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2018.08.31
↑↑圧倒的貫禄。これは墓マイラー 森道伯先生で紹介したお写真をもとにした肖像画らしいんですが、素晴らしい出来栄えですね。
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昨日、墓マイラー 森道伯先生という記事を書きました。
・・・まあ、東洋医学をやっている者にとっては言わずと知れた、「一貫堂医学」の創始者であります。
このブログにも、これまでチョイチョイ、名前だけは登場していました。
・・・さて、どんな人物か。
〇
1867年、大政奉還の年に、水戸藩(現茨城県中・北部)の、代々武家の家系に生まれる。
父は白石又兵衛という。
遠い祖先に清和源氏・源頼義がいる。
(清和源氏とは、清和天皇の血を引く源氏姓の一族。後述しますが、皇室とご縁がありそうです。)
2歳の時、水戸藩の内乱を逃れて、今の茨城県、笠間城下の陶器商である森喜兵衛の養子となる。
(だから森姓なわけね。)
12歳で養父が死去。
この時、養母を連れて東京に出て、すでに東京にいた長兄・又二郎とともに、鱉甲彫刻をして生活する。
(なんて立派な12歳なんだ!( ゚Д゚) 現代にはこんなんいないでしょうな。。。)
この時の荷物の中に、実父の白石家に伝わる家伝の医書があったそうです。
(この一冊が原点か。因みに詳細不明。)
1887年(明治15年)、15歳の時、実父の勧めにより、東京(浅草蔵前)で開業していた、実父の知己であり、仙台出身の産科の名医である、
遊佐大蓁(ゆさたいしん:正しくは快慎かいしんというらしい)について、3年間医学を学ぶ。
因みにこの遊佐先生の先祖は大庄屋で、医家としての初代の人物は、婦人科で有名なあの賀川玄悦(1700-1777)の学統であり、
道伯が師事したのは医家としての遊佐家の2代目で、4代目の遊佐寿助は宮城県薬剤師会の初代会長であったらしい。
墓マイラー 14 参照
(繋がるね~~(゜o゜))
・・・ともかく、その後も鱉甲職人を続けながら、清水良斉という漢方医について漢方を学ぶ。
この清水先生がまた謎の人物で、名医だったそうだが大酒呑みで、ある時、旅に出ると家を出たまま、忽然と姿を消したそうで、その後を継ぐ形で「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。
(まあ、神が道伯先生に診療所を与えたんでしょうかね。。。)
因みに道伯は鱉甲彫刻職人としても「西町の豊光(彫刻師としての道伯の号)」と呼ばれ、名が売れていたらしい。
(サスガです。<m(__)m> きっかけは生活の為でも、やるからにはマジ、って感じだったんでしょうな。)
明治24年、24歳で最初の結婚。
26歳で長男義之介、30歳で次男光隆が生まれる。
(結婚してすぐに長女が生まれたそうですが、出生後すぐに亡くなってしまったそうです。)
明治32年、32歳の時に妻が妊娠中に腸チフスに罹り、流産し、亡くなる。
この時、道伯自身も、水戸に旅した際に風湿に中たり、強烈な黄疸を発し、清水良斉の治療を受けるも、生死を彷徨う。
(この時のエピソードについては後述します。)
1902年(明治35年)、35歳で「日本仏教同志会」創立、社会教化運動を行う。
(これは明治39年には解散したらしいですが。。)
↑↑こういうところも、道伯先生の面白いところです。
医家であると同時に、彫刻家であり、宗教家、社会活動家でもあったんですね。(゜o゜)
道伯先生は大変博学で、禅宗、真言密教にも精通しており、熱心に観音信仰をしていたそうです。
また政治や経済にも明るく、観劇に行く趣味もあったとか。
30代の頃、清水良斉先生の失踪後、「一貫堂」の看板を掲げて「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。
「一貫堂」はかつて師事した遊佐先生の診療所からとったもので、論語の里仁第四にある「吾道一以貫之」に基づいているそうです。
明治41年、41歳で再婚し、42年、道伯先生にとっては第4子である敬三郎が出生。
1918年(大正7年)、51歳の時、スペインかぜが大流行した際、病のパターンを胃腸型、肺炎型、脳症の3つに分け、それぞれ漢方で治療し、
大いに効果を挙げたという逸話はあまりにも有名です。
1923年(大正12年)、56歳で関東大震災に遭遇、居所保護法の建議案を訴えて、上野公園で演説を行う。
(こういう、政治活動家的な側面もあったようですね。)
1926年(大正15年)、59歳の時、門人・西原学氏が「漢方専門」と標榜したところ、医師会から圧迫を受けたことをきっかけに、森先生は憤慨し、
長野市善光寺にて「漢方医道復興大講演会」を開催し、
「漢方を滅さんと欲せば、まず森道伯の首を刎ねよ!!」
との有名な文句を叫び、専門科名認可の訴訟を起こし、ついにこれを獲得しました。
(スゲエ!(゜o゜) でも森先生は無資格!!みたいなね。。(笑))
