的に動的な面を陽、相対的に静的な面を陰、と分ける訳なんですが、
この、「陰と陽が交わり、関わり、相互に動く場」そのものを「太極」と言う、という理解です。
よく我々は、もう間もなく亡くなる患者さんの脈や腹を診察した時、所見が1日の中でもコロコロ変わる、という状況に接することがあります。
そんな時、
「いよいよ太極が小さくなってきた」
という表現で、その現象を評価することがあります。
まさに、生命が現象する場(太極)である脈や腹部が、非常に小さく、狭く、弱々しくなってくると、脈で言えば、早くなったかと思ったら急に遅くなったり、
強くなったかと思ったら急に弱くなったりしますし、腹で言えば、臍の位置がコロコロ変わったり、また、腹の状態と脈の状態がチグハグになったりします。
3.は、認識する主体が、対象物を認識する”以前の”状態を「太極」と呼ぶ、ということであり、五感なり何なりで、対象を認識した時点で、
すでにそれは太極から陰陽の範疇に入っている、という意味ですね。
(ただし、次回書きますが、陰陽であっても、必ず”太極を踏まえて”陰陽に分ける、分析する、という意識が大事です。)
つまり、我々が日々患者さんを診るということは、
1(生成論).太極から生じた万物の一部である患者さんを、同じく太極から生じた万物の一部である我々が、
2(場の論).患者さんそのものを太極と考え、それを踏まえた上で、陰陽という物差しでもって、
3(認識論).四診という手法で陰陽の不調和を認識し、それを調える
という行いである、ということです。
次回もう少し補足します。
続く。
2019.05.25
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これまでのお話し
中国の宇宙論 ① イントロ
中国の宇宙論 ② 蓋天説 参照
◆渾天説とは。
古代中国で、「蓋天説」の後に出てきた、もう一つの有名な宇宙構造論が「渾天(こんてん)説」です。
「渾天」とは、大きく丸い天、というほどの意味です。
これは、宇宙を卵のようなものと捉え、黄身が大地、殻が天、上半分は空気、下半分は水、と考え、殻である天が動いているとする、いわば
「素朴な天動説」
です。(笑)
これまた、こちらのサイト様の図示とご説明がたいへん分かりやすかったです。<m(__)m>
これで、二十八宿(星座の動き)や二至二分(夏至・冬至・春分・秋分)など、色々なことが説明できるようになったのですが、天が水中に潜るという説、
天地が水に浮かんでいるという説は、前漢の当時に「蓋天説支持派」から、かなり論難されたようです。(苦笑)
蓋天渾天論争では、前漢末期の揚雄さんと桓譚さんという人がずいぶん激しく論争したことが知られているそうです。
しかしまあ、結果的には渾天説の方が実際の現象と合致するため、徐々に渾天説が優勢となっていったという経緯があるらしく、現代的な球面天文学からみても、
蓋天説から渾天説への変遷は、科学の進歩、ととれます。
渾天説を大成したと言われる人物に、後漢の科学者、政治家である張衡(78-139)という人物がいます。
彼は紀元前4世紀からある「渾天儀」という天球モデルを完成させた人物として有名であり、その著書の中で「渾天説」を明確に述べたことで知られています。
渾天儀に関してはこちらのサイト様の解説が、実に詳しくて参考になります。
彼が作った渾天儀は、水時計の水の流れを応用して水流で動き、二十八宿の位置など、現実の現象、位置と悉く一致したといいます。
(・・・なんかそれ、欲しいな。。(゜o゜))
この渾天説と人体観、医学の関わりですが、僕としては真っ先に李時珍(1518-1593)の説が思い浮かびます。
李時珍の『奇経八脈考』冒頭の「八脈」の部分に、
「陽維脉は表、陰維脈は裏で乾坤を言い、陽蹻脉は左右の陽、陰蹻脉は左右の陰で東西を言い、督脈は後ろの陽、任脈衝脈は前の陰で南北を言い、帯脈は諸脈を束ねる、六合を言うなり。」
とあります。
(文章はかなり省略意訳しています。)
渾天説における天球の、赤道にあたる部分が帯脈、上下(天地、転じて表裏)は維脈、左右(東西)は蹻脈、前後(南北)は任督衝と、奇経八脈それぞれで、
