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中医学では、体を流動する生理的な水分のことを「津液(しんえき)」と言います。
日本漢方の言い方では「気・血・水」の「水」ですね。
(中医学の言う”津液”と、日本漢方の言う”水”は違う!という厳しい意見が聞こえてきそうですが、ここではザックリとこのように分けさせて下さい。(^^;))
この津液が、飲食物から吸収され、形成され、全身を巡るのには、比較的複雑な生理システムが関与しています。
まず、飲食物が「胃の腑」に入って、「脾の臓」の力で消化吸収され、余ったものは「小腸の腑」に送られ、さらに余ったものは「大腸の腑」に送られ、
それでも最終的に余った老廃物は、主に大便や小便や汗として体外に排出されます。
人体の恒常性維持に使えるもののうち、生理的な水分のことを「津液」と呼び、これは体表の露出している粘膜や、その他全身各所に、適度な潤いを与えます。
よく東洋医学では「五行色体表」といって、あらゆる要素を五分割した表があり、そこでは五液(涙、汗、涎、涕、唾)という表現が出てきますが、これらはぜーんぶ、津液(特に液)です。
この中で、臓腑経絡学において、「小腸の腑」では飲食物から津液のうち「液」をとり出し、「大腸の腑」では津液のうち「津」をとり出す、と教わりました。
・・・ところでこれ、何ででしょ??
東洋医学やってる人、パッと答えられますか??
水分(津液)は、陰陽で分ければ「気」、つまり「陽」に対して、「陰分」とか「陰液」言われますが、その津液をさらに陰陽に分けると、液は陰、津は陽です。
(流動性と粘性の強弱、存在する位置、機能的なベクトルなどから、このように分けています。)
これにはまあ、色々な説明の仕方が出来ると思うのですが、平たく言えば、小腸の腑の段階ではまだ完全に飲食物は消化され切っておらず、
大腸の腑よりも相対的に清濁が判然としない状況ですので、ある意味ザックリと荒っぽく、大まかに水液をとる必要があります。
従って結果的に流動性の低い、相対的に濁った(粘った)水液である「液」をも、とり出します。
そして大腸の腑では、小腸の腑と比較すれば消化物はかなり便に近い状態になっていますので、精濁の分化は小腸の腑の時よりも相当ハッキリとしており、
大腸の腑では仕上げとして、より完璧に、清濁をキッチリと分ける必要があります。
従って、流動性の高い、相対的に澄んだ水液である「津」をも、残さずとり出す、ということになるのではないかと思います。
ここで注意しないといけないのはあくまでも相対的に、という理解ですね。
四角四面に、小腸=液、大腸=津、と硬直的に考えてしまうと、臨床的には失敗のもとだったりします。
また、「小腸の腑」は「心の臓」と表裏関係であり、五行では「火(君火)」の性質があてられていますが、心の非常に強い陽気の働きを助けとして、
ある意味で胃から送られてきた未消化物を”火にかけながら”、”荒っぽく”、精と濁とを分けるのに対し、「大腸の腑」は「肺の臓」と表裏関係であり、
五行では「金」の性質があてられており、大腸では肺金の「従革」「粛殺」の気の助けを借りて、ある意味”几帳面に”、”精緻に”飲食物は大便へと”変化”させる、
という、五行の性質を通じた解釈もあり得ると思っています。
この「東洋医学的消化活動」の更なる詳細はここでは述べませんが、この流れにさらに、肝の臓や腎の臓、三焦の腑などなど、あらゆる臓腑が協調して参画して、
バランスが崩れないようにシステムで仕事をしてくれています。
五藏六府の表裏関係の中で個人的に面白いのは肺大腸、心小腸、心包三焦なんですが、他の肝胆、腎膀胱、脾胃と違い、”隣接”という位置関係をとらずに、
上焦(心肺)と中下焦(小腸大腸)で表裏関係を成しています。
(心包三焦はまたもう一歩特殊で、膜同士、とか、内外、と言っていいと思いますが)
肺は華蓋で八葉蓮華、蓮の花が”逆さになった”形で描かれ、心は蓮華の蕾のような姿で、これも”逆さになった”姿で描かれます。
そして、小腸は左旋で16曲、大腸の最初の部分である廻腸も左旋で16曲、という風に描かれます。
ところで、小腸大腸のこの「左旋」「16曲」、これは何でですか??