・・・この、魂の籠った一言が、昭和の「漢方復興運動」の第一声と言ってもいいでしょう。
今日、街中に当たり前に「〇〇漢方クリニック」とか、総合病院内の中に「漢方外来」なんてのがあるのは、古くは森先生のこの行動のお陰と言ってもいいでしょう。
1930年(昭和5年)、63歳の時、森道伯の名声を伝え聞いた竹田宮、北白川宮から治療の依頼あり。
(ここで皇室と繋がるわけです。何かの縁なんでしょうね。)
同年8月、歩行困難を訴え、9月には病床に伏せ、脊髄炎、尿毒症を起こす。
1931年(昭和6年)、64歳で逝去。
亡くなる3年前には、自分の死期を家人に告げていた。
(ということはやはりあの墓石は自分で建てたっぽいですね。。。)
道伯先生は32歳の時に大病をした時に、観音菩薩に、
「寿命をもう32年延ばしてくれ、そしたら残りの人生は東洋医学の復興のために生きる」
と日夜お願いし、鍼灸と漢方薬で全治した経験があるらしく、その予言の通り、64歳でこの世を去った。
臨床でも、非常に直観が冴えており、不問診で患者の状態をピタッと言い当てたり、患者がこれからかかる病を予言し、その通りになったりと、
霊能力者っぽい逸話も多い先生であります。
〇
以前書いた丸山昌朗先生といい、自分の死期を正確に悟っていたエピソードは、他の先生でもけっこうありますね。
名医らしいエピソードだと思います。
また道伯先生は
「術は以心伝心で初めて伝わるもの」
とし、著述を好まず、書籍は残っていないそうです。
もっとも有名な弟子である矢数格(道斎)先生の『漢方一貫堂医学』が、森先生を知る重要な手がかりだと思います。
また、この先生は臨床において漢方だけでなく鍼灸も非常に重用したようであり、弟子には「人迎脈口診」の研究で有名な小椋道益先生や、
『漢方医術復興の理論』の著者で、昭和の時代に経絡治療を唱道したことで知られる竹山晋一郎先生、また婦人科医で、現在私が講師としてお世話になっている
東洋鍼灸専門学校の校長でもあった石野信安先生、他にも刺絡で有名な工藤訓正先生や、道伯先生と直接は会っていないようですが柳谷素霊先生門下の西沢道允先生など、
鍼灸師に与えた影響や、鍼灸そのものとの縁も深いです。
お弟子さんの諸先生方の後日談によって、この先生の臨床でのエピソードはたくさんあるのですが、特に印象に残ったものを二つ紹介します。
矢数格(道斎)先生の弟君である矢数道明先生が、漢方を学びながらも西洋医学にも興味を持ち、こっそりと患者の尿検査をしていたところ、それが道伯先生の耳に入り、
「試験管で小便の検査をしなければ治療が出来ないような漢方家になるならやめてしまえ!破門だ!!」
と怒鳴られたとか、あるお金持ちの患者さんが、処方を渡されて、帰るときに受付で
「これで本当に治るんでしょうか?」
と尋ねると、
「疑うような薬なんか飲むな!」
と一喝し、一旦渡した薬を引き取った事があるそうです。
(後日この患者さんは自分の態度振る舞いを反省し、無事治ったそうです。)
・・・とまあ、アツい臨床家、という感じの森先生。
この情熱が、多くの患者さんを救い、多くの優秀な後輩の心に火をつけ、現代まで脈々と続いているのでしょう。
「漢方医学復興」といえば、森道伯と同じ時代を生き、似た主張をした大人物である和田啓十郎先生とは、親交や面識があったかどうかは分かりませんが、
和田先生の場合は先に西洋医学を学び、その後に東洋医学に傾倒した人物で、業界に対して、ある種のイデオローグ的な言行を取ったのと違い、
森先生は最初からまさに「一貫して」漢方医学であり、生涯一臨床家であったと、後の竹山晋一郎先生は両者をともに”天才”と評価しつつ、
対比、比較しています。
また、和田啓十郎先生の息子さんである和田正系先生と、森道伯先生の高弟である矢数格(道斎)先生が、千葉医専(現千葉大学医学部)の同級生であったことは、
単なる偶然でない気がしてなりません。
・・・以上、どんなにコンパクトにまとめても僕の頭と文章力ではこれぐらいになってしまうので、肝心の「一貫堂医学」がどういうもので、
鍼灸ではどういう風に応用が利くか、みたいな話は、また違うところで書きましょう。(笑)
イヤーなんか、森家と和田家と矢数家、そして大塚家、柳谷素霊先生、千葉大学、北里大学、東洋鍼灸専門学校と、一連の近代日本東洋医学の歴史の流れ、重みを感じます。
また、僕としては、一貫堂も、森道伯先生の弟子には鍼灸師もいるのに、どこからか、鍼灸師と漢方医が一枚岩でなくなってしまったような感じがして、それが悔やまれますね。。。
◆参考引用文献
『漢方一貫堂医学』矢数格
『漢方一貫堂の世界』松本克彦
『漢方医術復興の理論』竹山晋一朗
『森道伯先生生誕百年祭記念文集』仁性会
『森道伯先生伝並一貫堂医学大綱』道齋矢数格編
『漢方治療百話 第八集』矢数道明
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2018.08.30
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再び、墓マイラ―に行ってきました!!