球体としての人体(六合、つまり宇宙)の気のバランスをとっている、と考える説です。
因みに”宇宙”という単語の出典は『尸子』あるいは『淮南子』であります。
(”宇”が空間を意味し、”宙”が時間を意味します。つまり宇宙とは時空のことであります。)
李時珍は恐らく、天文学についても相当深く理解していたことでしょう。
彼が、小宇宙である人体を、球体(三次元空間における空間物体)として考えた時に、奇経八脉を用いてこのような論を説いたのは、鍼灸臨床家としては非常に面白い説だと感じます。
続く
【参考文献】
『中国古代天文学簡史 日訳版』浅見遼訳 近代出版
『中国天文学研究』小沢賢二著 汲古書院
『東洋天文学史論叢』能田忠亮著 恒星社
『中国天文学・数学集』薮内清 編 朝日出版社
『古代中国の宇宙論』浅野裕一 岩波出版
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2016.07.31
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これまでのお話・・・
「理」の意味 2 参照
◆諸子百家の「理」
ここで、「理」という言葉の、諸子百家それぞれによる用いられ方に触れておきたいと思います。
小学館の『日本大百科全書』によれば、「理」は
『墨子』では、”道徳的規範”という意味で用いられ、
『荘子』では”自然の理法”、つまり「道」と並ぶ、重要な意味で用いられ、
『韓非子』では”法”として
用いられるそうです。
また、
『淮南子』においては”自然の法則性”、”道理”という意味で用いられ、
儒家では宋の時代に至って、朱熹の朱子学では「気」の裏で働く法則性を「理」とし、
有名な「理気二元論」といって、「理」と「気」を分けることで、自然を理解しようとしました。
その後、明の時代、
王陽明の陽明学では、『伝習録』中巻の中で、「理」と「気」を分けつつも、「理は気の条理、気は理の運用」と述べ、
「理」と「気」を一体のものとして「理気一体観」を提示し、朱子学の「性即理」に対して「心即理」と唱えています。
また、仏教の方では、個別具体的な事象、現象を「事」と言い、それを理論づけたり言葉に乗せること(「事」の背後にある普遍的理法)を「理」と言うそうです。
(岩波『仏教辞典』第二版)
・・・とまあ、ゴチャゴチャと難しいようですが、要は、諸子百家において大体共通しているのは、モノの法則、自然界における理論のことを「理」といっているワケです。
そして一方では、『荘子』における”道”とか、仏教における”事”など、直観的把握に頼らざるを得なかったり、個別具体的な現象であったりして、
なかなか理論化できない、説明不能なものも、中国哲学では重視している、ということも言えるでしょう。
続く
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2016.07.30
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前回のお話・・・
「理」の意味 参照
では続きいきましょう。
◆「理」の意味
wikipediaによれば、
「理」とは、中国哲学に出てくる概念。
(仏教用語としても出てくるそうで。)
本来、「理」は文字の意味から言うと、璞(あらたま:まだ磨いてない玉)を磨いて、美しい模様を出すことを意味するそうで、
そこから「ととのえる」「おさめる」、あるいは「分ける」「すじ目をつける」といった意味が派生する。
もともと動詞として使われたが、次に「地理」「肌理(きり)」(はだのきめ)などのように、ひろく事物のすじ目も意味するようになったと言います。
それが抽象化され、秩序、理法、道理などの意に使われるようになったと。
・・・一先ずなるほど。
(要点を抜粋して引用しています。)
中国哲学に出てくる概念と言っても、「理」という文字の出典は、孔子の『論語』や、『老子』には出て来ず、『孟子』の中に一か所「条理」とあるのみなんだそうで、
『荘子』『荀子』『韓非子』『淮南子』『墨子』あたりに頻出する文字なんだそうです。
因みにこれらについては、過去記事