続く。
2019.04.08
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最近のお話し
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ここまで書いてくると、「葛根湯」を語っておかないとなんか気分が悪い。。。
・・・ということで、以前
という記事で触れた、葛根湯について書いておきます。
まあこれも、もはや誰でも知ってる、漢方界のスーパースターですね。
しかしあまりにも、考えなしに服用されているケースが多すぎる。。。(苦笑)
患者さんでも、
「カゼっぽかったんで自己判断で葛根湯飲みました。」
と仰る方は、非常に多い。
この葛根湯も、出典はあの『傷寒論』であり、前回語った小青竜湯と同じく、「麻黄湯」の加減方とみることも出来ますし、超有名な「桂枝湯」のバリエーションと考えることも出来ます。
(東洋学術出版社『中国傷寒論解説 続篇 基礎と方剤』では、麻黄湯類に分類されています。)
桂枝湯の状態に加えて、「うなじのこわばり」があるものに対して、桂枝加葛根湯という薬を用い、それに麻黄を加えたものが「葛根湯」であります。
桂枝加葛根湯と葛根湯の違いは「汗の有無」です。
やはり麻黄剤というのは「皮膚表面を温めて、汗をかかせて治す」のがポイントです。
『傷寒論』の中には
太陽病.項背強几几.無汗惡風.葛根湯主之.
太陽與陽明合病者.必自下利.葛根湯主之.
太陽與陽明合病.必自下利.不嘔者.屬葛根湯證.
とあり、これを見ると、風寒邪が少し深く入って、下痢するものにも使える、となっています。
また『金匱要略』の中には、
太陽病.無汗而小便反少.氣上衝胸.口噤不得語.欲作剛痓.葛根湯主之.
と出てきます。
これは皮膚表面に冷えがあって汗が出ず、なのに小便も出ず、という状況になると、気が突き上げて喋りにくくなったり頚がこわばったりするものに葛根湯が使えるという話です。
葛根湯を使う、という時、
「汗が出ているか」
「皮膚表面に冷えがあるかどうか」
「大小便はどうか」
最低でもここに注目する必要があります。
カゼには無数の種類があり、どういうカゼなのかを考えて治療しないと、必ずこじれます。
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2019.04.07
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最近のお話し
参照
昨日、小青竜湯に関して書いたので、今日は小青龍湯の元となる、超有名な漢方薬である麻黄湯についても、ついでなんで書いておきます。
麻黄湯というのも、『傷寒論』に出て来る方剤であります。
構成生薬は麻黄・杏仁・桂枝・甘草の4種であり、もちろん主薬は麻黄であります。
麻黄は桂枝と並んで、生薬の王様級に有名ですね。
この二つが入っている方剤を「桂麻の剤」と呼んで、実に様々なバリエーションがあります。
これの出典である『傷寒論』中には、
太陽病.頭痛發熱.身疼腰痛.骨節疼痛.惡風無汗而喘者.麻黄湯主之.
太陽與陽明合病.喘而胸滿者.不可下.宜麻黄湯.
太陽病.十日以去.脉浮細而嗜臥者.外已解也.設胸滿脇痛者.與小柴胡湯.脉但浮者.與麻黄湯.
太陽病.脉浮緊.無汗發熱.身疼痛.八九日不解.表證仍在.此當發其汗.服藥已微除.其人發煩目瞑.劇者必衄.衄乃解.所以然者.陽氣重故也.麻黄湯主之.
脉浮者.病在表.可發汗.宜麻黄湯.
脉浮而數者.可發汗.宜麻黄湯.
傷寒脉浮緊.不發汗.因致衄者.麻黄湯主之.
脉但浮.無餘證者.與麻黄湯.若不尿.腹滿加噦者.不治.麻黄湯.
陽明病.脉浮.無汗而喘者.發汗則愈.宜麻黄湯.
脉浮而緊.浮則爲風.緊則爲寒.風則傷衞.寒則傷榮.榮衞倶病.骨節煩疼.可發其汗.宜麻黄湯.
太陽病.脉浮緊.無汗發熱.身疼痛.八九日不解.表證仍在.當復發汗.服湯已.微除.其人發煩目瞑.劇者必衄.衄乃解.所以然者.陽氣重故也.屬麻黄湯證.