これまでの墓マイラーは 墓マイラー 目次 参照
今回の先哲は森道伯先生(1867~1931)です。
↑↑カッコいいご老人、という感じの森先生。
(矢数芳英先生(森道伯先生の高弟である矢数道明先生の御令孫)よりご提供)
この先生は、明治末期~大正期の日本において活躍された先生で、以前このシリーズでも紹介した矢数道明先生、その兄上様である矢数格(道斎)先生の師匠でもあります。
矢数道明という人物 参照
晩年にこの先生が完成させた「一貫堂医学」は、今日の漢方界でもあまりにも有名です。
(詳しい人物紹介は後程ゆっくりとします。)
とんでもない影響力を持った先生です。
お墓の場所は東京都中央区築地にある法重寺です。
法重寺はあの有名な築地本願寺と同じ境内にあります。
築地本願寺も、インドの建物のような、お寺とは思えない個性的な外観ですが、法重寺も近代的なビルのようなところでした。
(なんか、都心ですね~~)
↑↑墓石の下部に「森家」とあります。
↑↑詳細は不明ですが、昭和4年6月に建てられた墓石のようです。
森先生が亡くなられたのが昭和6年ですから、生前に建てられた墓石、ということになります。
(昭和4年ごろから体調を崩されていたようですので、生前にご自分で建てられたのかもしれません。)
↑↑これまでの墓石では珍しく、家紋が入っていました。
「若松に向かい鶴」という家紋のようです。
因みに竹山晋一郎氏の「森道伯先生逸伝」によれば、墓は他にも高野山の普賢院、常州(茨城県)笠間にある光照寺に分骨されているようです。
(それ以上の詳細は今のところ不明です。)
後ほど詳しく紹介いたしますが、この先生が直接的、間接的に後世に与えた影響ははかり知れません。
合掌
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2021.10.01
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9.30(木)の夜は、第33回、順天堂東医研を視聴してきました!!
今回の講師はいつもお世話になっている長瀬眞彦先生、講義テーマは
「バーチャル東洋医学診察室〜あなたの証はなんでしょう?〜」
です。
今回は、実際の症例を3つ挙げていただき、症状や経過や東洋医学的な所見から、学生の皆さんで弁証論治を推論するという形式で、ある程度基礎が分かっている学生さんにとっては非常に実践的で面白かっただろうと思うし、
まったくの初学者の学生さんには難しかっただろうとも思うけど、東洋医学の思考過程や、推論過程が何となくわかったのではないかと思います。
症例の解説の中で、このブログでも以前紹介した「一貫堂医学」についても紹介して下さいました。
一貫堂医学の創始者である森道伯先生は、あの当時(明治~大正期)において、和田啓十郎先生と並んで、私が大尊敬する医家の一人です。
一貫堂のオリジナル処方というのが、現代でも臨床応用されているのは素晴らしいことですね。
〇
さて、次回の講義は私です。
今回、特別な内容でいこうと思っているので、お楽しみに☆
〇
2021.05.14
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先日、5.10の夜20時から、日本東方医学会の分科会の一つともいえるDAPA(Doctors, acupuncturists, pharmacists’ association 医鍼薬地域連携研究会)に参加してきました!!