・・・そう言えば、韓非子、墨子、淮南子についてまだ書いて無かったねえ。
これもそのうち書きましょう。
蓮風先生もよく仰ることですが、中国伝統医学を理解する上で、古代中国哲学への理解は重要。
つまり、いわゆる諸子百家思想を知ることは重要です。
まあこれを見ると、「理」は儒家、道家双方において、重視されてきた考え方であるということが分かります。
続く
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2015.03.27
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今日は哲学的なお話。
まあ哲学なんて、とんでもない膨大、莫大な学問分野であり、僕なんてズブの素人なんですが、東洋医学を実践する上では、避けて通れない問題なので、
たまには自分なりに考えてみました。
西洋医学では、
「人体は、60兆個の細胞の集まり」
と、説きます。
(因みに近年では37兆個説が定説となっているようです。まあ、個人的にはどうでもいいが。。。)
この立場から、さらに細かく考えれば、人体も、人間を取り巻く大自然もみんな、原子、電子、分子、つまり物質と、その物質間に働く電磁力の集合体、と考えられます。
この立場からすれば、我々の精神、意識の活動(喜怒哀楽などなど)なんてのは、単に脳の特定部位の神経細胞の興奮(活動電位)の結果、ということになりますし、
あらゆる自然現象は全て物質の移動、変動、電位変化の観察により解析可能なのではないか、ということになります。
また、この立場からすれば、「生命」というのは遺伝子を自己複製する精巧なシステムであり、「死」はそのシステムの活動停止である、となり、
神仏?霊魂??気や経絡???・・・んなもんないっしょ、って話になります。
・・・とまあこのように、この世の森羅万象の根本は「物質(素材的なもの)」である、とする考え方を、「唯物論(ゆいぶつろん、Materialism)」と言うそうです。
因みに、その物質の集合体である生命も、そこに働いている物理的法則が分かればすべて理解可能、というスタンスを「生命機械論」と呼んだりします。
北辰会が治療方式の用語と理論のベースに置いている、中華人民共和国が1950年代にまとめあげた「中医学」というのも、この「唯物論」の考え方でもって、
それまでの中国伝統医学をまとめた医学であります。
さてここで、数千年の歴史を持つ、「東洋医学(中国伝統医学)」の深遠な世界が、この「唯物論」でもってすべて把握できうるか、説明できるか、
本当の意味で「東洋医学的に」人間を診る医学として、その理解は正当か、という問題になると、かなり疑問が残る、という話を、随分前にしました。
東洋医学と中医学 参照
(もう、あの記事から5年も経つのか・・・。( ゚Д゚))
じゃあもし、「唯物論」では東洋医学が表現、理解しきれないとすれば、どういう考え方ならば出来るのでしょうか。
唯物論の対義語として、
「観念論(かんねんろん、Idealism)」
とか、
「唯心論(ゆいしんろん、Spiritualism)」
という言葉があるそうです。
「観念論」は、事物の存在と存り方は、事物よりも認識主体側の、当の事物についてのidea(イデア、観念)によって規定される、という考え方であり、
物質よりも精神、理性、言葉に優位性を置く理論のことだそうです。
「唯心論」は人間・社会において、心、もしくはその働きこそは至上の要因であるとする立場の一つで、心やその働きは、あくまでも物質に還元されない独特な性質を持っているとして、
物質的存在がその存在を容認されるのは、「意識」によるものである、したがって、意識こそが存在を決定づける、という論だそうです。
観念論も唯心論も、唯物論に対する言葉だそうで、要は「非」唯物論なのでありますが、観念論と唯心論は同義ではなく、
観念論は認識論(哲学の分野で、人が理解できる限界について考察する学問)における考え方
であり、
唯心論は存在論(哲学の分野で、存在するものの意味や根本規定を考察する学問)における考え方
なんだそうです。
東洋医学の背景にある古代中国の自然哲学では、大宇宙も、小宇宙である人間も、すべて「気」から出来ている、と考えます。