太陽病.頭痛發熱.身疼腰痛.骨節疼痛.惡風無汗而喘者.屬麻黄湯證.
陽明中風.脉弦浮大而短氣.腹都滿.脇下及心痛.久按之氣不通.鼻乾不得汗.嗜臥.一身及目悉黄.小便難.有潮熱.時時噦.耳前後腫.刺之小差.外不解.過十日.脉續浮者.與小柴胡湯.脉但浮.無餘證者.與麻黄湯.不溺.腹滿加噦者.不治.
太陽病.十日以去.脉浮而細.嗜臥者.外已解也.設胸滿脇痛者.與小柴胡湯.脉但浮者.與麻黄湯.
・・・と、至るところの条文に出てきます。(苦笑)
(なげえ~~ 読むのつれえ~~ (~_~;))
・・・まあ要するに、非常に汎用性の高い方剤であり、病が浅いところにあるものだけでなく、少し深いところに入っている場合でも、咳が出ていて、
汗が出ていないような場合などには非常に使える方剤であることなどが分かります。
体表を温め、一気に発汗させて治せるパターンのものをバシッと治す薬、と言えると思います。
ですので、すでに発汗しているようなタイプの人や、体質的、病理的に熱傾向の人、また、必要な水分(津液)や血液が不足しているような人が迂闊に使うのは危ない、となります。
因みに、ここでは詳しく述べませんが、『金匱要略』には、射干麻黄湯、厚朴麻黄湯、甘草麻黄湯という、麻黄湯のバリエーションも紹介されています。
因みにこの麻黄という生薬には、エフェドリンというアルカロイド(天然由来の有機化合物)が含まれています。
(単離に成功し、”エフェドリン”と命名したのは明治時代の日本人だとか。)
エフェドリンは、覚せい剤で有名なメタンフェタミンと分子構造がそっくりで、スポーツ選手などが競技前に服用したらドーピングで失格になっちゃうそうです。(^^;)
それだけでも、よく効きそうな感じがしますね。(笑)
しかし、単離できたからと言って、麻黄湯はエフェドリンが効くんだ、と考えるのではなく、麻黄・杏仁・桂枝・甘草の生薬4味からなる「麻黄湯」となっていて初めて、
『傷寒論』に書いてあるような効果が期待でき、様々なバリエーションが設定できるのだと思います。
そこを勘違いしない方がいいと「僕は」思っています。
〇
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2019.04.06
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ここんとこ、
というお話を書きましたので、ついでなんで、最近花粉症でよく使われている「小青龍湯」についても触れておきましょう。
まあ湯液の話を、私のような実践で使っていない、ズブの素人がするのも実に僭越なんですが、あまりにもこれを処方されていて、しかも効果を感じていないと仰る患者さんを診ることが多いので、
僕自身の備忘録的な意味と、彷徨う患者さんのために、この薬に関する基礎的な内容を書いておこうと思います。
この薬の出典は後漢の時代、あの張仲景が書いた『傷寒論』であります。
小青龍湯は、有名な麻黄湯という漢方薬の加減方と言われます。
(麻黄湯も傷寒論に出てくる薬です。)
麻黄湯も最近、
「インフルエンザに効く!」
とか、
「キムタクが常備してる!」
とかいわれて、非常に有名です。
これについても、後で簡単にまとめておきましょう。
この麻黄湯は、よくカゼのひき始めに使われます。
小青龍湯は、もともとはカゼのひき始めの状態が改善せずに、なおかつ「水邪」が存在する時に使う薬、と、『傷寒論』に定義されています。
『傷寒論』内の条文では
傷寒表不解.心下有水氣.乾嘔發熱而欬.或渇.或利.或噎.或小便不利.少腹滿.或喘者.小青龍湯主之.
傷寒心下有水氣.欬而微喘.發熱不渇.服湯已.渇者.此寒去欲解也.小青龍湯主之.
傷寒表不解.心下有水氣.乾嘔發熱而欬.或渇.或利.或噎.或小便不利.少腹滿.或喘者.宜小青龍湯.
とあり、また『金匱要略』には
病溢飮者.當發其汗.大青龍湯主之.小青龍湯亦主之.