(20時から21時までの短時間のオンライン講座です。)
この研究会では、医師と鍼灸師を中心に、その他薬剤師などの多職種間での、地域医療における連携の在り方を考える、というのがテーマであり、
必ず実際の症例を通じてそれを行う、というのがこの会のポイントだろうと思います。
今回の症例は逆子(39週)と関節リウマチ。
どちらも鍼灸院ではよく診る疾患で、しかも西洋医学とコラボすることになる可能性が高いものでしょう。
逆子に関しては、よく足の小指にある「至陰という経穴にお灸」をするなんていうのが、いわゆる「特効穴的治療」みたいな感じで伝わっております。
↑↑赤いシール貼ってあるとこね。足の小指の先。
因みに、清明院にはしょっちゅう逆子の患者さんが見えますが、私は至陰の灸は滅多にやりません。(^^;
もともとは「右の」至陰で足太陽膀胱経、足少陰腎経から、結果的に命門の陽気を高める、というのが使用目標であり、メディカルユーコン『経穴解説 増補改訂新装版』では、
至陰で効果が出ないものは、腰の命門穴を使うという話が紹介されています。
↑↑命門穴はここね。なんか効きそうでしょ。(^^)
また北辰会では以前から、逆子の場合に打鍼でやる手法を、蓮風先生が提案して下さっています。
(ここでは詳しくは延べませんが)
逆子の妊婦さんを診た場合に、腎陽、命門火の不足があれば至陰への灸法を使う可能性が出てきますが、臨床的にはそこまでのものはあまり見かけない、という印象がありますし、
現代では画像診断も進歩していますから、物理的に胎児に臍帯が巻き付いているパターンや、臍帯が極端に短い場合、前置胎盤など、母体側の器質的異常にも注意を払わないといけないと思います。
いずれにせよ、治療は正確な弁証に基づいてなされるべきものと思います。
因みに因みに、至陰への灸が逆子に効く、という話の正確な出典については定かでないですが、近代文藝社『鍼灸経穴名の解釈と意義』によれば、
中国宋代、王執中による『鍼灸資生経』(1220)や中国明代、龔廷賢の『寿世保元』(1615)に難産に至陰を使った話が出てくるようです。
『中国針灸穴位通鑑』でさらに調べますと、上記よりもさらに少し前の時代の『太平聖恵方』(992)には、すでに同じ話の記載があったようです。
また、もともとの至陰穴の穴位効能の最古の出典ともいえる『甲乙経』や『明堂経』では、瘧(ぎゃく:マラリア)のような症状(寒熱往来)と、
頭部の症状が主であるということも、個人的には非常に重要だと思います。
さらに、原典としての『黄帝内経』や『難経』における「井穴」の意味も鑑みないといけないでしょう。
もともと存在した、それらの考え方を応用して、10世紀ごろまでには、難産や胎位不正に応用的に使われるようになったのが、最初であろうと思われるからです。
(そもそも、逆子という概念自体、分かってきたのは18世紀後半です。しかも世界初の記述は日本の賀川玄悦(1700-1777)『子玄子産論』であります☆)
また、1952年の『日本東洋医学会誌』において、森道伯先生の弟子で産婦人科医、東洋鍼灸専門学校の校長も務めた石野信安先生が逆子の治療に関して発表したのが、日本では有名ですが、
石野先生は三陰交という経穴を推奨しており、その著書『女性の一生と漢方』の中で、「最近中国では至陰に灸をして効果があったという報告がある」と書いていますので、
「逆子に至陰の灸」を復活させたのは近代の中国なのかな、という感じがします。
(どなたか詳しい方、ご教示下さい。<(_ _)>)
・・・とまあこのように、特効穴というのは、なぜそこが特効穴と言われているかをよく考えて使わないと、臨床で効果を本当の意味で引き出すことは難しいと、常々思っています。
病理を分析した上で狙ってやった、ということでないと、たまたま効いたとしても、それはマグレということになってしまう。
逆子に関しては、以前このブログに何度か書きました。
また今回の症例検討では、逆子に関する鍼灸治療のEBMのお話も出ました。
「日本医事新報社」記事 参照
まあ、産婦人科の先生の中には、「逆子の鍼灸治療は無意味だ」「ほとんどのものは自然に改善する」という主張もあるようですが、一方で、上記のような仕事があることも事実です。
こうしたことを踏まえて、安全安心で、ポジティブな気持ちで運用したいものですな。
関節リウマチについても、東洋医学では古くから「痹証」という概念でとらえ、その病態や治療法を考えてきました。
また、後ほど紹介しますが、4月から清明院に、膠原病を専門とする若い医師が研修に見えているのですが、西洋医学の方でも、治療に難渋する症例は少なくないようです。
まあ、私の経験上、逆子にもリウマチにも、鍼灸は非常に有効だと思いますので、積極的に活用するべきだと思いますね。
この会も徐々に受講者が増えてきて、発言も活発に行われ始めました。
今後、さらに盛り上げる予感を感じさせています。(^^)
次回は6.14(月)の夜20時から、お申し込みやお問い合わせはDAPAのFBページからどうぞ!!(受講費安いです!!)