(これを”気一元論”と言います。)
そして、宇宙の開闢については、無(太極)から陰陽(両儀)が生まれ、それがさらに陰陽に分かれ(四象)、さらに分かれ(八卦)、という風に分化して万物が成った、と考えます。
(by『易経』繋辞上伝)
また、
「道は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生ず」
という考え方もあります。
(by『老子』42章)
因みにこの『易経』『老子』と同じような考え方は、『淮南子』天文訓にも出てきます。
まずこのような、大枠としての自然観、宇宙観、宇宙生成論が前提としてあり、その中にある、小宇宙たる人間、という風に説きます。
ここに出てくる「気」や「太極」や「道」といった考え方を、「物質が根本」という考え方で説明しきれるでしょうか。
中国伝統医学は、人間を、大宇宙と相似性、同一性を持ち、なおかつ大宇宙と常に連関する存在、という風に考えますが(天人合一思想)、それについても、
いわゆるニュートン物理学の言うような、「質量を持った物質」における物理法則の範疇で理解可能でしょうか。
中国伝統医学は、もともと、そういう独特な考えでもってとらえた「人間」「患者」に対する、最良の医学医療はどうあるべきか、という風に考えを進めて、
悠久の歴史の流れの中で、絶え間ない臨床実践(ある意味人体実験)を繰り返す中で、永久不変の真理としての実効性、普遍性、再現性を備える形で、
少しずつ、でも堅実に、堅牢に構築され続けてきたものであるとすると、現代的な唯物論で説明するよりも、本来は”非”唯物論で解釈した方が、
より正確に理解が出来そうな気がしてきます。
現状において「現代中医学」が世界中の東洋医学教育のグローバルスタンダードになっているからと言って、こういう根本哲学に関わる部分まで、
まったく無批判に、悪く言えば盲信的に受け入れていては、問題が生じるのではないか、というのが、北辰会の立場です。
中国伝統医学を理解するにあたって、「唯物論」に対して「観念論」的、「唯心論」的で、さらには、それらをもすっぽりと包むように「気一元論」的に解釈し、
「生命機械論」に対して「生気論」的に解釈しようとする姿勢を重視しています。
(だから臨床実践において”直観”とか”魂”というものを、論理と同じかそれ以上に重視している訳ですね。)
日本という国は、いつの時代も、大陸から流入した新しいものを、自国の風土や価値観と見事に習合させ、ピューリファイ(精錬、純化)してきた歴史があります。
中医学に対しても、日本人としてはそうあるべきではないでしょうか。
この問題については、私もまだまだ理解が浅いですが、一生かけて、もっともっと深く考えていかないと、と思っています。
【参考文献】
『哲学事典』平凡社
『哲学・思想事典』岩波書店
『詳解 中医基礎理論』東洋学術出版社
『気の思想』東京大学出版会
『鍼灸医学と古典の研究 丸山昌朗東洋医学論集』創元社
『医学の哲学』誠信書房
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これまでのお話・・・
「肝」って何ですか?(その13)
「胆(たん)」って何ですか??(その1)
「胆」って何ですか?(その2)
「胆」って何ですか?(その3)
「胆」って何ですか?(その4)
「胆」って何ですか?(その5)
「胆」って何ですか?(その6)
「胆」って何ですか?(その7)
「胆」って何ですか?(その8)
では、続きいきます!!
◆『淮南子(えなんじ)』における胆の腑
この『淮南子』という書物がいかなるものか、という話は、こないだスタッフブログに副院長が簡単に書いてくれました。
スタッフブログ 『淮南子(えなんじ)』という書物 参照
その『淮南子』の”精神訓”というところに、
「妊娠して10か月経って、人間が生まれて形になる時、胆は口に関わり、相方の肝は耳に関わるよ~ん♪
他に、肺は目、腎は鼻、脾は舌に関わるんだよ~ん♪」
とあります。
(抜粋意訳 by竹下)
・・・これは、実は一般的な東洋医学の学説とは異なる論なんですが、そういえば口も、開閉しますよねえ?