欬逆倚息不得臥.小青龍湯主之.
婦人吐涎沫.醫反下之.心下即痞.當先治其吐涎沫.小青龍湯主之.
とも書いてあります。
漢方薬の専門家でもない僕が、あまり難しい解説をしてもしょうがないし、そもそも出来ないので、要はこれらを簡単に言うと、表面に寒邪があって、
なおかつ心下(みぞおち)に水邪がつっかえてる場合に使う方剤であって、これとは違ったメカニズムで症状の出ている花粉症には効かない、
あるいは害になりかねない、ということになりますね。
また、たまたま合っていたとしても、この薬を服用して、表邪の存在、心下の水気の存在が除去、改善された後になっても、この薬を継続して服用していたら、
今度はまた違った病変に結び付く可能性もあります。
漢方薬はサプリメントなどではなく薬なのであり、素人考えでドラッグストアで買ってきてメチャクチャな使い方をしたりするのは、厳に気を付けたいですね。
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2018.12.12
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これまでのお話し
参照
さて、続きいきましょう。
◆積聚癥瘕関格(しゃくじゅちょうかかんかく)
1.積聚癥瘕が転動しない者(『東医宝鑑』に張仲景の言として紹介)
2.関格の病(※)で尿閉があるもので、頭汗がないものは生きる、頭汗があるものは死す『東医宝鑑』
(※関格・・・小便が通じない病を関、嘔吐が止まないのを格、西洋医学的には腸閉塞等の重い病のことを指す)
3.平素疝瘕(ここでは腹背の痛みを伴う腹皮の隆起)があり、大病の後にこれの位置が変わるもの(浅田宗伯『先哲医話』に和田東郭の言として紹介)
・・・今日は有名な「積聚モノ」です。
しかも李氏朝鮮時代の許俊(ホジュン 1546-1615)の、有名な『東医宝鑑』の話が出てきます。
(あ、『東医宝鑑』の話、そういえばしてなかったなあ・・・。そのうち書こう☆)
東洋医学では、腹部に出来る塊や、気の停滞のキツイもののことを「積(しゃく)」「聚(じゅ)」、合わせて「積聚(しゃくじゅ)」と呼ぶことがあります。
この根拠は『黄帝内経霊枢』の五変(46)や『難経』の55難、56難に出てきます。
いずれにせよ、腹部に腫塊があり、これが動かないものは良くない、あるいは、大病の後に変に動くものは良くない、と書かれてあります。
ここでは、特に2.の頭汗の話は面白いですね。
「頭汗」という現象については、以前取り上げました。
頭から汗が出る人 まとめ 参照
この場合は、頭汗がある場合は特によくない所見、と捉えるようです。
・・・さて、これをどう考えるか。
関格は、腸閉塞、尿閉(癃閉)の重いものですから、胃腸、つまり穀道、溺孔の閉鎖(不通)が主要病理です。
これ+頭汗ということは、頭汗に関しては無汗(汗孔の閉鎖)とは逆の現象です。
こういう、浅いところと深いところで、主要病理とは逆の現象をみた場合に、「逆証」の可能性が高くなるのだと思います。
動く筈のものが動かない、動かない筈のものが動く、セオリー通りいかない、こういうものが極めて危ないのだと思います。
いずれにせよ、多面的観察が大事なんですがね。。。
続く
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2018.08.31
↑↑圧倒的貫禄。これは墓マイラー 森道伯先生で紹介したお写真をもとにした肖像画らしいんですが、素晴らしい出来栄えですね。
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昨日、墓マイラー 森道伯先生という記事を書きました。
・・・まあ、東洋医学をやっている者にとっては言わずと知れた、「一貫堂医学」の創始者であります。
このブログにも、これまでチョイチョイ、名前だけは登場していました。
・・・さて、どんな人物か。
〇
1867年、大政奉還の年に、水戸藩(現茨城県中・北部)の、代々武家の家系に生まれる。
父は白石又兵衛という。
遠い祖先に清和源氏・源頼義がいる。
(清和源氏とは、清和天皇の血を引く源氏姓の一族。後述しますが、皇室とご縁がありそうです。)
2歳の時、水戸藩の内乱を逃れて、今の茨城県、笠間城下の陶器商である森喜兵衛の養子となる。
(だから森姓なわけね。)
12歳で養父が死去。