〇
2019.12.18
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これまでのお話し
◆仏教と蓮
仏教では、池や沼の底の汚い泥の中からスッと茎を伸ばして、水面に美しい花を咲かせる蓮のことを、
「泥の中にあって、泥に染まらない清浄な姿」
ということで、涅槃、悟りのシンボルとして認識したようです。
まあこの、池や沼の底の汚いヘドロのことを「末法の世」に比喩している訳ですかね。(^^;)
大乗仏教の代表的な経典である『法華経』における”華”は白い蓮のことを指し、妙法(正しい真理の教説)を、白い蓮の花に例えたものとして知られているそうです。
(ここで鍼灸師であれば当然、白ときたら肺金、を思い浮かべますね。)
同じく大乗仏教の経典である『華厳経』において説かれる仏の世界である「蓮華蔵世界」も、蓮の花の形から連想、想像された広大な世界観だそうです。
また蓮華は、観音さまのシンボルとも言われます。
このブログでも以前紹介した、観音信仰に熱心だった医家に、森道伯先生が居ましたね。
森道伯という人物 参照
また、大乗仏教の中の秘教である「密教」の教義、世界観を図示したものである「両界曼荼羅」の一つである「胎蔵界曼荼羅」の中心には、
大日如来の周りに八葉蓮華が描かれています。
(出た!八葉蓮華!!完全に肺の臓の記載と一致です☆(゚∀゚))
この図の真ん中にいる仏さんが大日如来、その周りの八枚の花弁が「八葉蓮華」です。
(因みに赤で描かれている図が多いですが、白説もあるようです。(『大日経』))
東洋医学をやっている者としては、白に一票!と言いたいところですね。(*^^*)
◆参考引用文献
岩波『仏教辞典 第二版』
続く
2019.03.01
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昨日、四君子湯と六君子湯という記事を書きました。
ついでなんで、比較的有名にして、「六君子湯」と似ているところのある「平胃散」についても書いておこうと思います。
・・・まあ、僕は鍼灸の臨床家でありますので、これらの薬の、より臨床的な解説は、漢方家の先生のサイトにお任せするとして、これらの方剤の使い分けの際に考えるような内容が、
我々の臨床においても、微妙に配穴や補瀉やその評価に関わってくるんだよ、という話でも書いておこうと思います。
「平胃散」の出典も、「四君子湯」と同じく、宋代の国定処方集である『和剤局方』であります。
この『和剤局方』は、以前紹介した森道伯先生の臨床にも出てくる、大変重要な処方集ですね。
『中医臨床のための方剤学』によれば、平胃散は「袪湿剤」のグループであり、処方構成は蒼朮15g、厚朴9g、陳皮9g、甘草4gとあり(生姜、大棗を含める場合もあり)、
効能は燥湿運脾、行気和胃、主治は湿困脾胃とあります。
四君子湯や六君子湯と違って、人参、白朮、茯苓ではなく、蒼朮を多めにドーンと入れてあることで、「燥湿(湿邪を乾かす)」の効果を主に狙っている訳ですね。
つまり、湿邪の邪気実によって、脾胃の働きが抑えられているものに対する処方な訳です。
脾・胃 参照
四君子湯、六君子湯の”補法(補気)”をベースとした世界とは違う、”瀉法(袪湿)”の世界ですね。
中国清代の傳山(1607~1684)の『傳青主女科』では、この処方に朴硝(含水硫酸ナトリウム)を加えて、死胎の娩出に使っているというから、興味深い。
清明院もここ最近、二十四節気では「雨水」に入り、「啓蟄」の前であり、月齢では新月に向かい、こないだの雨で気温がガクンと下がり・・・、
という流れの中で、まさに「平胃散証」、という患者さんがチラホラ見えました。
これは鍼でやるなら、足三里や豊隆を瀉法か?あるいは太白を瀉法か??
それとも脾兪や胃兪か?
あるいはお灸でやるか??
どれが一番、平胃散チックか??
こう考えながらやるってのも、楽しいもんだねー(゚∀゚)
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2018.11.13
清明院では現在、院内診療、訪問診療ともに多忙のため、
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11.11の日曜日は、日本東洋医学会、東京都部会に参加してきました!
(終了後、北辰会関東支部定例会にも参加してきました!!)
