東洋医学 伝統鍼灸 清明院

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大伯父の人生 2

2018.10.12

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前回のお話

 

大伯父の人生 1       参照

 

 

大伯父の足跡を知るため、今年のお盆の後に群馬から東京に戻って、まずは靖国神社に行ってみました。

 

 

旧日本軍の方で、大伯父を戦死者として把握しているのであれば、靖国神社に祀られている筈。

 

 

・・・で、行って調べたら、ちゃんとありました!!

 

 

 

20180820_234508.JPG

 

 

 

下の名前の文字がハッキリしなくて、ちょっと手間取ったのですが、巫女さんが調べてくれました!!

 

 

この字を使って「乾二(かんじ)」とは、なかなか珍しいですね。

 

”幹”の字を使って”幹二”だと聞いていたので、巫女さんを手こずらせました。。。)

 

 

僕としてはこの字を見ると、『易経』”乾坤(けんこん)”からとったのかな、とか、あるいは”いぬい”と読むことから干支の”戌亥(北西の意)”とかけてあるのか、

 

とか思ってしまいますが、本当のところどうなのか、今となっては知る由もないです。。。

 

(もしかしたら、PCもネットもない、戦時中のドサクサ当時ですから、役所の職員さんの書き間違いの可能性だってあります。(苦笑))

 

 

戦没者遺族は、靖国神社に行くと、こういうもの(調査結果)がもらえます。

 

 

これを見ると、ほうほう、階級は陸軍伍長、まあ、下士官の中では一番下、一兵卒よりは高い階級、ってやつなんですね。

 

日本軍階級表 参照

 

 

ただ、戦死すると階級が上がることがあるようで、大伯父の場合は軍歴を見ると、戦死したことで「上等兵」から「兵長→伍長」と、二階級上がったようです。

 

(まあ、せめてもの供養みたいなもんか。。。)

 

 

所属部隊は野戦照空第二大隊、とあり、これはどういう部隊かと言うと、「照空」ですから、敵の戦闘機が来た時に、空をサーチライトのようなもので照らして、

 

撃ち落とす役割の高射砲部隊などを助ける、という役割の部隊なんだそうです。

 

(うーん、空が曇ってたりすれば見えないだろうし、当時のサーチライトなんて、大したものでもないだろうし、どの程度役に立つものだったのか、ちょっと想像がつきませんが。。。)

 

 

とりあえず、靖国神社での調査で、亡くなった場所と日時がハッキリ分かってよかったです。

 

 

ルソン島の中でも、大伯父が亡くなったソラノ(ソラーノ)は、市街地とは言っても、マニラの真北の山岳地帯の小さい集落で、ド田舎のようです。

 

 

1941年から1942年、大東亜戦争開戦初期に、日本はフィリピンに進軍し、当時フィリピンを植民地にしていたアメリカ軍、マッカーサーをフィリピンから追い出しましたが、

 

大戦末期のフィリピン戦では、1944年の10月の、有名なレイテ沖海戦に始まり、陸海での激戦を経て、甚大な被害を出しながら、12月にはレイテ島が陥落しました。

 

 

その後、1945年の1月にはルソン島に上陸され、激しい地上戦、市街戦の末、3月3日には首都マニラも陥落しました。

 

 

・・・まあ、開戦当時に敗走したマッカーサーの有名な

 

「I shall return.」

 

の言葉通り、日本の占領はわずか二年で、見事にリベンジされてしまったワケですね。

 

 

大伯父が亡くなったのは、このマニラ陥落のわずか二日後、ということになります。

 

 

今回、フィリピン戦に関して、初めて詳しく調べましたが、この後の、1945年の3.26から始まる沖縄戦が地獄であることは知っていましたが、

 

フィリピン戦もかなりの地獄でした。。。

 

墓マイラー 46 番外編 沖縄慰霊編   参照

 

 

3.3にマニラが占領された後の日本軍は、終戦後の9月まで、ルソン島北部の山岳地帯やジャングルに逃げながら、ゲリラ戦を戦っていたようですが、

 

このゲリラ戦は本当にタフな、地獄の闘いだったようです。

 

 

3月の段階で戦死した大伯父は、その地獄を味わわなくて済んだ、という意味では、まだ良かった方なのかもしれません。。。

 

 

 

続く

 

 

 

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