この時、養母を連れて東京に出て、すでに東京にいた長兄・又二郎とともに、鱉甲彫刻をして生活する。
(なんて立派な12歳なんだ!( ゚Д゚) 現代にはこんなんいないでしょうな。。。)
この時の荷物の中に、実父の白石家に伝わる家伝の医書があったそうです。
(この一冊が原点か。因みに詳細不明。)
1887年(明治15年)、15歳の時、実父の勧めにより、東京(浅草蔵前)で開業していた、実父の知己であり、仙台出身の産科の名医である、
遊佐大蓁(ゆさたいしん:正しくは快慎かいしんというらしい)について、3年間医学を学ぶ。
因みにこの遊佐先生の先祖は大庄屋で、医家としての初代の人物は、婦人科で有名なあの賀川玄悦(1700-1777)の学統であり、
道伯が師事したのは医家としての遊佐家の2代目で、4代目の遊佐寿助は宮城県薬剤師会の初代会長であったらしい。
墓マイラー 14 参照
(繋がるね~~(゜o゜))
・・・ともかく、その後も鱉甲職人を続けながら、清水良斉という漢方医について漢方を学ぶ。
この清水先生がまた謎の人物で、名医だったそうだが大酒呑みで、ある時、旅に出ると家を出たまま、忽然と姿を消したそうで、その後を継ぐ形で「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。
(まあ、神が道伯先生に診療所を与えたんでしょうかね。。。)
因みに道伯は鱉甲彫刻職人としても「西町の豊光(彫刻師としての道伯の号)」と呼ばれ、名が売れていたらしい。
(サスガです。<m(__)m> きっかけは生活の為でも、やるからにはマジ、って感じだったんでしょうな。)
明治24年、24歳で最初の結婚。
26歳で長男義之介、30歳で次男光隆が生まれる。
(結婚してすぐに長女が生まれたそうですが、出生後すぐに亡くなってしまったそうです。)
明治32年、32歳の時に妻が妊娠中に腸チフスに罹り、流産し、亡くなる。
この時、道伯自身も、水戸に旅した際に風湿に中たり、強烈な黄疸を発し、清水良斉の治療を受けるも、生死を彷徨う。
(この時のエピソードについては後述します。)
1902年(明治35年)、35歳で「日本仏教同志会」創立、社会教化運動を行う。
(これは明治39年には解散したらしいですが。。)
↑↑こういうところも、道伯先生の面白いところです。
医家であると同時に、彫刻家であり、宗教家、社会活動家でもあったんですね。(゜o゜)
道伯先生は大変博学で、禅宗、真言密教にも精通しており、熱心に観音信仰をしていたそうです。
また政治や経済にも明るく、観劇に行く趣味もあったとか。
30代の頃、清水良斉先生の失踪後、「一貫堂」の看板を掲げて「道伯」と号し、診療を行うようになったそうです。
「一貫堂」はかつて師事した遊佐先生の診療所からとったもので、論語の里仁第四にある「吾道一以貫之」に基づいているそうです。
明治41年、41歳で再婚し、42年、道伯先生にとっては第4子である敬三郎が出生。
1918年(大正7年)、51歳の時、スペインかぜが大流行した際、病のパターンを胃腸型、肺炎型、脳症の3つに分け、それぞれ漢方で治療し、
大いに効果を挙げたという逸話はあまりにも有名です。
1923年(大正12年)、56歳で関東大震災に遭遇、居所保護法の建議案を訴えて、上野公園で演説を行う。
(こういう、政治活動家的な側面もあったようですね。)
1926年(大正15年)、59歳の時、門人・西原学氏が「漢方専門」と標榜したところ、医師会から圧迫を受けたことをきっかけに、森先生は憤慨し、
長野市善光寺にて「漢方医道復興大講演会」を開催し、
「漢方を滅さんと欲せば、まず森道伯の首を刎ねよ!!」
との有名な文句を叫び、専門科名認可の訴訟を起こし、ついにこれを獲得しました。
(スゲエ!(゜o゜) でも森先生は無資格!!みたいなね。。(笑))
・・・この、魂の籠った一言が、昭和の「漢方復興運動」の第一声と言ってもいいでしょう。
今日、街中に当たり前に「〇〇漢方クリニック」とか、総合病院内の中に「漢方外来」なんてのがあるのは、古くは森先生のこの行動のお陰と言ってもいいでしょう。
1930年(昭和5年)、63歳の時、森道伯の名声を伝え聞いた竹田宮、北白川宮から治療の依頼あり。
(ここで皇室と繋がるわけです。何かの縁なんでしょうね。)
同年8月、歩行困難を訴え、9月には病床に伏せ、脊髄炎、尿毒症を起こす。
1931年(昭和6年)、64歳で逝去。
亡くなる3年前には、自分の死期を家人に告げていた。