今回は、先日このブログで一貫堂医学、森道伯先生に関する記事を書いたときに何度か連絡を取らせていただいた矢数芳英先生が一貫堂医学について語るということで、
お誘いいただき、楽しみにしていました。
この日は朝から女子医大の東洋医学研究所の所長である伊藤隆先生による、藤平健先生に関する講義。
藤平健先生に関しては、以前少し触れました。
丸山昌朗という人物 参照
藤平健先生は、千葉古方、奥田謙蔵先生の流れをくむ、昭和漢方界を支えた重鎮の先生の一人です。
(千葉大の和漢診療科のHPに詳しい紹介ページがあります。)
声が聴き取りやすく、内容も難しくなく、藤平先生の併病理論がよく分かる、非常に聴きやすい講義でした。
2コマ目は日本東洋医学会の元会長である松田邦夫先生による和田東郭先生のお話し。
松田邦夫先生も、一貫堂処方のもとの一つにもなっている、あの『万病回春』を現代語訳されており、今回初めて話を聴けるので楽しみにしていました。
因みに和田東郭先生といえば、今でもよく使われる四逆散、抑肝散の使い手として有名です。
このブログにも何度も登場しています。
「和田東郭」を含む記事 参照
松田先生は盛んに、患者の精神面、医師の精神面など、「心持の大事」を、和田東郭の臨床を通じて説いているように思えました。
蓮風先生もそうですが、やはり大ベテランになると、「心持ち」をこそ重視するようになるのかなあ、と思いましたね。
3コマ目は昭和大学の薬学部の教授である川添和義先生による生薬に関する講義。
大変聴き取りやすい講義で、スライドも見やすく、そういう意味で非常に参考になりました。
(サスガ大学教授、人気の講座を持っているんだろうな、という感じがしました。)
僕は漢方に関しては、必要な患者さんに関しては、「漢方臨床専門数十年」の、ゴリゴリの漢方家の先生を紹介して、一切お任せする主義なので、
細かいことは正直あまり分からないのですが、メーカーによって、同じ名前でも内容物や内容量が違うというのは、使う側からすると大変だろうなあ、
と思いました。
そして最後は矢数芳英先生による「一貫堂医学」に関する講義。
矢数芳英先生は、森道伯先生の弟子で、昭和の日本漢方界の巨人である矢数道明先生の御令孫です。
講義の中で仰っていたように、矢数先生のハングリー精神を感じる、非常に分かりやすい講義でした。
森道伯先生は、結核と脳卒中の治療に苦戦した、それをどうにか予防できないか、ということで発案されたのがいわゆる一貫堂医学である、
また、矢数家が森道伯先生と関わるきっかけとなった、矢数格先生がマラリアの治療を受けた五積散の使い方や、芳英先生自身の奥様の荊芥連翹湯の症例など、
聴きどころがたくさんあり、あっという間に時間が経ちました。
また今回は、来年の日本東洋医学会の会頭でもある花輪壽彦先生とも、少しお話が出来ました。
今後、東京都内でも、清明院のように東洋医学をやっている数少ない鍼灸院と、漢方家の先生方で手を組んで、患者さんの益になる治療がドンドン出来たらいいですね。
医師と鍼灸師の間にある、見えない壁のようなものは、こちらから積極的に取り払っていこうと思います。
そして終了後は北辰会へ。
今回の飲み会では、S先生がいつも以上に冴え渡っていました☆(^^)
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2018.09.25
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9.23~24、この連休をどう過ごすか、色々と考えたんですが、なぜか強烈に引っ張られる感覚があり、山形へ。
それも有名な蔵王と山寺、さらに出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の両方を、二日ですべて回る計画です。
35歳の時、思うところあって、広島長崎から始まった僕の全国の旅は、いつもこんなんです。
普通の人からすると、あり得ないペースで、あり得ない行動範囲で動きます。
行く場所は、事前に調べて、ピンと直感がはたらいたところのみを回ります。
メジャーなところから、超マニアックなスポットまであります。
どうしても行かないとマズいような、妙に引っ張られるような感覚に任せて、動き回っています。
今回、なかなか良かったです。
山寺では、なぜか観音さんと阿弥陀如来さんばかりが目につきました。
こないだ一貫堂シリーズを書いていた時に、森道伯先生が信仰していたという観音信仰や、死期の迫った患者さんに説いていたという阿弥陀如来に関して、
色々な本やサイトで調べていたので、
「こりゃあー、なんかあるな。。。」
と、妙にゾワゾワしながら歩いていると、なんと「清和天皇」の供養塔が。。。
これも、森道伯先生が清和天皇の血を引く清和源氏の子孫である、なんて話を書いたので、清和天皇についてもちょっと調べていたので、
思いがけずこれを見つけた時はけっこうギョッとしました。。。(゜o゜)
「こりゃあ完全になんかあるぞ」
と思うようになりました。。。(苦笑)
また、僕は地方に行くと、必ずそこでの有名な不動明王を参ることにしているのですが、山形にはさほど有名なお不動さんは居ないみたいだなー、
と思っていたら、なんとありました!山寺の裏の、意味深な場所と、とあるところに。。。
一日目からそんなことがあり、なーんかフワフワした感じで、二日目の出羽三山に参ると、そこでも色々ありました。。。
しかし、出羽三山は、そこで見聞きしたことを
「聞くなかれ、語るなかれ」
と言われる霊場ですので、そこで何があったか、何を感じたかは、僕の胸にしまっておきます。
いやー、山形、恐るべし。。。
興味ある方は是非!!!
