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吉村昭『白い航跡』上下巻

2019.07.14

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こないだ、吉村昭『白い航跡』上下巻を読んだ。

 

(吉村昭は『日本医家伝』も必読ですね。)

 

 

これは明治の海軍軍医、高木兼寛(1849-1920)の物語です。

 

 

この高木兼寛先生は、薩摩藩(現:宮崎県)出身、当時恐れられていた国民病であり、日露戦争では戦死者を上回ったとされ、戦争遂行する上で重大問題になっていた「脚気」の撲滅に尽力し、

 

後の鈴木梅太郎のビタミン(オリザニン)の発見の原点となる功績を残した人物で、横須賀や靖国神社で今でも食える「海軍カレー」を軍人の食事に取り入れた人物でもあります。(笑)

 

 

また、現:慈恵医大の前身である成医会講習所の創設者であり、日本初の看護学校の創設者としても知られています。

 

 

「脚気」に関して、この先生の唱えた「白米説」と、森鴎外(森林太郎 1862-1922)の唱えた「感染症説」の対立は非常に有名です。

 

 

因みに、ずいぶん前に何度か紹介しましたが、脚気に関して、東洋医学と西洋医学の真剣な対立(しかも東洋医学の勝利)があったことは、一般にはなぜかあまり知られていません。(苦笑)

 

「脚気」を含む記事 参照

 

 

この本では、明治維新以降の戊辰戦争、日清、日露戦争の戦場での医学、明治期にドイツ医学とイギリス医学、どちらを選ぶかの歴史が非常によく調べてあり、面白い。

 

 

もし、明治新政府が、当時の海軍が選択したように、学理的考究を重んじるドイツ医学ではなく、実証主義的なイギリス医学を選択していたら、

 

その後の歴史、現代の医療界(とりわけ、東洋医学の取り扱い)も、違ったものになっていたかもしれませんね。。。

 

 

・・・まあ、歴史にタラレバはない。

 

 

僕らは今やれることを最大限やるのみ。

 

 

 

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