(ということはやはりあの墓石は自分で建てたっぽいですね。。。)
道伯先生は32歳の時に大病をした時に、観音菩薩に、
「寿命をもう32年延ばしてくれ、そしたら残りの人生は東洋医学の復興のために生きる」
と日夜お願いし、鍼灸と漢方薬で全治した経験があるらしく、その予言の通り、64歳でこの世を去った。
臨床でも、非常に直観が冴えており、不問診で患者の状態をピタッと言い当てたり、患者がこれからかかる病を予言し、その通りになったりと、
霊能力者っぽい逸話も多い先生であります。
〇
以前書いた丸山昌朗先生といい、自分の死期を正確に悟っていたエピソードは、他の先生でもけっこうありますね。
名医らしいエピソードだと思います。
また道伯先生は
「術は以心伝心で初めて伝わるもの」
とし、著述を好まず、書籍は残っていないそうです。
もっとも有名な弟子である矢数格(道斎)先生の『漢方一貫堂医学』が、森先生を知る重要な手がかりだと思います。
また、この先生は臨床において漢方だけでなく鍼灸も非常に重用したようであり、弟子には「人迎脈口診」の研究で有名な小椋道益先生や、
『漢方医術復興の理論』の著者で、昭和の時代に経絡治療を唱道したことで知られる竹山晋一郎先生、また婦人科医で、現在私が講師としてお世話になっている
東洋鍼灸専門学校の校長でもあった石野信安先生、他にも刺絡で有名な工藤訓正先生や、道伯先生と直接は会っていないようですが柳谷素霊先生門下の西沢道允先生など、
鍼灸師に与えた影響や、鍼灸そのものとの縁も深いです。
お弟子さんの諸先生方の後日談によって、この先生の臨床でのエピソードはたくさんあるのですが、特に印象に残ったものを二つ紹介します。
矢数格(道斎)先生の弟君である矢数道明先生が、漢方を学びながらも西洋医学にも興味を持ち、こっそりと患者の尿検査をしていたところ、それが道伯先生の耳に入り、
「試験管で小便の検査をしなければ治療が出来ないような漢方家になるならやめてしまえ!破門だ!!」
と怒鳴られたとか、あるお金持ちの患者さんが、処方を渡されて、帰るときに受付で
「これで本当に治るんでしょうか?」
と尋ねると、
「疑うような薬なんか飲むな!」
と一喝し、一旦渡した薬を引き取った事があるそうです。
(後日この患者さんは自分の態度振る舞いを反省し、無事治ったそうです。)
・・・とまあ、アツい臨床家、という感じの森先生。
この情熱が、多くの患者さんを救い、多くの優秀な後輩の心に火をつけ、現代まで脈々と続いているのでしょう。
「漢方医学復興」といえば、森道伯と同じ時代を生き、似た主張をした大人物である和田啓十郎先生とは、親交や面識があったかどうかは分かりませんが、
和田先生の場合は先に西洋医学を学び、その後に東洋医学に傾倒した人物で、業界に対して、ある種のイデオローグ的な言行を取ったのと違い、
森先生は最初からまさに「一貫して」漢方医学であり、生涯一臨床家であったと、後の竹山晋一郎先生は両者をともに”天才”と評価しつつ、
対比、比較しています。
また、和田啓十郎先生の息子さんである和田正系先生と、森道伯先生の高弟である矢数格(道斎)先生が、千葉医専(現千葉大学医学部)の同級生であったことは、
単なる偶然でない気がしてなりません。
・・・以上、どんなにコンパクトにまとめても僕の頭と文章力ではこれぐらいになってしまうので、肝心の「一貫堂医学」がどういうもので、
鍼灸ではどういう風に応用が利くか、みたいな話は、また違うところで書きましょう。(笑)
イヤーなんか、森家と和田家と矢数家、そして大塚家、柳谷素霊先生、千葉大学、北里大学、東洋鍼灸専門学校と、一連の近代日本東洋医学の歴史の流れ、重みを感じます。
また、僕としては、一貫堂も、森道伯先生の弟子には鍼灸師もいるのに、どこからか、鍼灸師と漢方医が一枚岩でなくなってしまったような感じがして、それが悔やまれますね。。。
◆参考引用文献
『漢方一貫堂医学』矢数格
『漢方一貫堂の世界』松本克彦
『漢方医術復興の理論』竹山晋一朗
『森道伯先生生誕百年祭記念文集』仁性会
『森道伯先生伝並一貫堂医学大綱』道齋矢数格編
『漢方治療百話 第八集』矢数道明
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2017.12.25
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これまでのお話
では続きいきます!!