何かあるかもしれないし、ないかもしれません。(笑)
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2018.09.19
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これまでのお話・・・
ここまで、たまたま森道伯先生の墓参に行ったことをきっかけに、甚だ簡単ではありますが、日本の漢方の一流派である一貫堂医学について紹介してきました。
墓参に行くと、その名医が実践した医学、その名医の思想、行動、人生に興味が湧き、色々調べていくと、非常に感動することがあります。
墓マイラー 目次 参照
今日、東洋医学が現代日本で行われているのは、先人たちの絶え間ないご努力の上にあるのだということを再認識しますね。
あらためて、
「ナメた鍼は打てねえなー。。。」
という気持ちになります。
〇
最後に、いくつか森先生の臨床でのエピソードを紹介しましょう。
前述したように、森先生は医者であると同時に仏教の僧籍を持つ宗教家です。
もう亡くなることが分かっている患者さんの前では「生死一如」の理を優しく説き、悠々と死を迎えられるように導いたそうです。
浄土宗では”南無阿弥陀仏”ととなえるが、阿弥陀には
阿→生
弥→現在
陀→死
という意味があり、生から死、死から生へと、大自然の生々化育、霊魂不滅、生死流転の理を示すのだということを、患者さんに分かるように、
平易な言い方で説いて聞かせたと言います。
(・・・そういえば、藤本鉄風先生の墓石にも”南無阿弥陀仏”と刻んでありましたね。)
また、とある肺病の青年がもう助からない状況であり、本人が、どうしても肺病で死にたくない、と日々苦悩、懊悩していた時、森先生は
「これは絶対に肺病ではない、必ず治してあげるから。」
と伝えて、毎日のように往診に行ったそうですが、暫くして、その青年はついに亡くなってしまったそうです。
亡くなった日、森先生はいつもと変わらない様子で泰然と往診に来て、つかつかと青年の亡骸に近づき、いつも通り脈を診て、腹を診て、
「病はすっかり治ったよ、もうすっかり治った。」
と、何度も何度も、その青年の亡骸に、繰り返し語りかけていたそうです。
患者さんの家族や、ちょうどその場に来ていた西洋医は苦笑していたようですが、僕的にはこのエピソードにはシビレましたね。( ゚Д゚)
これは僕からは浄化に思えます。
魂に語り掛けてたんでしょう。
森先生は、この青年の霊魂をも、診ていたんだと思います。
西洋医に「肺病」と言われ、「もう助からない」と言われたこの青年の苦しみ、無念を浄化していたんじゃないでしょうか。
すぐ横にご家族がいて、西洋医がいる状況下でこれをやるとは・・・、森先生の魂自体が、永遠に不滅だね。
僕も在宅医療を始めて15年以上、これまで多くの患者さんを見送ってきましたが、このエピソードはなかなか、考えさせられるものがあります。
東洋医学の名医はホントに凄い。
・・・このシリーズ、これにておわり。
◆参考文献
『漢方一貫堂医学』矢数格
『漢方一貫堂の世界』松本克彦
『森道伯先生 生誕百年祭 記念文集』仁性会
『漢方医術復興の理論 改稿版』竹山晋一郎 他多数
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2018.09.17
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これまでのお話・・・
一貫堂医学が今日まで大きな影響力を持っている原因の一つとして、昭和漢方界の中心人物であった矢数道明先生と、その兄君である矢数道斎(格)先生が、
創始者・森道伯先生の弟子であったことが挙げられます。
因みにこちらが矢数道斎(格)先生。
↑↑ インパクト満点、一度見たら忘れないお姿ですね。
(矢数芳英先生(道斎先生の弟君である矢数道明先生の御令孫)よりご提供いただきました。)
矢数格先生は明治26年(1893年)茨城県生まれ、はじめ海軍の軍人を志し、中学に入るも、スパルタ式の無茶苦茶な運動をやり過ぎて、3年の時に体を壊し、
マラリアに罹り、生死を彷徨う。
この時、有名病院から専門病院から、どの医者に行っても一向に良くならず、何を食べても、何を飲んでも吐いてしまい、全く飲まず食わずの状態が続いており、