したがって僕的にはこれを読んだとき、”ナルホドナー♪”と思いました。
ここで、”イヤイヤ、目だって開閉するじゃねーか!”と即座に突っ込んだ人は優秀です。(笑)
空間物体を、視覚を通じて認識するための器官である「目」と「口」とは、全然違います。
「口」というのは、飲食物の入り口、つまり、胃、小腸、大腸の入り口です。
東洋医学の一般常識からすれば「脾の臓」がもっとも深くかかわる器官です。
前回述べたように、胆の腑は、胆汁で、消化を助けます。
また、胃の腑と協力して、気を下げる働きを持つ、とも言われます。
当然、開閉する部分なんだから、胆は目にも関わるんでしょうが、「より」口に関わる、という意味なんだと思います。
東洋医学に関する、あまり一般的でない言説や分類が書いてある文献て、実は調べるとけっこうあるんですが、そういうものを理解するには、
こういう風に原理を把握した、柔軟な考え方がないと難しいと思います。
大事なのは、全て相対論なんだ、ということです。
どんな本に書いてあることだって、結局はそれの作者が、
「まー色々ある中で、どっちかというとこう、と、僕は思うけど?」
という話しなんです。
着眼点や切り口が違えば、形式論理学的な前提は変わったりします。
だから読むときは、書いた人の意図を汲んであげないと。
・・・まあそう言ってしまうと、何でもアリなようですが、現実は何でもアリではない、オモシロキビシイ世界なんです。
また、『淮南子』の同じ部分には、
「人に色々な感情があるように、お空にも色んな気象状況があるよね~?で、胆っていうのは、お空で起こる現象で言うと、
雲みたいなもんだぜ~!しかも相方の肝は風みたいなもんで、他に脾は雷、腎は雨、肺は氣みたいなもんさ~、
で、それらみんなを心が仕切っているのさ~!!」
とも書いてあります。
(抜粋意訳by竹下)
この部分こそ、僕が「胆汁」というものは、「小腸の腑」に出てきて消化を助ける以外に、有形と無形の中間である霧(水蒸気)のように全身各所に行き渡り、
全身各所の「枢」を調整している、という働きもあるんじゃないかなー、と妄想したきっかけです。(笑)
雲は水蒸気、気体と液体の中間の、中途半端な状態です。
まさに臓のようで腑のような、胆を表わすのにピッタリです。
しかもそれが、風(肝)の力を借りて、自由自在に大空(この場合の全身)を流れ、太陽の強い日差しを程よくさえぎったり、分厚くなれば雨を降らせて、湿度を調整する。
(因みに脾が雷というのも面白いですね)
この記載が妙にシックリきたんですねー。
次回に続く。
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2013.02.10
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「胆(たん)」って何ですか??(その1)
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では、続きいきます!!
◆「胆汁」ってナニ??(その2)
では今日は、東洋医学の言う「精汁(胆汁)」というものがいかなるものなのか、もう少し僕なりに愚考してみたいと思います。
確かに、現代の一般的な中医学の教科書なんかによく書いてあるように、胆汁は「肝の臓」の気血(余気)が変化して出来た、黄色くて苦い液体であり、
胆から「小腸の腑」に出ていって、脾胃の消化吸収を助けるモノである、という考えは、別に否定はしません。
それも確かなことだと思います。
(ちなみに、そもそも”中医学”がなんだか分からない方は過去記事 東洋医学と中医学 参照)
また、なぜ胆汁のことを、”精汁”と呼ぶのかについては、「肝の臓」の精気が濃縮された汁、という意味だと思います。
また、これが清らかであるのは、「胆の腑」が飲食物を通さない、しかも肝の精気を濃縮して溜めている、極めて清潔な腑だから、とも言えるでしょう。
因みに、面白いことに、「肝の臓」の働きが亢進している人は、妙に潔癖症になったりすると、東洋医学では考えたりします。
(『難経』16難「・・假令得肝脉.其外證.善潔.面青善怒.・・」参照)
〇
こういった考え方と、もう一点、これは前回チラッと書いた私見なんですが、やはり胆汁は全身の「枢(とぼそ、くるる)」に関わるのだと思います。
門扉の蝶つがいの中心軸を滑らかに動かすには、潤滑油が必要ですよね?