◆『金匱要略』の「血痺虚勞病脉證并治第六.」の条文
さて今日からは、せっかくなんで『金匱要略』も見ていきましょう。
もともと後漢の時代に張仲景が書いたと言われる『傷寒雑病論』はその後、急性病の治療を中心に書いた『傷寒論』と、慢性病を中心に書いた『金匱要略』に分かれた、なーんて言われます。
(そんなん大嘘!という意見もあるようですが、個人的にどーでもいいです正直。『傷寒論』も『金匱要略』も、臨床的に利用価値の高い本、ただそれだけです。)
今日はその『金匱要略』の「血痺虚勞病脉證并治」の中にある条文を紹介します。
そこに、
「男子脉虚沈弦.無寒熱.短氣裏急.小便不利.面色白.時目瞑.兼衄.少腹滿.此爲勞使之然.」
とあります。
簡単に訳しますと、
「脈が虚で沈弦であり、寒熱はなく、息切れし腹部が引きつり、小便は出にくく、顔面蒼白、時にメマイし、鼻血が出て、下腹部が張る。これは虚労の病だよ。」
となります。
これまでと違って、「寒熱はなく」とあります。
これまで、『傷寒論』に書かれていた傷寒病においては、熱が籠って鼻血が出ているのか、熱を発散させようとして鼻血が出ているのか、が主な問題でした。
今回は正気が弱って起こる鼻血です。
一番最初に書いたように、血が血脈にしっかりと収まっているのが正常な状態な訳ですが、これが上手くできなくなると血が脈外に出てきてしまいます。
これが出血な訳です。
主に脾が弱って起こることが多いですが、必ずそうとも限りません。
この条文では、腹部にもけっこう症状が出ていますね。
続く
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2017.12.23
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これまでのお話
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◆『宋本傷寒論』の「辨不可下病脉證并治第二十.」の条文
前回に引き続き、今回は下しちゃいけない場合のお話です。
このように傷寒論を読むと、今その患者さんに発汗させる処置をすべきなのか、させないべきなのか、あるいは発汗した後の状況から、何がどうなっているのか、
下すべき時はどういう時か、下した後の変化から何が言えるか、などという、臨床上欠かせない知識を得ることが出来ます。
ここに、このような条文が出てきます。
「傷寒發熱頭痛.微汗出.發汗則不識人.熏之則喘.不得小便.心腹滿.下之則短氣.小便難.頭痛背強.加温鍼則衄.」
簡単に訳しますと、
「傷寒病にかかって発熱頭痛し、汗が少し出ているような状況の時、間違ってさらに汗をかかすと意識が朦朧となる。またこの時に温める治療を行うと、
喘息様の症状が出て、小便は出にくくなり、頭痛して背部がこわばる。また誤って温める目的の鍼をすると、鼻血が出る。」
となります。
これは、陽明病の位置に邪気が入っている段階では、温める治療や発汗させる方法はダメですよ、という教えです。
熱が籠っているものに、さらに熱を籠らすなよ、という簡単な教えです。
しかし、明らかにカゼをひいており、しかも最初に寒気もあった、なんて話を患者から聞いていると、やらかしがちなミスではないでしょうか。
実際に体表観察をして、発汗があるかどうか、必ずキチッと確認しましょう。
個人的にはこの場合って、舌なんかけっこう淡白気味だったりして、赤くなってなかったりするんで、騙されがちだなー、と思っています。
陽明の、浅い部分の熱をサッと駆らないといけないパターンです。
この条文みたいに、鼻血が出てくれりゃあまだマシなパターンだと思います。
続く
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2017.12.18
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これまでのお話