終いには吐血して、余命宣告までされる始末だったようです。
そこで森道伯先生の噂を聴き、藁をもすがる思いで、骸骨のようにやせ衰えた体で上京し、診察を受けると、僅か2週間で、天丼が食えるほどに回復したそうです。
因みにこの時に、
「この薬が胃に入るようであれば治してやる。」
と仰って、森先生が使った方剤は五積散だったそうです。
(そして五積散の出典は『和剤局方』です。)
マラリアというのは東洋医学では「瘧(ぎゃく)」とか「瘧病」とよんで、古くは『黄帝内経素問』の「瘧論(35)」「刺瘧(36)」の中で詳細に認識されていますし、
『金匱要略』の中にも出てきますし、その後の歴代医家も多くの研究を残しています。
現代中医学でもマラリアを様々に分類し、治療法を提示していますが、「五積散」という選択肢は僕が探した限りでは提示がありませんでしたので、
森先生のオリジナル運用法だろうと思います。
よく名医はこうやって、西洋医学的な病名だの、経過だの、症状の軽重だのに振り回されることなく、自分がよく理解している方剤をシンプルに使って、
きれいに治しますね。
五積散は、風寒外感+内傷寒湿の薬で、解表温裏剤と呼ばれるグループです。
因みに、2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞した中国人の屠呦呦(ト・ユウユウ)先生の研究は、中国伝統医学で使われている生薬にヒントを得た、マラリアの治療薬「アルテミシニン」の研究でした。
(因みにこの時一緒に受賞したのは寄生虫薬イベルメクチンで有名な日本人の大野智先生です。)
その後、元気になった矢数格先生は田舎に帰り、学を諦めて自然の中で農作業をする暮らしを4年ほどしていましたが、森先生のような漢方医を志そうと一念発起し、
22歳で千葉医専(現千葉大医学部)に入学しました。
当時は、漢方医の道を志すと言うと、学友から
「お前、頭がおかしいんじゃないか?」
と言われたそうです。
(苦笑・・・この時、矢数君を助けようと、署名が集まった、なんていうエピソードもあるそうです。)
まあ今で言えば、突然変な宗教に洗脳されたとか、精神に異常をきたしたとか思われるくらい、東洋医学の評判は地に落ちていたのでしょう。
医学生3年の時、再び無理をして体を壊し、肺炎まで起こし、入院する羽目になってしまいました。
その時に友人が森先生に電報を打ってくれて、知らせを受けた森先生は、夜中に東京から千葉の病院まで薬を持って往診に来てくれたそうです。
そして、病院のストーブで漢方を煎じて、飲ませると、
「こんなところにいたら殺される。わしが家に連れて行って看病する。」
と言って強引に矢数先生を東京の家に連れて帰ってしまい、本当に治してしまいました。
(このエピソードで思うのは、森先生は、矢数先生の才能に気付いていたんだと思います。)
この時、森先生が使った処方は升麻葛根湯に長ネギを加えて煎じたものだったそうです。
升麻葛根湯は、後にスペインかぜにも使った処方でしたね。
(しかしこの場合は長ネギ(葱白)を入れているところもポイントかもしれませんね。)
升麻葛根湯の出典は宋代の『小児薬証直訣』(1119)の付録である『閻氏小児方論』であり、効能は辛涼解肌、透疹解毒であり、葱白は長ネギの白い茎の部分のことで、
散寒解表、通陽の効能がありますので、肺炎の熱をとり、表は温め、内外に陽気を通じさせる、というイメージでしょう。
この信念、ハンパないですね。。。(゜o゜)
僕も現在、北辰会や東鍼校など、東洋医学教育に”端くれ”として携わっていますが、何といっても、この医学に本気になれるのは、こういうリアルな経験、感動が一番いいですね。
森先生の中では「治るか治らないか」に関する明確な物差しがあり、それを運用しただけのことでしょうが、これをしっかり持っているかどうかが非常に重要だと思います。
森先生は平生、
「わしに西洋薬を使わせたら上手に使ってみせる。」
と言っていたそうで、自分なりの評価の物差しがハッキリしていてブレなければ、どんな薬、どんな処置でも的確に分析できる、という意味からの言葉だと思います。
次回、森先生の臨床エピソードで「僕的に」印象的だった話を紹介して終わりましょう。
続く
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