その潤滑油になるのが、「胆の腑」に貯蔵されている「精汁」なんじゃないか、と愚考しています。
つまり、「胆の腑」が大事に貯蔵する「精汁(胆汁)」というのは、一つにはそのまま「小腸の腑」にドロリと出てきて、
飲食物の消化吸収を助ける面と、もう一つには霧のように自由に全身を伸び伸びと巡り、全身の「枢」部分に行きわたり、
各所で”開閉”を調整し、発汗、排尿、排便などのスムーズな働きを助けているんじゃないか、と思っています。
そう考えると、臨床的につじつまが合うことが多い、と思うからです。
ちょっと難しくなるけど、「胆の腑」は、その気が流れる経絡である「足少陽胆経」と、この「胆汁」を介して、全身の「枢」の働きにコミットしている、
大変重要な腑である、と「僕は」考えています。
(違うよ、と思われる方は、是非ご意見聞かせて下さいネ☆)
また、このシリーズの(その1)で、『淮南子(えなんじ)』という書物に、面白い言説が載っている、という話をしました。
長くなりそうなんで、それは次回。
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2013.01.31
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久々に書きます!
五臓六腑シリーズであります!!
何となく気が向かなくて、長いこと書いていませんでしたが、今日、なんか知らないけど気が向いたので、書いておこうと思います。
いわゆる”啓示”ってやつデスネ。
(笑・・・たまにあります。)
なんとかしてブログを継続していると、とってもいいのは、こうやって気が向いた時に、あるテーマについて書きためておけば、
そのうち、カテゴリごとにまとまった知識の塊が勝手に出来てくる、ということなんです。
しかも、出版するのと違って、内容の手直し、推敲も迅速、簡単に出来る。
コレは書く側にとってはいいことです。
やはり”継続は力なり”なんですね。
そういう訳で、厳密に推敲した文章ではございませんので、読者諸賢におかれましては、もし本ブログに間違っている内容等ありましたら、ぜひともご教示ください。<m(__)m>
〇
・・・まあ、前置きはさておき、五臓六腑シリーズ最後になります、「胆の腑」です。
東洋医学の言う「胆の腑」は、五臓六腑の中の「六腑」の中の一つです。
ちなみに”胆”という字は新字体であり、旧字体では”膽”と書きます。
”膽”のもともとの意味は『説文解字(※)』によると瓶(ビン、カメ)という意味があり、肝の臓のすぐ横にあり、胆汁を溜めておく瓶のような形をした器官、と理解されていたようです。
※説文解字・・・後漢の時代の許慎(きょしん)が書いたと言われる、世界最古の漢字辞典→wikipedia
↑↑ちなみにこれが、東洋医学的な「胆の腑」の図です。
まあ確かに、”瓶”て感じですねえ。。。
(張介賓(1563-1640)『類経図翼』より)
またこの”膽(胆)”という字は”い”とも読みます。
クマの胆のうで、漢方薬の生薬である、
”熊の胆(い)・・・熊胆(ゆうたん)とも言う”
は有名ですので、聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。
リンク先の図を見て頂くと分かるように、東洋医学では珍しく、実際の内臓の姿かたちと、東洋医学の内臓図が近いです。
(笑・・・まあこれはクマさんの胆のうですが。)
この生薬(熊胆)は主に邪熱をとり、炎症をひかせるのに使うのですが、この生薬で面白いのは、水溶液にして目を洗うことで、
結膜炎の炎症をとったり、粉末にして直接ふりかけることで、ヘルペスの激痛をとったり、という使い方があることです。
漢方薬も、飲むばかりではありません。
昔の医者の工夫が見てとれますね。
ちなみに奈良と大阪の境にある生駒山(いこまやま)という有名な山は、『日本書紀』では”膽駒山”と記載されており、漢字学者の白川静先生なんかは、『字訓』という本の中で、
「”胆(膽)”という漢字は”生きる”ということと大きく関わる意味を持つ。」
と解釈しており、ここは興味深いところです。
また、『淮南子(えなんじ) 精神訓』の中に、
”膽を雲となす”
という記載があります。
これは「胆の腑」を自然界のモノで言うと「雲」である、という、なかなか独創的な言説で、これもまた興味深いところであります。
これらの意味は、今後、「胆の腑」の働きや位置づけを説明していくと、うっすらと分かってくると思います。
・・・な~んて、こうやって漢字の解釈やってたら、あっという間に行数が過ぎていってしまいますので、この続きはまた今度・・・。(笑)
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