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◆『宋本傷寒論』の「辨可發汗病脉證并治第十六.」の条文
前回と同じところですが、
「傷寒不大便六七日.頭痛有熱者.與承氣湯.其小便清者.知不在裏.續在表也.當須發汗.若頭痛者.必衄.屬桂枝湯證.」
と、出てきます。
簡単に訳しますと、
「カゼひいてから1週間くらい大便が出てなくて、頭痛して熱っぽいものは、少し深いところに病が入っているので、承気湯で下すといい。
でも、小便をよく調べて、透明な小便が出ているようであれば、下してはダメで、まだ浅いところに病があるので、発汗させるべきで、発汗しても頭痛が出るものは、
桂枝湯で治療するべき。」
という感じになります。
ここで気になるのは、ちょっと専門的になりますが、
「何で麻黄湯じゃなくて桂枝湯なの??」
ってところなんですが、まあ簡単に言えば、カゼひいてから1週間近くたっていることから、すでに正気が弱ってきていることを暗示しているんですね。
なので麻黄湯よりも相対的に補う生薬の入っている桂枝湯をチョイスすると。
鍼でやる場合でも、こういうことは常に考えないといけません。
「発症してからどれくらい経っているか」
「その間の経過はどうか」
「本当に悪化していっているのか」
「中途半端なところで病が停滞しているだけじゃないのか」
「症状は変わっていなくても、改善傾向にあるんじゃないのか」
患者さんの言うことのみを鵜呑みにせず、常に冷静にこういう判断をします。
これをミスったり怠ると、上手く治せないんですね。
続く
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2017.12.03
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◆『宋本傷寒論』「辨太陽病脉證并治中第六.」の続き
こんな条文もあります。
「太陽病中風.以火劫發汗.邪風被火熱.血氣流溢.失其常度.兩陽相熏灼.其身發黄.陽盛則欲衄.陰虚小便難.陰陽倶虚竭.身體則枯燥.但頭汗出.劑頸而還.腹滿微喘.口乾咽爛.或不大便.久則讝語.甚者至噦.手足躁擾.捻衣摸床.小便利者.其人可治.」
少々難しい条文ですが、簡単に訳しますと、
「太陽中風証(カゼの初期で、風寒邪のうち、風邪が勝っている病態)に対して、灸や火鍼などの火法をもって無理やり発汗させると、かえって風邪が盛んになり、
気血の流れが乱れ、黄疸が出る場合がある。熱邪が盛んになると鼻血が出て、陰液不足になれば排尿困難になる。
陰陽どちらも虚弱になったら、皮膚は乾燥して、首から上の頭にのみ汗が出て、腹部が張って、軽い呼吸困難が起こり、口の乾燥と喉の糜爛、
便秘などが見られ、これが長引けばうわ言、ひどいものではしゃっくり、手足をせわしなく動かして衣服や布団をつまむ動作を見せたりする。
この時にもし尿が通じれば、まだ治療可能である。」
・・・という感じです。
黄疸、頭汗については、以前少し書きました。
頭から汗が出る人 まとめ 参照
この場合は、間違った治療によってかえって風邪や熱邪が盛んになってしまった病態ついて論じてあり、熱邪が盛んになると、熱の逃げ場が無くなって鼻血が出る、
というメカニズムです。
これは良くないやつですね。
尿が通じれば可能性あり、という記載も面白い。
東洋医学では基本として、カゼをひいたら、風熱邪か風寒邪か考えます。
で、風寒邪だ!となったら、今度は風邪と寒邪、どっちのウエイトがきついか考えます。
で、寒邪がきつければ(太陽傷寒)温め、発散(発汗)する治療を基本に考えますが、風邪がきつい場合(太陽中風)、ヘタに温める治療をやって無理やり汗をかかせるようなことをやると、
上記のようなとんでもないことになったりします。
厳に気を付けるべきところです。
続く
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